先日『可燃物』を読み、その後で、著者が戦国時代にシフトしてミステリー小説を書いていることを知った。著者が時代小説としてミステリーものをどのように描くのか、という関心から読んでみた。
奥書を読むと、2019年に「雪夜灯籠」が「文芸カドカワ」に、「花影手柄」「遠来念仏」「落日孤影」が2020年に「カドブンノベル」に連載された後、加筆修正を経て、2021年6月に単行本が刊行された。そして、2024年6月に文庫化されている。
単行本で読んだ後、調べてみると文庫版には単行本の表紙が引き継がれている。上掲は文庫版の表紙である。
本書は第166回直木賞受賞作となった。
本書は、「序章 因」「第一章 雪夜灯籠」「第二章 花影手柄」「第三章 遠来念仏」「第四章 落日孤影」「終章 果」という構成である。
読後の第一印象をまず記したい。時間軸に沿って次々に独立の事件が発生する。それが最初に短編として発表された。そこには、通底する視点が併せて含まれていた。その4つの連作短編に序章と終章を加える形で内容が加筆修正された。そんな経緯を想像をした。雑誌掲載時の本文は未読なので、あくまで印象にすぎない。間違っているかも・・・・。
第一章から第四章は、それぞれ独立した短編として読むことができる。その一方で、時間軸の進展の中で、一貫して人間心理の変転が通底していく。実に巧みな構成になっている。
時代は戦国時代。主人公は荒木村重。村重は摂津国有岡城の城主である。単行本刊行時点での全体のストーリーの時間軸は、天正6年11月から始まる。村重は織田信長に叛旗を翻し、大坂の石山本願寺を本拠とする本願寺方に味方し、有岡城に籠城する戦略に出る。本願寺に味方する毛利につき、連携する形である。総構えの有岡城は籠城しても数年は十分持ちこたえる鉄壁の城とみなされていた。それを守るのが荒木村重ならばなおさら盤石だと。
序章は、小寺官兵衛、つまり黒田官兵衛が有岡城に織田方の使者として来城するところから始まる。官兵衛は死を覚悟の上で村重への使者となる。官兵衛の子・松寿丸は織田への人質として羽柴秀吉に預けてあった。勿論、官兵衛の目的は、村重が織田には戦で勝てないことを説くことである。村重は、怒って官兵衛を殺すという挙には出ず、有岡城地下の土牢に官兵衛を閉じ込め、生かしておくという選択肢を取った。
「黒牢城」というタイトルは、官兵衛の投げ込まれた立場、つまり、城の地下、暗黒の土牢に幽閉状態であることを象徴しているのだろう。一方で、総構えの有岡城に籠城する人々ー武士と兵士たち、その家族、城下の住民たちーは、籠城の結果、いわば自ら先が見えない状態で、総構えの城という大きな区域に拘束されている。いわば牢屋に居るような側面がある。この意味で、有岡城は村重側も第三者視点で見れば、黒牢城に居ることになる。そういう意味では、ダブル・ミーニングなのかもしれない。
本書の表紙には、「Arioka Citadel case」と英語のタイトルが付されている。Citadelは辞書を引くと「城、とりで、要塞」の意味である。ストレートに「有岡城の事件」ということになる。
序章と終章は因と果というタイトルのもとに、照応している。村重が信長に叛旗を翻し、使者の官兵衛を牢に幽閉したのが、因となり、それがどのような結果をもたらしたのかを、押さえている。時間軸で見れば、天正6年11月から始まり、天正7年10月の有岡城落城及びその後の顛末を明らかにするまでの期間になる。
その期間に、4つの事件が次々に発生していく。
<雪夜灯籠>
天正6年師走、安部二右衛門が織田方に寝返った。人質の一子・安部自念を見せしめとして殺すことをせず、村重は、牢が設営できるまで、11歳の自念を一旦屋敷の奥の納戸に閉じ込める指示をし、御前衆に警護をさせた。だが、その自念が死んだ。遺体を検分し、村重は死因を矢傷と判断する。庭に積もる雪には一切の乱れなく、警備に落ち度も見つけられない。どういう手段を使い、犯人は誰か。調べるほど謎が深まっていく。
