京都府 京都市東山区新橋通東大路東入林下町 知恩院五輪塔
知恩院の御影堂から西の阿弥陀堂へと続く高い渡り廊下の北側、収蔵庫との間の目立たない場所に立派な五輪塔がある。さすがに浄土宗総本山だけあって参詣者も多いが、この五輪塔を気に止める人はまずいない。しかし、かつては北野東向観音寺塔や革堂行願寺塔などとともに忌明塔として知られたもののひとつであったという。知恩院は法然上人が吉水の一画に草庵を結んだのが発端となり、最初は、今の勢至堂付近だけのもっと規模の小さかったものが、慶長年間に寺域を拡大、今日の大伽藍となったという。五輪塔は台座は見られず、直接地面に据えられ、細長い切石を井桁に組んで地輪の周りを囲んでいる。地輪は比較的背が低く、水輪は適度な横張があって曲線に硬さはない。ただ最大径が下方にあって重心が低い。あるいは上下逆に積まれている可能性がある。火輪の垂直に切った軒口はぶ厚く、隅に向かって反転する軒反は力強い。四注の屋だるみはさほど顕著でない。空風輪の曲線はスムーズで、ややくびれは強いがとりわけ空輪の完好な宝珠形は申し分ない。各輪とも素面で種子、紀年銘等は見られない。高さ約277cm、地輪幅約104cm、同高約79cm、火輪幅約101cm、規模も大きく、各部のバランスも素晴らしい。緻密で良質な花崗岩製。各部素面、梵字も無く、銘も確認できない。しかし、表面の風化も少なく、遺存状態は極めて良好、エッジの利いた鋭い彫成をよく今に伝えている。かつてこの地には西大寺末寺の律宗寺院の速成就院があったとされ、この五輪塔はその旧物だということである。なるほど律宗系寺院などによくみる鎌倉後期様式の完成された典型的な大型五輪塔である。造立は恐らく13世紀末ごろと思われる。真偽のほどは怪しいが忍性の墓塔との伝承もあるらしい。いずれにせよ京都でも有数の見るべき五輪塔である。
参考:川勝政太郎 『京都の石造美術』 145ページ
竹村俊則・加登藤信 『京の石造美術めぐり』 50~51ページ
(財)元興寺文化財研究所 『五輪塔の研究』平成4年度調査概要報告