愛は大きさを測ることができません。重さを測ることもできません。
いかなる器具をもってしても分析することはできません。
なのに愛は厳然として存在します。宇宙における最大の力です。
大自然の法則を機能させる原動力です。
愛あればこそ全大宇宙が存在するのです。
宇宙がその宿命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。
生命活動の原動力であり、霊の世界と物質の世界の間に横たわる障害を克服していくのも愛の力です。
辿り着いた高級霊界からの遼遠の旅路の末に再び地上に舞い戻り、古くかつ新しい名言〝愛は死を乗り超える〟を改めて宣言することができるのも、この愛あればこそです。
あなた方を今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けて下さい。
昼の後には夜が訪れるように、春の後には夏が訪れるように、種子を蒔けば芽が出るように、霊は着実に開眼し一歩一歩その存在意義の成就に向けて階段を昇ります。
日常の煩瑣(ハンサ)な雑事の渦中にあって、時には僅かの時間を割いて魂の静寂の中に退避し、己れの存在の原動力である霊性に発現の機会(チャンス)を与えて下さい。
心に怖れを宿してはいけません。
完全に拭い去らないといけません。
誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずがありません。
これまで日夜あなたの生活の支えとなってきたのであり、これ以後もずっと支えとなることでしょう。
なぜなら、あなたに絶対成就してもらわねばならない仕事があるからです。
霊がこの世へ携えて来た能力がこれからもその役目を果たしていきます。
こちらから援助に当たる霊の背後には宇宙の大霊すなわち神の力が控えております。
それは決して裏切ることはありません。
宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。
しかし地上の人間の圧倒的多数はそのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。
受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法を学ばねばなりません。
それには信念と信頼心と信仰心と穏やかさと落着きを身につけなければなりません。
そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。
それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。
受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。
受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。
それだけのことです。
悲哀の念が消えるに従って、魂を取り巻いていた暗雲が晴れ、確信の陽光がふんだんに射し込むことでしょう。
宇宙に存在を与えたのは神の愛です。
宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。
全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。
その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。
愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。
全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。
そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。
好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。
そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する──これが魂の霊格の高さを示します。
あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。
確かに難しいことです。
しかし、あなた方は常に理想を目標としなければいけません。
他人に出来ないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからです。可哀そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心の合った人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。
最高の徳は愛他的です。
愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。
愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。
しかし、奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心掛けでは出来ません。が、
それが奉仕です。
真の愛は大小優劣の判断を求めません。
愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。
宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。
向上進化の梯子を登って行けば、己れのために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界に辿り着きます。
ただ施すのみの世界です。
いかなる器具をもってしても分析することはできません。
なのに愛は厳然として存在します。宇宙における最大の力です。
大自然の法則を機能させる原動力です。
愛あればこそ全大宇宙が存在するのです。
宇宙がその宿命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。
生命活動の原動力であり、霊の世界と物質の世界の間に横たわる障害を克服していくのも愛の力です。
辿り着いた高級霊界からの遼遠の旅路の末に再び地上に舞い戻り、古くかつ新しい名言〝愛は死を乗り超える〟を改めて宣言することができるのも、この愛あればこそです。
あなた方を今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けて下さい。
昼の後には夜が訪れるように、春の後には夏が訪れるように、種子を蒔けば芽が出るように、霊は着実に開眼し一歩一歩その存在意義の成就に向けて階段を昇ります。
日常の煩瑣(ハンサ)な雑事の渦中にあって、時には僅かの時間を割いて魂の静寂の中に退避し、己れの存在の原動力である霊性に発現の機会(チャンス)を与えて下さい。
心に怖れを宿してはいけません。
完全に拭い去らないといけません。
誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずがありません。
これまで日夜あなたの生活の支えとなってきたのであり、これ以後もずっと支えとなることでしょう。
なぜなら、あなたに絶対成就してもらわねばならない仕事があるからです。
霊がこの世へ携えて来た能力がこれからもその役目を果たしていきます。
こちらから援助に当たる霊の背後には宇宙の大霊すなわち神の力が控えております。
それは決して裏切ることはありません。
宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。
しかし地上の人間の圧倒的多数はそのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。
受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法を学ばねばなりません。
それには信念と信頼心と信仰心と穏やかさと落着きを身につけなければなりません。
そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。
それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。
受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。
受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。
それだけのことです。
悲哀の念が消えるに従って、魂を取り巻いていた暗雲が晴れ、確信の陽光がふんだんに射し込むことでしょう。
宇宙に存在を与えたのは神の愛です。
宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。
全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。
その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。
愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。
全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。
そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。
好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。
そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する──これが魂の霊格の高さを示します。
あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。
確かに難しいことです。
しかし、あなた方は常に理想を目標としなければいけません。
他人に出来ないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからです。可哀そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心の合った人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。
最高の徳は愛他的です。
愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。
愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。
しかし、奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心掛けでは出来ません。が、
それが奉仕です。
真の愛は大小優劣の判断を求めません。
愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。
宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。
向上進化の梯子を登って行けば、己れのために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界に辿り着きます。
ただ施すのみの世界です。