奈良県高取町越智には、中世の大和豪族「越智氏」に関わる跡が残っています。
前回(2021年9月3日)は、中世の大和豪族「越智氏」の跡(前)では、越智氏(おちし)(中世の豪族)の「館跡」や「貝吹城」(越智氏の詰城)を紹介しました。
今回は、「越智氏」の跡として「光雲寺」(越智氏の墓所)や「有南神社」(越智氏の祖を祀った社)を紹介したいと思います。
「越智氏」は、中世では十市氏・箸尾氏・筒井氏と並び「大和四家」と呼ばれていました。越智維通の代に「多武峯の戦い」に敗れて衰退しましたが、維通の子である越智家栄は河内守護・畠山氏の支援により再興し、筒井氏を圧倒するほど勢力を回復しています。しかし織田信長の勢力が大和に及ぶようになると降伏しました。
〇光雲寺(越智氏の墓所)
南北朝時代初期の1346年に「興雲寺」と称し、越智氏の菩提寺として建立されたのが始まりです。その後、室町初期の文安3(1446)年に復興開基されて繁栄するも、天正年間に越智氏の没落で衰退したようです。1698年に再興してからは寺号を「光雲寺」と改めました。本堂は県の重文に指定されており、山門前には樹齢1000年近い厄除け杉がそびえています。この杉にも、話が残っています。お堂の近くには、越智一族のお墓もありました。また、三大山城のひとつである「高取城」の瓦も見ることができました。
「光雲寺」は、越智集落の南に位置しています。歩きながら探していると、丘陵の麓にありました。丁度参拝したとき、住職さんに色々と説明をしていただきました。静かな環境にある禅宗のお堂は、とても心が落ち着く感じでした。
いつも、この近くを通っていたのですが全く知りませんでした。歴史がお好きな方は、お薦めのスポットです!
〇有南神社(越智氏の祖を祀った社)
中世に当地一帯を支配した越智氏が、祖である親家を祀った社です。諸説あるものの越智氏は、源頼親(源満仲の次男)の末裔とされ、また大和国高市郡の越智氏はその子孫である親家の後裔とされます。
「光雲寺」から徒歩約5分位の所にあり集落を通りぬけた、丘陵にありました。
現在は、この集落の氏神様として大切にされていると思われます。綺麗に、整備されていました。
今回の中世の大和豪族「越智氏」の歴史散策は、大変興味深い散策となりました!
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