散文的で抒情的な、わたくしの意見

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河井継之助は後世に何を残したか。

2018年06月04日 | ドラマ
北越戦争、などと言っても地元の人と、歴史オタクぐらいしかピンとこないでしょう。戊辰戦争の一部という感じです。

長岡藩、幕府側の藩でした。

人材登用によって長岡藩の家老にまで上りつめた河井継之助は、陽明学の徒です。行動的なんです。実践と行動は同じじゃなくてはいけないという政治学です。

で、まあマシンガンのような連射機能を持った、当時最新のガトリング砲を手に入れて「しまい」ます。小さな藩が強大な軍事力を手に入れた。これが不幸をもたらします。

小さな長岡藩に対し、官軍は散々苦労して多くの死者をだして戦いました。むろん長岡藩士も多く死にました。「悲惨な北越戦争」と言われる所以です。官軍の現地指揮官は、たしか山縣有朋だったはずです。東京においては、西郷から軍事権を奪った村田蔵六が戦略を立てていました。

明治初期の天才的軍略家、村田蔵六の前に立ちはだかったのが、小さな長岡藩の家老、河井継之助です。

しかし多勢に無勢、結局は敗退します。村田の「必要ない」という意見を無視して、官軍の救援に向かった西郷が現地についた頃には、ほぼ勝敗は決していました。

この戦争の中で河井継之助も死にます。

司馬さんによれば、死に臨んで自分の焼き場を作らせ、それをじっと眺めていた、とされています。

さらに司馬さんの、たぶんこれは願望をこめた創作なんでしょうが、河井は負けを予想しつつも、「美はなせる」と考えていたとされています。

大老格の井伊家を含めて、多くの藩がこぞって「新時代の側につく」中で、「後世に向かって人間とはなにかを示した」、小説ではそう表現されています。

「いまこの大変動期にあたり、人間なるものがことごとく薩長の勝利者におもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩を忘れ、男子の道を忘れ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう、、、、人間とは何かということを、時勢に驕った官軍どもに知らしめてやらねばならない。」

この部分、何度読んでも感動します。いや感動というより、なぜか涙が出てくるのです。