大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知ることです。
その地上生活を無知の暗闇の中ではなく、叡知の光の中で、肩をすぼめず背筋をまっすぐに伸ばして、恐れを抱かず堂々たる落ち着きをもって生きるべきです。
あなた方は一時の勝ち負けのために備えているのではありません。
目先の結果、一時の勝利ではなく、永遠なる目的、無窮の闘いに携わっているのです。
成就したものがいかなる結果をもたらすかを安易に推し量ってはいけません。
今日世界各地で、難攻不落と思われた城壁が崩れ落ち、特権階級が揺さぶられ、独占支配は崩壊し、迷信が減り、無知が次第に押し寄せる霊的真理によって追い払われていきつつあります。
あなた方の懸念は無意味であり根拠がありません。
しっかりとした手に守られております。
これまでもずっと、それによって支えられてきました。
もしそうでなかったら、とうの昔に地上を去っていることでしょう。
霊的なものにとって〝恐れる〟ということがなによりも強烈な腐食作用を及ぼします。
恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。
なんとなれば、それが霊力が作用する通路を塞いでしまうからです。
光の中ばかりで暮らしておれば光の有難さは分かりません。
光明が有難く思われるのは暗闇の中で苦しめばこそです。
こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、そちらの世界での苦労を十分に体験しなければなりません。
果たすべき義務を中途で投げ出してこちらへ来た者は、こちらで用意している喜びを味わうことはできません。
少なくとも永続的な幸せは得られません。
人生の目的は至って単純です。
霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。
そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。
この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。
その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。
毛を刈り取られたばかりの羊は冷たい風に当たらないようにしてやるものです。
神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。
つまり人間の行為の一つひとつについて、その賞と罰とが正確に与えられます。
これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。
いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身に付きます。
片方無くして他方は有り得ません。
体験もせずにどうして教訓が得られましょう。
そして教訓を学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。
その地上生活を無知の暗闇の中ではなく、叡知の光の中で、肩をすぼめず背筋をまっすぐに伸ばして、恐れを抱かず堂々たる落ち着きをもって生きるべきです。
あなた方は一時の勝ち負けのために備えているのではありません。
目先の結果、一時の勝利ではなく、永遠なる目的、無窮の闘いに携わっているのです。
成就したものがいかなる結果をもたらすかを安易に推し量ってはいけません。
今日世界各地で、難攻不落と思われた城壁が崩れ落ち、特権階級が揺さぶられ、独占支配は崩壊し、迷信が減り、無知が次第に押し寄せる霊的真理によって追い払われていきつつあります。
あなた方の懸念は無意味であり根拠がありません。
しっかりとした手に守られております。
これまでもずっと、それによって支えられてきました。
もしそうでなかったら、とうの昔に地上を去っていることでしょう。
霊的なものにとって〝恐れる〟ということがなによりも強烈な腐食作用を及ぼします。
恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。
なんとなれば、それが霊力が作用する通路を塞いでしまうからです。
光の中ばかりで暮らしておれば光の有難さは分かりません。
光明が有難く思われるのは暗闇の中で苦しめばこそです。
こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、そちらの世界での苦労を十分に体験しなければなりません。
果たすべき義務を中途で投げ出してこちらへ来た者は、こちらで用意している喜びを味わうことはできません。
少なくとも永続的な幸せは得られません。
人生の目的は至って単純です。
霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。
そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。
この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。
その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。
毛を刈り取られたばかりの羊は冷たい風に当たらないようにしてやるものです。
神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。
つまり人間の行為の一つひとつについて、その賞と罰とが正確に与えられます。
これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。
いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身に付きます。
片方無くして他方は有り得ません。
体験もせずにどうして教訓が得られましょう。
そして教訓を学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。