散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

ブラックペアン 6月17日 第九回の感想

2018年06月19日 | ドラマ
ブラックペアンの作者は海堂尊さんです。「社会派」の方ですね。チームバチスタの栄光では「麻酔医の残酷すぎる実態」に目を向けました。そして「ジャネラルルージュの凱旋」では「救命医療の問題」をとりあげます。

ブラックペアンでは、手術における「機械と人間の問題」「医療過誤の問題」に焦点をあてています。また、私たちにはどうでもいいことですが「論文主義」にも一石を投げています。

そういう「社会性」を比較的深く有しているという点において、「ドクターX」とは本質的に違う作品だと思います。もっともこれは人それぞれでありましょう。全く同じと感じる人がいても、別にそれを否定する気持ちはありません。

さて、機械と人間の問題です。

1980年頃、イエローマジックオーケストラが登場した時、坂本龍一が「楽器の音と電子音の戦いが生じることになる」と予言しました。実態はというと、戦いはあまり生じることなく、むしろ「融合」が生じたような気もします。

ブラックペアンにおいても、前回までは、機械と人間、手術機械とゴッドハンドの「対立」が話題とされていました。

でもこの九回をみるかぎり、それは音楽と同じように、「融合」したように見えます。簡単に書くと、手術機械である「カエサル」を、ゴットハンドである渡海(二宮)が操作するのです。一流の機械を一流の医者が操作し、「超一流の手術が実現された」と、ドラマの中ではそう指摘されています。指摘したのは極楽とんぼの加藤さんです。役者として出演しています。

もちろん「ドラマの流れ」は不自然極まりないものです。教授(内野聖陽)の命を救うなら、渡海が最初からメスを握ればいいだけの話です。でもそういう風に自然には流れません。

最終的にはそういう不自然な流れにも意味があることが判明します。渡海がカエサルを操作したことによって、「高階」は論文を完成させ、それが教授の学会での地位を高めることにつながります。

もっとも、よく分からないのは、内野も猿之助も、何故理事長になりたいのか。日本外科学会理事長。理事長になって何を「達成」したいかがあまり描かれないので、単なる出世競争に見えてしまいます。そこはこのドラマのマイナス面だと思います。

「感想」だから「感じたこと」を書けばいいのですが、どうも「理屈っぽく」なっています。

猿之助、というより市川亀治郎、昔から好きなんですが、このドラマでは唯一といっていい「カタキ役」です。ちょっと損してるように思います。

「高階」、小泉孝太郎、演技がうまいとはとても言えませんが、頑張っていることは分かります。話ズレますが「た・か・し・な」または「たかしな!」を脚本家はひそかに流行させたいのかと思います。

でも実際は「ジャマ」の方が受けているようです。

来週は最終回みたいです。ブラックペアンがなぜブラックなのか。それは原作を読んでいない私でも、ちょっとウィキペディアを調べればすぐわかります。でも脚本家は「多少のひねり」を加えてくるに違いありません。ひねってくれないと困ります。ひねってくれないとつまらない。佐伯の体にブラックペアンを仕込んだ感じもしますが、それぐらいではつまらないかな。

「社会派ドラマ?」の割りには「荒唐無稽」ですが、それでも海外ドラマばかり見ている私にとって、日本の最近のドラマの中では、とびぬけて面白い作品だと思えます。



職場ストレス解消法を懐疑的に評価してみる。パート2。

2018年06月19日 | 日記
ストレスに強い人は、こんな人らしいのですが、

1、自分の思い通りにならなくても「まあいいか」と受け流せる性格
2、嫌なことがあってもくよくよせず、すぐに切り替えられる
3、何でも自分に都合良く解釈するポジティブさがある
4、困った時はすぐに人に頼れる
5、趣味を持っていて、現実逃避が上手

「1」と「2」は「ストレスに強いと同じ意味」です。同じことを別の表現で書いているだけ、意味ありません。「3」は「何でも自分に都合よく」では生きている上でもっと困った事態に陥るのではと心配です。「4」「5」は評価できると思います。

逆にストレスに弱い人とは、

1、まじめで、細かいことにもこだわる几帳面
2、一度言った自分の意見は譲らない頑固者
3、自分の意見があるのにはっきり言えず人に合わせる
4、頼れる人が周りにいないと考えて悩みを溜め込みがち
5、すぐに他人の失敗を責め立ててしまう

「3」は他の要素と矛盾しているように見えますが、まあいいか。「5」が面白いですね。他人を責めるとストレスが溜まる。そういえばそうです。

で、解消法なんですが、

1.体を動かす

そりゃそうでしょうね。のんびりと自転車でも漕いで。でもどうやら「有酸素運動」のことらしいのです。忙しくて泳いだり、サッカーしているヒマないわ!と言われたらどうするのか。まあウォーキングなんかは「いい」のでしょうね。でも真面目な人間は「ウォーキングしなくちゃ」がストレスになる場合も多いと思います。文句言ってますが、「体を動かす」には賛成です。

