奈良県明日香村栗原の集落には、飛鳥時代に建立された呉原寺がありました。
今回は、飛鳥の古代寺院「呉原寺」について紹介したいと思います。
栗原の地は、5世紀半ば、呉(くれ)の国(中国中部)から来た渡来人が住んでいたといわれています。
「呉原寺(竹林寺)」は、5921年に阿知使主の子孫「坂上大直駒子」が創建したと伝えられています。
寺跡は明確ではありませんが、呉津彦神社の東北方の俗称「光徳寺跡」付近と考えられています。白鳳期の古瓦や礎石が出土して、7世紀中頃の建立?と考えられています。礎石は、寺跡推定地にある共同墓地に円柱座を持つ礎石を見ることができます。また、現在の竹林寺にも礎石があります。
寺跡は明確ではありませんが、呉津彦神社の東北方の俗称「光徳寺跡」付近と考えられています。白鳳期の古瓦や礎石が出土して、7世紀中頃の建立?と考えられています。礎石は、寺跡推定地にある共同墓地に円柱座を持つ礎石を見ることができます。また、現在の竹林寺にも礎石があります。
また、この辺りは法相宗の祖である僧道昭が700年に、日本最初に火葬されたのもこの地であったとも伝えられています。
道昭は、遣唐使として海を渡り(653年)、玄奘三蔵に師事した後飛鳥寺に東南禅院を建てたと伝わります。
さて、古代寺院「呉原寺」跡と推定される場所は尾根の谷間にあり、基壇と思われるような平坦な場所が何ヶ所かあります。
説明板が無ければ、ここが古代寺院があったとは思いもしませんでした。何もないのどかな風景しか見えません。
ただこの場所に立っていると、まるで風水思想で建てられたのではないかと思うような、気持ちがいい気が流れているような感じがしました・・・
ここに、飛鳥時代の古代寺院「呉原寺」があったと思うだけでロマンいっぱいの所でした!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます