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【田中角栄が首相だったらマスク2枚は配らない】「田中角栄の時代」があった~「日中国交回復は裏安保」 いずれ米国から軍備の増強を迫られる、その前に中国との国交正常化が大事だ~

2022-12-01 07:02:34 | 日記

 


■名もなき庶民が日本の主役だった「田中角栄の時代」があった

週刊ポスト 2015.06.30 山本皓一

https://www.news-postseven.com/archives/20150630_332539.html?DETAIL

 

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かつて「田中角栄の時代」があった。

それは名もなき庶民がこの国の主役だった時代である。


〈政治は、地表を吹きすぎていく風のようなもので、国民にとって邪魔になる小石を丹念に拾って捨てる、それだけの仕事である。理想よりも現実を見つめ、国民がメシを食えるようにすることが大事だ〉──角栄語録の一節には政治の原点がそう語られている。


政治家の役割は、安倍晋三首相のように「オレが最高責任者だ」と国家・社会を自分の思想に染めようとすることではない。

あくまで“政治家は脇役、主役は庶民”という徹底した民主主義の思想がそこにはある。


1972年、「今太閤」「庶民宰相」と呼ばれ、国民の熱狂的な歓迎の中で首相に就任した角栄だったが、人気とは裏腹に、当時の日本社会は高度成長のピークを過ぎ、大都市と地方の格差の増大、公害の深刻化といった社会のひずみが表面化して、国民の閉塞感と政治への失望が広がっていた。


それは現在の日本が置かれた状況と重なる。

あの時代、角栄の目はまっすぐ国民生活の再生に向けられた。


彼の政治手法がそれ以前やその後の門閥政治家、官僚出身政治家と違ったのは、自分たちの役割は国民のためにならない法律、時代に合わない法律をつくりかえて国民生活を豊かにすることにあるという強い信念があったことだろう。

「政治は数、数は力」と自民党内で勢力をのばしながらも、数に驕る手法ではなく、むしろ多様な意見に耳を傾け、自分と意見が違っても有為な人材であればどんどん登用した。

苦労人ならではの人間的な幅広さと奥行きがあった。


だからこそ、多くの政治家が集まり、官僚たちも角栄のブレーンとなって政策の行き詰まりを突破しようとした。

その1人だった下河辺淳・元国土事務次官は角栄登場の意味をこう語っている。


「日本社会のひずみはもはや西洋から輸入された東大法学部の学問、政治、法律では解決できなかった。田中角栄は1人の日本人、新潟県人として発想し、必要なら六法全書さえ否定する行動力があった」


もちろん、「六法全書の否定」とは、安倍首相のように憲法の解釈論をこねくり回して自衛隊を海外に派遣しようという“官僚的ご都合主義”とは全く違う。


角栄は国土や社会のひずみを改めるために、日本列島改造論を掲げて全国に道路をつくり、トンネルを掘り、国土開発を推し進めた。

そうしたやり方は“土建屋政治の元祖”のように批判されるが、今の政治家の公共事業バラマキとは異なっていた。

大都市に集中した産業を地方に分散させて格差をなくすという原則を打ち出し、産業再配置と、こんな社会ビジョンを描いていた。


〈二十代、三十代の働きざかりは職住接近の高層アパートに、四十代近くになれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜農業にいそしむであろう〉(著書『日本列島改造論』より)


これほど明快な社会ビジョンを国民に提示することができた政治家は後にも先にもいない。

外交面でも、角栄は戦後日本の課題だった日中国交正常化を成し遂げ、エネルギーをアメリカの石油メジャーに依存しない独自のアジア資源外交を展開した。角栄の外交思想を端的に表わした言葉がある。


「人の悪口を言ったり、自分が過去に犯した過ちを反省せず、自分がすべて正しいとする考え方は国の中でも外でも通用しない」


「主張する外交」を掲げながらも芳しい成果を残せない安倍首相は、この言葉をどう聞くのだろうか。

国民が今「角栄の時代」に郷愁を感じるのは、偶然ではない。


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名もなき庶民が日本の主役だった「田中角栄の時代」があった
週刊ポスト 2015.06.30 山本皓一
https://www.news-postseven.com/archives/20150630_332539.html?DETAIL

 

 

 

 

 


■鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄……。今こそ聞きたい、日本の「自立」を追求した政治家たちの言葉

ハーバー・ビジネス・オンライン(扶桑社)2019.07.26

https://hbol.jp/197871

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・トランプ安保破棄発言こそ対米自立の好機


6月のG20直前、Bloombergが「トランプ大統領は日本との安保条約を密かに破棄すべく熟考中」と配信した。(参照:Bloomberg)


菅義偉官房長官が慌ててトランプ発言を否定したが、その直後にトランプ大統領は「日本が攻撃されれば、アメリカは第三次世界大戦を戦い猛烈な犠牲を払うことになるが、日本はアメリカが攻撃されているのをソニーのテレビで見物するだけだ」と発言した。


トランプ大統領の日米安保条約破棄発言は、決して気まぐれや思いつきではない。

同種の発言は3年前の大統領選当時にもあったし、欧州各国にも「アメリカに頼むなら応分の負担をしろ」と言明している。


『月刊日本』8月号では、こうしたトランプ大統領の「日米安保条約破棄」発言を奇貨として、我が国は自国の安全をどう確保すべきか、虚心坦懐に考えるチャンスだとして、「トランプ安保破棄発言 対米自立の好機」という特集を組んでいる。


今回はその中から、戦後の日米安保体制の中にあって、日本の自立を追求した政治家について論じた同誌編集部の論考を紹介したい。


・モノマネされる安倍総理


「先ほどアメリカのトランプ大統領と電話で会談をしました。私たちの思いは一致しました」

これは安倍晋三総理の言葉ではない。東北出身のお笑い芸人・サンドウィッチマンの伊達みきおさんが、テレビ番組で披露した安倍総理のモノマネである。


伊達さん扮する安倍総理は、どんな話題を振られても「先ほどトランプ大統領に電話しました」としか応じない。

新元号や景気回復など、直接アメリカと関係のないことを聞かれても、トランプの話しかしないのだ。


司会者から「すぐトランプに電話するやん」とツッコミが入り、番組は笑いの渦に包まれた。

「沖縄タイムス」はこのモノマネに注目し、安倍総理の対米従属ぶりを連想させる「爽快な風刺」と指摘した。


しかし、伊達さんに安倍総理を揶揄する意図はなかったのではないか。

単に安倍総理の特徴を忠実にマネしているだけのように見える。


番組の観覧客や視聴者たちも、モノマネが風刺として優れていたから笑ったわけではあるまい。

日頃マスコミに出てくる安倍総理の特徴をうまく捉えているから面白かったというだけだろう。


逆に言えば、国民の間にも、安倍政権を支持しているかどうかはともかく、安倍総理がトランプ大統領べったりという印象が広がっているということである。

安倍総理はトランプ政権が誕生して以来、トランプ大統領に徹底的に媚を売ってきた。


安倍総理がトランプ大統領の前で見せる顔は、有権者に愛想を振りまく政治家の顔に似ている。

政治家は票のためなら土下座もいとわない。


安倍総理の振る舞いにはそれに近いものがある。

事実、戦後の日本では、アメリカから支持を得た政権は長期政権を築いてきた。


安倍総理もそのことをよく理解しているから、国民よりもアメリカの意向を重視するのだろう。

戦後の日本はアメリカと同盟関係にあるため、どうしてもアメリカの行動に引きずられてしまう。


それは安倍政権に限った話ではない。

しかしそうした中でも、日本の自立を追求した政治家たちがいたことも忘れてはならない。


以下では、その中でも、特に現代的に価値があると思われる政治家たちの言葉を見ていきたい。


まず、鳩山一郎である。

鳩山は第一次鳩山内閣における施政方針演説で、次のように述べた。


「今日わが国の最大の課題は、すみやかにわが国の自主独立を完成いたし、独立国家の国民としての自覚を高め、わが国の自立再建を達成することにあると信じております。このため、政府は、まず、外交においては、世界平和の確保と各国との共存共栄を目標とし、広く国民の理解と支持とによる積極的な自主平和外交を展開しようとするものであります。(中略)変転する国際情勢のもとにあつて、わが国の自主独立の実をあげるためにも、国力の許す範囲において、みずからの手によつてみずからの国を守るべき態勢を一日も早く樹立することは、国家として当然の責務であろうと存ずるのであります。従つて、防衛問題に関する政府の基本方針は、国力相応の自衛力を充実整備して、すみやかに自主防衛態勢を確立することによつて駐留軍の早期撤退を期するにあります。」(1955年1月22日「施政方針演説」)


これはのちに自民党の党是へつながっていく。

自主防衛態勢の確立や駐留軍の早期撤退といった議論は、現在から見ると実に隔世の感がある。


次に石橋湛山の外交戦略を見てみよう。

石橋は総理をやめたあと、「日中米ソ平和同盟」という壮大な構想をぶち上げた。

アメリカとソ連、中国の間にある不信感を拭い去り、地域の平和を確保するために、日米間の同盟関係を日米中ソの四か国間まで広げるべきだと主張したのだ。


「……わが国としては、社会党のように、今にわかに米国を『日中共同の敵』ときめつけるのは、従来の歴史を顧みない突飛な行動で、非常識きわまりないと言わざるをえない。日本としては、米国を仇よばわりする前に、米国とソ連、中国の間を仲介し、現在、日米二国間だけに適用されている安全保障条約を、日中米ソ四国間にまで拡げて、相互安全保障条約の方向に努力することが賢明な策である。こうしてはじめて、東洋の平和を保ちうるのみならず、世界平和をも回復できるのである。私の主張する日中米ソ四国の平和同盟というものは、以上のごとく、実はわが国にとって、ソ連および中国との関係から是非とも必要なのである。」(石橋湛山「日中米ソ平和同盟の提唱」)


最後に注目したいのが、田中角栄である。

田中角栄は新潟日報東京報道部記者だった小田敏三氏に対して、「裏安保なんだよ、日中は」と述べ、次のように続けた。


「日米安保によって日本は、国防を米国に任せ、自分たちは経済繁栄を享受できた。これからは分からん。米ソ関係が悪いと日本に軍備の強化を要求してくる。米とソ、日本とソ連の間にいる中国の数億の民が壁になったんだ。中国と組んだから軍事費はいまも一%以内なんだ。そうでなけりゃ三%ぐらいだ。米国が要求するから。米国は二等辺三角形の底辺なんだよ。」(新潟日報編『入門 田中角栄』)


この「日中裏安保論」は、池田勇人総理の秘書官だった伊藤昌哉によると、池田の持論だったという。

池田が大平正芳にこの話をしていたので、それが田中に伝わった可能性があるようだ。

小田氏によれば、アメリカから日本に対してベトナム戦争派兵への圧力が強まったときも、田中角栄は「どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない」と述べた。

官僚たちが「アメリカからの強い要請がある」と強く言っても、「そういうときには、憲法9条を使えばいい」と返したという(『週刊新潮』2019年6月20日号)。

安倍総理にはぜひ角栄の爪の垢を煎じて飲んでいただきたいものだ。


・同盟に忠実であることの危険性


もとより、安倍総理が何から何までトランプの言いなりだと言うつもりはない。

たとえば、2018年7月に北村滋内閣情報官は北朝鮮のキム・ソンヘ統一戦線策略室長とベトナムで極秘裏に接触した。


これに対して、アメリカの政府高官は、日本が事前に会談のことをアメリカに伝えなかったとして不快感を示した。

トランプが板門店で金正恩と会談することを日本に事前に伝えなかったのも、その意趣返しだったのかもしれない。


とはいえ、安倍政権の北朝鮮外交には一貫性がない。

北朝鮮外交に限らずそうである。


端的に言って、場当たり的なのだ。

安倍政権はどのような国を目指し、国際社会の中でどういう役割を果たそうとしているのか、明確なヴィジョンが見えない。


これに対して、たとえばロシアのプーチン大統領は「ユーラシア共同体」という確かな構想を持っている。

これはヨーロッパとアジアの間で独自の空間を築くとする考え方だ。


この構想は、ほぼ実現したと言っていいいだろう。


また、元CIAのマイケル・ピルズベリーが『China 2049』で強調しているように、中国は「中国共産党革命100周年に当たる2049年までに、世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカから奪取する」という100年計画を持っている。


その目標はいままさに達成されつつある。

場当たり的な外交はときに危険をともなう。


アメリカと中国の対立関係が強まっている現在では、なおさらそうである。

仮に米中間で軍事衝突が起こった場合、日本は日米同盟によって中国と戦争しなければならなくなる。


明確なヴィジョンがない安倍政権には、角栄のように憲法を盾にアメリカの要求を突っぱねることはできないだろう。

もちろん現在の米中に戦争の意思はない。


近い将来、米中戦争が起こるとは考えにくい。

しかし、物事には偶然というものがある。


そのことは常に想定しておかねばならない。

かのキッシンジャーは、第一次世界大戦は各国が同盟を破ったからではなく、各国が同盟を忠実に守ったために始まったと述べている。


同盟は自国の安全を確保するだけでなく、自国を危険にさらすこともあるのだ。

トランプが日米安保破棄に言及したことは、日本にとっては幸いである。


私たちは今後の日本のありかたを考えるためにも、一度立ち止まり、日米同盟のありかたについて議論すべきではないか。


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■鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄……。今こそ聞きたい、日本の「自立」を追求した政治家たちの言葉
ハーバー・ビジネス・オンライン(扶桑社)2019.07.26
https://hbol.jp/197871