<花影手柄>
天正7年3月初め、有岡城の西を守る上臈塚砦に滝川家中の佐治新介が名乗って矢文を射てくる。中西新八郎はその矢文を村重に届ける。織田方の振る舞いに諸将は憤懣を吐露するが、村重は一旦皆を諫める。
有岡城の東の沼沢地に、織田方の大津伝十郎長昌が陣を設営する動きに出た。諸将の憤懣気分のいわばガス抜きを狙い、村重は一つの戦略を立てた。己の配下の精鋭と、根来孫六率いる根来衆と高山大慮の率いる高槻衆にて、夜討ちをかけて陣地を壊滅させるという策略である。その結果、根来衆と高槻衆が挙げた首級4つが首実検の対象となる。若者の首級はそのうち2つ。いずれが大津伝十郎の首級なのか。その確定が重要な課題となるが、情報を集約するほど村重には混迷が深まっていく。
<遠来念仏>
年は五十ばかりの無辺という廻国の僧がいる。戦の前から無辺は有岡城下の人々に敬われていた。村重はある時から無辺を使者に使っていた。無辺は惟任日向守光秀に仕える斎藤内蔵助利光からの返書を持ち帰って来た。それに対して、村重は改めて光秀宛てに書を届けるように無辺に依頼する。この依頼には人質代わりに、村重所蔵の名物茶壷<寅申>を持参することを無辺に託す。だが、無辺は有岡を立つ前に、何者かにより殺害され、<寅申>も何処かに持ち去られてしまった。警護についていた御前衆の一人、秋岡四郎介もむくろとなって見つかった。無辺に依頼した時から無辺の死を知った時までの情報を村重は緻密に整理して考えるが、謎が深まるばかり。
<落日孤影>
無辺殺しの犯人を追い詰めたが、犯人は奇しくも落雷を受け絶命した。その時から一月半後、7月下旬に、村重は御前衆の組頭、郡十右衛門にある探索を命じる。犯人が絶命する際、近くにいた村重は犯人の近くに撃ち込まれたと思える鉄砲の玉に気づいていたのだ。その時、誰が鉄砲で撃ったのか。狙撃者の解明とその背後にいる人物の特定が解明すべき謎として残っていたのだ。
村重は、当日の鉄砲所持者の追跡調査を十右衛門に命じる。狙撃はどこから実行されたのか。鉄砲はどのようにして入手したのか。狙撃者は誰の命を受けていたのか。これも謎多き事柄だった。
この4つの事件は、正に有岡城周辺で発生した事件の謎解きである。ミステリー短編仕立てになっている。村重は情報を家臣に収集させ、自らも関係者に細部にわたって尋ね、情報を集積して論理的に思考し、推理して犯人を解明していく。とことん考え詰める過程で行き詰まると、村重は地下の土牢まで下り、官兵衛に状況をつぶさに語って、官兵衛の意見を聞く。この二人の対話が、事件解決へのブレークスルーになっていく。官兵衛は己が村重に解答を述べることはしない。あくまで示唆という形で回答するだけである。村重が考え尽くしたうえでの示唆であるゆえに、それは村重にとり堂々巡りから抜け出す重要な契機となっていく。この経緯と二人の会話が、これらミステリーの読ませどころである。
このストーリー、それだけでは終わらない側面がある。それは、城主である荒木村重の立場にある。有岡の地、摂津は村重にとり、生まれながらに地縁のある土地ではない。実力で、下剋上のプロセスを経て領主に上り詰めてきた。その過程で、摂津に地縁のある武士たちを家臣として束ねてきた。己の力量と才覚のみが家臣たちを総べる力になっている。その不安定さを村重は熟知している。
