ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

美しいことば 2001.3.1

2001-03-01 20:46:56 | 嫩葉
美しいことば
先日、富山聖マリア保育園の創立50周年を記念する講演会で、児童文学者齊藤惇夫氏のお話をうかがった。齊藤氏は長く福音館で子どもの本の編集に携わった方で、非常に感銘深い内容のお話しであった。特に、わたしの心に残った言葉は「子どもが読むのだから」というエピソードである。カナダのある図書館で、「ナルニア国ものがたり」(全7巻)を読書ルームの棚に置くべきかどうかということで、7年間もかかって議論をしたとのこと。「ナルニア国ものがたり」といえば、世界の多くの言葉に翻訳され、児童文学書としては知らない人がほとんどいないほど有名な本である。これほどの本でも、それを開架の本棚に置くだけに、なぜこれほどの議論が必要であったのか、ということを尋ねると「子どもが読むのだから」という返事であったとのこと。そして、その議論の経過を記した膨大な記録を見せられたとき、成る程と感心したとのこと。検討の中で最も細心の注意が払われた点は、「言葉」である。「その言葉は美しいか。」「その言葉の意味は子どもたちにとって明瞭か。」「その言葉を子どもたちが真似をしてもいいか。」いろいろな立場の人がこの点について意見を言い、検討し、最終的に「OK」が出された。
子どもの前で、子どもに向かって話す言葉、読み聞かせる言葉、イントネーション、感情、それらはすべて子どものものになってしまう。そのことにわたしたちはどれほど神経を使っているだろうか。一冊の絵本を作るのに、作家と画家と編集者たちは7年ほど時間をかけるとのこと。子どもに安心して与えることのできる絵本は親、子、孫の三代続かないと評価ができない、とも言われる。これほどまで細心の注意を払われた絵本も、それを保育の現場で読む大人が、読み違えたり、飛ばしたり、途中で中断したり、不要な言葉を挿入したりして、台無しにしていないだろうか。物語の中で何かの説明を必要とする場合、それを挿入する場所、説明の言葉、長さなどについてどれほど検討をしているだろうか。子どもに読み聞かせる前に、十分に読み理解しているだろうか。
子どもに話しをする場合に、何よりも先ず、自分自身の言葉は、「明瞭か」、「アクセントは正しいか」、「子どもに通じるか」、それよりも何よりも「美しいか」、「子どもに真似をされても大丈夫か」等を謙虚に吟味する必要がある。相手が子どもなのだから。3才から7才までに獲得された言葉がその人の言葉になる。(園長・牧師 文屋善明)

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