[レシピ] ブログ村キーワード
今日は我が家付近、実家は暑かったです…。
天気はイマイチよくない、急に雨が降ったり、強風が吹いたり、フツーのときも曇っていて…
という感じだったので、
日が照って暑い、という暑さではなかったのだけれど、もわ~~っと暑い
まさに不快度数の高そうな暑さで
かなり過ごしづらい天候でした。
家で体調を崩していたあいだに遅れ気味になっている、論文用の資料整理とかに追われていたので、
室内でパソコンを相手に…が一日のほとんどだったのですが、あまりの暑苦しさ、過ごしづらさに、
(エアコンが苦手なもので、なるだけ入れないもんですから…)
気分転換もかねて、ちょっと外の空気を吸いに。
出てみても、の暑さで、ためしに、ちょっと外気温を計測☆
昼過ぎで一番高かったころだとは思うのですが、その気温、なんとぉ…
35度超っ!!!
…これは暑いはずだわ
暑く感じたのが異常ではなかったことが判明してひと安心?!
…って、それどころじゃない~~~
エアコンの掃除もいまだできていないというのに。。。
寒がりの私でも、さすがに暑かった一日でした
それにしても、このまま暑くなっていったら、夏なんてどうなってしまうのだろう
この調子で気温が上がっていったら、おそろしい話ですよね。
さすがに、毎日この調子で上昇していくってことはないとは思いますが…。
まだ6月なのに、と思うと、この気温はいろんな意味で心配になってしまうところではあります。
これがそのまますべて環境のせいということもないけれど、
こういうことだけで感じる、判断するのは拙速に過ぎる、見誤ってしまう危険も大きいことは意識しておくべきだけれど、
環境の異常さ、SOSとも感じずにはいられない、
きっかけはどうあれ、行動が必要とされていることは意識しなくては、ですよね。
そう思います。
昨日のエコうたはすごく素敵な時間をいただきましたが、ほんとこう、なんというのか、気張らないエコ、自然で続けられるエコ、
人も動物も、ココロも自然も、生き生きと輝けるエコ、
それぞれのスタイルで考えたいものですね。
共存、折衷的、
そういう概念って日本人は本来得意な分野だと思うんですね。
もちろんそれはいい意味でも悪い意味でも、であって、「いい面で」を伸ばしていくこと、積極的にそのスタイルを発信していくことが必要だと思うのですが、
なにか、外に答えを見出すのでなく、意外と素朴なところに知恵はあるんじゃないか、
実はそれこそ誇るべき文化、未来へつながるヒントなんじゃないか、
そんなことも感じたりします。
でもたしかにこの“折衷”な日本的スタイル、特徴、というのが非常に曲者で、大きな可能性を秘めていると同時に、危険性も秘めている。
表面的なところだけひたすらに欧米化して、根本は実は日本的なまま、
難しい問題にぶつかったとき、向き合わざるを得なくなったとき、
例えば最近話題のものだと、死刑制度だったり、臓器移植問題だったり…
そういうときにだけ、“しれっ”と古い考え方が顔をのぞかせる、
それと知れずに、国際環境へと開かれていたドアがバタンと閉じられる、
そういう、なにやらおかしな空気、不可思議な空気も。。。
感じてしまうんですよね。
それを見るたびに、私はなんとも言えない居心地の悪さ、気持ち悪さを味わう気がします。
1+1の飛躍を、いいところだけを取り入れようとしているけれど、そこに効率や口当たりの良さ、そんな面だけに力が入って、
結局、肝心な根がないままに取り入れようとする、
そして、これまでにあったはずの根さえも、管理を怠って腐らせてしまう、
そんな社会というか…
根なし草の1をかき集めたところで、そこは枯れ草、ゴミの山。
より上へと飛躍するどころか、もとよりもマイナスへいっていないか?
そんなことを思ってしまったりします。
1を取り入れてそこへ足す、より上の段階へと昇華させる、
それにはやっぱり1以上に1を知ること、
見えている以上の、その何倍ものバックグラウンドがあってはじめて成り立たせることができるものだと思うんです。
折衷が得意、そこからアイデアをのばすことが得意、
それはとても素晴らしい能力だけれど、目先にとらわれた、根を見失ったときの堕落の度合い、危険性は、1から間違うよりも深い、
実は…。
じゃないかな?、とか。
でももちろん、真に意味のある折衷、1を学び、他の1をまた学び、根幹から理解してそこから新たに見出した新たな1は、1を超え、1+1の2を超え、さらにつながっていく、
大きなものとなりうる可能性を秘める、
そういうものだと思うんです。
1では見えなかったもの、
それをのばした先にはなかった、新しい次元を開きうる、
そういうものだと思う…。
実現するのは難しいことですけどね。
抽象的な表現になってしまったけれど、日本人的感覚は今の世界に大きなカギとなる道を見出す力と、
今以上に社会を、世界を壊していく力と…
その両方を持っている気がする、
使いよう、のハサミみたいな?