堅城とはいえ、長期間に及んで籠城しているただ中にある。家臣、兵士たちの憤懣は徐々に増し、士気が振るわなくなりつつある。その渦中で謎めいた不可解な事件が発生すれば、噂が噂を呼ぶ。理解しかねる事象は、すべて神罰、仏罰などに結び付けられていく。ネガティブな気運が動き出す。それは結束力、士気を破壊する方向に向かう。それは城主である村重から離反を促す推進力になりかねない。村重はそういう諸将や人々の心理状態を考慮しながら、城主としての力量を発揮していかねばならない。
つまり、事件の謎解きに専心する背景には、城主村重の立場という意識が厳然としてつきまとう。心理の動きはコインの一面である。謎解きと心理描写が一体化していく。この部分がもう一つの読ませどころとなっている。4つの事件に通底している。
このストーリー、有岡城内に官兵衛が幽閉されていることにより成立する。城主である村重の心理が理解できる官兵衛がいなければ成り立たないという構成になっているところが面白い。そして、その官兵衛は官兵衛自身の視点で、智謀を働かしつつ村重に対応している。そこが重要なオチになっている。
天正7年9月2日、荒木村重は有岡城を抜け出る。これは官兵衛が読んだ村重の心理通りの行動が。それとも、官兵衛との対話の後に、さらに村重に生まれた新たな思考と心理が引き起こしたことなのか。その点は、巧みに読者の解釈にゆだねているように思う。
終章は、有明城落城とその後についての凡その事実が列挙される形に転換していく。本体はフィクション主体のストーリーが展開され、最後に歴史的事実が列挙されていく。有岡城落城後の状況をリンクさせている。すんなりと歴史時代小説の雰囲気を濃厚に漂わせる終わらせ方になっている。実に巧みだと感じる。
ご一読ありがとうございます。
補遺
荒木村重 :ウィキペディア
だし :ウィキペディア
黒田孝高 :ウィキペディア
有岡城址史跡公園 :「HYOGO!ナビ」
有岡城跡 :「伊丹市」
摂津 有岡城 伊丹市 :「兵庫県立歴史博物館」
有岡城の戦い :ウィキペディア
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こちらもお読みいただけるとうれしです。
『可燃物』 米澤穂信 文藝春秋
奥書を読むと、2019年に「雪夜灯籠」が「文芸カドカワ」に、「花影手柄」「遠来念仏」「落日孤影」が2020年に「カドブンノベル」に連載された後、加筆修正を経て、2021年6月に単行本が刊行された。そして、2024年6月に文庫化されている。
単行本で読んだ後、調べてみると文庫版には単行本の表紙が引き継がれている。上掲は文庫版の表紙である。
本書は第166回直木賞受賞作となった。
本書は、「序章 因」「第一章 雪夜灯籠」「第二章 花影手柄」「第三章 遠来念仏」「第四章 落日孤影」「終章 果」という構成である。
読後の第一印象をまず記したい。時間軸に沿って次々に独立の事件が発生する。それが最初に短編として発表された。そこには、通底する視点が併せて含まれていた。その4つの連作短編に序章と終章を加える形で内容が加筆修正された。そんな経緯を想像をした。雑誌掲載時の本文は未読なので、あくまで印象にすぎない。間違っているかも・・・・。
第一章から第四章は、それぞれ独立した短編として読むことができる。その一方で、時間軸の進展の中で、一貫して人間心理の変転が通底していく。実に巧みな構成になっている。
時代は戦国時代。主人公は荒木村重。村重は摂津国有岡城の城主である。単行本刊行時点での全体のストーリーの時間軸は、天正6年11月から始まる。村重は織田信長に叛旗を翻し、大坂の石山本願寺を本拠とする本願寺方に味方し、有岡城に籠城する戦略に出る。本願寺に味方する毛利につき、連携する形である。総構えの有岡城は籠城しても数年は十分持ちこたえる鉄壁の城とみなされていた。それを守るのが荒木村重ならばなおさら盤石だと。