 

 

 

 

■コロナ禍だから響く「田中角栄の7金言」元秘書が明かす

日刊ゲンダイ(講談社)2021/01/01

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/283358

 

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2020年はコロナに直撃された一年だった。

一体、このコロナ禍はいつ終わるのか。


出口が全く見えない。

国が災難に見舞われ、国民が不安を強めている時こそ、リーダーの力量が試される。


もし、田中角栄が生きていたら、国民に何を訴え、何を考え、どんな行動を起こしていたのだろうか――。

角栄の金言を振り返るとともに、秘書を23年間務めた朝賀昭氏に話を聞いた。


「子供が10人いるから羊羹(ようかん)を均等に切るってのは共産主義。自由主義は別だよ。羊羹をチョンチョンと切ってね。一番年少の子にでっかい羊羹をやるんだ」――。

オヤジさんがよく言っていたこの言葉の意味は、明日食うのに困っている人にこそ手を差し伸べるべきだ、ということです。


コロナ禍では、非正規や女性など、弱い立場の人たちほど苦しみ、命を絶つ傾向が強いようです。

「自分だけ置いていかれているんじゃないか」「もう生きていても楽しいことはない」といった絶望感と不安感にさいなまれてしまうのでしょう。


オヤジさんなら、一番困っている人に一番手厚く予算を使うでしょう。

「国難の時は、国はなんぼ借金をしてもいい」っていう発想に立ち、気が遠くなるような借金をしたのではないか。


借金は稼げば返せる。

しかし命は一度失えば人の人生が終わってしまいます。


オヤジさんなら「でっかい羊羹」をいち早く弱い立場の人に配ったはず。

オヤジさんは、学歴もなく、本当に苦労した人でした。


自分が苦労しているから人の痛みがよく分かる。

苦労しない人は、「頭」では人の苦労が分かっても、実体験として湧かない。


困っている人、弱っている人に手を差し伸べるのは、政治家として当たり前ですよね。

いま何より必要なのは、国民へのメッセージです。


オヤジさんだったら「日本中が苦しいんだから、皆、心配しなくていい。焦らないでいこうや。今年と来年はもう休憩をしよう」「金のことは心配しなくていい。国がいっぱい借金するから」「働ける人は働きなさい」――というようなメッセージを送ると思います。


まず、国民の不幸を取り除こうと考えたはずです。

 

 

・田中角栄の7金言

 

①「子供が10人いるから羊羹を均等に切るってのは共産主義。自由主義は別だよ。羊羹をチョンチョンと切ってね、一番年少の子に一番でっかい羊羹をやるんだ」

 

②「我と思わん者は遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を得る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかしすべての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

 

③「選挙で人の悪口を言っても札(票)は増えんぞ。勘違いするなよ。敵をたくさんつくってどうする。槍衾(やりぶすま=大勢の者が槍を隙間なく突き出して構えること)になるぞ」

 

④「(政治とは)事をなすことだ」「政治家は学者や評論家とは違う。実践するために行動することだよ」「いつまでもあると思うな親と金。ないと思うな運と災難」

 

⑤「有名大学の学長とか教授などそういう人ばかりに上級叙勲をしている。けしからん。人間の基本をつくるのは、一番教育の難しい小学校の教員にこそあるんだ。そこのいわゆる幼年期の教育を恵まれない環境でやっている先生に、最大の敬意を表して最高の環境をつくってやらなきゃダメだ。そうならなきゃ日本は良くならん」

 

⑥「一分考えて答えの出ないものは、一生かかっても答えは出はせんよ」

 

⑦「そこに困った人がいて、何かをしてやろうという気持ちが起きない人間は政治家などになってはいけない」「国民に対して情を持たない者は、政治家になるべきではない。政治家はなりたくてなるものではない。政治家になって何をするかというものを持ってない者は、政治家になるべきじゃないんだ」

 


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コロナ禍だから響く「田中角栄の7金言」元秘書が明かす
日刊ゲンダイ(講談社)2021/01/01
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/283358

 

 

 

 

 

■消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする

週刊現代 2016.06.01

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48754


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・アジア版列島改造論をぶち上げる


まず多くの識者が指摘したのが、「日本の売り込み」を、アジア中心で一気に進めていくだろうということである。


「田中角栄さんがいま生きていたら、安倍政権とはまったく逆のことをするでしょう。安倍政権は中国を脅威と捉えて対立していますが、田中さんならばうまく取り込んでいく。

なにせ中国は13億人以上の人口を抱える巨大マーケット。


日本国内の内需が人口減少で縮んでいくのなら、中国、さらにこれから中国をも上回ってくる巨大市場のインドを取り込もうと考えるのが田中流です。

1972年に田中さんは中国の周恩来首相と会談し、歴史的な日中国交正常化を実現させました。


いまならば田中さんは訪中して習近平国家主席と握手をし、そこで『日本列島改造論』に代わって、『アジア列島改造論』をぶち上げるでしょう」


そう語るのはジャーナリストの田原総一朗氏。

聞くだけでワクワクするような構想だが、『アジア列島改造論』とはどのようなものなのか。


田原氏が続ける。

「田中さんが日本列島改造論で提唱していたのは、日本中が一つの都市のように結びついて、北海道から九州までが一日で往復できる『一日経済圏』『一日生活圏』となることで日本全体が発展するというもの。


そのために新幹線と高速道路をめぐらせ、各地に地方空港を作り、さらに日本の4つの島をトンネルと橋で結ぶことが不可欠だと彼は説いた。

『アジア列島改造論』は、同じことを中国やインドまで含めたアジアのスケールでやるものになる。


アジア全体を巨大なマーケットとして結びつけるために、最新鋭の空運、海運、陸運の交通網が莫大なスケールで整備される。

ヨーロッパがEU(欧州連合)や共通通貨のユーロを作ったように、アジア共同体やアジア版ユーロのような共通通貨も新しく生まれてくる」


田中角栄の外交力は、グローバル時代のいまであればなおさら、存分に発揮される。

実際、「現代の田中角栄」が政府専用機に乗って地球全体を飛び回り、世界の首脳たちとのトップ外交で次々と商談をまとめていく姿は容易に想像できる。


田中の首相秘書官を務めた木内昭胤氏も言う。

「田中さんは『人気絶頂の時にこそ、一番難しいことにチャレンジする』と言って日中国交正常化を実現させたので、現在のように官邸が強い政治状況のときこそ、最も難しいとされる中国との関係改善に動くでしょう。


習近平国家主席は日本に強硬姿勢ですが、そういう相手にも田中さんは言うべきことは言う。

そして、気がついた時には笑顔で握手をする関係を作ってしまうのです。


田中さんは旧ソ連との間でも、ブレジネフ書記長と初対面にもかかわらず丁々発止でやって、切った張ったの外交を展開しました。

そのうえで北方四島の領土問題を確認し、シベリア開発の道筋を固めた。


そんな資源外交を展開した田中さんですから、いまならプーチン大統領とトップ交渉をして、新しい石油・ガス田開発の権益を日本に持ってくる。

ロシアからパイプラインを日本に引いてくるくらいのこともやるでしょう」


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消費税撤廃、アジア版列島改造、そして格差是正……ニッポン経済復活へ、田中角栄ならこうする
週刊現代 2016.06.01
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48754

 

 

 

 

 

■コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」

週刊新潮 2020年6月4日

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06060601/?all=1&page=1


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全国でマスクが出回り始めた今になってようやく届き始めた「アベノマスク」。

466億円もかけてそれを配ったおかげで市中にマスクが流通し、価格も下がったと詭弁を弄する安倍晋三総理にはため息しか出ない。


無論、初めて経験する災禍だから誰がリーダーであったとしてもミスが起こるのは仕方なかろう。

しかし、混迷を極める政府への不信感が日本中を支配するにつれ、政財界の一部からこんな声が聞こえてくるようになった。


田中角栄ならもっとうまくやったのではないか――。


「布マスクを配布するなんてね、田中先生だったらそんなバカみたいなことはやるはずがない。秘書官に言われるがまま実行に移すなんて、国のリーダーとしてあり得ません。田中先生なら経済活動と国民の命を同時に守る、バランスの取れた政策を取ったはずです」


鉄の結束を誇った角栄の後援会「越山会」元幹部の馬場潤一郎氏はそう語る。


「田中先生が議員時代に道路整備に力を入れたのは、工業生産が増える中でトラックが通る道路が必要だったから。実は、そういった経済的な面だけではなく、それは人々の生活を守る政策でもあった。田中先生の地元の新潟では、冬になると豪雪で道路が使えなくなり、急病になっても病院に行けないことがある。無雪道路がないと、人々の命、生活が危ないと考えて道路整備を進めたのです」


角栄の元番記者で新潟日報社長の小田敏三氏も、


「角栄さんならマスク2枚配布は絶対にしないだろうな、と安倍さんの発表を聞いた時に思いました。角栄さんならまず、自分が泥を被ってでも大型の財政出動を最優先したはずです」


小田氏が思い起こすのは、最終的に角栄が決着させた「日米繊維交渉」である。


「1971年、第3次佐藤栄作改造内閣で角栄さんは通商産業大臣に任命されました。当時、アメリカのニクソン大統領は自国の繊維工業を守るため、日本に繊維輸出の自主規制を求めていました。が、それまでの通産大臣は自主規制に反対の立場を取り、アメリカとの交渉は難航。そこで佐藤総理が角栄さんに白羽の矢を立てたのです」


角栄は当時のことを、“あえて火中の栗を拾った”と言っていたそうだが、「それは決してウソではなく、交渉に失敗すれば国民の猛反発を受け、政治家生命が終わってしまう可能性が実際にあった」と、小田氏。


「当時、アメリカはベトナム戦争やインフレによって国際収支が赤字となり、深刻な経済不況に陥っていた。繊維業界の救済はアメリカ全体の不況政策の一つだったのです。角栄さんはそうしたアメリカの交渉背景を汲み取り、さらに佐藤総理が、沖縄返還交渉を成功させるためにも、日米繊維交渉を早期に決着させたいと考えていることも理解していました」


しかし、繊維輸出を自主規制すれば概算にして2千億円余りの損失が出ると言われていた。
そこで角栄は佐藤総理などを説き伏せて繊維業界の救済対策費用、約1300億円を確保。


「繊維業界の損失は丸ごと国が補償するという角栄さんの戦略で、見事日米繊維交渉は決着。その後、『縄と糸の交換』と言われたように沖縄が日本に返還されました。日本のお家芸である繊維業で自主規制をするのは難題だったに違いない。だから今回、もし角栄さんなら自分が泥を被ってでも思い切った財政出動をして、本当に困っている人への補償に当てたのではないかと私は思います」(同)


・庶民視点で対応


安倍総理は紆余曲折の挙句、国民1人当たり一律10万円の給付を決めたが、「田中先生なら一律の給付ではなく、明日食べられない人にお金を渡すような政策にしたでしょう。雪国に育った田中先生、オヤジさんは、冬になると収入がなくなったり、家族を置いて出稼ぎに行く人を間近で見てきた。だから新型コロナで職を失い、命を絶つ人がいるということもすぐに想像できるのです」


そう語るのは、角栄の元秘書の朝賀昭氏である。


「オヤジさんは『政治家というのは、人の痛みが分からないといけない』と常々言っていました。若い政治家を前にすると、『困っている人が目の前にいる時に助けようと思えない人間は選挙に出たらダメだ』と。当選1、2回の頃の小沢一郎にもそう話していました。そして、ただ言うだけではなく、オヤジさんは常に人のためになることを第一に政策を実行していました」


角栄なら庶民視点で対応に当たったに違いない。角栄を知る人たちはそう口を揃えるのだ。

角栄がロッキード事件で逮捕された後、初めてのインタビューに成功したモンゴル日刊紙東京特派員の佐藤修氏はこう話す。


「角栄さんが政治家としての最初の演説で、『国民に住宅を与えられないで何が政治だ!』と言ったのは有名な話です。庶民が何に困っているかいち早く気づき、その解決に向けて全力で動く方でした」


自民党の石破茂元防衛大臣も、「角栄先生の真骨頂というのは、困っている人を見捨てないところでしょう。何に困っているのか、誰が一番困っているのかを見抜く目をお持ちでした」として、こう語る。


「何が国民の心に響くのかということを角栄先生が分かっておられたのは、新潟の貧しい家庭に生まれて苦労されたことも関係していたのでしょう。弱い立場の人の気持ちが角栄先生には自分のこととして感じられる。今回のコロナ関連で言えば、テナントが家賃の支払いに困っている、といったことにもすぐに対応されたでしょう」


