ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

聖書劇 1979.12.1

1997-12-01 14:05:09 | 嫩葉
聖書劇
聖書の物語を一つの劇に仕立てるという習慣は10世紀にさかのぼる。最も古い聖書劇は、「クエム・クリエティス」と呼ばれる典礼劇である。クエム・クリエティスというラテン語の意味は、「誰を捜しているの」という疑問文で、これは主イエスが復活された朝、マリア等3人の女性たちが墓を訪れたとき、天使が語りかけた言葉で、この場面を劇化したほんの数行の復活劇が聖書劇の始まりとされる。およそ1世紀間かけて、このクエム・クリエティスはいろいろなエピソードを挿入しながらより複雑な復活劇へと発展したのである。 11世紀の終わり頃、やっと降誕劇がこの復活劇を下敷きにして生まれた。降誕劇でも復活劇の中核であった「誰を捜しているの」というモチーフが中心となった。初期の降誕劇では羊飼いたちが馬小屋の入り口で「あなた方は誰を捜しているのですか」と尋ねられ、「救い主キリスト、うぶ着にくるまったみどり児です」と答え、聖母マリアに抱かれたイエスに対面し、「行って、救い主がお生まれになったことを宣べ伝えなさい」と命じられた羊飼いたちは「ハレルヤ、ハレルヤ、キリストが地上にお生まれになった」と賛美しながら立ち去る、という非常に短いものであったようである。 一旦、降誕物語が劇化されると、堰を切ったように次々と聖書から、あるいは地方的な伝説から取られたエピソードが加えられ複雑化し、大きな劇になり、ヨーロッパ全体に拡がっていったようである。 当初からこれらの聖書劇は礼拝の一部に組み込まれ、聖堂内部の空間をフルに活用して上演されたらしく、3人の博士の場面では「天使たちは上部より登場すること」と卜書きがあり、、小道具としての「輝く星」は祭壇の近くから昇ることになっており、博士たちを馬小屋に導くにあたり、針金状のものか何かで引っ張り上げられたものと察せられる。馬小屋は聖堂の入り口近くに、ヘロデの王座は正面付近に、それぞれ設置されて、貧しい飼い葉おけに人類を救うべくして生まれたみどり児と、世俗の贅沢をこらした暴君との対比が空間的に表現されていた。(以上は奥田宏子「中世英国の聖書劇」研究社より) こういう聖書劇の歴史的背景を土台として、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」が作られた。もっとも、ヘンデルの場合は初めから劇場で演奏されることを予想しているが、オラトリオという言葉自体は「祈る場所」という意味である。 降誕劇が神に捧げる民衆の宗教劇であるか、あるいは民衆のために上演されるショーであるか、大きな問題であったと思われる。(牧師・園長 文屋善明)

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