2024年は今までになく「個人的な年」になった。
誰にでも共通する世の中に向いていた目が、人のことや世の中より、自分ばかりを見ていた。
といってもワタシというアイデンティティを見るんじゃなくて、むしろその逆で、ワタシを無くして世の中を見ながら、そんな自分を観察するような、言葉にすると難しいことをやっていた。
ただ言葉にするのが難しいだけで、やったことはめちゃくちゃ簡単でシンプルなこと。
一言で言うと、家の中の不用品を捨てるように、頭の中の不用品を捨てた感じ?
家の中のモノと違うのは、永遠に捨てるんじゃなくて、必要な時は取り出せるんだけど、それ以外はいつも完全に捨てた状態にしていられることで、それがなんとも合理的で感心した。
余計なものが無いので、常に頭がスッキリしている。
頭の中が断捨離されて、風が吹き抜けるような爽快感に私がハマらないはずがなく🤣
夏に家の中も断捨離したので、いつになくあっさりした年の暮れを迎えている。
狂ったようにしか思えなかった世の中も底をついて、これから霧が晴れていくようによくなっていくみたいだ。
それを辛抱強く待って、いつかいつかと楽しみにしていたはずが、世の中より意識の変容の方がずっと面白くなってしまったという意外な顛末を感じながら。
同じです。
あれもこれも抱えてカオスでいたい人はいいけど、無駄が嫌い、スッキリがいいという人は向いているのでお勧めします。
確かに頭の言うことって、たいしたこと言わないし、言っても他人のうわさ話とかスキャンダルとか、忘れたいこととか、先の不安とか、よくいる下世話な友人程度。
普段シーンとしていて、必要な時だけ動いてくれればこんな効率的なことはない。
私はそれだけでおー!!と飛びついたもんね。
だって想像してみてください。常ににあなたに付きまとってくだらないおしゃべりをずっとしてくる友人がいたとして、リアルだったらガマンして愛想笑いとか相槌を打たないといけない。
で、ついついしょうもないことに乗せられてしまう。
それを露骨に無視していいんですよ?
ちゃんと聞こえたとしても、真に受けなくていい。ノーリアクションとか半笑いでまともに聞いてなくていい。
これが失礼じゃなくて逆に良いことになる。
めっちゃ爽快じゃないですか?
そんなわけで、私はワークなんて一切しないで、これで超楽しく思考を消しました。
相手にしないとどんどんヘタレて、本当にマンガみたいに消えるんですよ。
身体の意識を当てたかったら、わざわざワークなんて時間を儲けなくても、シャワーとかストレッチとか皿洗いとか仕事とか自転車の乗ってる時とか、一人で単純作業をしている時、その瞬間にゾーンに入ればいいだけです。
余計なことを考えないで没頭するだけ。
シャワーの温度気持ちいいなあとか。風が頬に心地いいなあとか。
ホントは山や森に行って意識を開きたいけど、ふつうの主婦にそんな時間ないし。
私はそんな感じで、それを勝手にマインドフルネスとしたけど、一応話を聞いたり、かなりの本を読んだ上での納得した結果です。
やり方は一つじゃなくて、いろいろあると思いますので参考まで。
だって自分なら自分の意思で止められるのに、勝手にしゃべるじゃない?それを見て、私は「ホントだ~私じゃないんだ、じゃあバイナラ」とあっさり納得できた。
たまに「そんなに考えたいんだったら私の忘れ物チェックとか、スケジュール管理をかっちりやって」とお願いする。
「ミッションを与えるから大丈夫、死なないから」と説得したり。
逆に私が真に受けたいのがスーパーコンピュータさんの方。
もちろんウェルカムで、そんなスパコンさんが私を大好きでいてくれるなんて最高じゃないですか♡
こういうことを「露一つ疑わず」「本気で思って」日々を過ごしています。
どんな狂った世の中も、私のこういう「信じる」を、奪うことも弱らせることもできなかった。
なのでいわゆる左脳さんには「私の大事なアシスタントでいて」と言ってあるんですよ。
「その代わり無駄なおしゃべりはしないで」と言ったら一発でしたよ。
私の感想では「さすがは左脳さん、言葉が通じる」でした🤣
でも、これに気づいたら私は絶対従いますよ。
一生懸命、聞こう聞こうとしているうちにきっとそんな感覚も鋭くなっていくんだと信じてます。
こんなの全部、自分の中で完結していることだから、誰からも「何言ってんの?」と言われなくていいよね。
だから皆さんにもお勧めします。
人を眺めまわしているより、自分を見ている方が断然おもしろいんだって。