昨日、原因不明の38度くらいの熱が出て、
頭痛もあり身体もだるかったので丸一日ベッドで休んでた。
今朝になったらウソのように熱が下がり、
一体何だったのかなあ、と。
朝ご飯にちょっと身体にいいものを、と思って
10種類の穀物の入ったシリアルに水を加えて、
レーズンとフラックスシードとりんごを入れて鍋で煮て、
バナナのスライスとハチミツと牛乳を混ぜて食べた。
天気も良く、シャワーを浴びた後に外に出て
チューリップやシロザクラの写真を撮っているうちに
すっかり身体が元通りになった気がした。
身体が元気になると心も元気になる。
心が元気じゃないと身体に変調をきたすのかも。
ときどき休ませなきゃね、こころ。
大事にしよう、からだ。
「また、同じころだったか、
ものすごい大地震があったことがある。
そのさまは尋常ではなかった。
山は崩れ、その土が河をうずめ、
海が傾いて陸地に浸水した。
大地は裂けて水が湧き出し、
大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。
波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、
道行く馬は足の踏み場に惑っている。
都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、
一つとして無事なものはない。
あるものは崩れ、あるものは倒れている。
塵や灰が立ち上って、
もうもうとした煙のようである。
大地が揺れ動き、家屋が倒れる音は、
雷の音とそっくりだ。
家の中にいると、
あっという間に押しつぶされかねない。
かといって、外に走り出れば
大地が割れ裂ける。
羽がないので、
空を飛ぶこともできない。
竜であったなら、
雲にでも乗るだろうに。
これまでの恐ろしかった経験の中でも、
とりわけ恐ろしいのは、
やはり地震だと思った。
このように、大揺れしたのは
少しの間でやんだが、
その余震がしばらく続いて
絶えなかった。
ふつうでも驚くほどの地震が、
二、三十回揺れない日がない。
しかし、十日、二十日とたつうちに、
しだいに間隔があき、
ある日には一日に四、五回、
それが二、三回になり、もしくは一日おき、
二、三日おきに一回というふうになり、
だいたい三ヶ月くらい
余震が続いただろうか。
四大種(地・水・火・風)の中で、
水と火と風は
常に害をなすものだが、
大地の場合は
ふつうには異変を起こさない。
昔、斉衡のころとかに、
大地震が起きて、
東大寺の大仏のお首が落ちたりして
大変だったらしいが、
それでもやはり
今度の地震には及ばないとか。
その直後には、
だれもかれもがこの世の無常と
この世の生活の無意味さを語り、
いささか欲望や
邪念の心の濁りも薄らいだように
思われたが、
月日が重なり、
何年か過ぎた後は、
そんなことを言葉にする人もいなくなった。」
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わたしたちが経験することのほとんどは
昔の人はすでに経験済みだということ、
歴史は繰り返されながら、時が刻まれていくこと、
人は昔も今も変わらない、ということを
あらためて認識させられました。