散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

芥川龍之介と柳生石舟斎

2018年06月16日 | ドラマ
柳生石舟斎という人は、言うまでもなく、柳生宗矩のおやじさんです。柳生十兵衛のおじいさんですね。「言うまでもなく」かどうかは本当は分かりません。さほどドラマには登場しないし、日本史好き、刀剣好き以外の人間にとっては「なじみが薄い」名前かも知れません。

10年ぐらい前の大河ドラマ。海老蔵さんの「ムサシ」では藤田まことさんが演じました。「無刀取り」で有名ですね。

元祖無刀取り、ではないようです。新陰流は上泉信綱を開祖としてますから、無刀取りの元祖は上泉さん。しかしドラマの世界では「柳生石舟斎の無刀取り」が広く知られています。

流派とか技の問題は、ややこしくていけません。上泉さんの前だって無刀取り的な戦闘行為はあったはずですし。剣の流派のことはよく知りませんし、あまり知りたいという願望もありません。

意外とドラマには「登場しない」人です。藤田まことさん以前になると、テレビ東京の正月の大型時代劇。松本幸四郎さんの柳生宗矩、の中で平幹二朗さんが演じています。私はVHSで録画して何回も見たのでよく覚えていますが、テレビ東京ですから、日本全土の国民の認知度は分かりません。

やっと芥川が登場します。

柳生石舟斎の名を「ドラマの世界で有名にした」というか、お茶の間で有名にしたのは芥川比呂志さんという俳優です。「という」は失礼ですね。有名な方だから。でも私もはっきりと顔は覚えていないのです。

1920年生まれ、で81年に亡くなられた方です。芥川龍之介の長男です。

「春の坂道」という大河ドラマ。総集編すら残っていません。最終回のみデジタル処理されて、数年前に放映されました。

本編52話は、1971年の放映ですから、私はほとんど覚えていません。でも芥川比呂志さんの柳生石舟斎だけはよく覚えているのです。主役は柳生宗矩ですが、宗矩さんのことは死ぬシーンしか浮かびません。でも石舟斎の無刀取りはよく覚えています。家康の前で披露してみせるのです。「鬼気迫る演技」で脇役とも言える「柳生石舟斎の名」を世間に響かせました。「鬼気」は幼少の私の心さえ掴んだようです。ちなみに家康は山村聰さん。映画「トラトラトラ」の山本五十六役の方です。家康がこの方だったのも、不思議なほど覚えています。

芥川比呂志さんの演技があまりに素晴らしかったので石舟斎の名が世間に広まった。

ということは、芥川龍之介がいなければ石舟斎の名は「ドラマの世界では」、今ほど広まらなかったということになる。芥川の息子が柳生石舟斎の名を世に広めた。これがこの話のオチです。

実際は芥川が「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺した時、芥川比呂志さんは7才でした。だから龍之介より母親の「芥川文」さんの努力のたまものだと私は思います。文さんは音楽家のヤスシさんも育てました。芥川が死んだ時の態度も実に見上げたもので、素敵な女性だなと感動すら覚えます。

芥川の文さん宛の恋文が残っています。驚くほど「素直な芥川龍之介」がそこ(恋文の中)にはいて、なんとなくほっとするような手紙です。機会があれば別稿で書きたいと思います。

史実である必要はないが、リアリティは必要

2018年06月16日 | ドラマ
日本史には「正史」がありません。今に至るまでないような気がします。「昭和史」だって、学者さんによって、とらえ方がだいぶ違います。

今の時点で既に「昭和幻想」が始まっていますが、公害は酷いし差別も酷い、今に比べれば生活水準も低い。「人の心が温かかった」なんてのも「感じ方次第」でしょう。私の感じでは、さほど温かくない。今のほうがよほど温かいと思います。生活苦が多いから、犯罪も多く、特に少年犯罪は今とは比較にならないほど多かった。みんなギリギリで「人に温かく」なんてしてられない時代だったのです。昭和幻想がない私にとって、昭和なんてろくな時代ではない、と思われてなりません。

とにかく日本史には「正史」がありません。記録が非常にあいまい。記録があまりないから、伝頼朝の絵画が実は足利直義の絵だったなんて事態も平気で起こります。源頼朝と足利直義では、時代が150年も違います。こういうことが平気で起こるのです。

ドラマ化という観点からみると、これは「幸い」でありましょう。「正史」「きちんとした記録」がないのだから、どんな「空想」だって小説にできます。正史があってもできますが(韓国のように)、やはりないほうが「自由度」は増すでしょう。

信長は秀吉が殺した。しかも本能寺から外に続く「トンネルをふさいで」殺したってのが「信長の棺」の大前提ですが、こんな「トンデモ説」だって「完全否定はできない」のです。だって資料がないのだから。あ、私は感情としては「完全否定」をしています。「信長の棺」という小説がとんでもなく「つまらない」からです。

「信長は謀略で殺されたのか」という本は、上記のトンデモ説を完全否定していますが、「根拠は主に信長公記」です。「信長公記」なんて「個人のメモ」みたいなもんで、正史でもなんでもありません。繰り返しになりますが、「信長の棺」がいかに「トンデモ」であっても、完全否定は無理なんです。正史も完全に信頼できる資料もほとんどないからです。

「正史」だって嘘はあるだろう。まあ、そういう反論もあるでしょう。でも普通の歴史書や個人の日記、メモ、手紙類に比べれば、信頼度は格段に上であることは間違いありません。嘘がないようにチェックする体制のもとで書かれているわけですから。たとえ「王」でも原則的には「正史」に手出しはできません。もちろん「正史にも嘘」はあります。でも「少ない」ことは確かでしょう。

正史がなくて幸いだった。ドラマ好きにとってはそうなると思います。

日本の「正史らしきもの」は日本書紀から始まります。8世紀の初めですね。天武天皇の時代です。日本書紀には「天皇」が沢山でてきます。しかし日本で最初に天皇号が使われたのは天武天皇からで、これはほぼ間違いないようです。少なくとも天武以前には天皇号を持った存在はいません。でも日本書紀には天皇が沢山でてきます。

日本書紀の場合「嘘と誠が混在」してますから、ややこしいみたいですが、「正史」とはとても言えません。

そのあとも「正史らしきもの」は多く作られましたが、みな「嘘と誠が混在」したものです。

鎌倉時代には「吾妻鏡」があります。鎌倉幕府に「都合がいい歴史」が色々書かれています。誠も多いが嘘も多い、のがこの本です。

江戸時代には「徳川実記」とか水戸の「大日本史」。「嘘ばっかり」ではないですが、「本当ばっかり」でもない著作です。

室町時代には「神皇正統記」とか「鏡がつく本」とか「太平記」とか。あと江戸時代に書かれた「後鑑」などがあるようです。「後鑑」ってのは知りませんでした。何が書かれているのだろう。

まあみんな正史とは言えない本ばかりで、だから「日記」「手紙」「公文書」などが日本史では重視されます。

でも「日記」や「手紙」なんてのは資料と言えるかどうか。私なんて日記(正確にはブログ)にうそを書くことがあります。頭から信じていいとは思えません。「公文書」も怪しいもんです。「たてまえ」が書かれていますから。

日本史には正史もないし、完全に信用できる文書も少ない。だからドラマや小説の「自由度」は非常に高い。

だからこそ逆に大河ドラマ等では「リアリティ」が問われます。嘘は書いてもいい。でも「本当っぱく嘘をついて」欲しい、と思います。あまりに「トンデモ」だと、見る気が失せてしまいます。

本能寺の下の「トンネル」なんてのは論外ですが、「平清盛と源義朝は友情で結ばれていた」とか「13代将軍家定は愚人のふりをしていた」とか「秀吉と淀の関係は実は素晴らしい純愛だった」とか、本当、いい加減にしろ、という感じがしてなりません。

「信玄と謙信の一騎打ちだって嘘だろう」って反論もあるでしょう。まあその通りです。でもこれには「嘘として歴史の古さ」「嘘としての年輪」があります。だから嘘と分かっていても「リアリティ」を感じることができるのです。

嘘はかまいません。でももっと「本当らしい嘘」をついて欲しいものです。