石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 湖南市東寺 長寿寺石造多宝塔(その2)ほか

2012-11-19 21:57:14 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 湖南市東寺 長寿寺石造多宝塔(その2)ほか

秘仏のご本尊ご開帳と聞いて訪ねてみた。紅葉に彩られた境内は思いのほか美しい。
01_4 長寿寺は、阿星山と号し、常楽寺、善水寺と並んで近年、湖南三山として売り出し中
の寺院である。02_3
湖東三山(西明寺,金剛輪寺,百済寺)もそうだが、山腹や丘陵に位置するこうした寺院には優れた古建築や古美術がたくさん残され、古代・中世以来の山岳寺院の遺風を今に伝える貴重な存在である。長寿寺を含む付近の山手にはかつて阿星山五千坊(5千はちょっとオーバーか?)と称された一大天台仏教圏が存在したといわれている。天台王国とも称される近江には、ほかにも同じような山岳寺院が各地にもっともっとたくさん存在していた。それらの多くは早くに退転・廃滅し、わずかに地元に伝わる伝承、客仏となった仏像、あるいは痕跡となる連続した平坦面を山林中に残すだけになってその詳細については意外にほとんど知られていない。01_4
謎に包まれた山岳寺院の実態について、少しづつ明らかになりつつあるようだが、今のところはその詳細な解明が今後一層進むことに期待するしかない。湖南三山や湖東三山のような寺院がその法灯を今日に伝えているのは、むしろ稀有の例と言えるかもしれない。
これらの寺院には、優れた古建築や古美術の陰に隠れてそれほど知られていないが、実は見るべき石造美術がたくさん残されている。長寿寺の石造多宝塔もそのひとつである。02現状高3.6m余、相輪が揃っていれば4mを優に超える花崗岩の巨塔である。
詳しくは2007年1月24日の記事を参照いただきたいが、改めて見るべきポイントをかいつまんで述べておく。割石・自然石を組み合わせた二重の方形基壇、低平で大きくやや不整形な基礎、基礎上端面の塔身受座の段形、縦長の塔身と面取り、饅頭型部や斗拱型の石材の切り合い、重厚かつ温雅な軒反の様子、二重にした上層笠の錣葺などで、これらの点に留意して野洲川対岸の廃・少菩提寺跡の石造多宝塔と見比べてもらい、近江における鎌倉時代中期の古石塔の真髄をご堪能いただければと思う。

付近の石造物についても若干触れると、長寿寺門前に道を挟んで甍を並べる十王寺の門前の箱仏群、地蔵の種子「カ」を刻んだ板碑、十王寺境内の石造宝塔残欠は少なくとも2基分があり、うち寄せ集めになった笠だけの残欠は露盤上に特色がある。それから集落を北に少し下った道路脇にある東寺集落共同墓地は中世石造物の宝庫で、数基ある大きい五輪塔には鎌倉末から南北朝頃のものが含まれ、地輪に2体の像容を刻んだ珍しいものもある。さらに墓地入口の地蔵石仏は格狭間のある台座に立つ優品。また、内壁に五輪塔レリーフを刻んだ大きい石龕も見落とせない。かつては中に石仏か五輪塔を安置したものと考えられ、宝珠や笠の軒反からおそらく室町初期を降らない頃のものと思われ貴重。これらについてはいずれ改めてご紹介したい。
 
写真左下:十王寺門前の地蔵種子板碑、下端は欠損している模様。右下:十王寺境内の宝塔残欠のうち笠と塔身が一具と思われる方のもの、基礎と相輪を失うが瀟洒な作風で14世紀中葉頃の作だと思います。
 
長寿寺本堂は鎌倉時代初め頃のもの、お隣の白山神社の拝殿は室町中期の建築で、神社横の高台にある三重塔跡には今も礎石が並んでいますが、安土城に建っている木造三重塔、あれが昔ここにあったんだそうです。織田信長によって總見寺に移築されたそうです。それから、はじめに触れたように、この秋は、長寿寺のご本尊、秘仏・地蔵菩薩立像のご開帳です。ご開帳は50年に1度のことだそうで、次は50年後かもし
れませんよ。見逃せませんね。美しい紅葉に彩られた今のシーズン、観光客も思ったほどではないので、ぜひお薦めです。小生は湖南三山の中では長寿寺の落ち着いた佇まいが一番お気に入りです。