先日、加賀恭一郎シリーズ第12弾『あなたが誰かを殺した』の読後印象記をまとめていたとき、第11弾の本書を見過ごしていたことに気づいた。そこで遅ればせながら、遡り本書を読んだ。本書は書下ろし作品で、2019年7月に単行本が刊行された。2022年7月に文庫化されている。
まず本作構成の巧妙さが印象的である。そして、ストーリーに引き込まれていくと、エンディングの場面では涙せずにはいられなかった。
加賀シリーズなので、加賀も加わる殺人事件の捜査がメインストーリーとなる。だが、この殺人事件捜査と並行して、2つのサブ・ストーリーが進行していく。一つは、「プロローグ」から始まっていく汐見家の物語。汐見行伸・怜子夫妻は、新潟県長岡市にある怜子の実家に遊びに出かけていた二子、小学6年生の絵麻と3年生の尚人を中越大地震で亡くす。その後、不妊治療の過程を経て、子を授かる。時が経ち、2年前に白血病で怜子がなくなり、汐見家は行伸と中学生の娘・萌奈の父娘家庭となった。この汐見家の物語が織り込まれていく。汐見家には、萌奈に関わる出生の謎が底流にあった。
セクション「1」は、金沢にある料亭旅館『たつ芳』を経営する芳原家に転じる。2つめのサブ・ストーリーが始まる。『たつ芳』の現在の女将は一人娘の芳原亜矢子で、父は末期癌患者として病院の緩和ケア病棟に入院していて、死期は近いと予測されていた。医師と面談し、病室の父と会った後、亜矢子は脇坂法律事務所から連絡を受け、脇坂弁護士と面談する。脇坂が亜矢子に示したのは、公証役場で脇坂も立ち合い作成された遺言書だった。脇坂は、「亡くなる前にお父さんの気持ちを知っておき、今のうちにできるかぎりのことをしたいと思うなら、早い段階で内容を確認しておいくのも一つの手だ」(p32)と亜矢子に助言した。亜矢子は脇坂の目の前で、遺言書を開封し、内容を読む。最後のページで思わぬ氏名が目に飛び込んできた。松宮脩平。これを起点に亜矢子が行動を開始し、芳原家の物語が始まっていく。その根底にも出生の謎が秘めらていた。
セクション「3」でメイン・ストーリーに転じる。加賀恭一郎の登場! だが、今回の捜査活動においては、加賀自身が中心となった捜査活動が描かれるのではなくて、警視庁の捜査一課に所属し、加賀を従兄とする松宮脩平刑事の捜査活動に焦点を当てて捜査が進展する。この点が今までとは異色な部分といえる。加賀は捜査本部で捜査の進展状況を取りまとめる立場で登場する。捜査について指示し助言する役回りである。捜査の要のところで、加賀の行動が捜査のターニング・ポイントになる役回りとなるのだが・・・・。
遺体発見から約4時間後、1回目の捜査会議が開かれた。殺人事件の捜査が本格的に始動する。初動捜査段階でわかったことを記しておこう。
殺害現場 目黒区自由が丘の喫茶店『弥生茶屋』 去年が10周年。落ち着いた雰囲気の店
被害者 カフェの経営者・花塚弥生、51歳、離婚し一人暮らし、子供なし、
栃木県宇都宮市出身、両親は健在でその地に居住、
遺体状況 背中にナイフが刺さっていて、大量出血。
検視官は死後12時間以上経過と判断。ほぼ即死と推察。
凶器のナイフは刃長20cm以上、シホンケーキなどを切るための道具
第一発見者兼通報者 富田淳子、40代半ば。友人と週に一度か二度店に行く常連客
聞き込み捜査から、経営者・花塚弥生についての評判はすべて良かった。捜査が進むと、弥生が結婚していた相手は綿貫哲彦、55歳。江東区豊洲のマンション住まい。内縁の妻と同居、とわかる。聞き込み捜査が広がるとともに、弥生と親しかった常連客の一人に汐見行伸が浮上する。
捜査本部の捜査分担で、松宮は鑑取り班の一員となる、松宮は綿貫と汐見への聞き込み捜査を担当する。そこから聞き込み捜査の範囲が広がっていく。
メイン・ストーリーは、松宮が所轄警察署の若手の長谷部刑事とペアを組み捜査するプロセスに焦点を当てていく。松宮が加賀に捜査状況を報告し、加賀と松宮が事件に関して対話することが捜査を進める節目となっていく。事件の核心へと近づくにつれ、松宮には疑念が湧き始める。
