質問 :
我が家は浄土真宗です。父が死んで以来、ずっと線香3本折ってして
います。先祖の位牌もないです。(短冊は小さいのを私が置きました)
母は朝晩、拝んでいます。朝はお水と新鮮な花を必ず生けなおし
ます。線香を折るのは、作法だからという気持ちなのですが、やはり
全く届かない状態になるのでしょうか?でも母の仏壇に、水やお花を
捧げる行為は、せめて届いていると思いたいですが、どうなのでしょ
うか? 長年している供養が全く無駄なんてなにか虚しいです。
皆さんは、線香の種類や値段、短冊の大きさ、色・・・などが
正しいか、良いか、心配されます。 先祖霊に届いているか
、いないかが分からないので心配されるのでしょう。
供養が実際に届いてる人は、そんな事は心配にも成らない
ものです。 そんなの関係無いのです。 供養せずには居れ
ないから、する。 それだけなんです。
自分の供養行為への見返りの期待が無いので、届いている
、いない、は発想にすら出て来ないものです。
一番大事な事は、先祖霊の存在を忘れない気持ちです。
人間は生きる為に忙しく、御金を掛けたお墓や仏壇が無け
れば、先祖の存在すらも忘れているものです。
日々の感謝の短冊供養も、先祖霊へ日に1回でも気持ちを
向けさせる為の手段に過ぎません。
先祖霊を忘れていると、苦しい先祖霊は、振り向いて欲しい
が為に、あの手この手で知らせようとするものです。
だから、知らせようとさせる前に、気持ちを向ける行為を
子孫からしてあげれば、知らされなくても済みます。
読者の母親が行う供養の気持ちは、届いています。
先祖霊を思うが為の行為です。 供養をしていない御家庭と
比較すると、十分に良いことをされています。
先祖霊からの知らせを回避させる事は出来るかも知れま
せん。 ただ、これでは死者への供養で終わります。
死者だけでは無く、現実界に生きている私達自身を向上させ
る程の実践力を呼ぶことは出来ません。
伊勢白山道の先祖供養では、
・供養の時は、感謝の気持ちだけを捧げて、願い事をしない。
願望や悩みが有っても我慢して、それを供養対象の先祖霊
にはしない。
・2本+1本=3本。 それぞれ意識する供養先を別けて供養
をします。
・神界、霊界、冥界全てに通じる神霊から降ろされた、言霊
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」 を使用する。
ただ、これだけです。 でも霊的なエッセンスが在るのです。
これから、太陽からの電磁波により人類の体は、肉体100%か
ら半分肉体・半分霊体へと進化して行きます。
既に予兆が始まっています。爪が伸びるのが早いのも、その
1つです。 この肉体の脱皮には、霊的垢が有れば痛みを伴
うかも知れません。 これから体の不調や精神の不調を訴え
る人が世間で更に激増します。 人間は嫌な事が有れば、
自分以外の他に原因を捜す習性があります。心配や気に成
る事は全て辞めれば良いです。 もし、先祖供養をする事が
原因だと心配に成る人は、先祖供養を止めた方が良いです。
供養をする目的に「自分の為」が有ると関連付けをします。
迷える先祖霊は、自分に有害だから避けたいと思う人は、
自分大事な我良しの心があります。 意識がこの段階ならば
、障害や苦労からは逃げる選択を繰り返す人生の人です。
この心境では、何をしても思い通りには行かない人生です。
まず、自分が生かされている事に、気付く努力から始める
べきでしょう。
伊勢白山道で先祖供養を重視するのは、あくまでも内在神を
前面に出す為です。 自身に関わる迷える先祖霊を抱えた
ままでは、神霊と通じることは出来ません。
でも、世の中の専門家?を始めとして、先祖霊を無視した
まま、神のことばかりを求めます。
何を期待してるのでしょうか?
自分に関わる迷える諸霊が安心するに連れて、内在神が
徐々に発露して来ます。 前面にやっと出て来る事が出来る
のです。 そうなると、人は神霊の寄り代と成ります。
生きて歩き回る寄り代です。カンナガラ(神と共に)の人間
です。 日本の国土に、カンナガラ状態の人間が沢山居れば
その人間達が思う事は、現実界へ転写されます。
世界を助ける事が出来ます。 既に、地球舞台は動き出しま
したから、とにかく早く日本から発信しなければ生けません。
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営まれました。御住職が病気なので、代わりに若い僧侶の方
が来ておられました。浄土真宗の僧侶は、面白い講話をされ
る方が多い印象が私にはありますので、法要後の御話を楽し
みにしていました。でも、若い僧侶なので、今回はどうかな?
