ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

ポイントは目 2001.11.1

2001-11-01 08:33:55 | 嫩葉
ポイントは目
わたしは子どもの目を見るのが好きだ。明るい目、輝く目、優しい目、お茶目な目、悲しい目、眠そうな目、疲れた目、やる気を失っている目、何か訴えている目、子どもたちの目は一人ひとり違うし、瞬間瞬間変化する。従って、好き嫌いの問題ではなく、園長としての日課のように思っている。
子どもたちの言葉は必ずしも正直ではない。子どもたちは自分の身を守るために、時には嘘をつく。この嘘は決して罪ではない。いわば正当防衛である。自分と自分が信頼し、自分を愛してくれている人を悲しませないための嘘である。しかし、目は誤魔化せない。だから子どもが、「あぁ言っていた」とか「こう言っていた」と子どもの言葉で振りまわされる大人は信用できない。だから、子どもの成長に関わるすべての大人には、子どもの目が何を訴えているのかをしっかりと見て欲しい。
年少組にとっても目のきれいな男の子がいる。わたしは、朝、その子の目を見るとすがすがしい気分になる。その子は言葉が少ない。しかし、言葉以上の言葉で、周囲を明るくする。その子の目は決して微笑んでいる目ではない。しかし、周囲に微笑を撒き散らす目である。不思議なことに、それはわたしだけが感じていることではなく、また教師たちだけではなく、周囲にいるすべての園児たちも、そう感じているらしい。その子を見ると、誰でも微笑む。
園庭で、わたしを見かけると必ず飛んできて、微笑む女の子もいる。そして、はにかむように「おはようございます」と挨拶する。こちらも、ただ「おはようございます」と返す。それだけである。それだけで十分である。
気になる目もある。この子の目を見ながら、わたしは「けなげさ」という意味について考えさせられている。その子の目は「けなげ」なのだ。一体「けなげ」とは何だろう。非常に複雑な心理である。広辞苑を見ると、「けなげ」とは「健気」と書き、「①勇ましいさま、勇健、②しっかりして強いさま、健やかなさま」と説明されている。どうもぴったりしない。もう少し先を読むと第4の意味として「子どもなど弱い者が懸命に努めるさま」という説明があった。だいぶわたしの理解に近づいてきた。しかし、まだ足らない。けなげさは何も働かなくてもいい。ただ、じっと我慢しているだけでもけなげである。けなげさには周囲への配慮がある。わたしが我侭を言っては、周りの人たち(わたしを愛してくれている人々)が困るだろうな、という配慮がある。そして何とかこの状況を突破すべく必死に努力をしている。しかし、その努力はなかなか報われない。今日も、その子はけなげな目をしていた。
(園長・牧師 文屋善明)

最新の画像もっと見る