史実とは何か、、と時々考えます。多少哲学的です。
事実とは何か、という言い方もできます。今日は2018年の6月29日で、サッカーWカップのことがしきりと話題になっています。
2018年ワールドカップ
A、日本は頭脳的な作戦を使って決勝トーナメントに進出した。
B、日本は勝つことを放棄し、ブーイングを浴びながらも、決勝トーナメントに進出した。
どっちも「事実」です。今日の出来事すら解釈でだいぶ違ったものとなってしまう。だから「史実とは」と私は考えてしまうのです。
とは言うものの「大阪城の石垣を作ったのは宇宙人ではない」ことは確実のようです。誰もそんなことは言いません。
なぜって「記録」が残っていて、といってもそんなに詳細な記録はないようですが、とにかく「人間が作った」ことは「確実」のようだからです。
これが「記録がない」「記録がいい加減」となると、何言ってもいいという感じになります。ピラミッドは宇宙人が作った、と言っても一応は「信じる人もいる」という状態にはなるようです。
ただし最近は「ピラミッドを作った労働者たちの遺構」が発見されて、「二日酔いで休みたい」とか「人間的な証拠」が沢山でているようです。
どうも「ピラミッドは宇宙人が作ったのではない」こともまた明らかと言ってもいい感じにはなっています。
中学生ぐらいまでは「古代ロマン」ということで「邪馬台国はどこにあった」に興味もありました。松本清張さんの本も読みました。
でも「記録」に従うなら、「記録に忠実に」従うなら、日本を通り越して太平洋の「とんでもない場所」に邪馬台国はあったことになります。
つまり「記録がいい加減」なわけです。「いい加減」なのをいいことに「様々に解釈」する人が出てきます。ただしその中の多くの方は「それなりに真剣」です。
そういう「真剣な取り組み」を茶化す気にはならないのですが、でもやっぱり「どこまでいっても結論はでない」とは思います。
結論が出なくても、研究自体が大切なのだ、と言われると「そうかな」とも思うのですが、
考古学的証拠を「自分に都合がいいように解釈して」、「解釈の上の解釈を加え、最初から用意してある結論に合わせているだけ」と思えるような「自称研究」も多いのです。
「〇〇と自分はそう考えるが、他にこう考える余地もある」というような本当に真面目な学者さんの態度には尊敬を覚えます。
しかしながら、そういう人は少ない。「〇〇だ」と言い切って、自分の結論に酔っているような人間は、どうも苦手です。まあ自分も時々そういう態度をとりますが(笑)。
事実とは何か、という言い方もできます。今日は2018年の6月29日で、サッカーWカップのことがしきりと話題になっています。
2018年ワールドカップ
A、日本は頭脳的な作戦を使って決勝トーナメントに進出した。
B、日本は勝つことを放棄し、ブーイングを浴びながらも、決勝トーナメントに進出した。
どっちも「事実」です。今日の出来事すら解釈でだいぶ違ったものとなってしまう。だから「史実とは」と私は考えてしまうのです。
とは言うものの「大阪城の石垣を作ったのは宇宙人ではない」ことは確実のようです。誰もそんなことは言いません。
なぜって「記録」が残っていて、といってもそんなに詳細な記録はないようですが、とにかく「人間が作った」ことは「確実」のようだからです。
これが「記録がない」「記録がいい加減」となると、何言ってもいいという感じになります。ピラミッドは宇宙人が作った、と言っても一応は「信じる人もいる」という状態にはなるようです。
ただし最近は「ピラミッドを作った労働者たちの遺構」が発見されて、「二日酔いで休みたい」とか「人間的な証拠」が沢山でているようです。
どうも「ピラミッドは宇宙人が作ったのではない」こともまた明らかと言ってもいい感じにはなっています。
中学生ぐらいまでは「古代ロマン」ということで「邪馬台国はどこにあった」に興味もありました。松本清張さんの本も読みました。
でも「記録」に従うなら、「記録に忠実に」従うなら、日本を通り越して太平洋の「とんでもない場所」に邪馬台国はあったことになります。
つまり「記録がいい加減」なわけです。「いい加減」なのをいいことに「様々に解釈」する人が出てきます。ただしその中の多くの方は「それなりに真剣」です。
そういう「真剣な取り組み」を茶化す気にはならないのですが、でもやっぱり「どこまでいっても結論はでない」とは思います。
結論が出なくても、研究自体が大切なのだ、と言われると「そうかな」とも思うのですが、
考古学的証拠を「自分に都合がいいように解釈して」、「解釈の上の解釈を加え、最初から用意してある結論に合わせているだけ」と思えるような「自称研究」も多いのです。
「〇〇と自分はそう考えるが、他にこう考える余地もある」というような本当に真面目な学者さんの態度には尊敬を覚えます。
しかしながら、そういう人は少ない。「〇〇だ」と言い切って、自分の結論に酔っているような人間は、どうも苦手です。まあ自分も時々そういう態度をとりますが(笑)。