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色んな出来事を載せています、見てくださいね!

ひろしま歴史街道散策くらぶ(11月散策会)に参加! 2

2019-11-22 19:51:50 | ひろしま歴史街道散策会
 
 続きます。
 ◎ 雲石街道分岐点  道標があった。(現在は安神社に立つ)
 
  

 右 → 出雲街道
 

 

 左 → 廿日市方面
 


 ◎ 古民家 
  軒裏の「ガイシ」「格子のはまったすりガラスの窓」
 

 

 ◎ 恵比須神社 雲石街道筋に立つ。(商業の祭神)
 

 

 毛利、福島時代の雲石街道。(幅、7尺)
 

 ◎ 安神社
  元の名を「祇園社」と言い、町名の由来となっている。
  当初松尾山(祇園中学校付近)にありましたが、正安(1299~1301)の頃、
  兵火に遇い焼失、その後、武田氏がこの場所に社殿を建立した伝えられる。
  明治43年(1910)にも火災にあいましたが、ご神体は難を逃れています。
  現在の社殿は大正2年(1913)に再建された。
 

 
 

 

 

 神殿は伊勢神宮を模したもの。
 

 

 「道標」 古市の雲石街道分岐の道標。
 

 「祇園坊柿」の発祥の地とされる。
 (大きい実が付いていました)
 

 「古木」境内の古木も歴史を感じます。
 

 

 電線にいるのは「ひよどり」?
 


 ◎ 武田時代の雲石街道筋。(道幅、6尺弱)
  

 

 「AIC欧州学園」→ 元、大下学園。
 

 (今も残る、木製電柱)
 

 

 ◎ 安芸津彦神社(官弊社)
  ご祭神;安芸津彦紳 安芸津姫神
 

 

 

 


 ◎ 桑原卯之助の生家。
 
 

 ◎ 下祇園駅
 


 午後、16:40
 最終解散地、下祗園駅に到着です。
 陽もかたむきかけた夕暮れです。
 雲石街道筋よく歩きました。
 7200歩、5kmのスマホの歩数計です。
 皆さんお疲れ様でした。
 16:48の可部線、広島行きのJRで帰宅しました。 
    END

             
 
コメント (4)
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ひろしま歴史街道散策くらぶ(11月散策会)に参加! 1

2019-11-22 14:27:55 | ひろしま歴史街道散策会
 ひろしま歴史街道散策会に参加! 
 令和元年11月21日(木)  14:00 JR可部線緑井駅 集合 18名参加
  
   散策会 「雲石街道と安川西岸」
   散策経路  
    雲石街道~中須胡子神社~古市~一里塚跡~浄宗寺~古市橋跡~
    安神社~勝想寺~官弊社

   案内人  佐々木卓也氏  指南役
 

  


 好天に恵まれ、雲石街道を歩きます。
 ◎ 旧雲石街道
  雲石街道は現在の中区堺町で西国街道から分かれ、可部、吉田、三次等を経て出雲に
  至る出雲路と、可部から石見(益田方面)に至る石見路の総称である。
  古市では県道矢口安古市線(横川と可部を結ぶ旧国道の一部)がこれにあたる。
 

 
 


 ◎ 八木用水
  江戸時代中期に開削された延長約16kmの農業用水路。
  太田川右岸の佐東、安古市、祇園にまたがる地域の農業用水を確保するため、
  南下安村の大工卯之助が中心となって工事を行った。
 


 ◎ 中須胡子神社 → 雲石街道に立つ神社
 
 

 


 ◎ 安川  → 以前は荒れ川で水害が多かった。
  

 ◎ 石畳み 
  麻うくりが盛んだった明治から大正にかけて、古市の町には煮汲屋(にこぎや)と呼ばれ
  る麻の繊維工場が50軒ほどあった。
  古川あ繊維の「けば」をこそぎ落す作業が行われており、旧街道に沿って河原へ通じる
  石畳や麻製品が保管された蔵が残っている。
 

 



 ◎ 水準点  
  

◎ 一里塚跡  この辺りに一里塚があった。
 


 ◎ 浄宗寺
  天正年間(1573~1591)僧浄具が開基し、当時は天台宗であった。
  元禄4年(1691)5月22日に時の住持寿礼(県史では寿福と記載)が改宗して
  真宗となる。
  元は中筋切戸にあったが、明治35年(1902)旧国道に面した現在の地に移った。
 


 


 


 


 (本堂に上がらせて貰って説明を聞く)

 ◎ 安佐南区役所
  休憩に立ち寄る。
 

 5m以上もある長径の畳。
 


 野外彫刻  → 旅たち  作 :
 

 野外彫刻  → 和  作:片岡 享
 

 ◎ 薬師如来分詞 → 中は空っぽでした。
 

 ◎ 軽便鉄道跡
  明治44年(1911)横川~可部間で開通した軽便鉄道は、山陽鉄道(現山陽本線)
  などより軌道幅の小さい規格の鉄道で、馬力も小さく急な上り坂では乗客が降りて
  後押ししたこともあったです。
 

 ◎ 安川跡 → 流路を古川に変更で埋め立てられた。
  

 古市橋跡 → コンクリートの当時はしゃれた橋であった。
 


 長くなりますので、続きます・・・

コメント (2)
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