日本人独特のあいまいさ、くみ取り方、歩み方、
いろんなものが毒であり薬であり。
…そんなことを、最近よく感じます。
人間でもそれぞれの1がきちんとないと、交わって昇華は望めないですもんね。
当たり前といえば当たり前なのかな
上手く伝えられないのですが、なにか少しでも感じてもらえるところがあればうれしいです。
では、とりあえず今日はこのへんで。
今日のレシピです
・鰹のレイヤードスタイル グラスユッケ …①
・キャベツのピーナッツバターいため …②
・茄子の辛味土鍋煮こみ …③
①の作り方
1 カツオは皮をひいて粗くたたきボウルに入れる
2 おろしにんにく、塩、化学調味料少々、オリーブオイルを1に加えてもみこむ。しばらく置いて味をなじませる
3 アスパラガスをさっと塩ゆでする
4 3を小さな輪切りにする
5 長芋を小さな角切りに切って、酢水にさらして変色を防ぐ
6 4,5にナンプラー少々をからめ、下味をつける
7 グラスにアスパラガス、長芋、鰹の順に盛り付ける
8 卵黄を落として、アスパラガスの先を飾る。グラスごとよく冷やす
9 ポテトチップスとバラフを添える
②の作り方
1 キャベツは適宜刻む
2 1をオリーブオイルで炒める
3 塩胡椒をして、さっと炒めたら火をとめる
4 ピーナッツバターを全体にからめ、器に盛りつける
③の作り方
1 茄子は長めにカットして、多めの油でソテーする
2 豆板醤、鷹の爪、山椒、XOジャン、テンメンジャン、みじん切りの生姜、にんにくを鍋に入れて炒める
3 香りが立ってきたら1の茄子を加え、鶏ガラスープ、オイスターソース、塩少々で味を調えて軽く煮る
4 水溶き片栗粉でとろみをつける
5 土鍋か耐熱容器に入れて、刻んだ長ネギと赤パプリカをのせる
6 オーブンに入れて加熱し、ぐらぐらと煮立った状態で供する
こちらクリックで応援いただけるとうれしいです
コメントも大歓迎
お気軽に残してくださいね
それでは
今日は我が家付近、実家は暑かったです…。
天気はイマイチよくない、急に雨が降ったり、強風が吹いたり、フツーのときも曇っていて…
という感じだったので、
日が照って暑い、という暑さではなかったのだけれど、もわ~~っと暑い
まさに不快度数の高そうな暑さで
かなり過ごしづらい天候でした。
家で体調を崩していたあいだに遅れ気味になっている、論文用の資料整理とかに追われていたので、
室内でパソコンを相手に…が一日のほとんどだったのですが、あまりの暑苦しさ、過ごしづらさに、
(エアコンが苦手なもので、なるだけ入れないもんですから…)
気分転換もかねて、ちょっと外の空気を吸いに。
出てみても、の暑さで、ためしに、ちょっと外気温を計測☆
昼過ぎで一番高かったころだとは思うのですが、その気温、なんとぉ…
35度超っ!!!
…これは暑いはずだわ
暑く感じたのが異常ではなかったことが判明してひと安心?!