と思っていました。 それが意外にも、良い話でした。
話の出だしが、いきなり・・・・
「今日は長いこと、意味の分からない御経をお聞かせして、
すいませんでした。私は、今日の法要の前座に過ぎません」
これまた、面白い切り口だなと・・・
「今日の法要のメインは、この後に用意されている皆さんの
食事の席です。 そこで、久しぶりに会われた、故人と縁あ
る皆さんが、話す内容が最も故人への供養となります」
これは、霊的に正しい事を話す方だなと・・・・
「わざわざ御金を掛けて法要でもしない限り、遠方から忙しい
中を、故人を知る人が集まる事は無いです。ようは、故人を
知る人が集まって仲良くすることは、故人の人徳であり、
また、それが故人を一番喜ばす事なんです。」・・・・と、
まさに、このとうりだと感心しました。 (え?読者の方?笑)
浄土真宗の僧侶は、良い意味で人間臭く、下から目線の人が
多いです。 やはり親鸞が感じた、人間の悲しさ、人間のどう
しようもない馬鹿さ、悲哀・・・などを見つめて受け入れる事が
宗派の伝統として流れているようです。
ただ、線香1本を3本に折って捧げる風習は駄目です。
これは、根底に「もったいない」が有るのでしょう。
霊的には、意識的に折る行為をしたものを捧げるのは良くあ
りません。先祖に捧げる気持ちが大事なのに、もったいない
気を送るべきでは無いです。また、霊前で「折る」という行為を
空間に刻む事は、あの世でも何かを「折る」因子に成ります。
私の使用する線香は、大箱1個が千円切るぐらいの値段
です。 同じ棚には、まだ数百円安い線香もありますが、先祖
に捧げる線香をケチる性根は、現実界での貧乏を呼びます。
かと言って、金回りを良くしたいからと高価な線香を買う性根
も生けません。 線香一つ買うにも、先祖を思う気持ちから出
る選択が大事です。
浄土真宗の宗教観で、線香3本を感謝の気持ちで先祖に捧
げ、尚且つ「先祖代々の霊位」の位牌があれば、霊的な法則
にも適った宗派に成れる要素が有ると思いました。
従来の外来語を模写した御経により、大事な霊的作用を起こ
す日本語による感謝を現す思いの焦点が、ぼやけて薄まる
事が残念です。
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読者 :
短冊立てに応用出来る品を見つけました。それは飲食店などで使われているメニュー立てです。最初は安いプラスチック製の物にしようかと思ったのですが、自然素材の方が良いかと思い直し、白木の物にしました。お値段は少しお高くて¥1240しました。でも家に帰って実際に短冊を立ててみると、とても見映えが良いです。楽天等でも売っているようなので、興味のある方は検索されてみては如何でしょうか。
これは、良いかも知れませんね。メニュー立てとは、意外な良
い発想だと思います。 材質が木などの自然素材で、安定し
て立つものならば良いと感じます。
私の短冊を立てる道具は、竹製です。竹筒を半割りしたもの
に切れ目が入り、両側から短冊を挟んで立てる単純なもの
です。 昔、デパートで買ったと思います。
木の繊維は、霊が寄り易く、宿ることが出来ます。
麻の繊維を溶かした紙で作成された短冊が、もし有れば最高
だと思います。
霊が寄り易い植物には、ほかに竹と柳の木があります。
昔から易占に使う筮竹(ぜいちく)は、竹を細長く細断したも
のを使ってますね。 これは易者の背後霊の感応を得やすく
する為です。 柳の木の下に幽霊が立つ怪談は多いですね。
やはり霊的な観応をする木だと感じます。
柳と言えば思い出す、以前にTVで見た世界の奇人の特番が
有ります。 確か東南アジアの山村に居る呪術師の男性で
すが、猪八戒(チョハッカイ)の霊が降りて病気を治すという人物
でした。
普段は大人しい人物ですが、祭壇の前で瞑想すると途端に
豹変して踊り出します。 そして、相談者の体の足先から頭ま
でを、柳の枝を握り締めて、木の端から望遠鏡のように覗き
込みます。 もちろん、柳の枝に穴は開いていません。
そして悪い箇所が見つかると、ビクンと体を震わせて反応し、
くるりと一回転して歓喜の雄たけびをします、笑。
その反応した箇所の皮膚下が少し盛り上がっており、それを
手で押すと、皮膚を破って針や釘が押し出されてきます。
この異様な現象を、甲高い声で「フィーフィー♪、フンフン♪」
と発声しながらするのです。 とても滑稽で愛くるしい感じに
も見えるのです。 たまに思い出して、私が家族の前でこの
物真似をすると、今でも笑いを呼びます。
相談者からの御礼は、食べ物でした。
この強烈な物質化現象を引き起こす背後存在の正体は、
大きな猪豚のような姿の幽界の存在でした。深い森林の奥
からやって来て、男性に憑依しているようです。
もともとは自然霊であり、供物が欲しいだけのようです。
人の魂を食すような悪い存在には観えませんでした。
問題は、相談者の大半がリピーター客だという点です。
その幽界存在が供物が欲しい故に、繰り返し来させられる
ハメに人々が成っているのです。
私が病院で診察を受けた最後が何時なのか記憶がありま
せん。 確か風邪だと思いますが、かなり昔です。
普通、病院なんて誰も行きたくありませんし、特殊な病気
以外はリピーターに成りません。
でも、奇異を売り物にするヒーリングは、間違い無くリピーター
に成ります。 また、お客も自分がリピーターに成っている
ことに違和感を覚えずに、喜んで通っています。
そして、たまに会う第三者から見ると、段々と貧相に成って
いるのが目に見えて分かるのですが、本人は気持ちだけは
空元気を出します。
病気を治すと自称する所で、リピーター客が多いとは・・・
変なモノですね。
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今日、ふと想いました。 無=何も無い事です。
宇宙がサッカーボールの大きさから始まった学説が主流だ
そうですが、なぜ始まったか? が問題です。
私は、永い永い何も無い状態があり、退屈だったのではと
感じます。
人の悩みは、千差万別です。 その人に取っては、今の悩み
が真剣で、命を削る様な悩みのものです。
他人から見ると、それで悩む理由が分からない場合も有る
でしょう。 でも、悩む人には真剣な悩みです。
・あの宝石が欲しくて欲しくて、夜も眠れず日常が落ち着か
ず苦しい。 ・あの大学に合格出来なければ、死にたい。
・子供が5人もいるのに、旦那が死んでしまった。これから
どうすれば良いか分からない。 ・資金繰りが詰まり、倒産
するかも知れない。 ・癌に罹り、余命が少ない。 などなど。
人の状況に応じて悩みは有ります。 たとえ何も悩みが無くて
も、将来に悩みが到来するのでは無いかと、悩みが無い悩み
も、人によりあります。 現在持つものを、無くした場合を予測
する心配を、人はわざわざするものです。
人は悩む事から逃げられ無いのならば、逃げずに、その悩み
を冷静に眺めれば良いです。 懸命に生きてさえいれば、
時間が成る様に成る解決をして行きます。
根源の存在も恐れる「何も無い事」。
ええじゃないですか? 悩みが有る事は。
神霊から観ると短い人の人生。悩む事が出来るのも、生ある
時間の中だけです。
何も悩まない「無」の心境は、根源の存在でさえ恐れるの
です。 従来の宗教的な求道は「無」を目指しますが、
はたして・・・これは正しかったのでしょうか?
何も無い事は、本当に「つまらん」ことです。
やって来る悩みは、拒まず、現状に感謝しながら今を生きれ
ば、それが、その人には最高の人生です。
江戸時代末期、全国から伊勢神宮へ御参りをする民衆運動
「ええじゃないか」が起こりました。伊勢神宮の御札が天から
全国に降って来たと伝承されています。
これは、倒幕派の組織が、伊勢神宮を精神的支柱にして天皇
が主権を握る時代に戻したかった為に、作為的に色々な形象
の御札をばら撒いたと感じます。 あの時代は、疫病や貧困、
先行きの不安感が全国に蔓延する時でした。これからの日本
の時代と似ているかも知れません。
その不安な時代背景の時に、神札が空から降るわけです。
その御札を粗末にした人間には、実際に不幸が起こったそう
です。 不安感と奇異現象が重なり、「ええじゃないか」騒動
が起こったのです。 この後に、幕府が倒れて明治維新と成り
ました。 では、天から降った御札は全て人為的かと言うと、
そうとも言い切れません。 御札の中に、「いせ札」 「天照」
などの単純な表記のものが有ったと感じます。
これは霊的に物質化した神札だと感じます。
伊勢の神札を意識的に利用した尊皇派も、実は大きな意味
で、伊勢の神霊に使役されて維新を成したとも言えます。
さて、また大きく時代が変わろうとしています。
過去のどの時代よりも・・・。
伊勢の神霊が躍動を始めています。
前回の「ええじゃないか」は、御札の降臨がきっかけでしたが
次の「ええじゃないか」は、インターネットを通じて世界中に
色々な「表現」の神札がばらまかれて、人類が伊勢への巡礼
を始めるかも知れません。
これが実現すれば・・・壮大な人類の夢が到来する事でしょう。
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終わりました。
昨日は、恩人の御長男に御寿司をご馳走になりながら、話に
花が咲きました。 この寿司屋は、醤油を使わずに岩塩を
握りのネタに少し付けて食べさせる店でした。 産地に拘った
ネタと岩塩のせいで、ビールを沢山飲んでしまいました。
とても美味しい寿司でした。 ビールも10本目までは覚えてい
たのですが、結局お店の冷やした瓶ビールが無くなるまで
2人で飲んでしまいました。
その為、今日の法要は2人とも辛かったです、笑。
御長男は今日も吐いていたようですが、私は吐くことは無い
ですが、さすがに朝・昼食は食べれませんでした。
昨夜は心斎橋の近くにあるホテルに宿泊したのですが、部屋
に帰ると余りの酒臭ささに嫁の頭から角がニョキニョキと・・・・。
そして、私は雷に撃たれたのでした、怖。
御長男の話では、新年の初夢に初めて恩人が夢にハッキリと出
て来られたそうです。 大晦日の日に大掃除をして、大変疲
れが残った状態で元日に深酒をしてしまったそうです。
今考えると、恩人が御長男にアクセスしたいが為に、肉体の
力が有ると同調し難いので、徹底的に疲れさせて酒を飲まさ
れた様な気がすると、自己分析されていました。
これは霊的には、全く正しい解釈だと思いました。
肉体が弱ると、霊的に干渉し易く成るものです。
夢の中で恩人は、
「こちらの世界も悪くは無い。良い所に居させてもらっている。
後のことは頼んだぞ」 と、伝えて消えたそうです。
そして興味深い事は、恩人の背後に後光がさした大黒様の
