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S2000奮闘記

スポーツカー偏愛録。
S2000のメンテナンスノート。

S2000 走行距離111,111km到達

2009年09月22日 | S2000 / Mileage
2009年 9月22日(火)
長野県からの帰り道、上信越道(群馬県内)の渋滞中に111,000km到達。


同じく帰り道、東北自動車道を北上し宇都宮市を目指して走っている途中(西方町付近)で
ついに111,111kmに到達しました!


S2000 11万km到達!
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2009年 ぶらり旅「信州 / 川中島古戦場 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月22日(火)
川中島古戦場です。
言わずと知れた「川中島」。
あの「川中島」です。
とうとう「川中島」に足を踏み入れることができました。
今では八幡原史跡公園として神社や資料館が建っていて広い敷地の公園になっています。


八幡社境内。


武田信玄(左)と上杉謙信(右)一騎討像。




三太刀七太刀跡の石碑。


確か・・・
「合戦の悔しさのあまりに武田軍の武将が槍で着いた穴」との説明書きが書いてあった様な・・・(汗)。
向こう側が見えています。
大きな石が貫通しています(驚)。


大きな供養塔が建てられていました。
高坂弾正忠(高坂 昌信)が敵味方を分け隔て無く約6,000人の戦死者を手厚く葬って建てたらしいです。
この行動に感動した謙信公が御礼を兼ねて武田側へ塩を送ったみたいです。
戦国時代に味方の戦死者を葬ることはともかくとして敵兵まで・・・
そんな事をしたら即刻、裏切り者と呼ばわれて自分の命まで危うくなるでしょう。
そんな部下の勝手な振る舞いに目をつぶった信玄公の器の大きさ。
高坂弾正忠の勇気ある仁義な行動きっかけとなって「敵に塩を送る」という言葉が出来たと言っても過言ではないでしょうね。

弾正忠の「人を想う心」
謙信公の「相手を想う心」
信玄公の「部下を想う心」

「礼儀」には「礼儀」を尽くす。
そんな心使いが出来る様な人間で在りたいと心から願いました。

川中島古戦場
2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「信州 / 小布施の街を散歩 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月22日(火)
「北斎館」を見学した後に小布施の街並を散歩しました。

店舗のカベにまで北斎の作品が書かれています。

角度を変えて見ると、違った印象がしますね!


「和紙の中條」
素朴で温かい和紙の工芸品が売られていました。
地場産業の手漉き内山和紙の障子紙を中心に和紙工芸品が並ぶお店です。
長野県上高井郡小布施町854-30
TEL.026-247-5196


「栗の木テラス」
栗菓子の老舗だそうです。
桜井甘精堂が経営する自家製ケーキが揃う紅茶専門店。
モンブランが名物。
お店はかなり混んでいました。
お茶をするのも、お土産を買うのも長蛇の列。
そしてそのほとんどが(全部がって言っていい位)女性客です。
女性のケーキに対する情熱は凄いですね(汗)。
ちなみに男性客(お父さん達)は、店の外に置いてあるベンチで放心状態(笑)。
皆様お疲れのご様子でした。
ボクもその中に居ました(笑)。
長野県上高井郡小布施中町784
TEL.026-247-5848


2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「信州 / 長野県小布施町 葛飾北斎肉筆画美術館 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月22日(火)
長野県小布施町にある「葛飾北斎肉筆画美術館(北斎館)」へ行ってきました。
晩年の北斎が4年間を過ごした信州小布施にある博物館です。


詳しい説明は小布施町のホームページより抜粋しました。
以下。
「日本唯一の北斎の肉筆画を展示 。
当地小布施は、みずから「画狂人」と号した天才絵師葛飾北斎(1760年~1849年)が、
その晩年に長く逗留し、画業の集大成をはかった特別な場所です。
なぜ北斎の集大成ともいうべき作品が、小布施にあるのか。
その謎は、江戸天保の時代まで遡ります。
小布施出身の高井鴻山という商人が、江戸に遊学していた時のこと、
当時、浮世絵師として人気を集めていた葛飾北斎と知り合うのです。
その数年後、旅のついでとでもいった様子で、
北斎がふらりと小布施の鴻山を訪ねてきました。
実に北斎83歳の秋のこと。
以後、北斎は都合4回小布施を訪れ、鴻山の援助を受けながら、
肉筆画に全力を注いでいくのです。
北斎館は昭和51年(1976年)11月に開館し、
北斎が小布施滞在中に描いた掛け軸や額装、
屏風などの肉筆画40余点のほか、別館には2台の祭屋台を常設展示して、
北斎の画業を広くご観覧いただけることになりました。

春朗(しゅんろう)
宗理(そうり)
北斎(ほくさい)
載斗(たいと
為一(いいつ)
卍(まんじ)
と、画号をかえ、ひとつところに滞在することなく、
次々と新しい画域を切り拓き、
嘉永2年(1849年)4月18日、北斎は90歳をもって没しました。

みずから肩書して画狂人、不染居・・・等々。
森羅万象尽くして描かざるはなきかの北斎画業を、とくとご覧ください。 」


天才の息吹が感じられる位の迫力があり、
そして繊細すぎる位にまで繊細な作品がたくさん展示されていました。
風情のある日本画を見れて、心が洗われた気がします。
楽しかったです。


2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「信州 / すき亭 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月22日(火)
お昼を食べに、善光寺を後にして「すき亭 本店」へ向かいました。
このお店は「りんごで育てた信州牛」のすき焼きが評判です。


信州牛のすき焼きです。
美味しかったです。絶品!
ごちそうさまでした。


敷地内には、かつて渋温泉大湯だった見事な木造建築が移築されていました。


すき亭 本店
〒380-0872
長野県長野市字妻科112-1
TEL.026-234-1123
毎週月曜日定休
ホームページ http://www.sukitei.com/

2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「信州 / 長野県信濃美術館・東山魁夷館 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月22日(火)

東山魁夷(ひがしやまかいい) (1908―99)
日本画家。
明治41年7月8日横浜に生まれる。
(本名)新吉。
1931年(昭和6)東京美術学校(東京芸大の前身)を卒業して研究科に進み、
33年から35年までドイツに留学。
47年(昭和22)の第3回日展で『残照』が特選。
50年から審査員となり、第11回日展出品作『光昏(こうこん)』で
56年に日本芸術院賞を受ける。
65年には日本芸術院会員、日展理事となり、
69年に文化勲章を受章。
74年に日展理事長となった。
この間、60年に東宮御所壁画『日月四季図』、
68年には皇居新宮殿壁画『朝明けの潮(うしお)』を完成させ、
翌年毎日芸術大賞を受ける。
また73年から唐招提寺御影(とうしょうだいじみえい)堂障壁画の制作に携わり、
81年にこれを完成させた。
87年に所蔵していた自作を長野県に寄贈。
90年(平成2)には、同県にそれらを所蔵した長野県信濃美術館・東山魁夷館が開館した。
文章をよくし、『わが遍歴の山河』『風景との対話』など著書多数がある。
平成11年5月6日死去。
[執筆者:二階堂充]- Yahoo!百科事典より抜粋


善光寺のすぐ隣にある「長野県信濃美術館・東山魁夷館」へ行ってきました。


そこには美しい青の世界が待っていました。
透き通った青色と引き込まれそうな深い緑色がとても印象に残りました。
青色は冷たいイメージや涼しいイメージが一般的ですが、
東山魁夷 氏の青色は見ていると、なぜか暖かくて、どこか懐かしさを感じさせてくれる優しい青色でした。

「自然は心の鏡」

信濃路の自然を愛した風景画家の言葉が感動の余韻をさらに響かせます。

若かりし頃に信州で触れた心の温かさを、ずっと忘れずにいた東山氏の心の優しさが
自然と作品に移入されているからこそ、作品を見た人に優しい青色が伝わるのでしょうネ。

素晴らしい作品に出会えると心が豊かになれます。

東山氏から「優しさ」を頂けた気がしました。

今日は、昨日よりも優しくなれるかな?







2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「信州 / 善光寺 南側参道 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月22日(火)
善光寺の南側参道には両側に沢山のお店が並んでいます。
沢山の観光客が溢れて全部のお店を見て回れなかったけど、美味しいお土産を買うことができました。



「長野風月堂」(注/風は虫でなく百)
明治19年、門前通に開業した老舗菓子店。
銘菓として知られるのが、信州の杏を羊かんに練り込み、求肥で巻き込んだ「玉だれ杏」。
すべて手作りでこの店でしか味わうことが出来ない。
故 池波正太郎 氏も愛した和菓子。
長野県長野市大門町510番地
TEL.026-232-2068


おやきの「いづみや」
優しいオバチャン達が店頭で焼きたてを包んでくれる。
人の温かさが隠し味!



「たきや」の 信州銘菓きなこもちも絶品!
きなこの香りとほのかな甘みが漂って美味しい!
この銘菓もこのお店でしか売っていない。


「根元 八幡屋磯五郎(こんげん やわたやいそごろう)」で名物の七味唐辛子を購入。
江戸中期、初代勘右衛門が善光寺境内で七味とうがらしを売り出した事に始まり、
現在では、善光寺参りの代表的なお土産にまで成長したとのこと。
長野市大門町83番地
TEL.026-232-3966


その他、とうふソフトクリームにチャレンジしてみました!
後味が豆腐でした。


参道から脇道を抜けると・・・
お釈迦様も休憩中(笑)。


2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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2009年 ぶらり旅「信州 / 善光寺 編」

2009年09月22日 | 周遊紀行 / 甲信越地方
2009年 9月22日(火)
「遠くとも一度は詣れ善光寺」
「牛に引かれて善光寺参り」



善光寺です。
今年、2009年(平成21年)は御開帳でした。
4/5~5/31の間には6年前の四善光寺に加え、
岐阜市の岐阜善光寺、関市の関善光寺を加えた史上初の六善光寺同時開帳となり、
過去最高の673万人が訪れたそうです。
正式名は、善光寺前立本尊御開帳。
7年に1度(開帳の年を1年目と数えるため、実際には6年に1度の丑年と未年)、
秘仏の本尊の代りである「前立本尊」が開帳されます。
狙うは7年後(6年後)です!!