…って、それどころじゃない~~~
エアコンの掃除もいまだできていないというのに。。。
寒がりの私でも、さすがに暑かった一日でした
それにしても、このまま暑くなっていったら、夏なんてどうなってしまうのだろう
この調子で気温が上がっていったら、おそろしい話ですよね。
さすがに、毎日この調子で上昇していくってことはないとは思いますが…。
まだ6月なのに、と思うと、この気温はいろんな意味で心配になってしまうところではあります。
これがそのまますべて環境のせいということもないけれど、
こういうことだけで感じる、判断するのは拙速に過ぎる、見誤ってしまう危険も大きいことは意識しておくべきだけれど、
環境の異常さ、SOSとも感じずにはいられない、
きっかけはどうあれ、行動が必要とされていることは意識しなくては、ですよね。
そう思います。
昨日のエコうたはすごく素敵な時間をいただきましたが、ほんとこう、なんというのか、気張らないエコ、自然で続けられるエコ、
人も動物も、ココロも自然も、生き生きと輝けるエコ、
それぞれのスタイルで考えたいものですね。
共存、折衷的、
そういう概念って日本人は本来得意な分野だと思うんですね。
もちろんそれはいい意味でも悪い意味でも、であって、「いい面で」を伸ばしていくこと、積極的にそのスタイルを発信していくことが必要だと思うのですが、
なにか、外に答えを見出すのでなく、意外と素朴なところに知恵はあるんじゃないか、
実はそれこそ誇るべき文化、未来へつながるヒントなんじゃないか、
そんなことも感じたりします。
でもたしかにこの“折衷”な日本的スタイル、特徴、というのが非常に曲者で、大きな可能性を秘めていると同時に、危険性も秘めている。
表面的なところだけひたすらに欧米化して、根本は実は日本的なまま、
難しい問題にぶつかったとき、向き合わざるを得なくなったとき、
例えば最近話題のものだと、死刑制度だったり、臓器移植問題だったり…
そういうときにだけ、“しれっ”と古い考え方が顔をのぞかせる、
それと知れずに、国際環境へと開かれていたドアがバタンと閉じられる、
そういう、なにやらおかしな空気、不可思議な空気も。。。
感じてしまうんですよね。
それを見るたびに、私はなんとも言えない居心地の悪さ、気持ち悪さを味わう気がします。
1+1の飛躍を、いいところだけを取り入れようとしているけれど、そこに効率や口当たりの良さ、そんな面だけに力が入って、
結局、肝心な根がないままに取り入れようとする、
そして、これまでにあったはずの根さえも、管理を怠って腐らせてしまう、
そんな社会というか…
根なし草の1をかき集めたところで、そこは枯れ草、ゴミの山。
より上へと飛躍するどころか、もとよりもマイナスへいっていないか?
そんなことを思ってしまったりします。
1を取り入れてそこへ足す、より上の段階へと昇華させる、
それにはやっぱり1以上に1を知ること、
見えている以上の、その何倍ものバックグラウンドがあってはじめて成り立たせることができるものだと思うんです。
折衷が得意、そこからアイデアをのばすことが得意、
それはとても素晴らしい能力だけれど、目先にとらわれた、根を見失ったときの堕落の度合い、危険性は、1から間違うよりも深い、
実は…。
じゃないかな?、とか。
でももちろん、真に意味のある折衷、1を学び、他の1をまた学び、根幹から理解してそこから新たに見出した新たな1は、1を超え、1+1の2を超え、さらにつながっていく、
大きなものとなりうる可能性を秘める、
そういうものだと思うんです。
1では見えなかったもの、
それをのばした先にはなかった、新しい次元を開きうる、
そういうものだと思う…。
実現するのは難しいことですけどね。
抽象的な表現になってしまったけれど、日本人的感覚は今の世界に大きなカギとなる道を見出す力と、
今以上に社会を、世界を壊していく力と…
その両方を持っている気がする、
使いよう、のハサミみたいな?
日本人独特のあいまいさ、くみ取り方、歩み方、
いろんなものが毒であり薬であり。
…そんなことを、最近よく感じます。
人間でもそれぞれの1がきちんとないと、交わって昇華は望めないですもんね。
当たり前といえば当たり前なのかな
上手く伝えられないのですが、なにか少しでも感じてもらえるところがあればうれしいです。
では、とりあえず今日はこのへんで。
今日のレシピです
・鰹のレイヤードスタイル グラスユッケ …①
・キャベツのピーナッツバターいため …②
・茄子の辛味土鍋煮こみ …③
①の作り方
1 カツオは皮をひいて粗くたたきボウルに入れる
2 おろしにんにく、塩、化学調味料少々、オリーブオイルを1に加えてもみこむ。しばらく置いて味をなじませる
3 アスパラガスをさっと塩ゆでする
4 3を小さな輪切りにする
5 長芋を小さな角切りに切って、酢水にさらして変色を防ぐ
6 4,5にナンプラー少々をからめ、下味をつける
7 グラスにアスパラガス、長芋、鰹の順に盛り付ける
8 卵黄を落として、アスパラガスの先を飾る。グラスごとよく冷やす
9 ポテトチップスとバラフを添える
②の作り方
1 キャベツは適宜刻む
2 1をオリーブオイルで炒める
3 塩胡椒をして、さっと炒めたら火をとめる
4 ピーナッツバターを全体にからめ、器に盛りつける
③の作り方
1 茄子は長めにカットして、多めの油でソテーする
2 豆板醤、鷹の爪、山椒、XOジャン、テンメンジャン、みじん切りの生姜、にんにくを鍋に入れて炒める
3 香りが立ってきたら1の茄子を加え、鶏ガラスープ、オイスターソース、塩少々で味を調えて軽く煮る
4 水溶き片栗粉でとろみをつける
5 土鍋か耐熱容器に入れて、刻んだ長ネギと赤パプリカをのせる
6 オーブンに入れて加熱し、ぐらぐらと煮立った状態で供する
こちらクリックで応援いただけるとうれしいです
コメントも大歓迎
お気軽に残してくださいね
それでは