序章は、小寺官兵衛、つまり黒田官兵衛が有岡城に織田方の使者として来城するところから始まる。官兵衛は死を覚悟の上で村重への使者となる。官兵衛の子・松寿丸は織田への人質として羽柴秀吉に預けてあった。勿論、官兵衛の目的は、村重が織田には戦で勝てないことを説くことである。村重は、怒って官兵衛を殺すという挙には出ず、有岡城地下の土牢に官兵衛を閉じ込め、生かしておくという選択肢を取った。
「黒牢城」というタイトルは、官兵衛の投げ込まれた立場、つまり、城の地下、暗黒の土牢に幽閉状態であることを象徴しているのだろう。一方で、総構えの有岡城に籠城する人々ー武士と兵士たち、その家族、城下の住民たちーは、籠城の結果、いわば自ら先が見えない状態で、総構えの城という大きな区域に拘束されている。いわば牢屋に居るような側面がある。この意味で、有岡城は村重側も第三者視点で見れば、黒牢城に居ることになる。そういう意味では、ダブル・ミーニングなのかもしれない。
本書の表紙には、「Arioka Citadel case」と英語のタイトルが付されている。Citadelは辞書を引くと「城、とりで、要塞」の意味である。ストレートに「有岡城の事件」ということになる。
序章と終章は因と果というタイトルのもとに、照応している。村重が信長に叛旗を翻し、使者の官兵衛を牢に幽閉したのが、因となり、それがどのような結果をもたらしたのかを、押さえている。時間軸で見れば、天正6年11月から始まり、天正7年10月の有岡城落城及びその後の顛末を明らかにするまでの期間になる。
その期間に、4つの事件が次々に発生していく。
<雪夜灯籠>
天正6年師走、安部二右衛門が織田方に寝返った。人質の一子・安部自念を見せしめとして殺すことをせず、村重は、牢が設営できるまで、11歳の自念を一旦屋敷の奥の納戸に閉じ込める指示をし、御前衆に警護をさせた。だが、その自念が死んだ。遺体を検分し、村重は死因を矢傷と判断する。庭に積もる雪には一切の乱れなく、警備に落ち度も見つけられない。どういう手段を使い、犯人は誰か。調べるほど謎が深まっていく。
<花影手柄>
天正7年3月初め、有岡城の西を守る上臈塚砦に滝川家中の佐治新介が名乗って矢文を射てくる。中西新八郎はその矢文を村重に届ける。織田方の振る舞いに諸将は憤懣を吐露するが、村重は一旦皆を諫める。
有岡城の東の沼沢地に、織田方の大津伝十郎長昌が陣を設営する動きに出た。諸将の憤懣気分のいわばガス抜きを狙い、村重は一つの戦略を立てた。己の配下の精鋭と、根来孫六率いる根来衆と高山大慮の率いる高槻衆にて、夜討ちをかけて陣地を壊滅させるという策略である。その結果、根来衆と高槻衆が挙げた首級4つが首実検の対象となる。若者の首級はそのうち2つ。いずれが大津伝十郎の首級なのか。その確定が重要な課題となるが、情報を集約するほど村重には混迷が深まっていく。
<遠来念仏>
年は五十ばかりの無辺という廻国の僧がいる。戦の前から無辺は有岡城下の人々に敬われていた。村重はある時から無辺を使者に使っていた。無辺は惟任日向守光秀に仕える斎藤内蔵助利光からの返書を持ち帰って来た。それに対して、村重は改めて光秀宛てに書を届けるように無辺に依頼する。この依頼には人質代わりに、村重所蔵の名物茶壷<寅申>を持参することを無辺に託す。だが、無辺は有岡を立つ前に、何者かにより殺害され、<寅申>も何処かに持ち去られてしまった。警護についていた御前衆の一人、秋岡四郎介もむくろとなって見つかった。無辺に依頼した時から無辺の死を知った時までの情報を村重は緻密に整理して考えるが、謎が深まるばかり。
<落日孤影>
無辺殺しの犯人を追い詰めたが、犯人は奇しくも落雷を受け絶命した。その時から一月半後、7月下旬に、村重は御前衆の組頭、郡十右衛門にある探索を命じる。犯人が絶命する際、近くにいた村重は犯人の近くに撃ち込まれたと思える鉄砲の玉に気づいていたのだ。その時、誰が鉄砲で撃ったのか。狙撃者の解明とその背後にいる人物の特定が解明すべき謎として残っていたのだ。