「他人の秘密を暴くことが常に正義なんだろうかって。親子関係に関わるなら猶更だ。警察に、そんな権利があるんだろうか。たとえ事件の真相を明かすためであろうとも」(p284-285) 松宮が加賀にこう語る。それに対して、加賀は会話の最後に己の考えを松宮に告げる。
「前にもいわなかったか。刑事というのは、真相を解明すればいいというものではない。取調室で暴かれるのではなく、本人たちによって引き出されるべき真実というものもある。その見極めに頭を悩ませるのが、いい刑事だ」(p285)
「大事なことは、自分の判断に責任を持つ覚悟があるかどうかだ。場合によっては、真実は闇のままってこともあり得るからな」(p286)
この会話が、この事件の核心に直結している。このように発言できる加賀恭一郎がこのシリーズの魅力であると私は思う。
この悩みを松宮が抱くに至る捜査の進展が、本作の読ませどころと言える。
このストーリーの底流には、人は他人の言葉や行動を誤解しがちであるというテーマが息づいていると感じる。そこから悲喜劇が始まっていく・・・・。
最後に一か所、引用しておきたい。会話文である。
*たとえ会えなくても、自分にとって大切な人間と見えない糸で繋がっていると思えたら、それだけで幸せだって、その糸がどんなに長くても希望を持てるって。だから死ぬまで、その糸は話さない。 p350
「希望の糸」という本書のタイトルは、この引用文に由来するものと思う。
親子とは何かというテーマが、メイン・ストーリーとサブ・ストーリーを通じて描き込まれていると思う。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『あなたが誰かを殺した』 講談社
『さいえんす?』 角川文庫
『虚ろな十字架』 光文社
『マスカレード・ゲーム』 集英社
「遊心逍遙記」に掲載した<東野圭吾>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 35冊
まず本作構成の巧妙さが印象的である。そして、ストーリーに引き込まれていくと、エンディングの場面では涙せずにはいられなかった。
加賀シリーズなので、加賀も加わる殺人事件の捜査がメインストーリーとなる。だが、この殺人事件捜査と並行して、2つのサブ・ストーリーが進行していく。一つは、「プロローグ」から始まっていく汐見家の物語。汐見行伸・怜子夫妻は、新潟県長岡市にある怜子の実家に遊びに出かけていた二子、小学6年生の絵麻と3年生の尚人を中越大地震で亡くす。その後、不妊治療の過程を経て、子を授かる。時が経ち、2年前に白血病で怜子がなくなり、汐見家は行伸と中学生の娘・萌奈の父娘家庭となった。この汐見家の物語が織り込まれていく。汐見家には、萌奈に関わる出生の謎が底流にあった。
セクション「1」は、金沢にある料亭旅館『たつ芳』を経営する芳原家に転じる。2つめのサブ・ストーリーが始まる。『たつ芳』の現在の女将は一人娘の芳原亜矢子で、父は末期癌患者として病院の緩和ケア病棟に入院していて、死期は近いと予測されていた。医師と面談し、病室の父と会った後、亜矢子は脇坂法律事務所から連絡を受け、脇坂弁護士と面談する。脇坂が亜矢子に示したのは、公証役場で脇坂も立ち合い作成された遺言書だった。脇坂は、「亡くなる前にお父さんの気持ちを知っておき、今のうちにできるかぎりのことをしたいと思うなら、早い段階で内容を確認しておいくのも一つの手だ」(p32)と亜矢子に助言した。亜矢子は脇坂の目の前で、遺言書を開封し、内容を読む。最後のページで思わぬ氏名が目に飛び込んできた。松宮脩平。これを起点に亜矢子が行動を開始し、芳原家の物語が始まっていく。その根底にも出生の謎が秘めらていた。
