なんか、仕事仲間からも嫁さんからも、その鬼畜の所業故に話題に出てきて、俺も改めて記事を読み返したりなんかして、かなりヘコんだ。
あえて記事は紹介しないが、19歳の母親による、子供の虐待死の話である。
最近、この手の虐待の記事が多いような気がしてならない。
ところで。ころっと話は変わるようなんだけど。自殺報道によるガイドラインをご存知だろうか。
Wikiまであって、「根拠」の中に、なかなか衝撃的なデータが記述されている。
【Wiki】自殺を予防する自殺事例報道のあり方
http://ja.wikipedia.org/wiki/自殺を予防する自殺事例報道のあり方
俺は、普段からよくバンドワゴン効果の話をするが。
自殺報道を続けたら、実際に自殺する人が増えたってのも、一種のバンドワゴン効果みたいなものではないかと思うのである。
バンドワゴン効果ってのは、一種のマーケティング用語で、ある商品の売れ行きから、選挙報道による当選確率の向上等、わりと汎用的に使う事ができる概念である事は、よく知られていると思う。
あまり褒められた話ではないと思うが、自殺報道もバンドワゴン効果に近い現象ではないかと思うのだ。
報道すると、群集心理が働いて、報道された内容をマネする人が増えると考えた時、それは昨今何度も報道されている、児童虐待もそうなのではないかと思うのだ。
俺は、小学3年生の長男と、保育園の年長さんの次男、2児の父だから。
あの手の報道内容が、正直見てられないし、読んでられない。我が子でリアルに想像してしまい、胸が塞がる。
虐待の中でも最悪の部類であろう。しかも、それでもなお、子供がギリギリ生きていたならば、親を憎んでいないのである。哀れに助けを乞うたり、衰弱死した弟の死体を前に、「お母さん遅いよ」と悲しげに責めたりする程度なのだ。
はっきり言って、人間の所業とは思えない。そんな虐待をする親はできるだけ苦しめて殺すべきであろう。たかが殺人罪で、何年か何十年か後に釈放されるなんて信じられない。モンゴルの処刑方法である餓死の刑にしてやればいいと思う。マジで。
▲1922年、世界中から非難を浴びた、モンゴルの死刑、「餓死」
言い方は悪いが、ニュースバリューとしては最高の部類に入るだろう。
必ず話題になるし、また広範囲の人が知っている。
で、報道は、こーゆーの「ウケがいいから」と思って報道してないって言えるか?でもって、子供が発したとされる可哀想な台詞を、「ウケがいいから」って理由であえて記事にしてないか?
そんな報道をする事によって、さらに虐待する親って増えてないのかね。
虐待報道は、自殺報道と違ってその連鎖反応が証明されたわけではないし、内閣府謹製の自殺報道ガイドラインのようなものがあるわけでもない。
虐待だって殺人なわけだし、犯罪報道の抑制がいいとも限らないのはわかっている。啓蒙の意味も込め、報道した方がいい事もある。
実際、児童虐待報道が増えているのは、隠れていた児童虐待が通報されるようになったから…という、報道の正の部分もあるかもしれない。
しかし、それならその報道に、やれ「冷蔵庫の中には練りワサビのチューブすら空になっていた」とか、「胃の中にはアルミホイルと玉ねぎの皮しかなかった」とか、そーゆー涙を誘う悲惨な情報が必要なのかと思う。
正直、記者は自分の記事に酔ってて、ウケを狙ってできるだけ子供の悲惨さを強調しようとしているように思うのだ。
それで、もしかしたら虐待が増えているのがこいつらのせいかもしれん…とか考えると、犯人に対する憤りの10分の1ぐらいの憤りを、マスコミにも感じる。(虐待犯にはサンゴ密漁の中国人の100倍ぐらいの憤りを感じるので、子供の悲惨さを強調して報道するマスコミは、中国人密漁者の10倍ぐらいは憎たらしい)
日本人は自主規制が得意ではないのか。
出版社とか、お国に規制される前の、先回りしての自主規制って凄まじいよ。表現の自由が侵害されかねない程だよ。
なのになぜ、報道はそれができないのかね。
別に、報道の自由を束縛しようというわけではないのだ。俺は、なんらかの虐待報道のガイドラインが必要なのではないかと言っているのだ。
まあ、我が国のマスコミに人間的メンタルを求めるのは、少々無理があるのかもしれないけどな。
少なくとも、今の報道のあり方は、俺はおかしいと思っている。
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消えたい: 虐待された人の生き方から知る心の幸せ (単行本)
