グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その2)

2005年06月24日 | Wood's Book翻訳
 輸送力は、貨物用の新しいモーガル(2-6-0)タイプにより1887年に強化された。モーガルは、小径の55インチ動輪上により多くの重量を配分し、一軸の先輪上への負荷を減らし、牽引力を増大させていた。4-4-0に比べ若干遅いものの、重量貨物輸送に関してはアメリカンより明らかに改善されていた。5つの異なるタイプで建造され、牽引力は、初期のモデル(Rogers Locomotive Works製)の18,000ポンドから、後期モデル(Brooks Works製)では25,000ポンド近くに増大した。1896年に最後の1両が製造される頃には、カスケード越えでの牽引力は限界に近づき、更なる輸送力増強が必要不可欠なものとなっていた。鉄道は以前にも増して多くのビジネスに対応しなければならなくなっていたのである。結果として、モーガルは支線に追いやられ、1940年には、スポーカンにNo.453-461のわずか9両が残るだけになった。1942年には、それ以上の運用は難しくなり、これらのモーガルも廃車となっている。
 Brooks Worksは、GNの要請に応えて、4-4-0の2倍の能力をもつマストドン4-8-0を送り出した。1891年のモデル、クラスG-1の牽引力は26,000ポンドに達した。これに続く、G-2、G-3(Rogers Locomotive Works)、G-4は32,000ポンドを超えた。最後のシリーズのG-5の牽引力は42,000ポンドに達し、一時は世界最強の機関車となった―これは、機関助手が大食いする釜に石炭と水をきっちり供給できれば、だったが。GNはこのGクラスに重点的に投資したが、その成功期間は短いものだった。大型のG-5は、その遅さと複雑さによって早期の交代を余儀なくされた。若干のG-5は、カスケードの後補機として何年か残った。軽めでシンプルなG-3、G-4は、軽い軸重と適度なスピードを生かして、支線に活路を見出した。1942年、40両が、軽い軸重、比較的大きな牽引力、修理・維持の簡便さ等を必要とする、各地の支部に散在していた。軽めで遅めではあったが、このクラスは良い機関車だった。ただ考えてみると、こんなに多く生き残ったのは、この機関車の長所によってと言うよりは、たぶんそもそもの両数の多さを理由とすべきだろう。