セクション「3」でメイン・ストーリーに転じる。加賀恭一郎の登場! だが、今回の捜査活動においては、加賀自身が中心となった捜査活動が描かれるのではなくて、警視庁の捜査一課に所属し、加賀を従兄とする松宮脩平刑事の捜査活動に焦点を当てて捜査が進展する。この点が今までとは異色な部分といえる。加賀は捜査本部で捜査の進展状況を取りまとめる立場で登場する。捜査について指示し助言する役回りである。捜査の要のところで、加賀の行動が捜査のターニング・ポイントになる役回りとなるのだが・・・・。
遺体発見から約4時間後、1回目の捜査会議が開かれた。殺人事件の捜査が本格的に始動する。初動捜査段階でわかったことを記しておこう。
殺害現場 目黒区自由が丘の喫茶店『弥生茶屋』 去年が10周年。落ち着いた雰囲気の店
被害者 カフェの経営者・花塚弥生、51歳、離婚し一人暮らし、子供なし、
栃木県宇都宮市出身、両親は健在でその地に居住、
遺体状況 背中にナイフが刺さっていて、大量出血。
検視官は死後12時間以上経過と判断。ほぼ即死と推察。
凶器のナイフは刃長20cm以上、シホンケーキなどを切るための道具
第一発見者兼通報者 富田淳子、40代半ば。友人と週に一度か二度店に行く常連客
聞き込み捜査から、経営者・花塚弥生についての評判はすべて良かった。捜査が進むと、弥生が結婚していた相手は綿貫哲彦、55歳。江東区豊洲のマンション住まい。内縁の妻と同居、とわかる。聞き込み捜査が広がるとともに、弥生と親しかった常連客の一人に汐見行伸が浮上する。
捜査本部の捜査分担で、松宮は鑑取り班の一員となる、松宮は綿貫と汐見への聞き込み捜査を担当する。そこから聞き込み捜査の範囲が広がっていく。
メイン・ストーリーは、松宮が所轄警察署の若手の長谷部刑事とペアを組み捜査するプロセスに焦点を当てていく。松宮が加賀に捜査状況を報告し、加賀と松宮が事件に関して対話することが捜査を進める節目となっていく。事件の核心へと近づくにつれ、松宮には疑念が湧き始める。
「他人の秘密を暴くことが常に正義なんだろうかって。親子関係に関わるなら猶更だ。警察に、そんな権利があるんだろうか。たとえ事件の真相を明かすためであろうとも」(p284-285) 松宮が加賀にこう語る。それに対して、加賀は会話の最後に己の考えを松宮に告げる。
「前にもいわなかったか。刑事というのは、真相を解明すればいいというものではない。取調室で暴かれるのではなく、本人たちによって引き出されるべき真実というものもある。その見極めに頭を悩ませるのが、いい刑事だ」(p285)
「大事なことは、自分の判断に責任を持つ覚悟があるかどうかだ。場合によっては、真実は闇のままってこともあり得るからな」(p286)
この会話が、この事件の核心に直結している。このように発言できる加賀恭一郎がこのシリーズの魅力であると私は思う。
この悩みを松宮が抱くに至る捜査の進展が、本作の読ませどころと言える。
このストーリーの底流には、人は他人の言葉や行動を誤解しがちであるというテーマが息づいていると感じる。そこから悲喜劇が始まっていく・・・・。
最後に一か所、引用しておきたい。会話文である。
*たとえ会えなくても、自分にとって大切な人間と見えない糸で繋がっていると思えたら、それだけで幸せだって、その糸がどんなに長くても希望を持てるって。だから死ぬまで、その糸は話さない。 p350
「希望の糸」という本書のタイトルは、この引用文に由来するものと思う。
親子とは何かというテーマが、メイン・ストーリーとサブ・ストーリーを通じて描き込まれていると思う。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『あなたが誰かを殺した』 講談社
『さいえんす?』 角川文庫
『虚ろな十字架』 光文社
『マスカレード・ゲーム』 集英社
「遊心逍遙記」に掲載した<東野圭吾>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 35冊