ような恰幅の良い存在が寄り添っていたそうです。
これは、スサノオと関連する大国主神だと私は感じました。
御長男は50歳を過ぎる今まで、日本酒が口に合わずにビール
党だったのが、恩人が亡くなってから日本酒が飲めるように
成ったそうです。
恩人は、日本酒をこよなく愛する人でした。
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1年ぶりの大阪です。
可愛い恐竜(5月1日記事参照)を操縦しながら、自宅を早朝
に出発しました。 中国の偉い人の為の交通規制を偶然に避
けることが出来ましたが、空港近くの阪神高速に通じる優先
道路を進んだ方々は、傍から見ていると気の毒なぐらいの
逃げれない停止状態でした。
大阪の波動は、以前とは少し違っていました。
大阪全体の活力パワーが落ちています。到着して直ぐに心斎
橋にある百貨店に用が有り行きましたが、人々や町並みから
受ける感触も似たものでした。 夜、恩人の長男さんから高価
な寿司夕食の誘いを受けているので、もう1度大阪の街を良く
見てこようと思いますが・・・。(店はビルの中の普通の店舗だ
が、驚くべき高度なネタ味と値段らしい)
ホテルに入り、大阪の将来について少しリーディングしてみま
した。 まず、最初に感じたのは、水の匂いでした。
どうもこのままの状態では、海面上昇が始まると、大阪の
大半が海中に水没するみたいです。 最終的には、生駒山の
ふもとまで海岸線が行く可能性があります。
大阪の財政は破綻寸前らしいですが、この未来を変えるには
今から財政の大半を海岸と河川の防御に当てるべきです。
もし、この対応がされれば大阪の活気は戻り、経済も復調す
る見込みがあります。
なぜなら、人間の本能は、未来を感じているものなのです。
将来、海の下に成る所には、投資も活気も産まれません。
もう大阪の住人には、逃げの深層心理が作用し出してい
ます。
工場を建てるのも、会社をするのも大阪を本能で避け出して
いる筈です。
新知事は、経済再生に四苦八苦されているようですが、小手
先の経済手段よりも、全然別の事が鍵を握ることが現実界に
は良くあることです。
人間は、目先の問題解決の為に視野が狭くなり、心を痛めま
すが、本当に問題を解決する力は、期待をしない感謝の先祖
供養と、日常での・・・これです。
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最近、女子高生や高齢者、子供を狙う凶悪犯罪が続いてい
ます。 力の弱い人間ばかりを狙っていますから、本当に
性質の悪い犯罪です。犯罪者自身は恥じも外聞も無く、躊躇
うこと無く極端な犯罪を実行しています。
我良しで心の余裕が無い人間は、恐ろしいケモノです。
心に余裕が無くなると、地獄の存在に憑依された場合、
100%心を占められますので、自制が効きません。
何の躊躇もせずに、凶悪行為を実行します。操られたロボット
と化します。 もし、心に余裕が有れば、地獄霊に憑依されて
も心の中で格闘があります。 こんな事をしては生けない、
絶対に逮捕される、などが心に浮かび、犯罪をしたい欲望と
の自己格闘が発生します。
心の余裕。 心の大きさ、スペースは一人一人違います。
例えば、A君の心の余裕は80スペースです。B君は50スペース
とします。霊体の大きさが50スペースの地獄霊達が、それ
ぞれA君、B君に憑依したとします。
A君は、残り30スペースの良心と50スペースを占める悪意の
欲望との間で躊躇して悩みます。
ところが、B君は50スペースしか無い心を、50スペースの容量を
持つ悪意に占められますので、全く自制が効かなくなります。
躊躇なく犯罪を犯します。 ただ、B君の霊体は、自分が犯罪
を犯す行為を、自分の肉体の斜め上から他人事のように見て
おり、回りの状況など全てを静観し把握しているものです。
心の余裕が大きければ、悪意ある言葉を言われたり、地獄霊
が接触して来ても、逆に善意スペースに取り込んでしまい、
それらを溶かしてしまいます。 また、知恵のある魔界の存在
は、相手の善意度量が分かりますので、近寄るどころか離れ
遠ざかり、接触を避けるものです。
心の余裕を広げるには、感謝の先祖供養の実践と日常生活
の中でアタリマエにしてしまい、気が付いていない感謝する
べき物事に気付く努力をする事です。
そうすると、自分が本当に生かされている事が、分かって来
ます。 そして、段々と善悪全ての物事を素直に受け入れる
心が広がって行きます。
心の余裕スペースは、無限に広げる事が出来ます。
まるで一つの小宇宙の様に。
もし、人間が小宇宙まで心を大きくする事ができれば、縁ある
回りの人々にも、善意の海に触れさせる事が出来ます。
この様な心が広い人が増えだすと、素敵な世の中に変わる
事は容易です。
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最強の祝詞
生かして頂いてありがとうございますが、これから最強の祝詞
になります。やはり呪文にも、賞味期限があり、時代時代で
効力の強弱があります。言霊は生き物ですから、時代が変わ
れば変わるのです。 この、「生かして頂いてありがとうござい
ます」の日常での想起は、人間を変化させます。霊的進化を
促進させます。 さあ、始めてみませんか ?
