S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
S2000のメンテナンスノート。

2009年 ぶらり旅「甲州 / ほうとうを食す 編」

2009年09月20日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月20日(日)
恵林寺を見学し終えて、美味しい「ほうとう」を求めて甲府市へ移動しました。
向かったのは山梨県で有名なお店の「小作」。
駐車場に何とか入れる事ができました。
常に混んでいて人気のお店らしいです。


同行人は、小作名物のかぼちゃほうとう(下写真)をボクは鴨肉ほうとうを注文。


「’ほうとう’という形は武田信玄が
野戦食として用い甲州独特のものであり甲州人の誇りの郷土料理である。」
(小作のパンフレットより)
以前食べたモノよりも、麺が平べったくてコシがあって
食べごたえもあって美味しかったです。
やっぱり本場で食べると美味しいね!
ごちそうさまでした。

甲州ほうとう 小作 県立美術館前店
山梨県甲府市貢川1丁目3-15
TEL.055-226-3344
(ホームページ)http://www.kosaku.co.jp/

2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「甲州 / 恵林寺 編」

2009年09月20日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月20日(日)
ワインの街、勝沼町を後にして向かったのは
「乾徳山 恵林寺(けんとくさん えりんじ)」です。
恵林寺は1330年、夢窓国師(むそうこくし)によって開かれ、
戦国武将・武田信玄が菩提寺として定めたお寺。

黒門。
ここが正面入り口。
両脇に大きな杉の木が並ぶ参道を歩いて行きます。


四脚門。
「黒門を入り参道を上がると四脚門(赤門)が現れる。
この赤門は織田信長により全山焼かれた後、
徳川家康によって再建された当時のもので、
1606年の棟札が掲げられ国の重要文化財に指定されている。」とのこと。
(恵林寺のパンフレットより)


三門。
「 「 安 禅 不 必 須 山 水 滅 却 心 頭 火 自 涼
(あんぜんかならずしも
さんすいをもちいらず
しんとうめっきゃくすれば
ひもおのずからすずし)」という
快川和尚(かいせんおしょう)の遺偈(いげ)が掛けられている門が、
山梨県の文化財に指定されている三門である。
武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、
潜伏保護されていた者達を引き渡すよう快川和尚に命じたが拒否され、
怒った信長が三門に快川和尚をはじめ約百人の僧侶らを封じ込めて火を放った。
天正十年(1582年)快川和尚、壮絶な火定(かじょう)を遂げた際の一句である。」とのこと。
(恵林寺のパンフレットより)

快川和尚の遺偈。



恵林寺の本堂に入ると、最初に飛び込んで来たのは・・・
「風林火山」と書かれた大きな屏風。


武田不動尊。
「本堂に入り、うぐいす廊下を抜けると、
明王殿に武田不動尊が安置されている。
比叡山より大僧正(だいそうじょう)の位を受けた際、
記念像として京都より仏師の斉藤康清(こうせい)を招き、
対面で模刻(もこく)させたという等身大の不動明王である。
信玄生前の制作であることから、信玄生不動とも呼ばれる。
信玄31歳であった。」とのこと。
(恵林寺のパンフレットより)
「制作の際に信玄が剃髪をし、その髪が中に埋め込まれているとの記録もある」と
説明書きのお札にも書いてありました。
恐らく出陣前にはこの像の前で瞑想していたのでしょう。
そう考えながら像を見つめると
何とも言葉には言い表せない気持ちになりました。
武田信玄は不動明王を、
上杉謙信は毘沙門天を、
山本勘助は摩利支天を、
それぞれがどんな思いで信仰し祈りを捧げたのでしょうか。


信玄公墓所。
「明王殿の裏に信玄公の墓がある。1521年生まれ。
16歳の時、晴信と名乗り39歳で出家し信玄(僧名)と号す。
1573年5月12日、53歳にて病死、
後に快川和尚の導師により恵林寺で葬儀が行われており、
現在でも恵林寺では4月12日に信玄忌として毎年供養が行われている。
信玄公の墓の後ろには武田家臣の供養塔が七十基並んでいる。」とのこと。
(恵林寺のパンフレットより)




恵林寺庭園。
「本堂の裏側には夢窓国師築庭の
池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園が広がっている。
上段に枯山水(かれさんすい)、
下段には心字池(しんじいけ)を配した雄大な規模を誇る名園であり、
昭和17年に国指定の名勝となる。
国師はこの恵林寺庭園作庭の後に、西芳寺(さいほうじ)、
天龍寺の庭も手掛けることになる。
寂寞(せきばく)な中にも流れを許すその姿は、
この現代においても、安らかなる禅の風光(ふうこう)を
そのままとして現れている。」とのこと。
(恵林寺のパンフレットより)



本堂を見学した後に隣接する「信玄公宝物館」も見て来ました。
(当然の事ながら館内は撮影禁止)
中に入ると「孫子の旗(風林火山の旗)」が展示されていました。
想像していた大きさよりも大きくて、
遥か昔にこの旗が戦場に掲げられている姿を想像すると鳥肌が立ちました。
常勝無敵・甲州軍団と恐れられた武将達は
熱い誇りを胸にし、どんな眼差しでこの旗と進軍したのか・・・。

信玄公の側近で武田家を支えた「武田24将」の肖像画も展示されています。
説明書きを読みながら猛将達の肖像画を見つめると胸が熱くなりました。
こんなに凄い武将達を束ねて最強軍団を作り上げた信玄公の組織作りの手腕には、
深い感銘を覚えるとともに現代社会の我々に取り入れられないものかと考えていました。

敷地を出て探索していると「山本勘助不動尊」の看板を発見!
その不動尊本体は保管も兼ねて「信玄公宝物館」に展示されていました。
「お社が存在するのならば、ぜひこの眼で見てみたい!」と思い、歩き出しました。
看板の案内を辿って到着。
武田軍の最強軍師。
日本で最も有名な軍師と言っても過言ではない山本勘助。
そのゆかりのある地に訪れることが出来て、感無量で胸がいっぱいでしたが・・・。

建物は「現代風に」見事に建て直されていました(汗)。
ちょっと想像と離れていたので、少し寂しい気持ちを抑えつつ
一応、記念撮影をして恵林寺周辺の見学を終えました。


乾徳山 恵林寺
信玄公宝物館

2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「甲州 / シャトー勝沼 編」

2009年09月20日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月20日(日)
予定もキチンと立てずに気の向くまま信州へ出掛けて来ました。
まさにタイトルの通りの「ぶらり旅」でした(笑)。

まずは山梨県甲州市の勝沼町へ。
ぶどう畑が至る所に広がり、沢山のワイン工場が立っています。
その中の一つ「シャトー勝沼」にお邪魔しました。
個人の見学でしたら予約は要らないので自分のペースで自由に見学できます。
フランス料理店も隣接されているので、楽しみにして宇都宮を早朝に出ましたが
中央道の大渋滞にハマってしまいランチタイムに間に合いませんでした。残念。
お楽しみは次回に取っておきましょう!


ワイン工場の内部です。大きいタンクが並んでいました。


保管庫です。

樽熟中

瓶熟中


売店でお土産を購入しました。
S2000で行ったので試飲や飲み比べが出来なくて残念でしたが、ワインの製造工程が間近で見れて面白かったです。

シャトー勝沼
山梨県甲州市勝沼町菱沼4729
TEL.0553-44-0073

2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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