宝篋印塔について(その2)
宝篋印塔(今更ながらですがホウキョウイントウと読みます)の「篋」は小箱のことである。宝篋とは宝の小箱(七宝の貴い小さい方形の容器)を意味するが、この変わった名前はどこから来ているかというと、宝篋印陀羅尼経(「陀羅尼」と「神咒」は同義)という密教系の経典から来ている。正式には「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」というらしい。宝篋印塔とは、つまりこの経典を納める塔ということになる。この宝篋印陀羅尼経は遅くとも9世紀初頭までには唐に伝来し有名な不空が漢訳しており、早く空海や円仁・円珍により東密、台密ともにわが国に招来していた密教経典である。それは石造宝篋印塔が成立したとされる13世紀前半よりもずっと古く平安前期にまで遡る。では、宝篋印陀羅尼経と「宝篋印塔」と呼ばれるあの隅飾をもった四角い塔がどのように結びついたのだろうか。キーワードになってくるのが阿育王の故事、そして銭弘俶の八万四千塔なのである。一方、隅飾をもった四角い塔形は、実はずっと古く、中国でも北斉ごろから、日本でも法隆寺金堂の多聞天が捧げ持つ小塔や長谷寺の銅版法華説相図など飛鳥~白鳳時代に見ることができる。これらは「原始宝篋印塔」として扱われるが、石造宝篋印塔との直接の関連はいまひとつ明らかでない。(続く)