2.泣ける映画、ドラマを見る

「泣ける」が気になりますが、「感動できる」ぐらいなら分かります。実際泣けるシーンを見て「昇華」(精神の解放みたいなことを)することは有効だと思います。全部見るのは大変なので、そのシーンだけ見るのです。

3.紙に書いてみる、できたら客観的に振り返る

紙はやだな、と思います。PCを使いたい。匿名の愚痴日記ブログとか有効。書いても「下書き」にすれば公開されず、あとで「後悔」もしません。でもネットにつなぐと流失があるから、自分のPCのメモ帳かオフィスにでも書けばいいのです。紙は重要ではなく、書くことで自己認知をしたり、認知の仕方を変容させたりすることが大切だと思います。

4.紙をビリビリに破く

ものを壊すという意味でしょうね。有効な感じも受けますが、「紙をビリビリに破っている自分が嫌だ」という気分になりそうな気がします。ということで今実践してみました。特になんということもない気がします。有効かな?

5.仲のいい人と時間を過ごす

そんな時間はない人が多いのでは。仲がよくても、だからこそ「何でも言えるわけではない」場合もある。相手も忙しい。だから「仲がよくなくても、何でも言える人と時間を過ごす。またはメールする」が現実的かと思います。「何でも言える人は仲がいい人だ」ということになると、じゃあ賛成です。

6.家を掃除する

これはそうだと思います。体の運動にもなります。ただ「家を掃除する」のは大変です。終わりがない。だから「他の部屋を倉庫にしても自分の部屋だけは片づける、小綺麗にする。」ぐらいが現実的かと思います。「他の部屋」を犠牲にできない場合は「家を掃除する」しかないと思います。

7.大声を出す、騒ぐ

ライブの応援とかを指しているようです。金がかかります。「カラオケ」ならさほど金かかりません。「大声で歌う」がいいかと思います。できれば一人で。他人がいるとなかなか「バカほどの大声」は出しにくいものです。

8.ぼーっとする

有効かな?私の場合、寝てる時、寝た状態に近い時以外は「ぼーとすること」ができません。絶えず何かをやっているか、考えている。だから「ストレスたまるんだ」と言われても、「できないことはできない」のです。

9.湯船につかる

こりゃまた非常に平凡で、でも「有効な手段」です。「なんとかの湯」とか入浴剤に「こる」のも楽しいと思います。


なんやかんやで私は「非指示的な(うるさいこと言わない)理解者を得る」ことが一番重要と思うのですが、「5」だけですね、それに触れているのは。前も書いたけど、「非指示的な理解者」って意外と「いない」ものなんです。

慶長伏見地震とか加藤清正とか大阪城とか

2018年06月19日 | 歴史
はじめに書いておきますが「城とは天守閣そのもののことでなく、堀を含めた全体を城という」ということは「分かって」います。


さて大阪で大きな地震がありました。M6は十分に大きいですし、人も亡くなっているので「大きい」と言っていいと思います。

慶長伏見地震は1596年のようです。M7.5級の巨大地震で、伏見城の天守閣が倒壊したようです。この時、加藤清正が秀吉を助け出し、朝鮮の役で悪くなっていた関係が改善した、という逸話がありますが、どうやら史実ではないようです。でも、有名な逸話です。

慶長伏見地震の大阪城への影響について、ネットで「ちょっとだけ調べた」のですが、ネットで調べたぐらいでは分かりませんでした。

秀吉大阪城は大坂の陣で燃え、燃え落ちた瓦などはそのあと、地下に埋められ、埋め立ての材料とされます。そしてその上に徳川大阪城が築かれます。

その徳川大阪城も、江戸末期にほぼ焼失します。

で以下は間違いなのですが「そのあと太平洋戦争で焼けて、戦後になってコンクリートで復元された」と思い込んでいました。

それは間違いでした。

江戸末期に焼けて、そこから本格復元はなされなかったようです。ではいつ復元されたかというと、昭和6年のようです。戦前に天守閣が復元され、大阪城公園ができたようです。

なんでコンクリート復元なんだろう、という問題に関しては「科学の時代だったからだろう」と考えていましたが、それも違うようです。

建築基準法の問題で「木造の巨大建造物は建てられなかった」らしいのです。

色々と「間違った解釈を自分でして」、間違いに気が付かないままを信じていました。ほかにも沢山あると思います。

大阪城とは関係のない話ですが、

そういえばコンクリートですら、巨大ビルは禁止されていました。1970年まで、建物の高さは、原則として百尺(31メートル)に制限されていたのです。