ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

ひみつ 1979.10.1

1997-10-01 14:02:32 | 嫩葉
ひみつ
大人は、なんでも話してくれて、秘密がない子どもを「よい子」といい、安心している。特に、親にとって子どもが秘密を持つということは心配の種であり、そういうことがなくいつまでも「明るい子ども」であってほしいと願っている。 しかし時には、他人に知られたくない子ども自身にとって恥ずかしいことと思っている秘密を持つこともある。その種の秘密は他の子どもたちに対する心理的距離を生じることもある。そういう場合には、親が子どもと共に秘密を共有することによって心の荷は軽くなる。 むしろ、ここでわたしが問題にしたい秘密とは、もっとも親しいはずの親に対する子どもの秘密である。何時しか必ず子どもは親に対して秘密を抱くようになる。親だからこそ秘密にしたいことがある。秘密の内容はいろいろあるだろう。大人から見れば他愛のないようなことかもしれない。その秘密は子どもにとって、その子どもだけの世界である。そこには親にも踏み込んでもらいたくない世界である。そういう世界が生じたということ、そしてその世界を維持しつづけることができるようになったということ、それこそがその子どもの自立である。だから、子どもが親に対して秘密を持つことができるようになったら、親はその子の秘密を暴きたてたり、いろいろと探ったりしないで、そっと見守り、その子の成長を喜べばいい。 深層心理学者である河合隼雄さんの「子どもと悪」(「今ここに生きる子どもシリーズ」岩波書店)という著書を題名に引かれて読んだ。なかなか面白い本である。その中で次のように語る。「秘密は、それを持つことによって他人との間に『距離』を保つことができる。一心同体ではない。これは言いかえると、秘密を持つと、他人との間に『へだたり』が出来て、孤独に陥る、ということにもなる。秘密はまったく両刃の剣である。」(147頁) 子どもは親との一心同体的な関係に支えられて安心して成長する。しかし、何時までもその中に留まっているわけにはいかない。何時かは自立する。やがてこの「親の知らない世界」は拡大し、「かわいさ」を脱し「なまいき」になる。これまた楽しみである。 (牧師・園長 文屋善明)

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