鳩摩羅什は、数多くのサンスクリット経典を漢字に訳してい
ます。その功績が認められて、熱心な仏教信奉者だった
当時の中国皇帝に迎えられて、首都の長安に移りました。
生まれてから苦労の多かった鳩摩羅什には、生涯で最も嬉
しい時期だったでしょう。 皇帝の近くに置かれ、手厚く優遇
されたのですから。 夢の様だったと思います。
それを見ていて、面白くなかったのは、長安の仏教寺院に
以前から居る長老達です。 異国の外人僧が皇帝直々に
優遇され、長安の仏教界の権威も盗られると思ったのです。
そして、長老達は鳩摩羅什を貶める為の策略を謀りました。
それは、皇帝の側近に賄賂を渡し、鳩摩羅什が妻帯する事
を、無知な皇帝から勧めさせたのです。
鳩摩羅什は、妻帯が仏教の戒律に反する事を知っていまし
たが、皇帝直々に勧められたので、やっと手に入れた今の
立場を失いたく無いので、それを受け入れました。
彼としては、例え妻帯しても性交しなければ、釈尊に背くこと
には成らないと考えたようです。
そして、しばらく後に鳩摩羅什が妻帯していると、長安の
仏教界が偶然に知った様に演出して、彼を糾弾したのです。
問題が大きく成り、彼は仏教界から追放されてしまいました。
彼は、言い訳すると皇帝にも迷惑が掛かると考えて、黙って
身を引きました。 ただ、側近の弟子には、皇帝の意向を受
け入れただけで、自分は絶対に性交破戒をしていないと、
無念の苦渋の表情で、彼は言っています。
全てが終わった時、彼は自分の今までの人生を振り返りま
した。 ただ、そこには、人生への深い無常観と、絶望感が
彼の心を支配していました。 そして、当時の仏教界への
怒りが沸々と湧いて来ました。 釈尊の教えからは、ほど遠
い、腐った人間集団だと・・・・。 こんな人間が育つ、今の
仏教は滅んだ方が良く、それが釈尊の教えを守る道だと考え
たのでした。
彼は、『摩訶般若波羅蜜経』27巻(30巻)の膨大な経典を
漢訳しています。 その知識と、他の呪術の要素とを合わせ
て、262文字から構成される、呪文を作成しました。
これを読誦する人間には、ある作用が働く様に、仕込みま
した。 これが、般若心経です。 般若心経は、鳩摩羅什自身
が作成しています。 ・・・・・続く。
生かして頂いて ありがとう御座います
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