これは、1年前の同じ日に書き始めたブログでの初めての
記事です。 本当に時間が経つのは速いものです。
人間は過去の先祖達が信じたものは、右に習えと信じれば
安全牌だと考える習性があります。
ただ、その先祖達が信じた「教え」が始まった原初はどうで
あったか? やはり、従来の教えとは異なる、異様なものに
最初は解釈されています。
キリストは異端視されて迫害された上に、公開処刑されま
した。 釈尊も、従来の伝統バラモンの先達から攻撃されて
います。 親鸞さんなどは、それまでの伝統仏教社会の中で
人間は悪事を働いた悪人ほど、いったん改心した場合、深く
反省し阿弥陀仏を一心に信じる気持ちが強くなるので、普通
人よりも成仏し易いと断言し社会に大きな波紋を呼びました。
当時の宗教者は、親鸞は変な奴だと最初は笑っていたこと
でしょう。
時代とは、変わりながら進んで行くものです。
戦争の時代、食糧難の時代、文化発達の時代、富裕で安全
な時代、紛争の時代・・・・と、交互に交錯しながら進んで行く
ものです。
精神的な「教え」や「行法」も、時代の状況に合ったもので、
地球の磁気の流れや自然環境に合わせたものが、その時代
での実践力を持ちます。 過ぎ去った時代の行法に固執して
も、何も変化は起こりません。
私は子供の時、大人が見るような悩み相談のTVを見るのが
好きでした。 そこには、金銭・性の悩み・病気・・・など、話の
内容は深くは分からないのですが、何故か見るのが好きで
した。 子供心に不幸な人が大変多いことは、分かっていま
した。 お医者さんからは心の問題、御坊さんからは墓相が
どうのと回答されていましたが、子供の私がいつも思ってい
たのは同じ事でした。
「先祖を正しい方法で供養しなければ治らないのに」と・・・。
子供心に、物事を本当に解決する手段が世の中には無い
事が残念でした。
この1年間、毎日のようにブログ記事を書けた事は、本当に
有難い事です。 健康、仕事、家庭・・・どれ1つが欠けても
出来ない事だと思います。
幸いにも、大いなる意思の眼差しを感じながら、普通に更新
することが出来ました。
今日から始める様な、清々しい気持ちがします。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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ついて調べてみました。
伊勢市観光協会によると、
伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが掲げてあるのが目につきます。
中央に「蘇民将来子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来」などと墨書
きした門符(木札)が付き、左右にシデやウラジロなどを飾った太い
注連縄です。正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずす
のが一般的ですが、伊勢市周辺や志摩では、一年間かけたままで過
ごす風習があります。
それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながら
も慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後
は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れると言い残
した」という伝説があるからです。蘇民の子孫である証拠として門符
を掲げ、無病息災を願うようになったそうです。つまり、家内安全の
祈りを込めた「厄除け」の門符です。
ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で
あり、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言わ
れています。
この文章を読んだ時に浮かんで来た光景がありました。
この場景を色々と調べてみると、ユダヤ教の行事である
過越(すぎこし)の祭(Passover)である事が分かりました。
過越の祭とは、ユダヤ教の重要な宗教行事です。
起源は、今から3500年程前に、エジプトで虜囚となり虐め抜
かれたユダヤ人達が、預言者モーゼに率いられてエジプトか
ら逃げ出す前夜、ユダヤ民族の最高神ヤハウエ神
(正体は、国常立太神)は、モーゼに予告しました。
我が大事な民を殺戮した罰として、エジプト全土の家の跡継
ぎとなる男子と、家畜の初子を致死疫病の形で急襲させて
急死させると予言しました。
ただし殺戮の疫病から免れる方法も神は同時に告げました。
ユダヤ人達はその予言に従い、仔羊の血を玄関入り口の柱
と鴨居に塗って、予言どうりの血の印を麻の葉で付けました。
予告日の真夜中頃、その血の印をしていないエジプト中の
家々の長男が急死しました。もちろんエジプト王朝の跡継ぎ
も急死しました。かくして、印をしたユダヤ人の家だけは災厄
が”過ぎ越した”という故事にちなんだ祭りが、過越の祭です。
2007-9-18日の記事http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20070918 で、
モーゼが日本に上陸して、伊勢神宮外宮多賀宮に十戒石を
埋めた道程を書きましたが、モーゼは伊勢の地でスサノオ神
として歓迎されたようです。
モーゼと十戒石を乗せた大きな台車を押していた屈強な
ユダヤ人達は、大きな鼻と体をした猿田彦神として伝えられ
たと感じます。
モーゼをスサノオに見立てた事は、霊的には正しいです。
スサノオの分霊(7次元)を宿した人物でした。
伊勢神宮外宮には、現在
天御中主太神=大国常立太神(11次元の現れ)
>国常立太神(9次元の現れ)=ヤハウェ
>スサノオ(9次元の現れ)の系列の神霊と通じる聖地です。
古代の中近東の地に降りた、復讐する厳格なヤハウェは、
国常立太神(7次元の現れ)です。
日本でも近年100年間に、この世の終末破滅神示を降ろした
怒りを慟哭する存在は、やはり国常立太神(7次元の現れ)
です。
この7次元の国常立太神は大変厳しい現われをします。
