栃木の南部では、3か所浸水しています。
両毛線と言う栃木と群馬を結ぶJR沿いで、まあ近い場所で起こっています。
このあたりは山際になっていて、山は日光まで続きます。
つまり山に降った雨が、谷に集められて一気に流れて行き、平地になって蛇行する。
その地点で、すべて決壊したのです。
山から出た川の出口は、扇状地として危険地域となっていますが、そこから少し離れています。
細い支流ですので、水量があればどこで氾濫してもおかしくなかった川ばかりです。
さて、この氾濫した河川が流れ込むのが、渡良瀬川になります。
戦後すぐのカスリーン台風では、大きな被害を出して慰霊碑が建てられています。
護岸工事は念入りにやられたのでしょう。
足利で、例の渡良瀬橋を渡ったのですが、その地点での水の跡は、河川敷の遊歩道が埋まる程度でした。
もっとも、鹿沼を流れている黒川が思川と合流する地点では、氾濫危険情報が出ていましたから、やはり1mまで来ていたのでしょう。
黒川も思川も、氾濫し犠牲を出した歴史があります。
一方で、川越の氾濫は、小規模ながら千曲川型だと思います。
あまり治水に力を入れていなかった結果でしょう。
老人ホームの責任者が、このあたりは水が出るので、訓練していたという言葉が象徴しています。
両毛線と言う栃木と群馬を結ぶJR沿いで、まあ近い場所で起こっています。
このあたりは山際になっていて、山は日光まで続きます。
つまり山に降った雨が、谷に集められて一気に流れて行き、平地になって蛇行する。
その地点で、すべて決壊したのです。
山から出た川の出口は、扇状地として危険地域となっていますが、そこから少し離れています。
細い支流ですので、水量があればどこで氾濫してもおかしくなかった川ばかりです。
さて、この氾濫した河川が流れ込むのが、渡良瀬川になります。
戦後すぐのカスリーン台風では、大きな被害を出して慰霊碑が建てられています。
護岸工事は念入りにやられたのでしょう。
足利で、例の渡良瀬橋を渡ったのですが、その地点での水の跡は、河川敷の遊歩道が埋まる程度でした。
もっとも、鹿沼を流れている黒川が思川と合流する地点では、氾濫危険情報が出ていましたから、やはり1mまで来ていたのでしょう。
黒川も思川も、氾濫し犠牲を出した歴史があります。
一方で、川越の氾濫は、小規模ながら千曲川型だと思います。
あまり治水に力を入れていなかった結果でしょう。
老人ホームの責任者が、このあたりは水が出るので、訓練していたという言葉が象徴しています。