また、角栄には金の配り方にも哲学があり、常々、金は受け取る側が実は一番つらい。

だから、くれてやるという姿勢は間違っても見せるな」と、話していた。


それ故、「今回のような支援策でも、角栄先生なら、『政府がみなさんにお金をあげますよ』という姿勢ではなく、苦しい思いをさせてすまない、どうぞ受け取って下さい、という姿勢を徹底されたと思います」(同)


次々に出てくる「角栄なら」の声。

元側近や元番記者、そして現職の国会議員の談話から見えてきた角栄の決断力や実行力、人を思いやる庶民感覚はコロナ禍の今こそ必要とされるに違いない。


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コロナ禍に田中角栄が首相だったら――元側近ら語る「マスク2枚は配らない」
週刊新潮 2020年6月4日
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06060601/?all=1&page=1

 

 

 

 

■「日中国交回復は裏安保」  角栄さんの肉声の意味と真意

日本記者クラブ 2017年10月(小田敏三)

「日本が敗戦から立ち直り、経済繁栄を成し遂げたら、いずれ米国から軍備の増強を迫られる。その前に中国との国交正常化が大事だ」

https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/34889


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「印象に残る世界の指導者は?」

私の質問に田中角栄元首相、角さんは間髪入れず答えた。


「周恩来だ」。

「どんな点にですか?」とたたみかけると「官僚を束ねられる政治家だ」。


1983(昭和58)年9月。

東京・目白の田中角栄邸応接間。


いつものように午前11時45分、早朝からの陳情時間が終わった。

私も帰り支度をしていたとき、偶然に最後の客を玄関先に送りに出てきた角さんから声が掛かった。


「飯食っていけ。店屋物(出前)でいいか。チャーハンがいいな」。

思いもよらぬ誘い。


それから1時間、幸運な2人きりの昼食となった。

だが角さんにとっては、1カ月後に5億円受託収賄罪に問われたロッキード事件の一審判決が迫る、緊迫した時だった。


食事を取りながら、問わず語りに角さんが口を開いた。

「日中の国交回復は裏安保なんだ。新聞記者はそんなことも勉強していない」


34歳の私は9年目の駆け出し記者。

角さんは65歳で政界の闇将軍。


勉強不足の駆け出し記者相手に怒るでもない、むしろ金権批判ばかりの日々にやりきれない思いがにじんでいるようだった。

「日米安保によって日本は、国防を米国に任せ、自分たちは経済繁栄を享受できた。これからは分からん。米ソ関係が悪いと日本に軍備の強化を要求してくる。米国とソ連(ソビエト社会主義共和国連邦。1991年12月崩壊)、日本とソ連の間にいる中国の数億の民が壁となれば、日本は経済繁栄を続けられる」


「日中は裏安保」。

角さんの肉声の意味と真意を確かめるべく私は、池田勇人元首相(故人)の秘書官だった伊藤昌哉(故人)さんの元に走った。


日中国交回復交渉の際、田中首相に同行した外相が大平正芳(元首相・故人)さんであり、大平さんの師は池田元首相である。

 
伊藤さんは聞くなり「本当に角さんがそう言ったのか」。

信じられないとばかりに何度も念を押された。


「一字一句本当です」と言うと、感慨深そうに語り始めた。

 「池田が大平にずっと言い続けていた話だよ。日本が敗戦から立ち直り、経済繁栄を成し遂げたら、いずれ米国から軍備の増強を迫られる。その前に中国との国交正常化が大事だ、とな」


何度も何度もうなずきながら伊藤さん。

「そうか。大平の知恵と田中の決断があってこそ、日中国交回復は成し遂げられたんだな」


角さんの「功」と「罪」が語られるとき、いつも思い出すエピソードのひとつだ。

「日中裏安保論」から1カ月後の10月12日、「懲役4年、追徴金5億円」の実刑判決が出された。


私は言い渡しの瞬間を間近で見た。

こめかみがピクリと動き、ギュッと握りしめた拳がみるみる赤みを増す。


被告席に戻る際、記者席に向けた鋭い眼光は怒気を含んでいた。

1984(昭和59)年6月、角さんは新潟日報の6時間インタビューに応じた。


雑談になったときだ。

「いいか! 将来、事を成すには広大なる中間地帯をつくれ。本当の味方はせいぜい2人。地獄の釜は狭いんだ。敵は1人でも少なくしろ」


自らに言い聞かせるように、まくし立てていたのが印象的だった。

 (おだ・としぞう 新潟日報社代表取締役社長)


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「日中国交回復は裏安保」  角栄さんの肉声の意味と真意
日本記者クラブ 2017年10月(小田敏三)
「日本が敗戦から立ち直り、経済繁栄を成し遂げたら、いずれ米国から軍備の増強を迫られる。その前に中国との国交正常化が大事だ」
https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/34889

 

 

 

 

 


■「オヤジとわたし 頂点をきわめた男の物語 田中角栄との23年」 (早坂茂三 集英社 1987/1/20)

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日中国交正常化のために田中のオヤジが訪中する前、中国側は私のところへやってきて、田中の趣味嗜好のいっさいを聞きとっていった。

いざ北京に着いたら、暑がりのオヤジの部屋は、終始、摂氏17度に保たれている。

冷たいオシボリと氷の入った水も目白の家と同じものが出る。

大好きな「台湾バナナ」がいつもそばにある。

朝、かならずみそ汁をとるオヤジのために、郷里である新潟県柏崎市の「西牧」という古いみそ屋から自宅のヤツと同じみそを取り寄せてあった。

米も同じ越後のコシヒカリです。

さすがの田中も「やるねえ」と驚いていた。

こういう気くばりは、ほかのどんな国でも、まずやらない。

確かに一国の宰相を遇するんだから、山海の珍味でもてなしはする。

でも、中国流はそんなレベルのものじゃない。

徹底的です。

しかし、考えてみると、田中のオヤジもこの流儀なんです。

そういう意味では、オヤジのメンタリティと中国流は、よく響きあうところがあった。

周知のように、日中国交正常化を果たしたのは、田中角栄です。

それはそうなんだが、あの時期になぜ田中が日中国交回復を急いだか……そこに、田中角栄という政治家のヨミの深さを知ることができる。

田中のオヤジは私にこう言った。

昭和47年7月、総理になって間もなくです。

「毛沢東とか周恩来という、いまの中国をつくった創業者は、共産主義であれ、何であれ、えらい苦労をしてきた連中だ。多くの死線を越えてきた。それだけに、すべてないものづくしの中で、あのでかい国をやりくりしていくためには、いま何が必要かということがよくわかっている」

「たぶん、そうでしょうね」

「だから、あの連中が元気なうちに、この勝負を決めなければならないんだ」

オヤジの言うところによれば、いまの時期をのがすと二代目、三代目……学校を出てインテリになって、じいさまの苦労が肌ではわからず、頭は理屈と数字が破裂しそうに詰め込まれていて、笑い顔はとても冷たい。

「こんな連中と掛け合っていたら、わがほうが「賠償金はカンベンしてくれ」と言って、「じゃあ仕方がないな」というようなわけにはいかない。だから毛沢東や、周恩来の目の玉の黒いうちにやらなきゃダメだ。急がなければならない。「掛け合いごとというのは、そういうもんだよ」そうオヤジは言った。

「オレにしても、いまが一番、力のある時だ。厄介なことを片づけるのはいまだ。後回しにして、力が弱まればできない」……田中はこうも言った。

おそるべき人間洞察の深さだ……と、私は思う。

政治家、田中角栄のもっともすぐれた資質は、まさにこの点にある。

人間の本性、人情の機微を体全体で知っているんです。


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「オヤジとわたし 頂点をきわめた男の物語 田中角栄との23年」 (早坂茂三 集英社 1987/1/20)より
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■『知識ゼロからの田中角栄入門』

・そもそも田中角栄ってどんな人?

・田中角栄の青春時代

著者:小林吉弥

出版社:幻冬舎

発売日:2009年03月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDs0AJ

 

 

 

 


■『人間・田中角栄』

時を越えて語り継がれる角栄の涙が、現代を生きる人々の「人生の足元」を明るく照らす。

人情、そして弱者への愛ー政治家の「原点」がここにある。

出版社:宝島社

発売日:2018年05月

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■『田中角栄 上司の心得』

田中角栄元総理の言行より、やがて来る「コロナ後」の社会でも活用できる数多の心得を紹介

著者:小林吉弥

出版社:幻冬舎

発売日:2021年01月27日

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■『田中角栄回想録』

「池田・佐藤政権の屋台骨を支えつづけた十年」

「日ソ外交史に残る田中・ブレジネフ会談」

著者:早坂茂三(田中角栄秘書)

出版社:集英社

発売日:2016年08月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hwzTiU

 

 

 

 

 

■『田中角栄魂の言葉88』

角栄が残した言葉にはどんな時代にあっても変わらぬ「人間の真実」と「珠玉の知恵」がある。

“魂の言葉”とも言うべき名言をセレクト

レーベル:知的生きかた文庫

出版社:三笠書房

発売日:2016年06月03日

楽天ブックス https://a.r10.to/h6GdAz

 

 

 


■『入門田中角栄新装版 語録・評伝』

「原点」復刊。

すべての「角栄本・角栄語録」はここから始まった。

・名語録(政界立志編/刑事被告人編/人生訓・趣味編)

出版社:新潟日報事業社

発売日:2016年07月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDU8Lr

 

 

 

 

 

■『田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得』

「やる気」を引き出す天才、心に残る「角さん」の名語録

・仕事(まずは結論を言え/伝説の蔵相就任演説 ほか)

・人生(勤労を知らない不幸/二重橋を渡る日 ほか)

・生きる(人生の「間」/臭い飯 ほか)

出版社:宝島社

発売日:2015年02月

楽天ブックス https://a.r10.to/hy7D3f

 

 

 

 

 

■『田中角栄頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』

「オヤジとわたし」改題書

54歳の若さで日本の最高指導者に登りつめた秘密のカギは何であったのか?

著者:早坂茂三(田中角栄秘書)

レーベル:PHP文庫

発売日:2016年06月03日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDrQlt

 

 

 

 

 

■『実録田中角栄』

雪深い新潟の農村に生まれた男はいかにして権力の階段を昇ったのか。

著者:大下英治

レーベル:朝日文庫

出版社:朝日新聞出版

発売日:2016年08月

実録田中角栄(上)https://a.r10.to/hDOdPt

実録田中角栄(下)https://a.r10.to/hww9Av

 

 

 

 

 

■『田中角栄 最後のインタビュー』

全盛期の知られざる発言全記録!

「道徳観のない政治家に人はついてこない」

著者:佐藤修

出版社:文藝春秋

発売日:2017年05月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDTHSt

 

 

 

 

■『戦場の田中角栄』新書版

元・田中角栄番の記者による「田中角栄の本当の姿」

著者:馬弓良彦

発売日:2018年09月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDUyl6

 

 

 

 


■『冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相』

・米国の「陰謀」-その構図

著者:石井一(元国務大臣・国土庁長官、旭日大綬章受章者)

レーベル:産経NF文庫

発売日:2020年02月

楽天ブックス https://a.r10.to/hwYuMr

 

 

 


■『大宰相 田中角栄 ロッキード裁判は無罪だった』

「日本のエネルギー自立を願う田中角栄と、それを苦々しく思うアメリカとの壮絶な駆け引きがあった」

著者:田原総一朗

出版社:講談社

発売日:2016年08月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDgTEp

 

 

 

 

 

■『異形の将軍 田中角栄の生涯』

戦後最大の栄光と汚辱を描いた一大叙事詩

著者:津本陽

出版社:幻冬舎

発売日:2004年02月

異形の将軍(上) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/h5jBuw

異形の将軍(下) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/hDwAQC

 

 

 

 


■『日中国交正常化 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』

歴史認識、戦争賠償などの対立を越え、結ばれた日中国交

冷戦下、アメリカとの関係維持に腐心しながら試みられたものだった

著者/編集:服部龍二

レーベル:中公新書

発売日:2011年05月

楽天ブックス https://a.r10.to/hMng1r

 

 

 

 

■『田中角栄を葬ったのは誰だ』

検察の駆け引き、最高裁の不可解な動き、アメリカの圧力、等々…

・「日米司法取決」の闇

著者:平野貞夫

発売日:2016年07月

楽天ブックス https://a.r10.to/h6gokD

 

 

 

 

■『この国は俺が守る 田中角栄アメリカに屈せず』

日中国交正常化を実現、独自の資源外交を展開する田中角栄に、大国アメリカの巧妙で執拗な罠

著者:仲俊二郎

出版社:栄光出版社

発売日:2011年11月

楽天ブックス https://a.r10.to/hwyorV

 

 

 

 

■『田中角栄の資源戦争』

アメリカの傘下を離れ、世界の資源国と直接交渉する大胆な「資源外交」

アメリカや欧州の覇権、石油メジャーやウラン・カルテルの壁を突き破ろうとした角栄

著者:山岡淳一郎

出版社:草思社

発売日:2013年04月02日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDEF13

 

 

 

 


■「田中角栄に今の日本を任せたい」

角川SSC新書 (角川新書)

著者 大下英治

発売日:2011年11月10日

https://www.kadokawa.co.jp/product/201105000506/

 

 

 

 


■「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!