朝8時には宿を出て、8時20分頃に到着しました。
近くの有料駐車場にもすぐに停められました。
善光寺を訪れるには朝早くに出掛けた方がスムーズに事が進みますね。
それでも広くて見学する場所はたくさん有ります。
次回は一日かけてゆっくりと時を過ごすのも良いかもしれません。
今回はキンモクセイの香りが漂う中、見て回り楽しみました。

善光寺を見学中に、善光寺の職員の方に教えて頂いたのですが、
「善光寺」は約1,400年前に善光(よしみつ)サンという一般の普通の方が建てたお寺だから
「善光寺」と言うそうです。


こんな可愛い仏様も参道にいらっしゃいます。


大本願。
浄土宗一山の本坊です。
内部には本誓殿(本堂)・光明閣・明照殿・奥書院・宝物館などがあります。
尼公上人のおすまいにふさわしい静けさと気品にあふれています。
昭和24年には貞明皇后さまがお泊まりになられました。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)


大勧進。
天台宗一山の本坊です。
内部には万善堂(本堂)・無量寿殿・不動堂・聖天堂・紫雲閣・宝物館などがあります。
室町時代の様式を伝える庭園の中には行在所があり、明治・大正・今上天皇がお泊まりになられました。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)


仁王門。
大正7年(1918)再建。
大門町から境内にはいって最初の門です。
高さは13.6メートルあり、昭和52年銅板ぶき屋根に修復されました。
定額山の額は伏見貞愛(さだなる)親王のお筆になります。
仁王像は高村光雲・米原雲海の作で、千仏守護の仏といわれております。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)

仁王像。
 

山門。
二層の入母屋(いりもや)造りです。
屋根は檜皮(ひわだーひのきの皮)ぶきで、高さ20メートル。
善光寺の額は輪王寺宮公遵(こうじゅん)法親王のお筆になるものです。
寛延3年(1750)落慶。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)
拝観料(500円)を支払って門の二階へ入れて頂きました。
大きな部屋になっていて、大きな仏像と四国八十八箇所のお寺の名前と小さな仏像が飾られてありました。

鳩が居ます。
二階部分から間近で見ると感激します!
感激のあまり写真を撮ろうとしてはいけません(笑)。


経蔵。
四つ棟の宝形造りで、内部には一切経(鉄眼版)を納めた輪蔵があり、
伝教・慈覚大師の木像が安置されている。
輪蔵の腕木を押して一回転させると、中の一切経全てを読んだと同じ功徳(くどく)が
得られると言われている。
宝歴9年(1759)落慶。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)

輪廻塔。
経蔵前に設けた一対の石柱で「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。
石柱の中央にはめ込まれた輪廻車を回すと極楽往生できると言われています。
いくら極楽往生できると言われても回し過ぎはいけません(笑)。


本堂。
入母屋(いりおもや)造りで、横棟の内陣と縦長の礼堂が丁字形になっていて、善光寺独特の建築様式です。
江戸中期の仏殿建築の代表的な傑作です。
高さは30メートル。建坪は1,766平方メートルで日本最大を誇っています。
宝永4年(1707)落慶。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)
本堂の中、内々陣の右側を通って奥へ進むと「お戒壇(かいだん)めぐり」の入り口があります。
お戒壇めぐりは、御本尊の安置される瑠璃壇(るりだん)下の真っ暗な回廊を通り、
中程に懸かる「極楽の錠前」を探り当てて、秘仏の御本尊と結縁する道場です。
右手で腰の高さの壁を伝って暗闇を進んで行きます。
暗闇は「死の世界」の疑似体験で、出口から出た時に差し込む光によって「光のありがたさ」を感じられるのです。




忠霊殿。
戊辰の役から太平洋戦争に至る戦役将兵をおまつりします。
前面三重の塔様式の礼拝堂と三階建ての霊牌堂からなり、高さ42.5メートル。
関野聖雲作の一光三尊如来像が安置されています。
昭和45年(1970)改築落慶しました。
(善光寺事務局 作成「 善光寺 - 善光寺のすべて - 」より)




「善子(よしこ)さん」と「光子(みつこ)さん」
乳牛親子像。
樹脂で作られた乳牛の親子「善子さん」と「光子さん」の像です。
「牛にひかれて善光寺参り」に登場する雄牛とは異なりますが、
微笑ましい姿で広く親しまれています。
善光寺のホームページより)


善光寺
2009年 ぶらり旅「信州 / 総括 編」
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