三重県 伊賀市治田 治田地蔵十王磨崖仏
国道25号名阪国道、名張川にかかる新五月橋の東方約1Km、川の北岸は三重県伊賀市治田、南岸は奈良県山辺郡山添村中峰山で、支流・予野川の合流点の下流側に張り出した高さ10m程の岩壁面の南、川に面して地蔵十王の磨崖仏がある。
名張川の対岸は縄文時代早期「大川(おおこ)式」の押型文土器で有名な大川遺跡である。現在は史跡公園とキャンプ場を兼ねたようなカントリーパーク大川というレジャー公園に整備されている。
このレジャー公園から川原に下りて川越しに眺めるのが通常の見学であるが、実は三重県側の間近まで歩いて行くことが可能である。予野川にかかる白拍子橋と名付けられた吊橋を渡り、南西方向に降っていく山道を進むと、やがて視界が開け、名張川の水面が眼下に広がる場所に出る。その足元の直下に目指す地蔵磨崖仏がある。すぐ山手に粘板岩に薄肉彫りされた地蔵菩薩立像が祀られているがこれは近現代の作品と思われる。
垂直に切り立った岩壁を迂回して川原に下りると磨崖仏の直下に出る。ごつごつした花崗岩の岩塊が川岸沿いにずっと連続している地形で、付近には地蔵瀬の渡しという古い渡し場があったという。
下流の高山ダムの湛水域になるため、ダムの貯水量が多い時は地蔵磨崖仏の腰の辺りまで水没してしまうので、いつでも磨崖仏の直下に降り立つことができるわけではない。
中央の地蔵菩薩像(1)は像高約4m、蓮華座上の堂々たる立像である。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ一般的な姿で、頭光円を二重にして、外側の円光は線刻、内側の円光内を彫り沈め、頭部と錫杖上部を薄肉で表現する。肩から下は線刻表現だが、体側線を特に広く深く彫ってアウトラインを強調する手法に注意したい。頭部の輪郭はやや角ばり、目鼻の大きい面相には写実的なところがあって、表情には威厳が感じられる。一方、衣文や手足の表現は簡素かつ稚拙で、お顔とのアンバランス感が激しい。特に膝から下の両足の表現はまるで子供の落書きのように見える。線刻の蓮華座の蓮弁も退化傾向が見られ、室町時代を遡るとは思えない。室町中期という説もあるが(初期説も)、室町時代も末に近い頃のものではないだろうか。地蔵像の左右に脇侍のように冥官の坐像が一対刻まれている(向かって左2、右3)。どちらも中国官人風の衣冠姿の線刻像で、風化に加え近づけないこともあって細部ははっきりしないが、何か持物を手にして、厳しい表情が見て取れる。たぶんに漫画チックな表現だが、体側線を強調する手法は地蔵像と共通する。像高は地蔵像に比較して半分に満たないので約1.5m前後といったところであろうか。さらに西側に約5m余り離れたところにも冥官坐像が2体並んでいる(向かって左4、右5)。風化がかなり進んで細部は明確でないが、長方形の台座があるのがわかる。像高は1m程である。また、4・5の上方の薮の中にある岩塊の壁面にも3体の冥官像が刻まれている。木々に隠れて対岸からは目視できない。三体のうち、西端の一体(6)は方形台座上の坐像で風化が進行しているが、作風・手法は4・5と共通している。中央のもの(7)と東側のもの(8)はともに立像で、2~6と作風・手法が異なる。7の向かって右脇には大きい文字で「泰山王」の陰刻銘がある。8の向かって左下にも小さい文字で「□□王」(初江王?)の陰刻銘がある。衣冠の道服姿で何か持物を手にしている。7・8は追刻ではないかと思われる。
ようするにこれらは地蔵菩薩を中心とする十王像とみられるが、現在残された冥官像は都合7人で3人足りない。ただ、4・5の西側の下方岩盤に、ほとんど姿もとどめないが、4・5に似た痕跡のような部分が認められる。これが本当に痕跡であるならばここに3体あったのだろう。あるいは付近の岩壁や薮の中の岩塊を丹念に調べればまだ見つかる可能性も否定できない。おそらく地蔵菩薩と脇侍の2体(1・2・3)が当初からのもので、2・3は十王の内でもっともメジャーな閻魔王と泰山府君(=太山王)と思われ、十王像の残る8体を付近に順次刻んでいったのではないだろうか。その後、洪水などで岩盤の崩落や剥離が起き、失われた分が追刻されたのではないかと推定したい。
なお、7・8に泰山王、初江王?の刻銘があるからには、その追刻時に持物や印相、位置や順番など十王の各王を特定する何らかの判断材料があったに違いないだろうが、今のところ不詳とするほかない。今後更なる精査が期待される磨崖仏と言えるだろう。
写真左上から2番目画面向かって左から2・1・3、左上から3番目向かって左から4・5、右下から2番目8(□□王)、右下6、左下7(泰山王)。下手な写真で見づらいですが、写真にカーソルを合わせてクリックすると少し大きく表示されます。
大川遺跡に復元された竪穴住居があります。遺跡をキャンプ場にするのもどうかという気もしますが、実に静かで風光明媚な穴場スポットです。
ごらんのとおり地蔵さんの足はちょっと何というか、その…言葉が見つかりません。あまりといえばあまりな表現なので、ひょっとすると膝から足首にかけての線は裳裾の襞の線のつもりなのかもしれません。
ちなみに6・7・8の辺りは非常に足場の悪い急斜面で満足に写真も写せません。カメラに気をとられていると転落の危険がありますのでくれぐれもご注意を。
参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』
清水俊明 『関西石仏めぐり』
望月友善編 『日本の石仏』4近畿篇