石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市瓜生津町 弘誓寺五輪塔

2010-08-13 00:07:43 | 五輪塔

滋賀県 東近江市瓜生津町 弘誓寺五輪塔

金剛山弘誓寺は瓜生津町集落の西寄りにあり、国道307号線のすぐ東側に本堂の屋根が見える。02那須与一の子孫が建てたという近江七弘誓寺の一つに数えられる。浄土真宗本願寺派。茅葺の古風な山門が何ともいえず印象的である。本堂の南、最近新調され白壁が眩しい土塀沿いに立派な五輪塔が立っている。06つい数年前までは大きい切株の傍らにあって雑木や草に囲まれていたのがずいぶんすっきりして見やすくなった。玉石敷の区画内に置かれている。現状では台座は見られないが一見して大和系の様式を示す五輪塔であることがわかる。花崗岩製。地輪下端は埋まって確認できないが現状の地表高約183cm。地輪は幅約72cm、高さは37cm以上ある。地輪上端面に約48.5cm×約37cmの長方形の穴が開いている。西側の側面に穿孔されているので、過去に手水鉢に改変されたものと考えられる。05水輪は径約62.5cm、高さ約51cmだが水輪下端が地輪上端面の手水鉢の穴にはまり込んでいるので本来の高さは幾分高かったと思われる。重心がやや上寄りにあるが裾のすぼまり感は少ない。火輪は軒幅約65cm、軒口の厚さは約13cm、隅で約17.5cm、垂直に切り落とした分厚い軒口と隅増しがあまり顕著でない軒反りはなかなか力強い。四注の屋だるみも適度で風格がある。空風輪は高さ約51cm、空輪径約33cm、風輪径約35.5cm。空輪先端の尖りもよく残っている。03_3水輪や空風輪の曲面の描く曲線もまずまずで直線的な硬さはそれほど感じさせない。各部とも素面で梵字や刻銘は認められない。無銘ながら上記の特長から造立時期は鎌倉時代後期、14世紀前半頃に遡るものと考えられる。さらにこの五輪塔の東南側に細長い五輪塔婆が立っているのを見落としてはならない。これは半裁五輪塔、板状五輪塔などと称される類の塔婆の一種で、大和や京都でしばしば見かけるが近江ではあまり見かけない。花崗岩製で一石彫成され、下端は埋まって確認できないが地表高約115cm、幅は地輪下方で約25cm、火輪と風輪の間の狭いところで約12.5cm。厚みは17~18cmで空輪の背は丸くして正面に擦り付けている。04背面は粗く彫成したままで断面かまぼこ状を呈し、下端近くは太く残して根を作り地面に埋め込んでいたことがわかる。正面のみ平らに整形し、側面は各輪の境目を彫成した切れ込みが及んでいる。地輪部は下端から65cmほどあって「南無阿弥陀佛」の名号が大きく陰刻してある。地輪上端線の下26cmほどのところで折れたのを接いでいる。各輪の間は浅く線刻して区画し、梵字は見られない。地輪の左右側面に刻銘があるのがわかる。01肉眼では判読が難しいが、向かって右は「比丘尼専心尼貞和二年二月一三日」、左が「同五月十二日施主寂聖…」とのことである。南北朝時代初めの貞和二年(1346年)の造立であることがわかる。この種の五輪塔婆の紀年銘としてはかなり古い部類に属し、六字名号を刻む五輪塔としても古い例になり注目される。近江ではこの時期の石塔としては宝篋印塔や宝塔が圧倒的であるが、その真っ只中にまぎれもない大和系の様式を示す大型の五輪塔と古い紀年銘を持つ半裁五輪塔が存在する点は見過ごせない。弘誓寺は浄土真宗の古刹であるが、東側に隣接する慈眼寺(曹洞宗、現在は会所と児童公園になっている)に観音菩薩の金銅仏(奈良時代、重文)が伝来していることも考え合わせると、前身となる何らかの大和の影響を受けた寺院があった可能性を示しているのではないだろうか。また、瓜生津町から程近い大森町の極楽寺にも反花座を備えた大型の五輪塔がある点も興味深い。

参考:元興寺文化財研究所「五輪塔の研究」平成4年度調査概要報告

   〃  〃  平成6年度調査概要報告

   滋賀県教育委員会編『滋賀県石造建造物調査報告書

文中法量値はコンベクスによる実地略測によりますので多少の誤差はご容赦ください。

写真左上:現在の様子、写真右下:数年前の様子。基本的には変わってませんが…周囲が変わると見え方も違って見えますよね。写真左下:半裁五輪塔の後ろ姿です。弘誓寺は存覚上人との関係が取り沙汰される由緒ある真宗寺院だそうですが、写真でもお分かりかと思いますがいわゆる律宗系とか西大寺様式などと呼ばれる五輪塔とお見受けします。一般的に浄土真宗は石塔に関してはあまりご縁がないんですがどういうわけなんでしょうか…。また、いうまでもなく近江は比叡山のお膝元、しかもこの付近は得珍保など比叡山の荘園も多い場所です。当然その影響が強かったことは想像に難くないわけですが律宗の教線ものびていたんでしょうかね?いずれにせよ金太郎飴のようにどこもかしこも天台一色と割り切れない複雑な状況が何となく見え隠れする気がします。逆に考えると昔の人は宗旨的なことに存外おおらかだったのかもしれませんね、そういえば八宗兼学という言葉もあるようです。いろいろと興味は尽きません、ハイ。