グレートノーザン鉄道

アメリカのグレートノーザン鉄道の実物(歴史、資料等)と鉄道模型(HO:レイアウト、車両)に関するプログです。

「Wood's Book」翻訳:第6章 蒸機:大平原から大海原へ (その5)

2005年06月27日 | Wood's Book翻訳
 1906年、全てボールドウィン製の、J-1クラスプレーリー(2-6-2)、K-1クラスアトランティック(4-4-2)、L-1クラス複式マレー(2-6-6-2)が、GNに登場した。GNとしては、プレーリーが貨物の高速化という問題の少なくともある程度の解決になると確信するようになり、1906年と1907年に、69インチ動輪の150両を購入した。この機関車は、基本的に似通っている1906年購入のパシフィックと多くの部品を共有できるという好ましい特長があった。このプレーリーは、高速機関車として開発されたものではなかったが、短いホイールベースによる順応性とほとんどどんな線路でも対応できる能力は特筆される。このような理由に加え、相応の牽引力があり、各種の燃料に対応可能で、かつ後進時も前進時とほぼ同じ安定性があるという理由から、この機関車は森林鉄道でも好まれた。しかし、この柔軟性の高さという、森林鉄道で好まれたポイントが、GN機関士たちを仰天させていた。中央で連接された、前後均等にバランスの取れたこの機関車は柔軟すぎたのである。速度を上げると、機首を突っ込んだり、波打たせたりして、機関士をキャブから放り出す恐れがあるといわれていた。先輪からの正しいガイドと大きめの従輪による安定があって初めてうまくいくのである。GNの機関区がこの問題をどうするか熟考している間、この機関車は、能力的には出せるスピードを制限して一定の範囲内のスピードに収めるよう制限されていた。1940年にはこの機関車はGNには1台もなくなっていた。
 アトランティックK-1クラスはJ-1のような荒い波打ちはなかったものの、この機関車が運用され始めた頃には、GNが扱い始めようとしていたタイプの列車には、この機関車は小さいものとなりパワーも足りなくなっていた。73インチの動輪を履いて、近代化されたバージョンのアトランティックほどのスピードは出なかったが、この機関車は蒸気も上がりやすくスピードを出しても安定していた。この機関車にはブースターが装備され、スタート時の牽引力を37,000ポンド近くに増大させていたが、ブースターは複雑なメンテナンスを必要とした。名のある列車のトップに立って、この機関車は、本線上の勾配としてはよくある勾配であるモンタナ州ウルフポイントですら、スリップしやすかった。そして、一度走り始めると、時間通りに重量列車を牽くには、ボイラーのパワーが単純に足りなかった。SP&Sは何両かのKクラスを購入し、ほとんど勾配のない区間で軽量貨物に使用していた。1940年には、当初の10両のうち残った1両だけがダコタ支部に配置されていた。