最近のミャンマーの台風による大被害も、人類を貶める麻薬
を減らす為に数万人の人命と共に殲滅させています。
今後、この神霊を鎮めるには、感謝の5%運動により9次元
の存在へと昇華させ、親神に融解させる必要があります。
伊勢神宮外宮を多くのユダヤ人の方々や、世界の宗教家が
訪れる日を、私は楽しみにしています。
現在の伊勢の注連縄にあるオレンジ果実の色は、本来は
子羊の血液の色を現すものだと思います。
大昔の注連縄は、編んだ2本の縄(DNA遺伝子の螺旋)に麻
の繊維を赤く染めたものをぶら下げるのが本当の形だと感じ
ます。 伝承される風習には、深いものが有りますね。
生かして頂いて ありがとう御座います
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読者より :
我々の魂が荒御魂として地球に受精したとき、荒御魂は肉体として顕現し、和魂の方は心、精神、内面として内在化する。神話的表現だとお隠れになる。スサノウが顕現するとき、天照は岩谷に隠れる。
こう解釈すると、天照が再び顕現するときとは、次元変換のとき。
神話より :
スサノオは、母親イザナミのいる根の国に行きたいと言って泣き続けたため、父親イザナギによって追放された。スサノオは根の国へ行く前に姉の天照太御神に会おうと高天原(神界)に上ったが、天照太御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。スサノオは、自分が神界を侵略しに来たのでは無い事を証明するために誓約(うけひ)をし、その結果、天照太御神から男神、スサノオから女神が生まれた。スサノオは自身が女神を生んだのは、邪心が無い証拠に成ると自分勝手に解釈をして勝利を宣言する。
これで気を良くしたスサノオは高天原で乱暴を働き、その結果、天照太御神は天岩戸に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。
でも、八百万の神々の「楽しそうな笑い」に癒された天照太御神は、閉じこもっていた心の殻から抜け出して回復し、スサノオは高天原(生)から追放され、根の国(死)へ向かった。
スサノオ=肉体=人間 です。
肉体が中心に成ると、心の神性は隠れぎみに成ります。
では、心の神性を中心にすると、諸々のストレス・乱暴を受
けた時に肉体的・精神的に弱くなり、現実界では引き篭もり
に成る様です。
人間(スサノオ)は、自分に都合の良い様に物事を解釈して
自己中心に生きて行くと、肉体面がどうしても中心に成り、
乱暴を働く性(さが)が在る様です。
このスサノオがしでかす乱暴は、神話によると殺人・レイプ・
強奪・・・と、そのものズバリを表現されています。
これは自国を中心にしている、現在の地球上の国々が抱え
る現状かも知れません。
さて、神話によると「笑い声」に釣られた天照太御神が、
心の扉を少し開けた時、そのタイミングを逃さずに
「待っていた、大きな力」が介在して、岩戸を引き開けて
引き篭もりから救い出されています。
この「笑い声」を演出したのは、八百万の神々の努力です。
岩戸の中に居る天照太御神を心配しながら、けな気に
全員で舞い踊って盛り立てたのです。
ただ黙って見守っていたのでは、決して無いわけです。
一生懸命に努力していると、必ず大きな「力」が介在するの
です。
「生かしてポロロ~ン」と、大きな岩戸を前にして先行きを
心配しながらも「笑い」ながら努力していると、天照太御神
が出て来るかも知れませんね。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
読者 :
古神道の一霊四魂の考え方が不正確で不要だとのお返事。予想外でビックリです。神宮にも『荒祭宮』があり「天照皇大御神の荒御魂」と書かれていたので、四魂の考えは神道の基本なのだと、正しいのだとばかり思っていました。
この神宮の表記と、一霊四魂は全く別の事です。
一霊四魂は、あくまでも人の心の構造を説明した表現です。
記事 :
一霊四魂の思想とは、一体の霊体(直霊)に四種類の魂が合体したものが、人の心を構成する考えですが、私は、これは不正確で不要だと思っています。
旅する自己の魂と内在神との、大きく2つで十分です。
伊勢神宮HPより :
荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな御姿を「和魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のお働きを「荒御魂(あらみたま)」とたたえます。
自己の魂は、ある意味この世に旅しに来て現れた荒御魂とも
言えます。 内在神は、和魂として根源存在と連動します。
また、別の次元の表現をすれば、
荒御魂は、人の肉体・霊体との相関。
和魂は、人の心・内在神との相関。 とも言えます。
高次な表現では、
地球の荒御魂は、国常立太神(クニトコタチオオカミ)。
和魂は、天照太御神。(アマテラスオホミカミ) とも言えます。
考えてみると、私達の肉体は、地球から借りている物です。
地球上で人類が発生して以来、連綿と地球上で出来た作物
を食べながら、人から人へと繋がって来たのです。
地球上の水や土の成分が、形を変えて回っているだけです。
エントロピーの循環とも科学では言うそうです。
地球のエネルギー成分は、増えもせず、減りもせず、ただ現れ
る形だけが変化しているに過ぎないのです。
霊的には、現実界で生きる人間は、地球の荒御魂と和魂の
結晶体であるので、大変かけがえの無い物です。
自分の肉体を粗末に扱えば、地球霊に申し訳が立ちません。
人間は死んで、地球に借りていた肉体を返す時に、どれだけ
大事に肉体を使用していたかを閻魔様に診られます。
たとえ病の為に、消え入る様な肉体でも、最後の最後まで
自身が出来る最善の心遣いをしなければ成りません。
太古の昔に地球上に人類が発生した時に、地球の荒御魂と
和魂の間で、契約が有った様です。
①自分の肉体を含む、地球上の全ての生き物を大事にして
荒御魂を育て、
②自分の心・内在神を大事にして和魂を太らせた、
人間の魂は、地球の循環から解放して自由にする約束が有
る様です。
自分の肉体を大事に使いながら、感謝想起で暮らせる事は
