散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

リメイク大河ドラマを制作してほしい。

2018年06月24日 | ドラマ
大河ドラマ、準大河ドラマ。もう「絵になりそうな人物」は全て描き切ったように思います。

信長、秀吉、家康、信玄、平清盛は複数回にわたり主役になっています。

龍馬も二回。真田幸村も現在二回目。

あと思いつくままに主役を書くと、平将門(藤原純友)、北条政子(源頼朝、北条義時)、源義経、足利尊氏、日野富子(足利義政)、伊達政宗、徳川吉宗、徳川慶喜、井伊直弼、大石内蔵助、原田甲斐、勝海舟、西郷隆盛、奥州藤原氏、毛利元就、宮本武蔵、新選組、山本勘助、山内千代、前田利家とまつ、直江兼続、黒田官兵衛。

絵にはならなかったですが、江、篤姫。

残っているのは、戦国時代限定だと、えーと、石田三成、淀君、北政所(ねね)その他でしょう。でも彼らは歴代の大河で何回も登場していて、十分に描かれていると言ってもいい存在です。

また、朝倉、浅井、本願寺、島津ではちょっと主役になりそうもありません。長曾我部もどんなもんでしょう。

絵になりそうな人物だと、あとは北条早雲ぐらいだと思います。北条早雲はたぶん少しも描かれてはいません。あと「尻くらえ孫一」、ほぼ架空の人物ですが、戦国時代における鉄砲の威力をテーマにすれば、主役にできそうです。それから足利義満なども残っていますが、彼らを除いては、描き切った、だからこそ西郷などが二度も描かれる事態が出てくるのです。

ということで、「もう描き切った」という前提で、「リメイク大河」も「大いにあり」だと私は思います。

むろん脚本を現代風にしても構いません。

じゃあどの作品をリメイクするか。まずは、「録画が総集編しかない名作」でありましょう。

となると、「国盗り物語」「天と地と」「花神」「新平家物語」ということになります。一応録画はあるが、録画状態が劣化している作品として「草燃える」もあります。「草燃える」は素晴らしい作品ですから、是非リメイクしてもらいたいものです。

「国盗り物語」がリメイクされれば「明智光秀のイメージ」はひっくりかえるでしょう。「花神」は視聴率はとれないでしょうが、個人的には最高の作品だと思っています。「天と地と」、以外と知られていない謙信の半生が分かります。

リメイク大河を放送してほしい。私のひそやかな願望です。

大河ドラマ「花燃ゆ」について

2018年06月24日 | ドラマ
明治という時代をどうとらえるか。おおざっぱに言うと、サヨク的に見るか、司馬さん的にみるか、で大きな違いが生じます。つまり「女工哀史の時代」として見るか、「坂の上の雲の時代」として見るかですね。

前者では明治はとてつもなく暗い時代になりますし、後者では「楽天家たちの時代」となる。

私個人は明治時代にタイムスリップしたい、そして生きたい、とはとても思えません。が、司馬さんの見方も気になることは確かです。

「確かに国権はあまりに重く、民権はあまりに軽かった。が被害者意識だけをもって歴史を見てはいけない。明治は誰にでも可能性があり、それゆえにみな、明るく楽天的であった」

たしかドラマ版の坂の上の雲にそんなナレーションがありました。

実際はどうなんだろう?と疑問は湧きますが、そういう見方もある、ということは知っていて損はないように思います。

さて、花燃ゆ。大河ドラマ、さほど面白い作品ではありませんでした。後半では舞台が群馬に移って、時代は明治、そして「富岡製糸場」が登場します。富岡製糸場は「希望の光」みたいに描かれていましたが、それは官営時代のお話で、民営になった明治20年代からは「女工哀史的な部分」が出てくる。その辺りがどうしても気になります。

ただ本当に気になるのは、歴史上の出来事の描き方の「浅さ」ですね。たとえば「前原一誠の萩の乱」が描かれます。しかし、前原は主人公的存在ではなく、脇役そのものです。そして描き方は限りなく浅い。乱そのものは描きません。萩の乱を知って、主人公の井上真央が悲しむ、ぐらいの描き方です。「萩の乱なんて、全然描かれたことがないのに、描いたからいいだろ」と意見もありましょうが、私には同意できません。

たとえば「翔ぶが如く」における「佐賀の乱」の描かれ方と比較してみてほしいのです。江藤新平はこの作品では脇役ですが、佐賀の乱に至る過程は実に丁寧に描かれており、佐賀の乱の段階だけを見れば、堂々たる主役となっています。さらにこの佐賀の乱が発端となって堤真一演じる宮崎八郎らしき人物(作品中では別名、矢崎八郎太)が、自由民権的活動に目覚め、西南戦争に熊本士族として参加し、死に至るという過程も丁寧に描かれます。

花燃ゆ、は何故つまらなかったのだろう。まあ「とても真剣に」考えているわけではありませんが、一つ目は歴史上の出来事の描き方が粗雑であったこと、二つめは作品がモノローグで対立する諸見解が混在しておらず、ゆえに視聴者に「考える」ことを要求しなかったこと、そんなことが言えそうな気がします。