馬渕睦夫(元駐ウクライナバ大使)

出版社:ワック (2014/10/24)

https://amzn.to/3oE6t5K

 

 

 

 

■米国すら超える!「日中韓が心を一つに団結すれば」

「日中韓が心を一つにして発展すればさらに実力を発揮できるので、米国を軽々と超えられる」

exciteニュース(2021年4月12日)サーチナ

https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20210412082/

 


【「その油、米国が回してくれるのか」田中角栄が挑んだ資源立国 】田原総一朗×石原慎太郎「田中角栄論」~石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~

2022-12-01 06:59:24 | 日記

 


■田中角栄が挑んだ資源立国 - J-Stage

前野雅弥 (日経新聞 シニアエディター) (2018)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjb/60/11/60_656/_pdf/-char/ja

 

~~~


もう少し角栄が首相を続けていたなら,角栄は何を成していただろうか。

それは間違いなく資源外交だった。


角栄は中国との国交正常化を成したあと,すぐさま資源問題に着手した。

角栄にはもともと日本にとって資源問題は極めて重要な問題との認識が強かった。


首相に就任した時から側近に「このまま日本が資源を海外に牛耳られているのは問題だ。

特に石油をメジャー(国際石油資本)に押さえられた現状ではダメだ。


こういうことこそ,政治のトップが前面に立って突破口を開いていかなければならない」。

こう話していたのだった。


ここで筆者が思い出すのが 1990 年代の後半,筆者はエネルギー記者クラブの配属となった時のこと。

エネルギー記者クラブの主な守備範囲は電力・ガス業界と石油業界なのだが,ここで奇妙な日本語を耳にする。


「石油元売り会社」という日本語だ。

日本には「石油会社」はない。


あるのは「石油元売り会社」だけだというのだ。

石油会社というのは探鉱,掘削など石油開発と石油精製をあわせて行うというのが必要条件。


日本の場合,石油開発はほとんど行っておらず,手がけているのは石油精製と販売だけ。

精製する大本の原油はその大半をメジャーに掘り出してもらい日本に回してもらっている。


だから「石油元売り会社」というのが正確なのだというわけだ。

分かったような分からないような話だが,いずれにしても日本のエネルギー調達が完全に海外に押さえられてしまっているという事実だけはよくわかる。


角栄はこれを危惧した。第2次世界大戦で中国に出兵した時,「ガソリンがないから」という理由で車に乗せてもらえず歩いたというエピソードを披露しているが,エネルギーがないということがいかに惨めなことなのか,角栄は身に染みて感じていた政治家だった。


だから,角栄は日中国交正常化を成し遂げた後,さほど時間を置かずに資源外交に乗り出した。

1973年9月のことだ。


フランスを皮切りに英国,ドイツ,ロシアと角栄にしては珍しい長期の外遊だったが,そこで角栄は徹底的に日本のエネルギー調達ルートの多角化に道筋をつけようと奮闘した。


~~~
田中角栄が挑んだ資源立国 - J-Stage
前野雅弥 (日経新聞 シニアエディター) (2018)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjb/60/11/60_656/_pdf/-char/ja

 

 

 

 


■「その油、米国が回してくれるのか」(田中角栄のふろしき)小長秘書官の証言

日本経済新聞 2018年4月30日

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29918350X20C18A4X12000/


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フランスを皮切りに英国、西ドイツと欧州からスタートした2週間あまりの資源外交。

ソ連でのブレジネフ会談をもって、ひとまず幕を閉じた。


期待が大きかった北方領土返還で決定的な言質を引き出せなかったとはいえ、日本とソ連の間で領土問題が懸案として存在することを認めさせたのは間違いなく角栄の剛腕だった。

そして何より肝心の資源の共同開発では欧州の国々との間で大筋で合意を取り付けることができた。


角栄自身、「いくばくか」と抑制を利かせながら「実りある旅だった」と資源外交を評価した。

万事、自分のことには控えめな角栄にしては珍しいことだったが、確かに中東一極集中、石油に依存しきった日本のエネルギー調達体制に警鐘を鳴らした意味は大きかった。


ただ、皮肉なことに角栄が鳴らした警鐘の有意性はすぐに証明されることになる。

まるで角栄がソ連から東に向かうのに歩調を合わせたかのようにイスラエル軍は戦線を東に拡大、ゴラン高原で一部、1967年の休戦ラインを突破したのだ。


第4次中東戦争が激しさを増し、日本の石油調達に黄色信号がともった。

こうなると角栄は再び激務の中に放り込まれる。


「郷に入れば郷に従えとはいうけれど……」。

資源外交中、欧州の長い食事に辟易(へきえき)としていた角栄だったが今度は食事をとる時間もなくなった。


裏を返せばそれだけ日本は緊迫していた。

決定的だったのは10月17日。


石油輸出国機構(OPEC)加盟のサウジアラビア、イランなどペルシャ湾岸6カ国が原油の「公示価格」を21%引き上げることを決める。

ウィーンでメジャー(国際石油資本)と引き上げ交渉に臨んでいたが中東戦争を背景に値上げを強行したのだった。


危機は石油の価格だけにとどまらなかった。

「中東戦争に石油を武器に」と唱えるアラブ石油輸出国機構(OAPEC)がその閣僚会議で、イスラエル支援国に対する制裁を打ち出したのだ。


親アラブの「友好国」にはこれまで通り石油を供給するが、イスラエル支援する「反アラブ」、またはその中間でも「非友好国」と判断し石油の供給を絞り込む措置を決めたのだった。

この決定で日本は凍りついた。


政界、官界はもちろん経済界は混乱を極めた。

日本はどっちだ。


友好国に入れば、間一髪で命脈を保つ。

しかし、仮に反アラブと見なされれば……。


日本経済は間違いなく致命的なダメージを受ける。

反アラブか友好国か、それとも非友好なのか。


情勢を見極めようと角栄もあらゆるルートから情報収集を試みる。が、簡単ではなかった。

1973年7月に角栄が設立した資源エネルギー庁はフル稼働、世界情勢を刻々と伝えてきたが、それだけでは十分ではなかった。


時間とともに事態は悪化の一途をたどる。

10月末、エクソンなど国際石油資本(メジャー)が日本に対して原油の供給量の削減を通告してきたころには、一部地域はパニックといっていい状況に陥っていた。


銀座のネオンは消え、スーパーマーケットにはトイレットペーパーを求め長蛇の列ができた。

「このままだと日本はまずい」。


ヒリヒリするような角栄の緊張感が秘書官の小長啓一に伝わってきた。

そんな時だ。


中東からの帰途、米国務長官、キッシンジャーが日本にやってくる。

11月15日。午前11時から行われた角栄との会談ではまさに「息が詰まるようなギリギリのやり取り」だった。


「国務長官ご就任おめでとうございます」。

和やかだったのは冒頭だけ。


キッシンジャーはすぐに切り込んできた。

「米国と一緒にイスラエルの味方をしてくれとまでは言わない。ただ、アラブの友好国となりアラブの味方をするのはやめて欲しい」


しかし、角栄がひるむことはなかった。

そしてピシャリ。


「日本は石油資源の99%を輸入、その80%を中東から輸入している。もし輸入がストップしたらそれを米国が肩代わりをしてくれますか」――。キッシンジャーが一瞬黙る。すかさず角栄が「そうでしょう」。


そのうえで畳みかけた。

「アラブにある程度、歩み寄った対応をせざるを得ない、日本の立場を説明するためアラブ主要国に特使を派遣する準備を進めている」。


日本はこれまで通り同盟国である米国との友好関係を維持しながら、石油資源については独自の外交を展開せざるを得ないことを毅然として説明したのだった。


11月22日。

角栄の言葉は現実のものとなる。


閣議で石油危機を打開するため中東政策を転換することを了承したのだ。

武力による領土の獲得や占領を許さないこと、1967年戦争の全占領地からイスラエルが兵力を撤退させることなどを官房長官、二階堂進の談話としてアラブ支持を明確に発表したのだった。


12月10日、今度は副総理の三木武夫を中東八カ国に差し向けた。

いわゆる「油乞い外交」。


経済協力という切り札も切ったが、何よりも「国際紛争の武力による解決を容認しないというのが日本外交の基本的態度」という姿勢が中東諸国の共感を呼んだ。

そして運命の12月25日、クリスマス。


ついに朗報が舞い込む。

OAPECが日本を「友好国」と認めたのだった。


日本に必要量の石油が供給されることが決まり危機は去った。

ここでもまた角栄の舞台回しが国難を救ったのだった。

 

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「その油、米国が回してくれるのか」(田中角栄のふろしき)小長秘書官の証言
2018年4月30日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29918350X20C18A4X12000/

 

 

 

 

 

■田原総一朗×石原慎太郎「田中角栄論」

ライブドアニュース 2016年8月8日 プレジデントオンライン

https://news.livedoor.com/article/detail/11861690/


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・改めて、田中角栄を評価する


【田原総一朗】
石原さんは、立花隆が「田中角栄研究――その金脈と人脈」を書く前に、「文藝春秋」に厳しい田中批判の論文をお書きになった。
僕も読みましたが、非常に厳しい内容でした。田中批判の先鞭をつけた石原さんが、ここへきて田中角栄を評価する文章をお書きになった。
これはどういうことですか。


【石原慎太郎】
日本の文壇は狭量でね。
僕が政治家として売れてくると、逆に作品には偏見を持たれました。
たとえば『わが人生の時の時』は野間文芸賞の最有力候補になりましたが、選考委員の吉行淳之介が「こんなもの文学じゃない」って言い出した。
それから、いくつかの短編を集めた『遭難者』は金丸信が起訴されて自民党が指弾されたときだったから、一行も書評が出なかった。
自分で選んだ道だからしょうがないけど、自分の文学に申し訳なかったね。
ただ、政治家を辞めたら、こんどは早稲田大学の社会学の森元孝さんが『(石原慎太郎の社会現象学)――亀裂の弁証法』という、いい評伝を書いてくれました。
これで俺の文学が少し救われた気がしたね。
そのお礼に森さんと会食したのです。
その席で彼にこう言われてね。
「石原さんの『国家なる幻影』には田中角栄さんが非常に詳しく書かれている。
あなた、実は角さんが好きなんじゃないですか」。「たしかにあれほど中世期的でバルザック的な人間はいない。すごく興味があります」と答えたら、「私はあなたが一人称で書いた作品を愛読している。いっそ角さんを一人称で書いたらどうだろう」と言ってくれた。
それで『天才』を書き出したわけです。

 


・石原慎太郎が田中角栄を批判した理由


【田原】
でも、もともと石原さんは田中角栄の金権政治を痛烈に批判していましたね。


【石原】
角さんが総理になって最初に国政選挙があったときですよ。
福田系の候補者がグループ(後の青嵐会)幹部の集まりにきて「みなさんに共感しているので当選したらグループに入ります」と挨拶をしていきました。
その男が「いまから公認料をもらいにいく」というので、誰かが「総裁室は4階だぞ」と教えてやると、「いや、砂防会館の田中事務所でもらいます」という。
これにみんな怒ったんです。
党の公認料を私的な事務所で渡すとは何事かと。
彼は砂防会館から、3000万円入った袋を持って興奮して帰ってきた。
それに加えて2000万円もらったそうな。
「いやあ、田中さんは偉大です」なんて言っちゃってね。
結局、そいつは本籍福田派だけど現住所田中派になった。
それをきっかけに僕は田中金銭批判を始めたのです。


【田原】
そもそも青嵐会ができたのは、田中角栄が日中国交正常化をやったときでした。


【石原】
日中国交正常化に反対したわけじゃない。反対だったのは航空実務協定。あれはめちゃくちゃでした。


【田原】
どういうことですか。


【石原】
交渉の中で、北京から外務省に密電が入ったんです。
当時の大平(正芳)外務大臣の記者会見で、北京が手なづけた新聞記者に「台湾から飛んでくる飛行機の尾翼には青天白日旗(中華民国・台湾の旗)がついているが、あれを国旗として認めるのか」と質問させるから、必ず否定しろという内容です。
当時の外務省の役人は、いまと違って腰抜けじゃなかった。
「こんな実務交渉がありますか」と切歯扼腕して、僕らに密電を見せてくれた。
それで実務協定はいかんと思った。
大平さんは僕の先輩だけど、それから盾突くようになっちゃった。
あとで大平さんの秘書から「なぜ盾突いたのか。大平先生は渡辺美智雄よりあなたに期待をしていて、俺の金脈はすべて石原君にくれてやると言ってたのに」と教えられてね。
それを聞いて、惜しいことしたなと思ったけど(笑)。

 


