原爆の日
2013-08-05 | 日記
もう68年前の出来事になってしまった。
自分が生まれる前のことだったとはいえ、
母や祖父母が生きた時代の出来事で、
生まれ故郷からわりと近いところだったこともあって、
広島には特別な思いがある。
平和記念公園にも何度か行き、
数年前に訪れたときの心に沸き起こってきた感情には自分でも驚いた。
夕方の平和記念式典の様子を伝えるニュースで
折り鶴が飾られてる場所が映し出されたときには
また押さえられぬ感情が溢れ出してきて
なんなんだろう?と思う。
年をとって、
「戦争」を経験した人々がどんなにか辛く苦しかっただろうと
よく想像するようになった。
しかし、東日本大震災のときもそうだったように、
実際に、今自分に降りかかってきている現実に
みんなただ必死に対応するしかない。
辛いとか苦しいとかそんなことは言ってはいられない。
向田邦子さんが経験した東京大空襲の話を読むと
それがまさに「現実」だったことを思い知らされる。
生きるって必死だ。
原発はどうなるんだろう?
日本はどうなるんだろう?
そんな思いを抱えて生きている今もまた我々の現実だ。
(写真は平和記念公園で遊ぶ2歳弱のわたし)