滋賀県 近江八幡市安養寺町 安養寺跡層塔など
安養寺町集落の東の外れ、JR東海道本線篠原駅の東南約300m、篠原町との境にある国道477号が南北から東西に向きを変える。道路南側の法面、ガードレール越しに立派な石造層塔が立っているのが見える。花崗岩製で高さ約4.2m。五重層塔である。基礎は幅は約99.5cm、北側が法面で埋まり、南側も下端が土中にあって明らかでないが高さは53cm以上ある。埋まって確認できない北側を除く3面は輪郭で枠取りし、輪郭内いっぱいに大きく格狭間を配し、格狭間内に三茎蓮のレリーフで飾る。基礎全体の大きさに比べ輪郭の幅は非常に狭く、束部で約5.5cm、葛部で約5cm程度である。格狭間は大きく左右の差渡しは約82cmもある。側線はスムーズな曲線を描き、上部花頭曲線中央を非常に広くとって左右の2つづつの弧は小さく隅に偏っている。三茎蓮のレリーフは大ぶりで、中央は未開敷蓮花(蕾)と思われ、左右に外向きの蓮の葉の側面観と思しき平らな三角形を縦にしたような図柄をシンメトリに配している。確認できない北面を除く3側面ともほぼ同様のデザインである。初重軸部塔身は高さ約73cm、幅約62cmと高さが勝る。各側面とも7葉の蓮華座を薄肉彫りした上を舟形背光型に彫り沈め、内に体躯のバランスのよい四方仏坐像を厚肉彫りする。植え込みのツツジの陰に隠れた西面は定印を結ぶことから阿弥陀如来、ほかの面はいずれも右手を胸の辺りに上げる施無畏印、左手は膝の辺りにあって与願印ないし触地印らしい。顕教四仏、釈迦如来、薬師如来、弥勒如来と思われるが風化ではっきりしない。面相は総じて摩滅が激しいが、西面は比較的残りがよく、南面は特に摩滅が激しい。この初重軸部南面に鎌倉時代中期、寛元4年(1246年)の銘があるとされるが、肉眼では確認できない。笠の軒幅は初層約88cm、軒口の厚みは中央で約14cm。二層目軒幅約84.5cm、三層目同約80.5cm、四層目同約76cm(五層目は高くて手が届かず計測しようと思うと脚立が要ります)。笠裏は素面で垂木型などは見られない。最上層の笠は頂上に薄く露盤を刻出している。各層屋根軒口は隅に向かって緩く全体に反り、軒厚の隅増が目立たないこととあいまって古風な趣きを示している。笠と同石の軸部の背が高いのは層数の少なさの影響であろう。注目すべきは5層目軸部を4層目笠と別石としていることで、こうした手法は鎌倉中期以前の古い層塔に多く見られる。本塔のように同石とする手法と別石の手法が混合する構造形式は割合珍しく、文永7年(1270年)銘の松尾寺九重層塔(2008年9月25日記事参照)に例がある。鎌倉前期と推定される日野町猫田の禅林寺塔では、笠軸部が全て別石であり、鎌倉中期頃本塔のような混合形式を経て鎌倉後期には同石式に統合されていく大まかな流れが見て取れるのではないだろうか。もっとも、倒壊するなどして欠損した軸部をはつり取って別石の軸部を後から補った可能性も否定されているわけではないことから、これが本当に当初からのものか否かの判断には、なお慎重さが求められよう。相輪は全体に太く凹凸感に欠け、下請花と相輪最下輪を亡失している。伏鉢は全くの円筒状で、九輪は太く線刻表現で各輪を画し逓減が少ない。上の請花は低く、蓮弁は摩滅して確認できない。先端宝珠の側面は少し直線的である。伏鉢や宝珠は一見退化形状とも思えるが、風化の程度や石材の質感には特に違和感がなく、かえって古拙な印象を与えている。しかし、いちおう相輪は後補を疑う余地は残るだろう。ともあれ、5層と層数が多くない割に高さが4mを超える気宇の大きさと全体に醸し出される古雅な雰囲気は見るものを惹きつけ飽きさせない。しかも基礎にある三茎蓮は、近江式装飾文様の在銘最古例として貴重な存在である。重要文化財指定。五重層塔の周囲は低い土壇状になって石仏、石塔残欠が集められている。西側には笠塔婆と空風輪を欠く五輪塔2基、東側には宝塔の塔身に宝篋印塔の笠を載せた寄集塔と四門の梵字を刻む五輪塔があり、これらも鎌倉時代後期から南北朝時代頃にかけての造立と推定できる立派なもので見逃してはいけない。
参考:滋賀県教育委員会編 『滋賀県石造建造物調査報告書』
瀬川欣一 『近江石の文化財』
平凡社 『滋賀県の地名』 日本歴史地名体系25
写真上右:遠くに見える高架はJR東海道新幹線です。写真下右:画面左の笠塔婆の現高約122cm、画面中央の五輪塔の火輪の軒幅約55cm。写真下左:この五輪塔は地輪を除く現高約137cmといずれも小さいものではありません。創建は奈良時代に遡り、壮大な伽藍を誇った安養寺は、戦国期に兵火で退転したとされ、わずかに北方に今も残る荘厳寺に古い仏像などを伝えるに過ぎません。石造物たちは今は跡形もない安養寺の旧物なのでしょうか。失われた歴史を知る証人として石造物は幾百年の歳月を黙ってそこに立っているのです。こうした石造物たちは、たいてい触れることができる身近な存在です。彼らに問いかけ語ってもらうことができるよう、石造物に対する理解を深めていかなければならないと感じる小生であります、ハイ。