散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

ブラックペアンの感想文その3 ヒューマンドラマとして見てみると

2018年06月22日 | ドラマ
今、橋本陽介という人の「物語論、基礎と応用」という「もの凄くつまらない本」を「手にして」いました。「手にして」と書いたのは最初の方しか読んでないからです。まあ最初の方を読めば、あとは金太郎飴のように同じことの繰り返しみたいです。つまらない物語分析を延々と書いている。題材は「シンゴジラ」とか「流行りもの」を用いています。でもつまらない。途中から「いい加減にしろよ、テメー」という気持ちになってきて、読むのをやめてしまいました。「そんな分析どうでもいいから感想でも書けよ。そっちの方がよっぱど面白しれーよ」と思います。

などと多少下品な言葉を使って書いたのは、今から書く「感想」では、私も多少の「分析」をするだろうからです。だから「つまらなさ」は同じかも知れません。

最初から、第一話を見た時から、こりゃ「ヒューマンドラマだな」と思っていました。「人間愛」がこの作品の主題です。それに比べると、医学界の問題とか手術機械とゴッドハンドの対立などはサブの主題に過ぎないと思います。

大きく分けると4種類の人間が登場します。役名でなく、俳優名で書きますが、趣里さんだけは「猫田」と書きます。趣里さんでは分からないだろうと思うからです。黒崎准教授も役名で書きます。

1、人間愛に溢れ揺らぐことがない、なおかつその人間愛を実現する(つまり人々を救う)技術を持つ人々

二宮、内野聖陽、猫田の三人がこのグループに属します。プラス加藤綾子と看護師長です。どうやら極楽とんぽ加藤もそうみたいです。内野については説明が必要かも知れませんが、長くなるので書きません。

2、人間愛は持っているものの、時々それが揺らぐ人々、なおかつその人間愛を実現する(人間を救う)技術が多少不足している人々

小泉孝太郎、黒崎准教授、キングオブコメディの今野がこのグループに属します。

3、人間愛に溢れ揺らぐことがない。しかしそれを実現するだけの技術を「まだ」少ししか持たない人々

竹内涼真と葵わかなです。ただこの二人は成長するのでやがて「1」に昇格すると予想されます。

4、人間愛がない人

市川猿之助です。志垣太郎は「分類不可能」と考えました。志垣太郎に人間愛がないのは明らかですが、なんだか特殊な存在に思えます。

つまりこの作品に「人間愛がない人は猿之助一人しかいない」のです。

他の人々は自分なりのやり方でなんとか人間愛を実現しようとします。だからこのドラマは「きわめて人間愛に溢れたもの」となっているのです。つまりは優れたヒューマンドラマです。

徐々に視聴率が上がっています。徐々に視聴者が「人間愛ものだ」と気が付いたから、「かな」と思います。それだけでは説明つかないことは分かっていますが、「もしかしてそうかな」と思います。




司馬さん原作ドラマの中の薩長同盟「長州がかわいそうじゃないか」

2018年06月22日 | ドラマ
司馬さんの作品の中では「竜馬がゆく」については二回ぐらいしか読んでいないと思います。他の作品は、あの「坂の上の雲」ですら5回以上読んでいるのに、「竜馬がゆく」はあまり読みません。「ちょっと竜馬がカッコよすぎる」のですね。もうちょっと渋い主人公が好きなんだと思います。「花神」の村田さんとかです。

最近は「薩摩が龍馬を利用して同盟を結んだ」なんて説もあります。つまり「坂本龍馬の功績はそんなに大きくないのだよ」という意見です。「いろんな意見があるな」ぐらいには思います。

以下はドラマの話です。史実とフィクションが「混在」しています。だから「それは史実ではない」と言われても困ります。

薩長同盟。1866年の3月です。大政奉還が1867年の11月です。鳥羽伏見の戦いが1868年の1月です。ほぼ2年にわたって機能した同盟であると言っていいでしょう。

最終的に結ばれたのは小松帯刀の京屋敷だったはずです。

長州の代表は桂小五郎、品川弥次郎、三好重臣らです。あれ三好って誰だ?と思って調べると、奇兵隊出身ですね。明治になってからは一貫して陸軍において働いたようです。

3月の8日ごろに桂小五郎らは京に入り、「毎日、毎日、山海の珍味で」もてなしを受けます。

が、桂からは薩摩に同盟を申し入れません。むろん体面からです。それは薩摩も同じです。

龍馬は遅れて京に入ります。

龍馬は桂に向かってこう言います」

「長州がどうした。薩摩がなんだ。武士なんぞ、藩なんぞ滅びるべくして滅びるぞ。藩の体面にばかりこだわるなら、お前たちは日本人じゃない」

桂はこう答えます。

「同盟がならずば長州は滅びるであろう。それでもいい。薩摩が残って日本の為に戦ってくれるなら幸いである。今、長州は朝敵となり周りはすべて敵である。このような弱い立場にたつ長州から同盟を申し入れたなら、それは対等な同盟とはいえない」

