世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

小さな小さな神さま・4

2017-05-23 04:18:16 | 月夜の考古学・第3館


  3

 すだれのような青い山々の壁をいくつか越え、小さな神さまは、大きな川のほとりの、深い森へとやってきました。
 長々と飛び続けてくれた竜の疲れを、そろそろ癒してやろうかと思い、小さな神さまは眼下の森を見渡しました。すると、竜の好みそうなせせらぎが見えたので、小さな神さまは森を囲む小高い峰の一つに立たれました。竜を水気の玉にもどされながら、小さな神さまはその、まるで低地に黒々とわだかまる巨大な獣のような鬱蒼とした森を、ひとしきりながめられました。
「何やらみごとに濃い気を放つ森だが、ここの神はどこにいらっしゃるだろうか」
 小さな神さまがおっしゃいますと、白い珠の中から美羽嵐志彦が答えました。
「この森を統べる神は、虫椎の神とおっしゃいます。少々偏狭な方でいらっしゃいますが、礼を尽くしてお頼みすれば、竜を癒してくれましょう」
「偏狭とは?」
 小さな神さまが尋ねられますと、今度は早羽嵐志彦、於羽嵐志彦が次々と答えました。
「彼の神は、美しい虫を育てることに凝っておりまして」
「森の中には虫ばかりがうじゃうじゃといるのです」
「虫ならわたしの谷にもわんさといるが」
「ごらんになれば分かりましょうが、たぶん比ではありますまい。とにかく、虫椎の神にお会いした時は、まずその髪飾り、ひげ飾りを、言葉の限りにほめちぎらねばなりません」
 美羽嵐志彦が言いました。この分け身の神は、他のおふた方を率いる総領のような立場であるらしく、声の響きも一段と深く堂々としておりました。
 小さな神さまたちがひそひそと話しておられますと、突然眼下の森がざわざわと震え、どらのように響く太い声が聞こえてきました。
「どなたかは知らぬが、そこにいるのは分かっておるぞ」
「ああ、これは申しわけありません」
 小さな神さまは、あわてておっしゃいますと、ひょいと峰を蹴られました。森の一画に、角のように突き出た小さな岩壁があり、そこに何やら気配が揺れたので、小さな神さまはその崖に向かって静かに降りられました。すると、がざがざと周囲の木立が揺れ、まるで風景の一部がもぎとられるように、黒い影のような神が、のっそりと現れました。
 小さな神さまは、目の前の神のお姿をごらんになって、少しげんなりとなさいました。とてもお美しいとは言いかねるお姿であったからです。
 虫椎の神さまは、全身を熊のような縮れ毛でおおわれ、ぼうぼうの髪やひげには瑠璃や黄水晶や珊瑚の玉を、びっしりと重いほどぶら下げておりました。いやよく見れば、瑠璃と見えたものは小さな青い甲虫で、黄水晶と見えたのは小さな黄色のシジミ蝶、珊瑚の玉と見えたのは、赤々と膨れた胴をした、大きな大きな蜘蛛でした。
 小さな神さまは、お気持ちを抑えながら、ていねいに名乗られ、ごあいさつをなされました。もちろん、虫椎の神のお姿をほめたたえることも忘れませんでした。
「旅をしておるのですが、竜が疲れておりますので、そこのせせらぎで少し休ませて欲しいのです」
「旅をね。まあいいだろう。ただしあまり騒いで、わしの虫どもを驚かさんでくれよ」
「もちろん、おじゃまだてはしません」
 小さな神さまは、ほっとしておっしゃいました。すると虫椎の神さまは、虫をざわざわ従わせながら、くるりと背を向けて、いってしまわれました。その後ろ姿で、珊瑚の玉の蜘蛛が、瑠璃の甲虫をぼりぼりと食べているのをごらんになって、小さな神さまは、またげんなりと眉をひそめられました。
「世の中には変わったかみもいるものだ」
 その夜、せせらぎのほとりで、白い月神のお姿を見上げながら、小さな神さまはふと漏らされました。
「あれが今のあの方にとっての、一番のお幸せなのでしょう。少々偏ってはおりますが」
 他のふた方は珠の中で休んでおりましたが、美羽嵐志彦だけは元の姿にもどり、水気をたっぷりと吸って眠っている竜の傍らに、涼やかな笑顔で立っておりました。
「だれが偏っている」
 突然、背後から、ざわりと気配が起こりました。見張りのつもりで周囲に気を巡らしていた美羽嵐志彦は、ひどく驚きました。小さな神さまも、驚いて振り向かれました。
 虫椎の神さまは、昼間とはまたうってかわって、豪華な装いをなさっておりました。瑠璃や珊瑚はもちろんのこと、真珠やら碧玉やら柘榴石、金剛石までそろえて、ひげというひて、髪という髪に結びつけてありました。もちろんそれらの正体は、みな虫でありました。指には猫目石のような甲虫が並び、薄黒い衣の裾には、碧や茜や銀の眼をした蜻蛉が、縫いつけられたように並んでいました。そして額には、拳ほどもありそうな、大きな深紅の兜虫が、鎌のように角をそらして、とまっていました。時おり光りながら、ふらふらと頭の周りを飛ぶものは、蛍でしょうか。
 虫椎の神は、小さな神さまのそばにどんと座られますと、小さなヒョウタンと杯を無造作に差し出されました。ヒョウタンからは、イチイの実と濃い酒の匂いがつんと漂いました。あまりよい作法とは言えませんが、虫椎の神は神なりに、訪問者にもてなしをなさろうとされているらしく、小さな神さまはとまどいつつも、杯を受け取られました。
「旅をしているというが、どこにゆかれる?」
 虫椎の神さまは、酒をちびちび飲みながら、尋ねられました。小さな神さまは、にんかなの峰ににんげんをいただきにいくと、答えられました。すると虫椎の神は、蟻の黒群のような濃いお眉の間から、大きな白目をぎろりとむいて、小さな神さまをにらみました。一拍の沈黙が、和やかに始まろうとしていた宴の空気を、寸断してしまいました。

  (つづく)






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