石造美術紀行

石造美術の探訪記

各部の名称などについて(その5)

2008-11-16 23:26:23 | うんちく・小ネタ

各部の名称などについて(その5)

時代区分について、石造美術関連で真正面から取り上げられたのは田岡香逸氏です。その著書「石造美術概説」や「近江の石造美術6」等において、石造美術を扱う場合に特に重要な中世、つまり鎌倉時代から室町時代の区分について、概ね次のような私案を示しておられます。

鎌倉時代前期前半:1185年(文治元年)~1209年(承元3年)

鎌倉時代前期後半:1210年(承元4年)~1234年(文暦元年)

鎌倉時代中期前半:1235年(文暦2年/嘉禎元年)~1259年(正元元年)

鎌倉時代中期後半:1260年(正元2年/文応元年)~1284年(弘安7年)

鎌倉時代後期前半:1285年(弘安8年)~1309年(延慶2年)

鎌倉時代後期後半:1310年(延慶3年)~1333年(元弘3年/正慶2年)

南北朝時代前期前半:1334年(元弘4年/建武元年)~1344年(興国5年(康永3年))

南北朝時代前期後半:1345年(興国6年(康永4年/貞和元年))~1354年(正平9年(文和3年))

南北朝時代中期前半:1355年(正平10年(文和4年))~1364年(正平19年(貞治3年))

南北朝時代中期後半:1365年(正平20年(貞治4年))~1374年(文中3年(応安7年))

南北朝時代後期前半:1375年(文中4年/天授元年(応安8年/永和元年))~1384年(弘和4年/元中元年(永徳4年/至徳元年))

南北朝時代後期後半:1385年(元中2年(至徳2年))~1393年(明徳4年)

室町時代前期前半:1394年(明徳5年/応永元年)~1430年(永享2年)

室町時代前期後半:1431年(永享3年)~1467年(文正2年/応仁元年)

室町時代中期前半:1468年(応仁2年)~1504年(文亀4年/永正元年)

室町時代中期後半:1505年(永正2年)~1541年(天文10年)

室町時代後期前半:1542年(天文11年)~1578年(天正6年)

室町時代後期後半:1579年(天正7年)~1615年(慶長20年/元和元年)

安土桃山時代は室町時代に含めてしまい、各時代を単純に三等分し客観性を担保するというのが田岡氏の趣旨です。(さすがの田岡氏も境目の年は両方にとれるように記載されていますので、どちらでもいいのですが、境目の1年が両方に属するのはおかしいので、「時代」区分は境目の年を新しい時代に入れ、「三期」区分では古い方に入れています。)政治に関係の薄い文化を考える場合、文化史的な観点は重要ですが、特定の形式や様式なりが息長く続いたり、逆にすぐに収束し淘汰されてしまうのに応じて各時代の時系列が伸びたり縮んだりするのは変です。その意味で田岡氏の主張には一定の説得力があります。小生は基本的に便宜上、田岡香逸氏の時代区分に沿って理解しています。(とはいえ短い南北朝の三期区分をさらに前後に分けるのはいかがなものかと思いますが…)一方、川勝政太郎博士は鎌倉時代について「私の前・中・後期の分け方は、鎌倉時代148年間の中ほど嘉禎ごろから正応末年ごろまでを中期とする。58年も幅があるが、必要に応じて中期はじめ、後半、末などと称する。」(「近江宝篋印塔補遺」『史迹と美術』380号)と書かれています。いずれにせよだいたい嘉禎年間から弘安年間が鎌倉時代中期として考えていいわけです。5年や10年程度の違いに拘泥する意味は感じません。また、だいたい室町時代後半を戦国時代ということもありますし、安土桃山時代を使う場合もあります。もう一度言いますが、これらはわかりやすくするための便宜上の目安、方便と考えることが大切です。「西暦○×年○月×日の午前0時00分をもって○×時代中期が終わるのだから11時59分に作られた作品と0時01分に作られた作品には明確に時代の違いというものを認識すべきだ」などという話がナンセンスであることは、どなたにもわかってもらえると思います。要はあまり細かい点に拘泥せず大まかに捉えるべきだと小生は考えるわけです。もうひとつ、時代区分を冠した様式の表現があります。鎌倉後期様式の五輪塔というような場合です。一定の時期に構造形式や意匠表現が定型化し普及した特定の様式をいうわけですが、これは便宜上様式に冠しただけで、必ずその時期の造立であるわけではありません。鎌倉後期様式の五輪塔は絶対に鎌倉後期の造立でなければならないことはなく、南北朝時代の造立になることもありえるので注意を要します。(続く)


各部の名称などについて(その4)

2008-11-16 23:11:46 | うんちく・小ネタ

各部の名称などについて(その4)

石造物に関係する文章や書物を読むと、よく出てくる造立年代にかかる表記、つまり「鎌倉時代前期」とか「室町時代後期」などいう時代区分の表現について述べさせていただきます。

例えばある石造物に元徳2年の造立紀年銘があるとします。造立年代について記述される場合、次のような表現になるでしょう。①西暦の1330年、②文字どおり元徳2年、③鎌倉時代末(または末期ないし終り)、④鎌倉時代後期(ないし後期末)。いったいどの表現が最も適切なのでしょうか、どれも正しく、偽りではありません。時と場合に応じて適宜使い分ければいいわけです。①は一番スッキリしていますが、③や④と組み合わせるといっそうわかりやすいですよね。②だけでは一般にほとんど理解してもらえないでしょう。③や④単独でも何か物足りない感じがします。初めは小生もどうということもなく過ごしてきましたが、色々な本などを読むうちにだんだん疑問が生じてきました。室町時代初め頃と南北朝時代の終り頃って同じじゃないの?同じ対象を人によって鎌倉中期終りとしたり鎌倉後期初めとしたりしているが、鎌倉中期の終り頃って何年頃なんだろう?という具合に「もやもや感」がありました。

そもそもこうした○○時代という区分はたいてい政治史の上の呼び方で、しかも始め・終わりを何年にするのかについては諸説ある場合が多く、いっそう話しをややこしくしています。しかし、一方でこうした時代呼称は広く用いられているので一般にわかりやすいという利点があります。この「わかりやすい」ということは、専門的になればなるほど微細な事柄の正確さを追求するのみに偏重し、時としてひとりよがりなものとなりがちな弊害を考えるとたいへん重要なことです。とりわけ石造物という地味で身近なものの価値を顕彰していこうとする場合、「わかりやすい」ということは特に大切と考えます。

政治権力の担い手が変わろうと、その瞬間から定規で測ったようにピシッと文化芸術面でも著しく様相が変わってしまうということはまずありえません。石造美術のように文化史的な事柄を考える場合、わかりやすく理解を進めるための目安程度に理解しておくべきものと考えています。また、こうした各時代を前・中・後の三期に分けて考えることがあります。しかし、これまたそれぞれ何年から何年までなのかについて明確に規定したものがありません。やはりこうした区分も元々便宜上の目安、わかりやすくするための方便のようなものなので明確に規定することにさして意義を感じません。時代区分に基づく表記に加え、西暦を用いて、○○世紀の中葉とか第○四半期とか初頭とか末頃などの表現を交えて説明しておけば事足りると小生などは考えるわけです。しかし、こういった時代区分の呼称が持つ曖昧さを許せない性分の人もいらっしゃいます。「もやもや感」を解消したい場合はすっきりしますし、それが実際上役に立つのであればいっこう構いません。ところが、これも諸説あって何ともいえないのが現実のようです。このあたりはいったいどうなっているのでしょうか…。(続く)