泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥京跡苑池「現地説明会・2021」

2021年12月05日 19時52分16秒 | 歴史

国内初の本格庭園とされる奈良県明日香村の「飛鳥京跡苑池(えんち)」(国史跡・名勝、7世紀)の現地説明会が、12月4・5日(10:00~15:00)に行われました。多くの歴史好きの方が来られ、飛鳥時代の庭園遺構を見られていました。

今回は、飛鳥京跡苑池「現地説明会・2021」を紹介したいと思います。

今回の発掘調査で、南北二つの池のうち北池の排水構造が明らかになったようです。これまで発見された池と合わせて、国内初とされる本格的な宮廷庭園主要部の全容がほぼ明らかになりました。

苑池は7世紀中ごろ、「斉明天皇」の時代に造営が始まり、のちの「天武天皇」の時代(7世紀後半以降)に大幅に改修されたと考えられています。当時の天皇の皇居である飛鳥宮跡の北西に隣接しています。

南北約280メートル、東西約100メートルの範囲に、庭園の中心となる北池(南北約52メートル、東西約36メートル)と南池(南北約53メートル、東西約63メートル)の二つの池があります。

北池は、水に関連した祭礼に用いる「流水施設」があったと推定されます。五角形の南池は池内に中島があり、高床式の「水上舞台」もあったとされます。

今回、発掘が行われたのは北池の一部で、新たに両側に石を積み上げた幅約6メートルの水路が見つかりました。水路は、池からあふれた水を川へ流すためのものとみられ、これまでの調査結果から少なくとも100メートルは北へ続いていると考えられている。水路のそばでは、湧き出る水を使った祭祀が行われたとみられていて、発掘を行った奈良県立橿原考古学研究所では「池の構造や変遷などをかなり明らかにすることができた」としています。今回は、土器や木簡も出土したようです。

北池とは、小さな石組みの溝(長さ約14メートル、幅約60センチ)で連結し、溝を流れてきた池の水は約1・5メートルの高低差を利用して滝のように水路に流れ落ちる構造だったようです。水路は、全長100メートル以上で、近くの飛鳥川に通じていたと推定されています。

平成11年から20年以上にわたって続けられた飛鳥京跡苑池の調査は終了し、奈良県は令和6年の世界遺産登録に向けた復元、整備を始める予定です。とても、楽しみにしています。

いつも散歩の途中に、発掘の様子を道すがら見学していました。何もない野原と思った所から、約1350年程前の飛鳥時代の宮廷庭園の遺構を見ることができ、大変感激しました。飛鳥は、凄い!

                   

 

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