村重は、当日の鉄砲所持者の追跡調査を十右衛門に命じる。狙撃はどこから実行されたのか。鉄砲はどのようにして入手したのか。狙撃者は誰の命を受けていたのか。これも謎多き事柄だった。
この4つの事件は、正に有岡城周辺で発生した事件の謎解きである。ミステリー短編仕立てになっている。村重は情報を家臣に収集させ、自らも関係者に細部にわたって尋ね、情報を集積して論理的に思考し、推理して犯人を解明していく。とことん考え詰める過程で行き詰まると、村重は地下の土牢まで下り、官兵衛に状況をつぶさに語って、官兵衛の意見を聞く。この二人の対話が、事件解決へのブレークスルーになっていく。官兵衛は己が村重に解答を述べることはしない。あくまで示唆という形で回答するだけである。村重が考え尽くしたうえでの示唆であるゆえに、それは村重にとり堂々巡りから抜け出す重要な契機となっていく。この経緯と二人の会話が、これらミステリーの読ませどころである。
このストーリー、それだけでは終わらない側面がある。それは、城主である荒木村重の立場にある。有岡の地、摂津は村重にとり、生まれながらに地縁のある土地ではない。実力で、下剋上のプロセスを経て領主に上り詰めてきた。その過程で、摂津に地縁のある武士たちを家臣として束ねてきた。己の力量と才覚のみが家臣たちを総べる力になっている。その不安定さを村重は熟知している。
堅城とはいえ、長期間に及んで籠城しているただ中にある。家臣、兵士たちの憤懣は徐々に増し、士気が振るわなくなりつつある。その渦中で謎めいた不可解な事件が発生すれば、噂が噂を呼ぶ。理解しかねる事象は、すべて神罰、仏罰などに結び付けられていく。ネガティブな気運が動き出す。それは結束力、士気を破壊する方向に向かう。それは城主である村重から離反を促す推進力になりかねない。村重はそういう諸将や人々の心理状態を考慮しながら、城主としての力量を発揮していかねばならない。
つまり、事件の謎解きに専心する背景には、城主村重の立場という意識が厳然としてつきまとう。心理の動きはコインの一面である。謎解きと心理描写が一体化していく。この部分がもう一つの読ませどころとなっている。4つの事件に通底している。
このストーリー、有岡城内に官兵衛が幽閉されていることにより成立する。城主である村重の心理が理解できる官兵衛がいなければ成り立たないという構成になっているところが面白い。そして、その官兵衛は官兵衛自身の視点で、智謀を働かしつつ村重に対応している。そこが重要なオチになっている。
天正7年9月2日、荒木村重は有岡城を抜け出る。これは官兵衛が読んだ村重の心理通りの行動が。それとも、官兵衛との対話の後に、さらに村重に生まれた新たな思考と心理が引き起こしたことなのか。その点は、巧みに読者の解釈にゆだねているように思う。
終章は、有明城落城とその後についての凡その事実が列挙される形に転換していく。本体はフィクション主体のストーリーが展開され、最後に歴史的事実が列挙されていく。有岡城落城後の状況をリンクさせている。すんなりと歴史時代小説の雰囲気を濃厚に漂わせる終わらせ方になっている。実に巧みだと感じる。
ご一読ありがとうございます。
補遺
荒木村重 :ウィキペディア
だし :ウィキペディア
黒田孝高 :ウィキペディア
有岡城址史跡公園 :「HYOGO!ナビ」
有岡城跡 :「伊丹市」
摂津 有岡城 伊丹市 :「兵庫県立歴史博物館」
有岡城の戦い :ウィキペディア
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしです。
『可燃物』 米澤穂信 文藝春秋