泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

私が好きな「飛鳥での散策コース(欽明天皇陵~飛鳥宮跡)」(3)

2020年05月21日 14時43分05秒 | 歴史

私が好きな「飛鳥での散策コース」シリーズも、3回目となりました。

前回の「飛鳥での散策コース」は、自然豊かな「坂田・稲渕地区」(2)を紹介しました。

今回は、歴史的景観が素晴らしい「飛鳥での散策コース」(3)を紹介したいと思います。

(欽明天皇陵~飛鳥宮跡)の散策コース・・・約4キロのコースです

欽明天皇陵ー猿石ーカナヅカ古墳ー鬼の雪隠・俎板古墳ー天武・持統天皇陵ー川原下の茶屋遺跡-亀石ー橘寺・川原寺ー飛鳥宮跡

「欽明天皇陵」・「カナヅカ古墳」・「鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳」・「天武・持統陵」は、丘陵に一直線上に並んだ古墳です。古墳を見ながら飛鳥宮跡へ行く散策コースです。

〇「欽明天皇陵」(平田梅山古墳)と呼ばれる宮内庁管理の古墳です。墳長は約140mあり、墳丘は北側が2段、南側が3段に築成されています。周濠があり、北側に比べ南側が広く造られていたようです。明日香村唯一の前方後円墳です。

  

「猿石」は、 近鉄の飛鳥駅から北に約10分くらい行った所にある「欽明天皇陵」の手前にある「吉備姫王墓」の敷地内に、「猿石」が置かれています。特徴から、女・山王権現・僧・男の名前がついており、それぞれ高さは1メートル前後です。そのうちの「女」「山王権現」「男」の3つは後ろに天邪鬼の様な顔があります。飛鳥の謎の石造物のひとつです。

         
〇「カナヅカ古墳」は、現在は小さな墳丘に見えるのですが、築造当時は墳丘全面に東西60m、南北25mの大規模なテラスを持っており、その上に一辺約35mの2段築成の方墳であったと考えられています。本当の「吉備姫王墓」(斉明天皇の母)ではないかと言われています。案内板等がありませんので、注意しながら散策してみてください。

   

〇「鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳」は、奇妙な名前を持つこの古墳は、昔このあたりに鬼が住み、旅人を捕まえては上の俎で調理して食べ、下の雪隠で用を足したというおもしろい伝承がある古墳です。「斉明天皇」の初葬墓ではないかとも言われています。

   

〇「天武・持統天皇陵」(野口王墓古墳)は、飛鳥時代を創った天皇の古墳です。高さ約9m・東西約58m・南北約45mで全面石で覆われた5段築成の八角慕です。2室からなる切石積みの石室があり「天武天皇」の棺と「持統天皇」の金銅製骨臓器が納められていたといわれています。鎌倉時代に盗掘にあい、大部分の副葬品が奪われたようです。被葬者(天武・持統天皇)が、確実な天皇陵だそうです。

   

〇「川原下の茶屋遺跡」からは、飛鳥時代の交差点が検出されていて、数少ない道路跡の遺跡です。東西道は、道幅約12m・南北道は道幅約3mで側溝もみつかっています。東西道路は、直線道路と考えられ、西は下ツ道に交わり、東は飛鳥京に続くと思われます。東西道路は、川原寺の南門と橘寺の北門の間を通っているようです。「飛鳥の横大路」と呼ばれています。古代の道路跡を歩きながの散策コースです。

  

〇「亀石」は、重さ推定40tという巨大な花崗岩を自然の岩肌を残したまま利用した石造物です。うずくまった亀のようなスタイルと残された伝説から「亀石」と呼ばれていますが、いつごろ、何の目的で造られたのか定かでなく、飛鳥の謎の石のひとつです。

      

〇「橘寺」は、寺伝では「聖徳太子」の出生地と伝えられています。「聖徳太子」創建七ケ寺のひとつです。観音堂には、本尊である平安時代後期の「木造如意輪観音座像」(国重文)が安置されています。とても素晴らしい観音様です。

    

〇「川原寺」は、飛鳥寺とともに飛鳥の三大寺に挙げられた大寺でした。「斉明天皇」(皇極天皇の重祚)の川原宮跡に、子の「天智天皇」が建てました。現在は、遺構として28の瑪瑙(大理石)の礎石と塔跡が残ります。最近は、瑪瑙(大理石)の礎石がパワーストーンとして紹介されているようです。

   

〇「飛鳥宮殿」跡(伝飛鳥板蓋宮跡)は、645年に 中大兄皇子らが蘇我入鹿を倒し、大化改新の舞台となった場所です。継続的な調査で、複数の宮が置かれていたことが判明しました。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は、飛鳥浄御原宮(天武天皇)のものです。

今回の散策コースは、歴史的景観が素晴らしく、特に古代史が好きな方には是非お勧めします! 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする