伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

京都新聞の羽生結弦2022

2022年08月01日 | 羽生結弦
分かっていたこととはいえ、ショック。
本当にTea cup blogがなくなってしまった(T_T)。
今まで10年以上も続けて来たブログだったが…、
それだけに10年くらいの記事がすべて文字化けしてしまっていて、
泣くに泣けない…。
私の汗と涙の結晶が(T_T)。

でもきっと過去記事を読む人はいないだろうし、
焦らず少しずつ何年もかけて復元していけたら、と思ってる…。


それと新しいGooブログで、カテゴリーが重複してるが、
インポートするとき、長大な量の記事を分けてインポートしたので、
重複してしまったようだ。
見苦しいが、一つにまとめる方法が分からないので(T_T)、
しょうがないからそのままにしておく。。


これからはGoo Blogでよろしく・・・




・・・・・・・





7月30日づけの京都新聞、夕刊の4面に羽生結弦の特集が組んであった。

記者の名前がない無記名の記事だったので、
もしかしたら全国の地方新聞に掲載されている内容だったかもしれない。


伊東委員長の話や後輩選手の話もあるが、
それは置くとして、かなり興味深い良い内容だったので、
記事にしてみる…。


それと、まず7月20日、記者会見の翌日の京都新聞の記事より。




「羽生は国内のみならず世界各地に熱狂的なファンを広げた点で、
日本のアスリートでは唯一無二の存在だった。
爽やかなイメージながら、負けず嫌いな性格と闘争心も魅力。」

と前半はよい表現を使ってるが、
高難度ジャンプ時代に苦闘、
怪我とライバルの台頭、が競技生活に別れを告げる要因、
と書いてある。
新聞記事なので大雑把な把握の仕方はしようがないと思いつつ、
いやいや、それだけではないだろう、と思ってしまう部分も…。

相変わらずジャンプ中の写真を使ってるし。。




それより30日の夕刊に特集された記事。



「羽生結弦 新たな旅路へ」と題している。
「期待背負い 一心に」とも。



「僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷です」
という記者会見の言葉の引用から記事が始まる。



「高い実力に華も備え、人気は高まるばかり。
海外の試合にも日本のファンが押し寄せた。

公式練習からライブ会場のような盛り上がりになることは
珍しくなかった。

報道も過熱し、プライベートの隠し撮りが増えた。
16年3月、世界選手権に向けて到着した米ボストンの空港で
珍しく感情をあらわにした。
週刊誌報道について問われると、せきを切ったように語りだした。


「スケートしたいだけなんですけどね。
スケートとプライベートって全く関係ないし、
僕はアイドルじゃない」

「そのうち人気はなくなるので大丈夫。
現役のうちだけだから」



*ボストンの空港で「感情をあらわにした」というのは、始めて知った。
このころはまだ、羽生結弦関連の報道やニュースは追っていなかった。
テレビで試合を見る程度で、
まだ、「落ち」てはいなかったからで、ほぼ何も知らなかったのだ。

ただあの時のあれこれは…知ってるが…




記事は続けて、

訳もなく涙が流れ、食事が喉を通らないことも多かった。
いわれなき中傷を受け、親子して「やめたい」と周囲に漏らしたこともある。
それでもスターの宿命を受け入れたのは、
「完璧でいたい」との願いと
「羽生結弦という存在に恥じないように生きてきた」自負。
期待を原動力に「自分の心をないがしろにしたくない」と
信念を貫いた。




この記事では「いわれなき中傷」受けたことを書いている。
こんな風に赤裸々に書かれたのはあまりないのではなかろうか。
これもボストン・ワールドの時のことなのだろうか。
あの辛かった時の…。
それでも真っ直ぐに信念を貫いた、とも。

人気者ゆえの葛藤を、ちゃんと書いてある。
ただ人気があるだけでなく、その内に苦しさもあったことを。

京都新聞を見直した。





続けて、記事

競技生活に別れを告げても、一息つく雰囲気ではない。
「期待に応えた時に、また、より多くの人が期待をしてくださって、
そんな循環が僕は本当に大切。
どうかこれからも期待してやってください」。
アイスショーに軸足を移すスケート人生の第2章も
「羽生結弦」の看板を下ろすことなく、氷上を舞い続ける。

と記事は〆ていた。


とにかく、京都新聞は地方新聞なので、
京都の浜田組はよく記事にしてるが、
このように、関連のない羽生結弦について、
大々的に報道しているのは極めて珍しいのだ。

いかに羽生結弦がスケート界のみならず、スポーツ界において、
大きな存在であるかを思い知らされる。





「絶大人気 強化も貢献」

という記事の方には、羽生が女子より人気が出て、
大会最終日がいつしか女子から男子に替わっていったこととか、
放映権料は「プロ野球の日本シリーズ並み」というような、
かなり下世話な内容ではあるけれど、
絶大な羽生人気を印象付ける内容になっている。



つくづく羽生結弦という存在は、ひとつのフェノメノンだったのだなあと。
彼の実績や人気や功績を矮小化しようとしてもまったく無駄だ。
認めざるを得ない存在というか。

あんなに細身の体で、華奢に見え、
一見どこにそれほどの影響力があるのか、と思ってしまうが、
その端麗な容姿だけでなく、
始めの記事に書かれているように、
「負けず嫌いな性格と闘争心」が剥き出しであるところ、
演技の美しさ、などが人を惹きつけてやまないのだろう。




そして先日、京都新聞らしく、
宮原知子にインタビューした記事も掲載されていた。

それも取り上げてみる。



─フィギュアはトレンドの変化が激しい。

という質問に、

「今はジャンプが注目される時代で、
技術ばかりに目を向けてしまうけれど、本質は演技を見せる競技。
踊る楽しさ、大切さを忘れないで、
プログラムを一つの作品として作り上げてほしい」

「ジャンプも必要だし、技術の向上はいいことだけれど、
フィギュアの原点はコンパルソリースケートで、
あくまでスケーティングが基礎。
エッジワークやプログラムで、選手自身の魅力を見せることを
大切にしてほしい」



と返している。

さっとんも、今の高難度ジャンプ重視の傾向に、
警鐘を鳴らしているのだと思った。
フィギュアは技術だけではない。芸術でもある。

ジャンプ重視だけの競技になってしまったら、
フィギュアスケートはどんどんつまらないものになってゆくような気がするので…




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