色々な面から見ても、本当に有り難いことです。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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「内在神への道」を出版されたナチュラルスピリットの自社季刊誌
「スターピープル」の今回発売の最新号の特集題名が
「今神道」でした。
http://www.amazon.co.jp/Star-People-25/dp/4903821
285?ie=UTF8&s=books&qid=1209540485&sr=1-2
古神道(こしんとう)に対して、現代の今の時代に合った神道
を再構築する必要は、私も以前から感じていました。
例えば、古神道には人間の心の構造への説明に、一霊四魂
があります。この考えをまとめたのは、本田親徳(1822年生)
だとされています。しかし、私の霊視では、これは間違いで
大石凝真素美(1832年生)の思想が元に成っています。
そして、この一霊四魂の思想とは、一体の霊体(直霊)に四
種類の魂が合体したものが、人の心を構成する考えですが、
私は、これは不正確で不要だと思っています。
旅する自己の魂と内在神との、大きく2つで十分です。
もし、細かく表現するならば一霊と四魂の計、5要素では
駄目なのです。
霊の字には、雨(肉体を意味します)の字の下に7画の漢字
があります。 私の感覚では、一霊四魂に相当するものを
感得すると、やはり7要素になります。 偶然かも知れません
が、霊の漢字には深いものがあります。
問題は、現代の奇異を売り物にする自称能力者が、いまだに
この古典からの引用を振りかざす事です。
自分の正当性の根拠に、ホコリだらけの古典からの引用を
振りかざす輩が殆ど大半です。神道用語の読み仮名に異常
に拘ったり、どうでも良いことに執着してます。
まったく実践的な霊的力を保有しない、ただのホコリ学者に
過ぎません。 こんな人達は、奇異を期待させて商売をして
は駄目です。
そして今回、「今神道」を手にした時は、また自称者が沢山
出ているのかなと思いながら雑誌を眺めていましたら、久し
ぶりに実際に力の有る方が、一名だけ居られました。
これは、私には意外でした。 この方は、安倍晴明が使役し
た式神と通じている方だと観えます。 現代の時代には珍し
いです。 これからの太陽霊光の時代に、どの様に変化され
て行くのか、私は関心を持ちました。
さて、伊勢白山道でこの季刊誌を紹介した大きな理由は、
この雑誌の中に伊勢神宮・倭姫宮(やまとひめのみや)の
神官の方へのインタビューが記載されていたからです。
記事には、伊勢の神霊の柔らかい波動が満ちています。
また、神官の方の顔写真も本当に穢れが無く、垢が在りま
せん。 これを見て、伊勢が特別な聖地であることを再認識
しました。
また、雑誌では伊勢白山道を大きく取り上げて頂き、雑誌の
最後には、子供用雑誌に有る様な楽しい付録も付いてい
ます。 気が向けば、読んでくださいね。
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生きている以上、悩みや気になることは次々にあらわれてきます。もちろん気にしないようにしたくても気になってしまいます。人は人、自分は自分・・・。
すべてのことを受け入れ感謝する。この現実界での修行と思いつつ、それでも、気にならなくなる為に何か秘訣はありますか?
返答 :
・・・簡単です。
明日、死ぬかも知れないと思えば良いです。つまらないことは、消し飛び、今すべき事を捜し出します。
現実界で生きる間、私達の魂の成長の足を引っ張る引力が
存在します。 それは、日常生活での「惰性」と「慣れ」です。
例えば、仕事上の事で悩む人は多いです。
仕事の事で不平不満が有り悩み、健康も精神も病みつつ在
るA氏が居ます。
A氏にとっては、仕事が有り、給料が毎月入る事は当然な
アタリマエな事と成っています。これを忘れて、その上で仕事
への「自分の執着」を持ち、自分勝手に苦しんでいます。
家族を抱えて失業中のB氏が、A氏の悩みを聞けば、何を
感じるでしょうか?
また、主婦Cさんは、旦那や子供へのストレスが爆発してい
ます。もう、人生が嫌に成って来たと、友人で結婚出来なかっ
た独身女性のDさんに相談しています。
Cさんには、旦那や子供が存在してくれる事の「有り難さ」は
消えています。
全ては、有って当然と錯覚させる、人間の「惰性」と「慣れ」
の働きです。 これを打ち破るには、日々の生活の中で
生死の原点に戻ることです。 日常生活の中での感謝想起
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」は、原点に引き戻
してくれます。 生死を意識する人間は、強いです。
私達を産み出した、忘れていた根源の息吹を思い出させる
のかも知れません。 これは、社会生活での細かい悩みを吹
き飛ばします。
と、色々と言いましたが、嫌な事は嫌、辛い事は辛い、もの
です。
足を引っ張るネガティブな引力が存在する現実界に居る間
は、ポジティブな引力も必要なのです。
前向きなポジティブ引力は、日々の感謝の先祖供養と神仏
への感謝の参拝などの、具体的な「行為」で発生します。
頭の中では「生かして ピョロロ~ン」とは、分かっていても
現実界に刻み置いて行く「行為」の産み出す引力には、霊的
作用の面では負けます。
何故なら、ここは現実界だからです。
目の前のコップを思考で動かすことは、普通の人間には出来
ません。 手でコップを持つ「行為」をすれば、簡単に動かす
事が出来ます。
この現実界に、伊勢神宮外宮や伊雑宮の様な空間が、実際
に出現している事は、それが地球や人間に必要だからです。
日本神道の素晴らしさは、人間を縛る教義がなくても数千年
間も存続している事です。
人間への強制では無く、人間の自主性に任されて数千年も
存続して行くものには、根源存在の無言の意思が在るのです。
たまには、このような場所へ行く事も、人生での大事なイベント
「行為」の1つかも知れませんね。
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質問 :
仏壇、短冊、神棚などに御供えした、御水や御菓子は食べても良いのでしょか?
