鏡海亭 Kagami-Tei ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石? | ||||
孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン) |
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第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、 ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら! |
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第53話(その1) 連載小説『アルフェリオン』本格復帰です!
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天与に恵まれていない者が、
変わらぬ自分自身のままで居続けることを望むなら、
敢えて独りで歩むことも恐れてはならない。
(手記: 旧世界の集合住宅と思われる
高き塔の遺構にて発見)
第53話 その1
「はい。今日は、きっと何かが起こります」
土鈴(どれい)がころころと音を奏でるような、素朴で親しみやすい響きながらも、同時に凛とした強さをも内に感じさせる口調のもと、まだ年若い誰かがつぶやいた。そして水音。大小様々な石や岩の転がる手つかずの地面を、幾筋にも分かれて流れる谷川を臨みつつ、こぢんまりとした台地の上に人影がみえる。その控えめな声は、周囲に広がる鬱蒼とした樹々の中に吸い込まれ、あるいは、苔むした岩を噛み、白泡(はくほう)を生んでは消えていく沢の流れに、かき消されるように霧散していく。
「素敵な天気ですね。服が良く乾きそうです」
独り言であるにもかかわらず、何故か敬語で紡がれる少し奇妙な語り口。その声の主は、おそらく近辺の木の蔦で編まれたのであろう素朴な籠の中から、洗いたての衣を手に取り、出来ばえに満足して頷くと、掌で軽くはたいた。木々の間に渡されたロープと、そこに揺れる洗濯物がいくつか見える。
全体的に華奢な感じではあるにせよ、その後ろ姿を遠くから一瞥しただけでは、少年と呼ぶべきか少女と呼ぶべきなのか、いまひとつ分からない。膝裏まで伸びる紺色の上着が風に吹かれ、簡素な白いキュロットがみえた。どことなく僧衣を思わせる上衣から細長い脚が伸びている様子は、大人の服を借りてきた子供のようでもあった。
黒い帽子の下から遠慮がちにのぞく髪は、朝日を浴びて銀色に輝く。もはや目を覚まし、みるみる天高く登っていく太陽を横目に眺めるその瞳は、大きく、よく動き、澄んだ神秘的な光をたたえている。石灰質の川底の悪戯によって翡翠色に照り映える、あたかもここ、ハルスの谷の水色のように。
「分かります。感じます。やっと会える……。私の大切な」
――おにぃ、さん。
心の奥にしまっておくようにそう付け加え、《彼女》は振り返ると、両の掌を胸元で握り合わせた。自らに花の色の漂うことをまだ知らない、男の子のような横顔から、しかし伸びる柔らかな輪郭線は、この子がいずれひとりの女性になることを告げていた。
◇
イリュシオーネ大陸のおよそ中央部、オーリウム、ミルファーン、ガノリスの三国が国境を接する地域には、大陸最高峰の山岳からなるラプルス山脈がそびえている。その峻険な峰々については、使い古された喩えを繰り返すまでもないであろうが、それでも敢えて言えば、あたかも三つの国を区切る大屋根のようだ。
この世界の屋根ラプルスの北端から伸びる、幾分穏やかな山々が、オーリウムとミルファーンの国境地帯となるハルス山地である。ラプルスの様相とは――すなわち、荒涼として灌木や下草程度しかみられない、白くて無機質な岩だらけの山並みが屏風のようにそそり立つ光景とは――大きく異なり、ハルスは昼なお暗き森や無数の谷川に覆われた深緑(しんりょく)の世界だ。隣り合った山脈であるにもかかわらず、両者の間で環境がここまで違うという点は、もはや驚きを超えて、何か人知を超えた力の作用すら感じさせる。
さらに、エルハイン、ミトーニアに続くオーリウム第三の都市にして北部の要であるノルスハファーン(オーリウム語で「北の港」の意)と一方で近く、他方にはミルファーンの王都たるケンゲリックハヴン(ミルファーン語で「王の港」の意)を裾野に擁するハルスの山々は、それら二つの大都に比較的近いにもかかわらず、容易には人跡の届かない深山であるという土地柄から、古き詩や昔語りの中でもすでに、都落ちの者たちや隠棲者の隠れ里としての独特な位置づけを与えられてきた。そして今も、俗世を離れた一人の者にとって、静かな終の棲家となっているのである。
「おやまぁ。エレオノーア……いや、エレオン、もう洗濯終わったのかしら」
魔道士のような頭巾を被った、否、魔道士の「ような」と、つまり彼女が魔法使いそのものではなかろうと直ちに表現できることには、理由がある。それは、素人目にも彼女が呪文使いであるというよりは、むしろ自らの手でもって戦う人、闘士や剣士であることを想起させる独特のたたずまいからであった。生来の銀髪か、後天の白髪か、もはやいずれか分からなくなった、いまなお猛々しく美しい目の前の老女は、かつてミルファーンにその人ありと讃えられた機装騎士であった。ちなみにここはミルファーンではなく、そこにほど近い、オーリウム領内の辺境なのだけれども。
ただ、かつての勇猛な騎士も、現在では、少なくとも普段は、慈母の微笑みを浮かべた穏やかなお婆ちゃんという印象をまとっていた。
「今朝はいつになく早いね。朝ご飯前に、ひと眠り、やり直したらどうだい? あたしは、まだ眠いよ」
谷あいに隠れるように立つ簡素な小屋、扉を開けて元気に帰ってきたエレオンを、つまりは少年の名で呼ばれた少女エレオノーアを前にして、彼女は寝ぼけまなこで手を振った。
「いえ。リオーネ先生。今日は、じっとしていられないんです」
洗濯物の入っていた網籠を部屋の隅に置くと、エレオノーアは両手で胸を押さえながら答えた。
「こう、心の中がぞくぞくと……」
「その目、何か特別なことを感じたのかい。まぁ、お前の直感は、時々、預言者も真っ青なものだからね」
彼女のことを師と呼んだエレオノーアの頭を、老女は優しく撫でた。一見して上品な見た目に反する、武骨で古傷にまみれた指先で。
北方の雄・ミルファーン王国は、オーリウムの《パラス・テンプルナイツ》やガノリスの《デツァクロン》、あるいはエスカリアの《コルプ・レガロス》のような、戦場の只中を駆け巡り、その勇名を世界に轟かせるエリート機装騎士団を有しているとは、必ずしも言えないところがある。だが、いわゆる「特務機装騎士団」、いわば隠密行動の特殊部隊に関していえば、イリュシオーネ各国が恐れる《灰の旅団》がミルファーンには存在するのだ。この灰の旅団の中でもひときわ優れた機装騎士として、かつて知られた人物が、今ではこのフードの老婦人、リオーネ・デン・ヘルマレイアに他ならない。
エレオノーアの溌溂とした姿、上着を脱いで壁に掛け、台所に向かって小走りしていく背中を見ながら、リオーネは軽くため息をついた。
「こっちは、良くないよ。今朝は、あのろくでもない娘が夢に出てきちまった」
リオーネはフードの上から頭をかき、忌々しげに首を左右に振ると、面倒くさそうに奥の部屋に歩いていく。
「シェフィーア……。最近のオーリウムの雲行きをみていると、遠からずミルファーンも、あの娘が嬉々として暴れ回るような事態に巻き込まれそうだね」
【第53話(その2)に続く】