それを聞いた龍馬は西郷に会い、西郷を叱り飛ばします。

「いい加減に体面遊びはやめろ。長州は四面に敵を持っている。体面にこだわってはいるが、日本のことを考えていないわけじゃない」

そしてこう言うのです。

「長州が、長州がかわいそうじゃないか」

司馬さんはあの長い「竜馬がゆく」を「この一言を書くためだけに書いた」と、たしか小説の中でも言っていると思います。

これを聞いた西郷を天を見上げ、そして正座し、姿勢を正してこう言います。

「坂本さーの言う通りごわす」

こうして薩長同盟はなりました。ドラマの話です。




人の世が続く限り、裏切り金吾の名は永遠に語り継がれていく

2018年06月22日 | ドラマ
毛利家は、系譜上は鎌倉幕府の大江広元を祖としています。系譜というは実に怪しいものですから、本当のところは私なぞには分かりません。

考えてみれば、これほど日本史に影響を及ぼした藩はありません。

中国地方の毛利家は、最初は小大名、というか豪族でした。毛利元就の時、版図を一挙にひろげ、中国地方全体を領有します。「大毛利」と呼ばれました。

毛利元就の時、周りの国人勢力を次々に「乗っ取り」ます。代表例が吉川、そして小早川です。

関ケ原において、吉川は徳川と密約をし、全く動きません。吉川が動かないので、後方の毛利家本体も動けませんでした。

ここは、ちょっと気になります。吉川が動かなくても、毛利家本体が動けないってことはないのではないか。追い越していけばいい。

合戦素人の私にはそんな疑問が湧きます。とにかく毛利本体、大将毛利秀元は動きませんでした。宰相殿の空弁当なんて言葉も、ここから生まれます。

毛利家はややこしい藩で、この時の当主は毛利輝元です。が大阪城におり、関ケ原にいません。代わりの大将は毛利秀元です。でもこの人、この後長州の「当主」にはなりません。

で、最後の最後に、秀吉の親戚筋で小早川の養子となり、当時は当主だった、小早川秀秋が裏切り、関ケ原は家康の勝利、、、ということは誰でも知っていることでしょう。

この小早川秀秋は当時、金吾中納言と言われていました。「金吾」とは、官職の唐名です。

金吾中納言が裏切ったので、東軍が勝った。このことにあまり異論を唱える人はいないようです。裏切り催促のため、家康が鉄砲で脅したのか、大砲で脅したのか、は時々話題になります。

まあ、東軍が負けたとして、徳川が滅亡したかは、わかりません。徳川には後詰がありました。秀忠です。「秀忠は関ケ原わざと遅れた」という説は、負けた場合を想定したばあい、少しばかりの真実味を帯びてきます。

金吾中納言、その後若死にします。ドラマでは精神がおかしくなって、石田三成の怨霊を見るようになって、乱行を繰り返し、とまあ、こんな感じで描かれることが多いようです。

処刑される直前の三成を「見に行くシーン」も有名です。

ドラマで三成はこう叫びます。「人の世が続く限り、裏切り金吾の名は永遠に語り継がれていく。わしは、死んで鬼となっても、汝を殺さずにはおかん」と。

裏切り金吾の名は永遠に語りつがれたか、それは分かりませんが、小早川秀秋の裏切りは、ちょっと歴史が好きな人間なら知らない人はいません。

さて、徳川と密約を交わした吉川。予定ははずれ、毛利本家は取り潰される寸前までいきます。吉川は己の功績をもって毛利本家を助けてほしいと頼み、実際そうなります。

ところが、毛利本家には「吉川が余計なことをしなければ、毛利が天下を握っていた」という恨みが残ることになります。じゃあ本体が動けばいいのに、という風に私なぞは思います。

毛利はいうまでもなく「長州藩」となります。で、260年後に徳川を倒します。日本史にこれほど影響を与えた藩は、ほかにないでしょう。島津,薩摩藩は、関ケ原では勝敗を左右したわけではありません。長州藩は幕府成立に手を貸しただけでなく、倒幕でも主体となって戦いました。