福沢諭吉が何故「脱アジア」を唱えなくてはいけなかったか。それは中国や朝鮮がいくら待っても「近代化」をなしてくれないことへの「失望」からです。絶望感と言ってもいいと思います。
もし朝鮮と中国がもっと早く近代化をなしとげて、近代的な法制度と軍隊を持ってくれていたら、日本はロシア、ソビエトに対する恐怖に怯えなくても良かったかもしれません。
日本の仮想敵国は明治から冷戦時代まで、ずっと、ロシア(ソ連)でした。
明治時代には恐露病という言葉すらありました。ロシアに恐怖するという意味です。
日露戦争は勝ち(実質的には引き分け)ましたが、その後、ノモンハンではロシアから生まれ変わった新生ソビエトに手ひどくやられます。
日本、朝鮮、中国が団結して、列強に立ち向かう。福沢諭吉や島津斉彬ら、そういう構想を持った人間が日本には少なからずいました。
「明治維新を中国、朝鮮に輸出する」。
そういうおせっかいを日本がやらざるえなかったのは、ひとえに「列強に対する恐怖」からです。
しかしそういう試みはことごとく失敗し、福沢が育てた朝鮮留学生は、あるいは迫害され、あるいは殺され、福沢はついに「脱アジア」を唱えるに至ります。
その後、あろうことか日本が列強の一員に加わり、と誰でも知っている不幸な歴史がはじまります。
西郷は征韓論を唱えたと言われます。彼は征韓とは言わず、遣韓と言っていました。言葉がどうあろうと、「戦争になる」と止められました。しかし「もし自分が死んで、日本と戦争となれば、朝鮮はいやでも近代化をせざるをえない。そして朝鮮にも志士があらわれ、維新が起きるにちがいない」と「そう考えていた」、というのは司馬さんの説です。西郷を随分と「ひいきしたような」考え方ですが、「自分が朝鮮にとっての黒船となる」という意識は西郷にあったと思われます。日本、中国、朝鮮の団結による列強への対抗、これは西郷の師であり主君である島津斉彬が唱えた構想だからです。
その後、長い年月と悲惨な歴史を経て、韓国は近代化、民主化をしました。しかし富の格差の問題はのこり、富裕層が特権階級のようなものになり、それが社会をむしばんでいるようです。
北朝鮮は工業的な近代化はなしたものの、政治の近代化である民主化はなされずにいます。
これは誰の責任なのか?むろん答えはでるわけもありません。また「責任を問うべきこと」なのかも分かりません。
民主化をしないこと自体は罪ではないからです。民主制度なしに「うまくやっている国」は現在の世界にもあります。
日本に責任があることははっきりしています。ただ「近代化をしていてくれたらなら」、日本は侵略できなかったわけで、そのチャンスはありながら、特に朝鮮はそのチャンスを逃してしまった。
朝鮮の人は激怒するような意見でしょうが、「日本が悪い」のは当然のことなので、そればかり言わず「なぜ侵略を許してしまったのか」、内部の要因も考えるべきだと、あえて書きます。
何を言いたいのか。自分でも焦点が定まっていないことを、書きながら感じています。単純ではないのです。
「近代化をなさなかったからいけないのだ」。
そう言い切れれば簡単なのですが、近代化をしないこと自体に責任があるわけもなく、日本だって、アヘン戦争さえなければ(列強への恐怖さえなければ)、太平の眠りの中でまどろんでいたかったのです。「民主化をしないことは罪なのか」「近代化をしないことは罪なのか」。そう簡単に「答えてはいけない問題」だと思います。
難しい問題です。
もし朝鮮と中国がもっと早く近代化をなしとげて、近代的な法制度と軍隊を持ってくれていたら、日本はロシア、ソビエトに対する恐怖に怯えなくても良かったかもしれません。
日本の仮想敵国は明治から冷戦時代まで、ずっと、ロシア(ソ連)でした。
明治時代には恐露病という言葉すらありました。ロシアに恐怖するという意味です。
日露戦争は勝ち(実質的には引き分け)ましたが、その後、ノモンハンではロシアから生まれ変わった新生ソビエトに手ひどくやられます。
日本、朝鮮、中国が団結して、列強に立ち向かう。福沢諭吉や島津斉彬ら、そういう構想を持った人間が日本には少なからずいました。
「明治維新を中国、朝鮮に輸出する」。
そういうおせっかいを日本がやらざるえなかったのは、ひとえに「列強に対する恐怖」からです。
しかしそういう試みはことごとく失敗し、福沢が育てた朝鮮留学生は、あるいは迫害され、あるいは殺され、福沢はついに「脱アジア」を唱えるに至ります。
その後、あろうことか日本が列強の一員に加わり、と誰でも知っている不幸な歴史がはじまります。
西郷は征韓論を唱えたと言われます。彼は征韓とは言わず、遣韓と言っていました。言葉がどうあろうと、「戦争になる」と止められました。しかし「もし自分が死んで、日本と戦争となれば、朝鮮はいやでも近代化をせざるをえない。そして朝鮮にも志士があらわれ、維新が起きるにちがいない」と「そう考えていた」、というのは司馬さんの説です。西郷を随分と「ひいきしたような」考え方ですが、「自分が朝鮮にとっての黒船となる」という意識は西郷にあったと思われます。日本、中国、朝鮮の団結による列強への対抗、これは西郷の師であり主君である島津斉彬が唱えた構想だからです。
その後、長い年月と悲惨な歴史を経て、韓国は近代化、民主化をしました。しかし富の格差の問題はのこり、富裕層が特権階級のようなものになり、それが社会をむしばんでいるようです。
北朝鮮は工業的な近代化はなしたものの、政治の近代化である民主化はなされずにいます。
これは誰の責任なのか?むろん答えはでるわけもありません。また「責任を問うべきこと」なのかも分かりません。
民主化をしないこと自体は罪ではないからです。民主制度なしに「うまくやっている国」は現在の世界にもあります。
日本に責任があることははっきりしています。ただ「近代化をしていてくれたらなら」、日本は侵略できなかったわけで、そのチャンスはありながら、特に朝鮮はそのチャンスを逃してしまった。
朝鮮の人は激怒するような意見でしょうが、「日本が悪い」のは当然のことなので、そればかり言わず「なぜ侵略を許してしまったのか」、内部の要因も考えるべきだと、あえて書きます。
何を言いたいのか。自分でも焦点が定まっていないことを、書きながら感じています。単純ではないのです。
「近代化をなさなかったからいけないのだ」。
そう言い切れれば簡単なのですが、近代化をしないこと自体に責任があるわけもなく、日本だって、アヘン戦争さえなければ(列強への恐怖さえなければ)、太平の眠りの中でまどろんでいたかったのです。「民主化をしないことは罪なのか」「近代化をしないことは罪なのか」。そう簡単に「答えてはいけない問題」だと思います。
難しい問題です。