・田中角栄のどこがスゴいのか


【田原】
石原さんは反田中だったのに、一方で田中さんに魅力を感じていた。
どんなところに惚れたんですか。


【石原】
包容力というかな。
無邪気といえば無邪気なんだな。
あるときスリーハンドレッドクラブ(茅ヶ崎市)にあるローンのコートで仲間とテニスをしたんです。
みんなは昼飯を食いに玄関に入っていったけど、僕は勝手を知っているから近道してテラスから入った。
すると、青嵐会の参議院の代表をしていた玉置和郎(元総務庁長官)が座っていて、こっちを見てバツの悪そうな顔をしている。
玉置の表情を見て怪訝に思ったんだろうな。
向かいに座っていた人がこちらに振り向いたら、闇将軍の角さんだった。
まずいと思ったよ。
青嵐会は角さんに弓を引きましたからね。
ところが角さんは、「おい、石原君、久しぶりだ。ちょっと来い」と手招きする。
恐る恐る近づいて、「いろいろご迷惑をおかけました。申し訳ありませんでした」と頭を下げたら、角さんが遠くにあった椅子を自分で運んできて、「お互い政治家だろう。気にするな。いいから座れ」と言って、ウエイターにビールまで注文してくれた。
僕もバツが悪いから、「先生、照る日も曇る日もありますから、またがんばって再起なさってください」と言ったんだけど、角さんは気にした様子もなくてね。
「君、今日テニスか。俺は軽井沢に3つ別荘を持ってる。テニスコートが2つあるんだが、子供や孫に占領されてできねえんだ」と言って笑うんです。
しまいには玉置に向かって「テニスはいいんだぞ。短い時間で汗かくから」とテニスの講釈まで始めた。
それを見て、この人はなんて人だろうと思ったな。


【田原】
なんて人だろうっていうのは、どういう意味ですか。


【石原】
何というのかな、端倪すべからざるというか、寛容というか。
僕は、この人は不思議な人だと思ってしびれたね。


【田原】
田中角栄は石原さんのことをどう思っていたんだろう。


【石原】
買ってくれてたんじゃないかな。
プロスキーヤーの三浦雄一郎っているでしょう。
僕はあいつがヒマラヤのサウスコル大滑降のときに総隊長を務めたんだけど、その縁で参院選の自民の全国候補にしたんです。
ただ、あいつは肉体派。
候補者として不規則な生活をしているうちにノイローゼになってきた。
いつだったか長野で講演会をやるというので様子を見にいったら、建物前の石畳にツェルト(小型テント)を張って三浦がビバーク(野営)していて、ニンジンをかじりながら出てきた。
「何してるんだ」と聞いたら、「僕、こうでもしていないともたないんです」と。
そのうちに僕は当時幹事長だった角さんから呼び出されてね。
「おい、石原君、これは何だ」と差し出されたのが、三浦から角さんへの手紙でした。
そこには僕への悪口が綿々と書いてある。
「石原はスポーツマンと称しているけどインチキだ」とかね。
長い手紙で、ぜんぶに割り印が打ってありました。
角さんはそれを見せて、「こりゃ疲れてるぞ。君がついているかぎり勝つに決まっているんだから、休ませろ」という。
おまえがついていれば勝てるだなんて、この人は俺を評価してくれているんだとそのとき思いました。

 


・田中角栄の功績は「日本列島を一つの都市圏」にしたこと


【田原】
僕は、田中角栄は人間的なキャラクターだけでなく構想力も一流だったと思う。
田中角栄は都市政策大綱というものをつくった。
要するに日本列島を一つの大きな都市圏にしようという構想です。


【石原】
角さんのおかげで日本は今そうなったじゃないですか。


【田原】
そう。北海道から九州まで、どこからどこへ行くのにも1日で往復できるようになった。


【石原】
日本中に新幹線と高速道路をめぐらせて、各エリアに地方空港をつくった。
それはやはりすごいことですよ。
われわれは角さんのつくった現実の中にいる。
ヘーゲルは「歴史は他の何にも増しての現実だ」と言ったけど、私たちは現代という歴史の中で生きているのだから、角さんをとても否定できませんよ。


【田原】
いまの日本をつくったのは、田中角栄の構想力ですか。


【石原】
文明史「勘」だと思う。
あの人の、先を見通す力はものすごかった。


【田原】
田中角栄は法律を議員立法で33もつくった。
これもすごいね。


【石原】
すごいですよ。
僕は大田区の選出だから、中小零細企業を抑圧する下請け契約を監視する経済Gメンをつくったらどうかという法律を議員提案したことがある。
自民党の中では「お前は社会党より左だ」と言われたし、労働組合に持っていったら総評(日本労働組合総評議会)も同盟(日本労働組合総同盟)も両方とも反対した。
結局みんな企業側だから、けんもほろろに言われた。
議員提案はとても難しいんだ。


【田原】
なるほど、石原さんは総評や同盟より左だったんだ(笑)。


【石原】
そう言われたね。
それから角さんとの絡みでいえば、選挙権を18歳に下げようというキャンペーンもダメだったな。
前にキャンペーンをやったことがあって、角さんが幹事長で僕が参議院にいたころ、もう一回、やろうとしたんです。
それで「自民党の講堂を貸してください」と頼んだら、「ダメだ」と一笑に付されました。


【田原】
なんでダメだったんですか。


【石原】角さんには、「選挙権なんて20歳でも早過ぎるんだよ。あんなの未成熟じゃないか」と言われましたね。
いま振り返ると、18歳は反権力、反権威で、自民党のためにならないと思ったのかもしれないけど。

 


・ロッキード事件の最高裁判決はおかしい


【田原】
石原さんはロッキード事件をどう見ますか。


【石原】
僕は参議員のころから国会議員でただ一人、外人記者クラブのメンバーでした。
あのころ古いアメリカ人の記者たちといろんな話をしたけど、連中は異口同音に「あの裁判はおかしい。なぜコーチャン、クラッターに対する反対尋問を許さないのか。免責証言なんてアメリカでも問題になっている」と言っていました。
あれはやっぱり日本の裁判にとって恥辱。
最高裁は謝罪すべきです。


【田原】
僕はずいぶん詳しく調べたけど、少なくとも検察の言っている5億円の場所、日時、全部、間違いだね。


【石原】
あれは検事の書いた小説。
角さんの秘書の榎本(敏夫)がサインしちゃったけど、わけのわからない話だった。
それよりロッキード社に関しては、他にもP3C対潜哨戒機(対潜水艦用の航空機)の導入をめぐる疑惑があったでしょう。
ところがP3Cの問題は、児玉誉士夫がつぶしてしまった。


【田原】
僕はテレビ朝日の『モーニングショー』に秘書の榎本を呼んで証言させて、2日間、ロッキード事件をやったの。
2日目の終わりに「明日はP3Cをやる」と宣言したら、僕とプロデューサーは三浦甲子二(元テレビ朝日専務)に呼ばれて、「絶対P3Cは許さない」と言われた。
「それでもやる」って言ったら、「それなら番組をつぶす」とまで言われたよ(笑)。
話を戻すと、ロッキードの裁判はおかしかった。
石原さんは訴えますか。


【石原】
最高裁が間違いを認めることで角さんは浮かばれますよ。
俺の本が売れたぐらいじゃどうにもならないけど、あの人の贖罪はしなくちゃいけない。
だからあなたも協力してください。


【田原】
そうね。ぜひ。

 

(中略)

 


・なぜいま、田中角栄のような政治家は出てこないのか~田原総一朗


田中角栄のすごいところは2つあります。

1つは構想力。


1967年に社会党と共産党に支持された美濃部亮吉が東京都知事になりました。

それと前後して、神奈川、大阪、京都、名古屋が革新になった。


それに危機感を持った田中角栄は、「中央公論」に「自民党の反省」という論文を書きました。

解決策として提示したのが、「日本列島改造論」の下敷きになった都市政策大綱です。


日本は太平洋側だけ発展して、日本海側や中日本は取り残されていました。

そこで田中角栄は日本を1つの都市にしようと構想しました。


具体的には全国に高速道路と新幹線を張り巡らし、各都道府県に空港をつくり、日本の4つの島を橋とトンネルで結び、日帰りでどこでもいけるようにする。

そうすれば企業も分散するというわけです。


もう1つは、人間としてのキャラクターです。

石原さんも言っていましたが、田中角栄は誰でも受け入れるスケールの大きさがありました。


たとえそれが敵対する相手でもです。

昔の自民党は、そうした懐の深さがありました。


当時、自民党は田中派と大平派がハト派、福田派と中曽根派がタカ派で、どちらかが主流派になれば反対の派閥が非主流派になってバランスがとれていました。

党内で活発な議論をしていたから、当時、野党に関心を持っている人はいなかったですよ。


ここにきて角栄ブームが起きているのは、いまの政治に構想力が足りないせいでしょう。

アベノミクスは、第1の矢の金融政策と、第2の矢の財政政策が奏功して株価が上がりました。


しかし、第3の矢である成長戦略のための構造改革は進んでいない。

構造改革は改革したあとの世界をどうするのかという構想が必要なのに、そこを描き切れていません。


もしいま田中角栄がいたら、何かしら新しい構想を打ち出して国民に見せていたでしょう。

どうしていま田中角栄のような政治家が出てこないのか。


それは政治家が守りに入ったからでしょう。

田中角栄は何もない焼け野原から出発しましたが、いまの政治家は守るものがあって、チャレンジしないのです。


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田原総一朗×石原慎太郎「田中角栄論」
ライブドアニュース 2016年8月8日 プレジデントオンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/11861690/

 

 

 

 

■石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~人を見て、先を見通す天才だった~

週刊現代 2016.05.06

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48554


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・なぜ役人をうまく使えたか


田中角栄は29歳で初当選したとき、地元でこう呼びかけました。


「裏日本といわれている雪国の新潟を表日本にするには三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばしてやればいい。そうすれば新潟に雪は降らなくなって、その土を日本海にもっていけば佐渡島を陸続きにできる。そうなったら、逆に東京から人が新潟に出稼ぎに来るようになる」と。


むちゃくちゃだけど、これは、殺し文句だと思うね。

こういう郷土愛の延長に国への愛着があって、角さんは日本をより機能的、文明的に改良しようとした。


役人をうまく使ってね。

役人を使うのがうまかったというのは、言い換えれば役人を馬鹿にしていたということですよ。


だって、彼らには発想力というものがない。

僕も長いあいだ都知事をやりましたけど、知事というのは一種の「独裁者」的存在でね。


これは僕じゃなくて橋下(徹)君が言った言葉だけども、ある意味でそうだと思う。

発想力と権限をもった政治家が指揮しないと、役人は動かない。


国政も同じことですよ。

そういう意味では角さんは官僚出身の政治家を馬鹿にしていたと思う。


福田赳夫もそう。

一般には「角福戦争」と呼ばれて、角さんと福田さんは総理の座を争ったとされているけど、政治家としては角さんのほうが数段上。


戦う前からすでに角さんが総理になる方向で勝負はついていたと思いますよ。

少なくとも角さんはそう確信していたはずだな。


角さんのすごいところは、政治力というよりも、人間の能力ですよ。

予見性というのかな、先を見通せるだけの文明史「勘」をもっていた。


いまの政治家は発想力がないし、教養もない。

歴史も知らないでしょ。


まして文明史「勘」をもった政治家なんていませんよ。

彼はね、河井継之助に似ているんですよ。


司馬遼太郎さんの『峠』という作品に、越後長岡藩の家臣だった河井継之助が若い頃、上越国境の三国峠を雪崩に巻き込まれながら死ぬ思いで越えて江戸に出てくる話がある。

ところが江戸に来てみると、冬空はカラリと晴れてカラっ風が吹いていて、越後と江戸の風土の違いを痛感する。


と同時に中央に対する反感が生まれ、戊辰戦争で明治新政府に楯ついて最後は自滅してしまうわけだけど、角さんにも継之助と重なるところがある。

角さんの場合、雪の峠道を越えてきたわけじゃないかもしれないが、東京に対する憧れと反感というか、鬱屈した感情があったんでしょうね。


それは郷土愛の裏返しといってもいい。

あれだけ骨身を削って故郷のために尽くせば、そりゃ新潟の人たちは角さんのことを絶対に忘れませんよ。


いま上越新幹線や関越道を利用している人たちがみんな、今日こんなに便利になったのは田中角栄のおかげだと思っているわけではないでしょう。

けれど、新潟の人たちにとって、田中角栄はいまも記憶から拭いがたい存在であることに変わりはない。

 