御供えした御水や御茶は、飲まない方が良いです。
特に、仏壇や短冊に供えた液体の物は、流し台から捨てた方
が絶対に良いです。
仏壇や短冊に寄る霊体は、供養が必要な方々が多いです。
喉の渇きで苦しむ霊体は、供えられた水や御茶を飲もうと、
何度でも触ろうとします。 でも、御供えをした生きる人間の
捧げた気持ち分しか飲め無い法則があります。
気持ちを込めずに、ただ機械的に供えられたものは、届かな
いのです。感謝の気持ちで捧げられたものは、最も届き易い
仕組みが、異なる次元間には存在します。
飲みたいのに、飲めない。この執着の想いを受けた水には、
霊的な負の波動を宿し易いです。 水の分子は、霊的波動
を貯める性質があります。
また、水が感謝の思いと共に捧げられて、無事に届いたとし
ても、迷える霊が霊的に食した御水を、お下がりとして生きる
人間が飲むことは、やはり霊的な垢が在るので良くありま
せん。
興味深いのは、執着が強くて現実界に留まる霊体に捧げられ
た御水は、実際に目減りすることがあります。
これは、その霊体の迷いと苦しみが大きい為に、霊体の粒子
が粗いので、現実的な影響をこの世へ及ぼせる事を意味し
ます。 この様な奇異が無くなるまで、供養する必要があり
ます。
御菓子については、捨てるのは「勿体無い」ので、感謝の
気持ちで食べれば良いです。しかし、私の本心は本当は食べ
たくありません。 執着が強い霊体が寄った食べ物は、傷む
のが早いので注意して下さい。 食べるならば早めが良い
です。
神棚の御水については、願い事を掛けた神棚の水は、霊的
に曇っています。 これを飲むのは、やはり良い事ではあり
ません。
感謝のみを捧げた神棚の御水は、神気が宿り問題はありま
せん。 ただ、これを「飲む」という発想には、欲があります。
良い物は、流して自然に帰せば良いのです。 これを自分の
体に入れたいと思う気持ちは、私には理解し難いです。
何か良い事でも期待するのでしょうか?
そのような発想の信仰では、正神の感応は望めません。
よく、神棚に供えた御水を、御神水と称して高額で販売する
組織がありますが、これは霊的には魑魅魍魎の小便です。
売る方も、買う方も、我良しの心根の固まりです。
神の名前を商売道具にして、切り売りする様な行為は、絶対
に生けません。
販売目的のペットボトルの水に、正神は宿りません。
生かして頂いて ありがとう御座います
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今日のニュースで、ガソリンが160円/Lに成ったと報道され
ていました。 せっかくのGWに、渋滞を体験する為に高い
御金を掛けるのも嫌なので、近場へ遊びに行く予定で家族に
は納得して貰っています。
そもそも石油とは何か、少し考えて見ました。
学問的には、色々な石油発生の諸説が有る事でしょう。
私のイメージでは、地球深奥に存在する莫大な量の鉱物
成分に、少量の生物(動物、恐竜・・・)と植物の死骸が腐敗
した時に発生する微生物とが反応して、数百万年の歳月を
掛けて熟成した物が原油だと感じます。
微生物、細菌が悠久の時を掛けて石(炭素成分)を溶かす
感じがします。
恐竜の血液が、原油の元であると想像すると、楽しい気が
します。
現代の自動車や飛行機を動かしているのは、恐竜達の霊体
かも知れませんね。
GWに見られる高速道路の大渋滞を、空から撮影した模様は
まさに長い長い龍が横たわる様にも観えます。
太古の地球に生存した恐竜怪鳥は、現代では超合金の体に
変えて、やはり大空を飛んでいるのです。
形を変えて、自分達が生きた姿を、現代に再現させている気
がします。
過去に生きた生物達は、自ら、その生きた証しを、形を変え
てでも自己主張を示していると感じます。
私達も遠い未来には、体が変化しているかも知れませんが
心だけは、今とまったく同じだと思います。
そして、自分達が生きた証しを、何らかの形で自己主張して
いるかも知れません。
我々の先祖霊も、自らの存在が忘れ去られていると感じ出す
と、自己主張を始めます。
自己主張を始める前に、生きる子孫が気付いてあげれば
良いだけです。 それで、納まります。
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