偉そうなことは言えないけれど、数年間ネットでいろいろな方を見聞きして、また積極的に話しかけて、話しかけられた結果、自分なりの感想を書く。
意見のちがう相手を説得するとか、諭そうとか、論破しようなどとは、努々思うことなかれ。
そんなのは幻想、ファンタジーである。
自由、フリーダムである。
川沿い、リバーサイドである。
ああ、あなたはそんな考えなのですね。それはようございました。
ちなみに私はこうです。
お互いがんばりましょう。
これでいいと思う。
いつかそれぞれの言い分が、何かのきっかけで「ああ、そういうことか」と自分でわかる日が来るまで、そんなもん放っとけばいいのさ。
価値観が変わるなんてのは、数時間とか一日とか三日とか、そんなせっかちなもんじゃない。
一生かけて、できるかできないかくらいの難題と思う。
(死んでも直らない人を見ている人は、この意味がわかると思います)
そんなことより、お互いの共通点を見つけてアソボーぜい!!v('▽^*)♫
意見のちがう相手を説得するとか、諭そうとか、論破しようなどとは、努々思うことなかれ。
そんなのは幻想、ファンタジーである。
自由、フリーダムである。
川沿い、リバーサイドである。
ああ、あなたはそんな考えなのですね。それはようございました。
ちなみに私はこうです。
お互いがんばりましょう。
これでいいと思う。
いつかそれぞれの言い分が、何かのきっかけで「ああ、そういうことか」と自分でわかる日が来るまで、そんなもん放っとけばいいのさ。
価値観が変わるなんてのは、数時間とか一日とか三日とか、そんなせっかちなもんじゃない。
一生かけて、できるかできないかくらいの難題と思う。
(死んでも直らない人を見ている人は、この意味がわかると思います)
そんなことより、お互いの共通点を見つけてアソボーぜい!!v('▽^*)♫
そう思います。
だからこそ覚醒できた人は、素直に「あ~良かった」でいいんじゃないでしょうかね。
我が家の場合、主人がいまだに強信者なので、対決姿勢だと、お互いに一緒に生活なんてできないんですよね。
それでも、覚醒当初は、なんとか覚醒させようと激しくぶつかりあって、傷つけあってきました。
でも、かつての自分がそうだったように、信者は心底信じているんですよ。
だから「それは違う」っていう事を前提で話すと、どのようなアプローチをしようとも相手は受け入れる事は、できないんですよね。
価値観が全く違ってしまった相手と生活していく上で心がけているのは、その人が大切にしている部分を否定しない。
あえて触れる事もしない。
信者にとっては、信の部分ですね。
これは、ぶつかりあったからこその結論です。
とはいえ、時々喧嘩になると「辞めた事で、今まで積み上げてきた福運を全て台無しにしてしまったんだぞ!」って信者バリバリ用語で言ってくる時があります。
そんな時は「はいはい、じゃ、私の代わりに積んどいてー♪」でかわして対決しません。
同じ事象をみても、向こうは「題目のおかげだ」で仕事への意欲がどんどん上昇して感謝しているのなら、それはそれでいいんじゃないでしょうかね。
って「今は」思っています。
これは、同じ家に信者がいるか否かでも、感じ方は違うと思います。
家の中で常に対決なんてしてられませんよ。
海さんがいつぞや書かれた「平行線という名の平和」ですね。
海さんのブログで、コメント途中のまま、バックレていたケイ2です。
対話のコツ(^^)d
海さん、そうですね。そうだと思いました。
お盆休みの無い職場のケイ2でした。
肯定するところから始めないとダメってことですね。
Sにいたからとかそんなこと関係なく、相手を尊重する姿勢が大事だという事を、いろんなことから学びました。
今の自分にはSは必要としない、だけど必要と感じている人にとやかく言う必要もないと思います。
どんなことでも自分がそう思わない限り、その人の考えを他人が変える事なんて出来ないと思います。
「こうだ」と思っていることを、どこの誰ともわからないネットの人間と言い合いしただけで、180度違うことを「そうですね!目からウロコです!」なんて誰が言いますか。
そんなの何だってそうですよね。
相手を巧みな理詰めなり、お涙頂戴なり、執拗に説得するほど、当人は岩石みたいに強固。
そういう人って半端ない愛情?で説得にくるけど、応じなかった時は手の平返しで恨みもすごいので注意です。