・人を見る天才だった


たしかに私は、田中角栄の金権主義を最初に批判し、真っ向から弓を引いた人間でした。

いまさらこんなものを書いて世に出すことで「政治的な背信」と言われるかもしれませんが、政治を離れたいまこそ、政治に関わった者としての責任でこれを記しました。


歴史というものの重みを知ってもらいたいと思ったし、ヘーゲルが言うように、歴史とは人間にとって何よりも大事な現実ですからね。

私自身は商売に携わったことはないし、人からカネをもらったこともない。


選挙も自分のカネでやりましたけども、一方で自民党の戦後の歴史というのは、要するに金権主義なんですよ。

そういう自民党の中でのしあがっていくには、金権という方法論しかなかったんでね。


だから金権そのものは角さんのというよりは、自民党の体質だったわけです。

ただ、あの人が商売の天才だったことは間違いないね。

戦争中に25歳で田中土建工業を設立して、短期間で業界50社以内の売り上げにしている。

すごい話ですよ。


たんなるカネ儲けの才能だけじゃなくて、人を見る目、人間観も鋭い。

僕が角さんはすごいなと思うのは、ニクソン元米大統領やキッシンジャー元米国務長官がベタ褒めした周恩来元首相のことを彼はまったく評価していないことでね。


周恩来は毛沢東の足元にじゃれている「チンコロ」だと。

そんなことを言ったのは田中角栄ただ一人ですよ。


周恩来は役人として優れていただけで、毛沢東の下で生きながらえた。

何度も失脚の危機を乗り越え、「不倒翁」と呼ばれたのは、彼が小物だったからだと角さんは見抜いた。


結局、役人を馬鹿にしていたということです。

そんな田中角栄にてこずったのが米国でした。


米国に頼らない角さんの資源外交が彼らの逆鱗に触れて、それでロッキード事件によって彼を葬ったわけです。

 

・ロッキードは気の毒だった


ロッキード事件当時、私は国会議員のなかで、一人だけ外国人記者クラブのメンバーでね。

古参の米国人記者がロッキード裁判を傍聴して驚いていました。


ロッキード社副会長が日本で起訴されないことを条件に証言し、それが裁判の証拠として採用された。

しかも、当の副会長に対して反対尋問さえ許されない、という日本の司法のありように首をひねっていたのを覚えています。


私もあのとき米国の策略に騙された一人だったけれども、いまにして思えば、あのロッキード事件は角さんが気の毒だった。

角さんは航空機トライスターの購入をめぐって賄賂を受け取ったとして逮捕されましたが、ロッキード社に関しては他にもP3C対潜哨戒機の導入をめぐる、もっと大きな疑惑があった。


こちらに関与している政治家はもっとたくさんいたんですよ。

ところが、これは完全に黙殺されてしまった。


だから、あのロッキード裁判はいろんな意味でめちゃくちゃです。


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石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~人を見て、先を見通す天才だった~
週刊現代 2016.05.06
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48554

 

 

 

 

 


■石原慎太郎が語る田中角栄と日本政治!日本の政治はちゃちになってきた!

【石原慎太郎】 報道2001>石原慎太郎の「田中角栄と橋下徹」

YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=KkiBDlj6-k8

 

 

 

 

 


■石原慎太郎語録

 

 

・高速道路、新幹線、飛行機のネットワーク...私たちが生きている現代を作ったのは田中角栄だ。

 


・政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃子入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ。

 


・日本の政治家はみんな官僚みたいになりました。大学の教授に『田中角栄のことを一人称で書いたらどうですか』って言われ、なるほどな、と思って書きました。田中角栄とは天才ですね。郵政大臣の時に43のテレビ局全部を認可しました。新幹線も高速道路も、飛行場もそうです。すごい。こんな政治家いませんね。

 


・ロッキード事件は完全にでっち上げです。よく分かりました。角さんが総理大臣をやっていた昭和49年の参院選。あのとき自民党の公認料は1人3千万円ですよ。選挙で使ったお金は300億円です。だから、ロッキード事件の5億円は角さんにしたら選挙費用の中で、はした金。金集めたら偉いと思わないけど。それに彼が作った個人立法が33本あるんですよ。政治家1人が個人的に作った法律がそんなに通用している政治家はいませんよ。

 

 

・彼はアメリカという支配者の虎の尾を踏み付けて彼らの怒りを買い、虚構に満ちた裁判で失脚に追い込まれた。アメリカとの交渉で示した姿勢が明かすものは彼が紛れもない愛国者だったということ。

 

 

・いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曽有の天才をアメリカという私たちの年来の支配者の策謀で失ってしまったのだ。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。

 

 

・(未曾有の日本国の高度な繁栄等は)その多くの要因を他ならぬ田中角栄という政治家が造成したことは間違いない。田中角栄という天才の人生は、この国にとって実に掛け替えのないものだった。この歳になって田中角栄の凄さが骨身にしみた。


(石原慎太郎)

 

 

 

 

■『知識ゼロからの田中角栄入門』

・そもそも田中角栄ってどんな人?

・田中角栄の青春時代

著者:小林吉弥

出版社:幻冬舎

発売日:2009年03月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDs0AJ

 

 

 

 

■『人間・田中角栄』

時を越えて語り継がれる角栄の涙が、現代を生きる人々の「人生の足元」を明るく照らす。

人情、そして弱者への愛ー政治家の「原点」がここにある。

出版社:宝島社

発売日:2018年05月

楽天ブックス https://a.r10.to/haJb3p

 

 

 

 

 


■『田中角栄 上司の心得』

田中角栄元総理の言行より、やがて来る「コロナ後」の社会でも活用できる数多の心得を紹介

著者:小林吉弥

出版社:幻冬舎

発売日:2021年01月27日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDJmu2

 

 

 


■『田中角栄回想録』

「池田・佐藤政権の屋台骨を支えつづけた十年」

「日ソ外交史に残る田中・ブレジネフ会談」

著者:早坂茂三(田中角栄秘書)

出版社:集英社

発売日:2016年08月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hwzTiU

 

 

 

 

■『田中角栄魂の言葉88』

角栄が残した言葉にはどんな時代にあっても変わらぬ「人間の真実」と「珠玉の知恵」がある。

“魂の言葉”とも言うべき名言をセレクト

レーベル:知的生きかた文庫

出版社:三笠書房

発売日:2016年06月03日

楽天ブックス https://a.r10.to/h6GdAz

 

 

 


■『入門田中角栄新装版 語録・評伝』

「原点」復刊。

すべての「角栄本・角栄語録」はここから始まった。

・名語録(政界立志編/刑事被告人編/人生訓・趣味編)

出版社:新潟日報事業社

発売日:2016年07月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDU8Lr

 

 

 

 

 

■『田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得』

「やる気」を引き出す天才、心に残る「角さん」の名語録

・仕事(まずは結論を言え/伝説の蔵相就任演説 ほか)

・人生(勤労を知らない不幸/二重橋を渡る日 ほか)

・生きる(人生の「間」/臭い飯 ほか)

出版社:宝島社

発売日:2015年02月

楽天ブックス https://a.r10.to/hy7D3f

 

 

 

 

 

■『田中角栄頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』

「オヤジとわたし」改題書

54歳の若さで日本の最高指導者に登りつめた秘密のカギは何であったのか?

著者:早坂茂三(田中角栄秘書)

レーベル:PHP文庫

発売日:2016年06月03日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDrQlt

 

 

 

 

 

■『実録田中角栄』

雪深い新潟の農村に生まれた男はいかにして権力の階段を昇ったのか。

著者:大下英治

レーベル:朝日文庫

出版社:朝日新聞出版

発売日:2016年08月

実録田中角栄(上)https://a.r10.to/hDOdPt

実録田中角栄(下)https://a.r10.to/hww9Av

 

 

 

 

 

■『田中角栄 最後のインタビュー』

全盛期の知られざる発言全記録!

「道徳観のない政治家に人はついてこない」

著者:佐藤修

出版社:文藝春秋

発売日:2017年05月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDTHSt

 

 

 

 

■『戦場の田中角栄』新書版

元・田中角栄番の記者による「田中角栄の本当の姿」

著者:馬弓良彦

発売日:2018年09月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDUyl6

 

 

 

 


■『冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相』

・米国の「陰謀」-その構図

著者:石井一(元国務大臣・国土庁長官、旭日大綬章受章者)

レーベル:産経NF文庫

発売日:2020年02月

楽天ブックス https://a.r10.to/hwYuMr

 

 

 


■『大宰相 田中角栄 ロッキード裁判は無罪だった』

「日本のエネルギー自立を願う田中角栄と、それを苦々しく思うアメリカとの壮絶な駆け引きがあった」

著者:田原総一朗

出版社:講談社

発売日:2016年08月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDgTEp

 

 

 

 

 

■『異形の将軍 田中角栄の生涯』

戦後最大の栄光と汚辱を描いた一大叙事詩

著者:津本陽

出版社:幻冬舎

発売日:2004年02月

異形の将軍(上) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/h5jBuw

異形の将軍(下) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/hDwAQC

 

 

 

 


■『日中国交正常化 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』

歴史認識、戦争賠償などの対立を越え、結ばれた日中国交

冷戦下、アメリカとの関係維持に腐心しながら試みられたものだった

著者/編集:服部龍二

レーベル:中公新書

発売日:2011年05月

楽天ブックス https://a.r10.to/hMng1r

 

 

 

 

■『田中角栄を葬ったのは誰だ』

検察の駆け引き、最高裁の不可解な動き、アメリカの圧力、等々…

・「日米司法取決」の闇

著者:平野貞夫

発売日:2016年07月

楽天ブックス https://a.r10.to/h6gokD

 

 

 

 

■『この国は俺が守る 田中角栄アメリカに屈せず』

日中国交正常化を実現、独自の資源外交を展開する田中角栄に、大国アメリカの巧妙で執拗な罠

著者:仲俊二郎

出版社:栄光出版社

発売日:2011年11月

楽天ブックス https://a.r10.to/hwyorV

 

 

 

 

■『田中角栄の資源戦争』

アメリカの傘下を離れ、世界の資源国と直接交渉する大胆な「資源外交」

アメリカや欧州の覇権、石油メジャーやウラン・カルテルの壁を突き破ろうとした角栄

著者:山岡淳一郎

出版社:草思社

発売日:2013年04月02日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDEF13

 

 

 

 

 

■「田中角栄に今の日本を任せたい」

角川SSC新書 (角川新書)

著者 大下英治

発売日:2011年11月10日

https://www.kadokawa.co.jp/product/201105000506/

 

 

 

 

 


■「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!

馬渕睦夫(元駐ウクライナバ大使)

出版社:ワック (2014/10/24)

https://amzn.to/3oE6t5K

 

 

 

■米国すら超える!「日中韓が心を一つに団結すれば」

「日中韓が心を一つにして発展すればさらに実力を発揮できるので、米国を軽々と超えられる」

exciteニュース(2021年4月12日)サーチナ

https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20210412082/

 

 

 


【なぜ日本は壊れていったのか…「ロッキード事件」の真相】田中角栄はアメリカにハメられた…~ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘~

2022-12-01 06:49:23 | 日記

 

