ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

ポプラ 1979.11.1

1997-11-01 14:04:02 | 嫩葉
ポプラ
9年前、西大和に住みついた頃、最初に書いた文章に、こんなことが書いてある。「幼稚園の園庭に幹の円周が5尺、高さは4、5階建てのビルを越えそうな大きなポプラの木がある。この大木が今にも倒れそうに揺らぐ。見ていると恐ろしくなる。風に吹かれて鳴る葉の音は、ここに来て初めの頃は本当に台風かと思って夜中に何回も目を覚ました。」(「大和伝道区だより」1998.5.20)このポプラの木には存在感がある。まさに西大和双葉幼稚園のシンボルのように堂々と立っている。わたしが赴任した頃、てっぺん近くの枝が高い電線に触れ、非常に危険なのでその秋には、4分の1ほど切り詰めた。それがわたしの最初の大仕事であった。しかし、次の年の夏には元通りの高さまで枝は伸びた。また、数年たって、今度は半分ほど切り詰めた。しかし、今でも電線を遥かに越える高さにまで伸びている。しかし、道路側の方の枝を根本から切ったので電線には触れないようである。 しかし、今度は門と塀と道路である。見事に盛り上がり、門は危険なほど傾斜している。最近、幹を測ると6尺半。実に、9年間に一尺半(約50センチ)も太くなった。ポプラの成長力は驚異的である。 このポプラの木は夏の暑い頃、園庭の4分の1ほどをおおって、涼しい木陰を作る。園児たちの遊び場はこの木陰の動きにつれて移動する。だから、何とか背丈は低く、しかし横に広く育てたいと願って、枝を切るが、そのような人間の勝手な思いを打ち破るように、ポプラの木は上へ上へと伸びる。そして、根は太く広く拡がる。時には園庭の地中をくぐり抜けて保育室の近くに新芽が吹き出て驚かされる。 ポプラの木は明治以後にヨーロッパから輸入された、いわば舶来もので、成長が早く、挿し木が簡単で、しかも土質を選ばないため、明治以後の建造物に付属して日本の各地に多く植えられた。北海道大学や立教学院のポプラ並木は有名で、わが母校の校歌にも「ポプラは羽ばたく、いざ われら」(北原白秋作詞)と歌われている。ポプラにはアカデミックな香りがただよう。西大和に来てこのポプラの木を見たとき、何か懐かしさを感じたのはそのためだろうか。 残念ながら、10月20日、運動会の翌日に、根本から切らざるを得なくなった。ポプラが無くなった園庭は寂しい。しかし、逞しい園児たちは残された大きな切り株を友だちにして、楽しい時を過ごしてくれることだろう。(園長・牧師 文屋善明)

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