あえて記事は紹介しないが、19歳の母親による、子供の虐待死の話である。
最近、この手の虐待の記事が多いような気がしてならない。
ところで。ころっと話は変わるようなんだけど。自殺報道によるガイドラインをご存知だろうか。
Wikiまであって、「根拠」の中に、なかなか衝撃的なデータが記述されている。
【Wiki】自殺を予防する自殺事例報道のあり方
http://ja.wikipedia.org/wiki/自殺を予防する自殺事例報道のあり方
【根拠】1984年から1987年にかけて、オーストリアのウィーンでは、ジャーナリストが報道方法を変えたことで、地下鉄での自殺や類似の自殺が80%以上減少した。(略)
俺は、普段からよくバンドワゴン効果の話をするが。
自殺報道を続けたら、実際に自殺する人が増えたってのも、一種のバンドワゴン効果みたいなものではないかと思うのである。
バンドワゴン効果ってのは、一種のマーケティング用語で、ある商品の売れ行きから、選挙報道による当選確率の向上等、わりと汎用的に使う事ができる概念である事は、よく知られていると思う。
あまり褒められた話ではないと思うが、自殺報道もバンドワゴン効果に近い現象ではないかと思うのだ。
報道すると、群集心理が働いて、報道された内容をマネする人が増えると考えた時、それは昨今何度も報道されている、児童虐待もそうなのではないかと思うのだ。
俺は、小学3年生の長男と、保育園の年長さんの次男、2児の父だから。
あの手の報道内容が、正直見てられないし、読んでられない。我が子でリアルに想像してしまい、胸が塞がる。
虐待の中でも最悪の部類であろう。しかも、それでもなお、子供がギリギリ生きていたならば、親を憎んでいないのである。哀れに助けを乞うたり、衰弱死した弟の死体を前に、「お母さん遅いよ」と悲しげに責めたりする程度なのだ。
はっきり言って、人間の所業とは思えない。そんな虐待をする親はできるだけ苦しめて殺すべきであろう。たかが殺人罪で、何年か何十年か後に釈放されるなんて信じられない。モンゴルの処刑方法である餓死の刑にしてやればいいと思う。マジで。
▲1922年、世界中から非難を浴びた、モンゴルの死刑、「餓死」
言い方は悪いが、ニュースバリューとしては最高の部類に入るだろう。
必ず話題になるし、また広範囲の人が知っている。
で、報道は、こーゆーの「ウケがいいから」と思って報道してないって言えるか?でもって、子供が発したとされる可哀想な台詞を、「ウケがいいから」って理由であえて記事にしてないか?
そんな報道をする事によって、さらに虐待する親って増えてないのかね。
虐待報道は、自殺報道と違ってその連鎖反応が証明されたわけではないし、内閣府謹製の自殺報道ガイドラインのようなものがあるわけでもない。
虐待だって殺人なわけだし、犯罪報道の抑制がいいとも限らないのはわかっている。啓蒙の意味も込め、報道した方がいい事もある。
実際、児童虐待報道が増えているのは、隠れていた児童虐待が通報されるようになったから…という、報道の正の部分もあるかもしれない。
しかし、それならその報道に、やれ「冷蔵庫の中には練りワサビのチューブすら空になっていた」とか、「胃の中にはアルミホイルと玉ねぎの皮しかなかった」とか、そーゆー涙を誘う悲惨な情報が必要なのかと思う。
正直、記者は自分の記事に酔ってて、ウケを狙ってできるだけ子供の悲惨さを強調しようとしているように思うのだ。
それで、もしかしたら虐待が増えているのがこいつらのせいかもしれん…とか考えると、犯人に対する憤りの10分の1ぐらいの憤りを、マスコミにも感じる。(虐待犯にはサンゴ密漁の中国人の100倍ぐらいの憤りを感じるので、子供の悲惨さを強調して報道するマスコミは、中国人密漁者の10倍ぐらいは憎たらしい)
日本人は自主規制が得意ではないのか。
出版社とか、お国に規制される前の、先回りしての自主規制って凄まじいよ。表現の自由が侵害されかねない程だよ。
なのになぜ、報道はそれができないのかね。
別に、報道の自由を束縛しようというわけではないのだ。俺は、なんらかの虐待報道のガイドラインが必要なのではないかと言っているのだ。
まあ、我が国のマスコミに人間的メンタルを求めるのは、少々無理があるのかもしれないけどな。
少なくとも、今の報道のあり方は、俺はおかしいと思っている。
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