■なぜ日本は壊れていったのか…「ロッキード・リクルート事件」の真相

現代ビジネス(講談社)2021.03.23

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81104


~~~


592ページにも及ぶ超弩級ノンフィクション『ロッキード』(文藝春秋刊)著者・真山仁氏と、リクルート創業者江副浩正の真の姿を描き切った『起業の天才!』(東洋経済新報社刊)著者・大西康之氏の特別対談後編。


田中角栄と江副浩正の逮捕・失脚で日本は何を失ったのか?

なぜ「ありえない」ことが次々と起きたのか?

ロッキード事件がなければリクルート事件もなかった……?


語られざる「ロッキード・リクルート事件」の真相から、この国のかたちと難題が見えてくる。

 


・検察との仁義なき攻防

 

真山 ロッキード事件は、目白の大豪邸に住み、金権政治でのしあがった総理大臣・田中角栄を追い詰めた特捜検察の執念が実を結んだ事件でもありました。それを世論が後押ししたという背景も見えてきます。

 

大西 リクルート事件も、「未公開株」を政治家に配った「成り上がり」江副浩正への憎悪の世論が特捜部の捜査や裁判を後押ししました。しかし、どちらも裁判で有罪判決がくだされながら(田中は一審、控訴審で有罪、最高裁の審理中死亡により公訴棄却。江副は一審、検察と江副双方控訴せず有罪確定)、冤罪だという見方が根強くあります。

 

真山 ロッキード事件には、ざっくり言えば、大物フィクサーの児玉誉士夫が21億円を受領したという「児玉ルート」と全日空が買った大型のジェット旅客機「トライスター」をめぐる「丸紅(まるべに)ルート」があります。児玉ルートで火がついたロッキード事件は、丸紅ルートで角栄に襲い掛かってきました。
1976年7月27日、田中角栄は東京地検特捜部に逮捕されます。総理在任中に、総合商社の丸紅を通じてロッキードから同社のトライスターを全日空に導入させる見返りの賄賂として、5億円の現金を受け取ったという容疑でした。検察は受託収賄罪で起訴し、東京地裁は検察の主張を認めて有罪とします。
しかし、この裁判には不可解な点がたくさんあった。
民間企業の機材の選定に総理が口出す権限などありません。たしかに当時の航空会社は、監督官庁の運輸省(現・国土交通省)の強力な権限のもとにありましたので、運輸大臣に賄賂を贈って口利きをさせたというのならわからなくもない。ロッキードの裁判では、検察も裁判所もその運輸大臣を総理大臣は指揮監督する権限があったとして角栄を有罪にしましたが、もし総理にそのような職務権限があるとされれば、総理は国政のありとあらゆる業務に対して職務権限があることになる。これは法をあまりに拡大解釈しています。実際に、こうした批判は少数ながら当時からありましたが、角栄バッシングの猛威の中で封殺されていきました。

 

大西 そもそも角栄がロッキードから5億円をもらう理由についても、腑に落ちない点があります。

 

真山 そうなんです。元毎日新聞の政治記者、西山太吉さんは「5億円なんちゅうのは角栄にとっては、はした金だ」と言っていました。また角栄にほれ込んだ通産官僚の小長啓一さんも「5億円のようなはした金を、外国人からもらうなんてありえない、と田中さんが繰り返していた」と言うのです。
庶民から見れば大金ですが、西山さんが担当していた宏池会(現在の麻生派や岸田派の源流)では財界への電話一本で億単位のカネを集金したという当時の政治背景を考えれば、この程度の献金は当たり前でした。つまり5億円は丸紅からの単なる献金で、ロッキードからの賄賂ではなかったという見方は充分に成立します。
検察の起訴状によれば丸紅からの金銭授受は、英国大使館裏の路上やホテルオークラの駐車場などで白昼堂々と行われています。やましいカネなら料亭でこっそりやるはずなのに。検察が主張したカネを運んだルートも実際に現場検証をしましたが、不可解なことだらけでした。

 

大西 角栄にはロッキードの要請に応じて、トライスターを全日空に導入させて、その見返りに5億円をもらうという動機そのものが見当たらないわけですね。
リクルート事件でも上場を目前としていたリクルートコスモスの未公開株を政治家や経営者に配ったと言っても、株を買ってもらったわけです。未公開株を買った人たちは、上場後に株が上がれば儲かりますが、下がって損をするリスクも負っているわけです。社会的信用力のある政治家や財界人に未公開株を引き受けてもらうということは、経済界の常識でしたし、上場を担当する証券会社では当たり前のように行われてきたこと。しかも江副は政財界の全方位的に配っていて、特定の誰かに便宜を図ってもらおうとする意図があったようには見えません。
当時はバブル経済の真っ盛り。リクルートは川崎の再開発地にビルを建てました。そのときリクルートの交渉相手だった川崎市の副市長が、リクルートコスモスの未公開株を同じリクルートのノンバンクからおカネを融資してもらって買い、上場後すぐに値上がりしたその株を売って売却益一億円を得た。それを報じた朝日新聞のスクープ記事によって、リクルート追及報道に火がついたのですが、この川崎市のケースは、警察も検察も、立件できないとして見送っていたんです。
ところが朝日新聞はこの報道を皮切りに、森喜朗をはじめとして、安倍晋太郎、竹下登、中曽根康弘らが未公開株を貰ったことを次々と暴いていった。特別な地位にいるだけで、「ぬれ手でアワ」でおカネを手にした政財官の要人たちへの怒りが燎原の火のように広がりました。その世論をフォローの風にして、東京地検は江副を逮捕、取り調べをしますが、そもそも贈収賄の見立てには無理がある。
検察のシナリオに沿った罪の自白をするまで土下座を強要したり、長時間壁に向かって立たせたりする戦前の特高まがいの取り調べや不当な長期に及ぶ勾留は、その後問題視されますが、当時は検察のやりたい放題。
頭に浮かんだのは、つかこうへいさんの小説「熱海殺人事件」です。ショボい事件を大犯罪に仕立てていくために犯人に自白を強要していく物語ですが、主人公の部長刑事は「凶器は浴衣の腰ひもです」と供述する犯人に「そんなショボい凶器で、国民が納得するか」と事件を脚色していく。これはフィクションのなかだけの話だと思っていたら、現実でも同じでした。

 

真山 検事の中にも「未公開株は賄賂ではない」「あれを賄賂認定するのはダメだよ」という人もいるくらい、あの事件の検察の捜査はひどかった。いまの若い検事にはロッキード事件を否定的に捉える人は少なくありません。それでも一定以上の年齢の検事になると、ロッキードは政界中枢にメスを入れた特捜検察の金字塔なのです。ロッキード事件の不可解さを尋ねても、「あの事件は優れたブツ読みがされている」と。証拠(ブツ)が本物かどうかは別にしても入手したブツから積み上げて、ロジックをしっかり詰めているというわけです。
ロッキードの主任検事は今でも特捜検事の神話となっている吉永祐介。そして後にリクルートで主任検事となる宗像紀夫さんも丸紅ルートの公判検事を務めました。突破力のある吉永がロッキード事件の主任検事だったことは、角栄にとって不運なめぐりあわせでした。
ロッキード事件の検察の主張のおかしさを宗像さんに尋ねると、「それは裁判所が決めることだ」と言うのです。検察はブツとロジックを積み上げて罪の可能性を追求するのが任務であって、有罪か無実かを決めるのは裁判所。有罪率が99%に迫る日本で、我々は立件する検察こそが有罪を決定づけているのではないかと思いますが、彼らの理屈はこうなのです。しかし、それは制度としては正しい理屈でもある。

 

大西 そして、その裁判所がまた世論の影響を受ける。

 

真山 そのとおりです。もちろん法に則って判断をされているのですが、証拠のほころび、被告側から違法性を指摘された調書をどのように解釈し、採用するかしないかは、世論の方向性も影響していると思います。たとえばロッキード事件は有罪となった角栄に世論が背を向けていた。一方で、ロッキード事件同様に検察側の証拠に問題の多かった09年の「障害者郵便制度悪用事件」で無罪となった厚労省の村木厚子さんには、世論が彼女に味方して、検察による調書のでっち上げが次々に法廷で暴かれていきました。
最高裁の判事として角栄の判決に参加した園部逸夫さんは、角栄が生きているうちに判決を出せなかったことを残念がっていた。角栄が生きていたら、再審でもなんでもやって身の潔白を主張し続けたでしょうから。園部さんも「裁判所が、世論の影響を全く受けなかったと言えば、ウソになります」と話していました。
園部さんは、法律家として良心的な方でした。ロッキード事件は、アメリカの上院外交委員会多国籍企業小委員会(通称・チャーチ委員会)でロッキード社のアーチボルト・コーチャン副会長が、日本の政府高官に多額の賄賂を渡したと証言したことで発覚しました。これを端緒に角栄は逮捕されたのですが、検察が米連邦検察官に嘱託して聴取したコーチャン嘱託尋問は、日本の刑法に照らせば、違法に収拾された証拠、つまり違法性が高かった。だから、最高裁はコーチャンの嘱託尋問の調書を証拠採用しませんでした。ギリギリのところで誤った判例を残すことを防いだのです。

 


・事件を動かしたトリックスターたち

 

大西 『ロッキード』では、多くのキャラクターが登場しますが、印象深いのは「5億円受領」を検察に自白させられる榎本敏夫です。側近中の側近でヤバい金を扱う存在だった榎本が検察側の取り調べにあっさりと落ちてしまう。その後、否認に転じる榎本ですが、その元妻の榎本三恵子が検察側の証人として法廷に立って「5億円の受領」を証言してしまう。この「ハチの一刺し」も強烈でした。角栄にしたら、身内からなんでこんなバカな証言がでるんだと思ったでしょう。
リクルート事件でもいったん収束したかと思ったときに、江副の側近の松原弘がやらかしてしまう。ロッキード事件の国会追及でも名を馳せ、リクルート事件でも追及の厳しい「国会の爆弾男」の楢崎弥之助に口封じのための現金を渡す現場を日テレに隠し撮りされ放送されてしまう。
彼らのようなある種のトリックスターがかき回して、事件が大きく動き出した。

 

真山 榎本敏夫に重要な役目を負わせていたことを見ても角栄は人をうまく使えていなかったということでしょう。もし小説なら、鉄壁の布陣の組織トップを裏切る人物を描くとしたら、もっとずるくて、頭が良くて、読者の納得のいく動機が必要です。ところが、現実の世界では、なぜこんな人がと思う人物が事件を動かしてしまう。

 


・二つの疑獄の「因縁」

 

真山 ロッキード事件に大きな影響を及ぼしたとされるキッシンジャーも、角栄を嫌っていた節があります。角栄は気がついていなかったようですが、キッシンジャーは、角栄を秘密の守れない男だと嫌悪して、一方でエリートの中曽根を重要視していた。
「空飛ぶコンピュータ」と呼ばれた高額の対潜哨戒機P-3C導入をめぐる「児玉ルート」の線上に名前が浮上し、ロッキード事件の後のダグラス・グラマン事件でも中曽根の名前が挙がっていますから、検察は中曽根にも強い興味を持っていた。その中曽根追及の執念はリクルート事件に引き継がれている。

 

大西 たしかにそのとおりです。通信業界に影響力を持っていた田中派は、NTT民営化後の社長に守旧派の北原安定を推していた。かたや時の総理の中曽根は電電改革に大ナタを振るった電電公社最後の総裁、真藤恒を据えようとしていた。
当時の巨大利権が絡んだNTT民営化論争は、田中派と中曽根派の代理戦争の場だったのです。ところが角栄が脳梗塞で倒れたことで拮抗が崩れ、結果、真藤がNTTの初代社長になりました。しかし、真藤は江副が渡した未公開株で逮捕されてしまう。
リクルートの江副逮捕がNTT利権、中曽根派に検察が切り込む端緒であったとすれば、まさに角栄が倒れなければ、この事件はなかったかもしれません。
しかし、私から見れば真藤の逮捕で、日本が失ったモノは大きかった。彼はアメリカが電話・通信事業を独占していたAT&Tを9社に分割し解体、その結果、通信コストが劇的に下がったことで、数々の新興企業が生まれネット勃興の時代の下地となったように、NTTの分割民営化を推進した人。もし真藤が失脚しなければ、もっと徹底した民営化が行われて、いまの日本のIT産業も少しは変わっていたかもしれません。
日本経済新聞の社長で「オンライン化」と「グローバル化」を80年代に構想した森田康も未公開株で社長を辞任した。ちょうど私が入社した88年のことでした。

 


・角栄と江副「天才たるゆえん」

 

真山 角栄も江副も、中曽根よりもナイーブな人柄だった。だからこそ、ハーバード卒の謀略が大好きなキッシンジャーが丁々発止で活躍する国際政治や、成り上がりを叩く大衆のバッシングに巻き込まれてしまったのかもしれません。
私は田中角栄は打算のない、純粋に人のために働く政治家だったと思います。
彼の特長は法律の作り方が抜群にうまかったこと。小学校しか出ていない角栄にとって、政治家の仕事とは教科書に書いてあるとおり、立法府の国会で法律を作ることでした。角栄の秘書官を務めた元通産省事務次官の小長啓一は、角栄の予算を作る力をリスペクトしていました。高速道路を作るために、重量税やガソリン税を作った。
国会議員の仕事は法律と予算を作ること。それを優れた才能でやり続けた総理は、田中角栄だけでしょう。

 

大西 江副も経営というものをピーター・ドラッカーに学んで、その教えのとおりに生きました。リクルート疑獄から26年後、リクルートは上場を果たしましたが、創業者を失っても成長を続けた会社は世界を見渡しても、そうはありません。江副は科学的な経営をして方法論を具体的に会社のシステムに落とし込んだからこそ、後進は、彼が設計した通りに生き生きと働くことができた。社員たちに主体性があって多くのビジネスマンが独立し、会社を大きくしました。
しかし、リクルートはあの疑獄があってよかったのかもしれません。リクルートコスモスは、江副が逮捕されるまで、地価が高騰する中で、狂ったように土地を買い続けていた。バブルがはじけて1兆8000億円の借金を出したけど、事件で江副が失脚していなかったら3兆円、4兆円と借金が膨らんでリクルートはこの世になくなっていたかもしれません。これは多くのリクルートOBたちの意見です。
一方で、コンピューティングパワーにいち早く目を付けた江副が指揮を執り続けていたならば、情報産業がいまどうなっていたかは見てみたかった。もちろん当時のテクノロジーはまだまだ脆弱で、うまくいったかどうかはわかりません。しかし、江副が倒れても、必ずや第2、第3の江副が登場し、巨大なIT産業が生まれたのではないでしょうか。

 

真山 私は角栄も江副も、破滅は必然だったと思います。歴史的に見たら、二人はたとえば幕末の吉田松陰なのではないでしょうか。吉田や高杉晋作、坂本龍馬の屍を乗り越えていった多くの志士たちが、明治維新を成功させました。
GAFAも同じで、彼らが登場する前にも優秀な人間はたくさんいた。目立っている成功者だけがすごかったわけじゃない。角栄や江副は、疑獄がなかったとしても、きっとどこかで躓いたでしょう。しかし二人の教訓を生かして偉大な政治家やプラットフォーマーが生まれなかった日本は、まだまだ未成熟なんだろうと思います。

 


・若者の危機感が本物になってきた

 

大西 リクルート事件のころは世界の時価総額ランキングのベスト10のうち、7社が日本企業だったのに、いまはトップ50以内に入っているのは49位のトヨタ自動車のみ。経済のみならず、ガタガタの菅政権で政治も迷走して展望の見えにくい日本ですが、チャンスはまだ残っています。GAFAが登場し、ITの分野で日本はすってんてんに負けました。ところが、いまネットがリアルの世界に染み出して、ネットとリアルを融合させたビジネスモデルが次々と生まれている。その時にリアルに強い日本の技術に需要が次々と生まれそうです。例えば鮮度を保つ運搬技術とかね。
また、日本は無為のままこの30年を過ごしてきたように見えますが、ちょこちょこと稼いできた人たちがベンチャーキャピタルを形成し、日本にもエンジェル投資家とよばれる人が出てきています。日本では徒手空拳の起業家はこれまで銀行から借りるしかなかったけど、借金でなく投資されたカネで新しい産業が生まれる芽が出てきたのです。
江副浩正の生涯を描いた『起業の天才!』には、冒頭にエンジェル投資家として活躍し19年に47歳の若さで亡くなった瀧本哲史さんのインタビューを収録しています。彼は「江副さんがダークサイドに落ちてしまったのは、彼を乗りこなす騎手、つまりまともなエンジェル投資家が日本にいなかったから」と語っています。江副のような暴れ馬のイノベーターが活躍する土壌が着実に育っています。

 

真山 私は若者たちの危機感がようやく本物になってきたと感じています。大学生を集めた真山ゼミを10年近くやっていますが、数年前から東大生でも意識が変わってきました。5年ほど前は日本の危機を語っても、理解はするけど「まあなんとかなるでしょ」という感じだった若者が、いまは挫折をいとわずチャレンジすることを怖がらなくなっています。彼らはようやく「日本はこのままではダメだ」と、この国の危機を真剣に受け止めて行動を起こし始めています。
ロッキードとリクルート、二つの疑獄という昭和の教訓は、いま、ようやく生かされる時代になったのかもしれません。


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なぜ日本は壊れていったのか…「ロッキード・リクルート事件」の真相
現代ビジネス(講談社)2021.03.23
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81104

 

 

 

■ロッキード事件の「真の巨悪」は田中角栄ではなかった

米高官・CIAを後ろ盾に暗躍した「元戦犯容疑者」たちを徹底究明

クーリエ・ジャポン(講談社) 2020.10.31
https://courrier.jp/news/archives/216989/


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・田中がアメリカに嫌われた真の理由を明らかにする

 

日本人の心に、強烈な印象を残した田中角栄(たなかかくえい)。

ロッキード事件で、逮捕・起訴され、一、二審で実刑判決を受けて政治生命を絶たれ、病にも倒れて、鬼籍に入った。


しかし、この事件には、未解明の重大な疑問が残されている。

当時、ほとんどの日本人は田中が現職の首相時代に犯した犯罪だから、田中が「巨悪」だと受け止めていた。


だが、本当の巨悪は他にいて、断罪されないままになっているのだ。

田中訴追に直接関係する証拠は米国司法省から東京地検特捜部に引き渡され、法の裁きを受けた。


しかし、巨悪解明につながる証拠は提供されなかった。

アメリカは、なおその証拠を秘匿している。


戦後最悪の国際的疑獄となった、この事件。

昭和から平成、さらに令和の時代を迎えた今も、真相を紡げないまま、歴史のかなたに葬ってしまっていいのか、と痛切に感じる。


田中角栄の逮捕から40年たった2016年、田中に関する書籍や記事、テレビ番組が相次ぎ、角栄ブームにもなった。

かつての政敵の一人、石原慎太郎(いしはらしんたろう)が著した小説『天才』(幻冬舎)やNHKスペシャルなど、ドキュメンタリー番組も話題になった。


その中で、朝日新聞編集委員の奥山俊宏(おくやまとしひろ)が書いた『秘密解除 ロッキード事件』(岩波書店)は、新しい取材に挑戦し、米国の公開文書を系統的に点検していた(1)。

この本が出版された時、私はひやっとした。


奥山は、ロッキード事件に関する米国政府機密文書を発見して、2010年から朝日新聞に何度かスクープ記事を書き、本と同じタイトルの特集記事もまとめていた。

正直に打ち明けると、私は同じテーマで、彼に先駆けて、2005年から取材を開始し、関係文書を大量に入手していた。


その中には、奥山に先に報道された文書もある。

だが、まだ私の取材は全部終わっていなかった。


先に出版されてしまえば、それまでの長年にわたる取材が無に帰してしまう、と恐れていた。

案の定、彼の本が先に出版された。親切にも彼は著書を贈ってくれたので、慌てて読んだ。
意外にも、私の心配は杞憂(きゆう)だった。

 

・キッシンジャーが角栄を嫌った理由を突き止めた


彼が、アメリカの公文書を取材した意義は大きい。

しかし、多くの未解明の疑問に対する答えを出していなかった。


この著書の副題「田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか」という問いは、疑問符のまま残されている。

「キッシンジャーは、政策ではなく、その人格の側面から田中を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っており、その意味で田中は米国の『虎の尾』を踏んでいたと言える」と奥山は書いている。


しかし、真相はそんなことではなかった。

田中がアメリカに嫌われた真の理由、それを初めて明らかにする。


ロッキード事件は、第一段階で田中首相在任時の日米関係、第二段階で事件発覚から捜査、裁判に至る経緯、と二つの段階から成り立っている。

これまで、二つの段階の間に重大な因果関係があったことを解き明かした著作はなかった。


それを解明することによって、初めて事件の真相が見えた。

つまり、田中が政治的に葬られた理由は彼の外交にあったのだ。

 

・Tanaka文書の経緯を逐一追う

 

次々と出版された類書から大幅に遅れながら、あえて拙著『ロッキード疑獄』を上梓(じょうし)したのは、ロッキード事件の新しい歴史を刻むことができたと考えたからだ。


事件解明の最大の壁は、事件が「アメリカ発」であり、米国政府から捜査資料を入手しなければ、捜査は不可能という現実だった。

捜査資料とは、全部で5万2000ページ以上、ロッキード社が保管していた秘密文書のことだ。


最終的に、東京地検特捜部が入手したのは、そのうち2860ページだった。

本書では、これらの文書が辿った複雑な道のりと関連の動きを、逐一、丹念に追うことによって真相を追究する手法を取った。


田中の運命を決したこれらの文書は、どのような経緯で東京地検特捜部にたどり着いたのか。

文書の中には、確かに「Tanaka」ないしは「PM」(Prime Minister=首相=の略)と明記した文書があった。


特捜部の捜査をリードした堀田力(ほったつとむ)も、そのことを認めている。

これらの文書は、田中や丸紅、全日空両社の首脳らの逮捕、起訴、裁判の過程で、活用された。

 

・巨悪の正体

 

しかし、アメリカは田中関係の文書とは対照的に、「巨悪」に関する情報の公開を阻んでいる。

「巨悪」は訴追を免れたが、その全体像は、ロッキード事件の三年後に発覚したダグラス・グラマン事件も含めた取材で、浮かび上がった。


その正体とは、どんな人たちなのか。

日本では、おぞましい人たちが姿を現した。


戦前・戦中は軍国主義を突き進み、終戦直後に「戦犯容疑者」として連合国軍総司令部(GHQ)に逮捕され、巣鴨(すがも)拘置所に勾留されたものの、起訴を免れ、釈放された「紳士」たちだ。

アメリカでは、彼らを生き返らせて、表舞台に復帰させた「フィクサー」らが暗躍した。


その後ろ盾に、米国の軍部と軍需産業から成る軍産複合体が控えていた。

東西冷戦の激化で、アメリカは日本を「反共の砦」として、経済的に繁栄させるため、これらの元戦犯容疑者たちを復活させた。


日米安全保障体制を強化するため、アメリカは1950年代以降、自衛隊に高価な米国製の武器・装備を導入させた。

その「利権」を分け合った日米の黒いネットワークが露呈したのが、ダグラス・グラマン事件であり、ロッキード事件だったのだ。


事件の主役は、日米安保関係の根幹に巣くう人脈であり、彼らを「巨悪」として訴追すれば、安保体制は大きく揺らぐところだった。

事件を表面化させたアメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ小委)のジェローム・レビンソン首席顧問は、事件が「インテリジェンスの分野に入ってしまったので、チャーチ小委の調査も終わってしまった」と筆者に語った。


この証言は、日米安保関係の秘密の部分に調査のメスを入れることができなかった事情を雄弁に語っている。

「巨悪」のグループには、米国の軍産複合体のほか、米中央情報局(CIA)も含まれている。


日本の元戦犯容疑者たちは、CIAの協力者としても暗躍したのである。

 

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■ロッキード事件の「真の巨悪」は田中角栄ではなかった
米高官・CIAを後ろ盾に暗躍した「元戦犯容疑者」たちを徹底究明
クーリエ・ジャポン(講談社) 2020.10.31
https://courrier.jp/news/archives/216989/

 

 

 

 


■ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘 

~自民党幹事長はなぜ総理を裏切ったのか~

週刊文春(2021/02/06)

https://bunshun.jp/articles/-/43199


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ロッキード事件において田中角栄は、本当に有罪だったのだろうか――。

1976年、田中角栄は、米国の航空機メーカー、ロッキード社からの賄賂を総理在任中に受け取り、全日空に同社の「トライスター」を購入するよう口利きをした罪を問われた。

ロッキード社のコーチャン副会長の証言によると、彼は30億円にものぼる賄賂を、日本の政界にばらまいたという。

裁判は、1993年の田中角栄の死によって収束を迎える。

しかし、田中角栄は嵌(は)められたという主張も未だ根強い。さらに、総理を支えるべき自民党幹事長(当時)の中曽根康弘による、奇妙な“裏切り”も後に発覚した。

作家の真山仁氏が事件の真相を追求した『ロッキード』より、一部を抜粋して紹介する。

 

・中曽根の狼狽


2010(平成22)年2月12日、朝日新聞朝刊一面に、1本のスクープ記事が掲載された。

スクープをものにした記者は、米国で公文書を徹底的に読み解き、ロッキード事件を新たな視点から検証してまとめた『秘密解除 ロッキード事件』を著した朝日新聞編集委員の奥山俊宏だった。


【ロッキード事件「中曽根氏から?もみ消し要請」米に公文書】

《ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている》


問題となった文書は、1976(昭和51)年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米国大使が、国務省に送った公電だ。

チャーチ委員会でロッキード事件が発覚したのが、2月4日。

 務省は18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に改めて要請するよう、駐米大使に訓令した。

これは三木武夫首相の意志であった。

ところが中曽根は、その夜と翌朝に、三木首相の要請とは正反対の秘密のメッセージを米国政府に伝えよと、米大使館に依頼したというのだ。


《中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい(KURUSHII)政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消す(MOMIKESU)ことを希望する」に変更したとされる》


ちなみに、この公電では、「苦しい」と、「もみ消す」は、その英単語に続いて敢えてローマ字表記の日本語が記されている。

 


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ロッキード事件の“もみ消し”をアメリカ政府に頼んだ中曽根康弘 
~自民党幹事長はなぜ総理を裏切ったのか~
週刊文春(2021/02/06)
https://bunshun.jp/articles/-/43199

 

 

 


■冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相

「この事件には陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ」

産経ニュース 2016/7/25 石井一

https://www.sankei.com/premium/news/160723/prm1607230016-n1.html


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--昭和51年7月27日、田中氏はロッキード事件で逮捕されたが

「その年の2月から米国のチャーチ委員会(上院外交委員会多国籍企業小委員会)で、事件が取り上げられ、日本でも捜査が進められていたが、私も含めて田中の周辺ではだれも逮捕まで踏み切るとは思っていなかった。それに対して、東京地検は金権政治の象徴である田中を逮捕することが正義だというおごりのもとに、前の首相を、それも最初は外為法違反という容疑で逮捕するという暴挙に突っ込んだ。これは歴史的に糾弾されるべきことだと思っている」

 

--その後の裁判をどう見たか

「田中は終始一貫、無罪を信じて切っていたし、やましいという様子を全く見せなかった。そこで、私は事件に疑問を持つようになり、弁護団らと話をしているうちに、田中は本当に無罪ではないかと思って、自分でも調査することにした。田中派だからとかそういうことよりも、政治家として捜査や裁判が行き過ぎたり、曲がったりしたときは追及していくのは使命ではないかという思いが強かった」

 

--58年1月26日、検察側は田中氏に対し、懲役5年、追徴金5億円を求刑した

「その時、私は『検察側のストーリーをつぶすには、日本国内の法廷闘争だけでは勝てない。米国で調査を進めて真相に迫らなければならない』と思い、渡米を繰り返した。協力してくれる政治専門の優秀な弁護士はいないかと考え、スタンフォード大学大学院時代からの友人に相談したところ、その年の2月にリチャード・ベンベニステという弁護士に会うことができた。ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件で主任弁護士を務めた凄腕の持ち主だった。私が事件の関連資料を渡し、田中の弁護を依頼したところ、10日ほどして『引き受けましょう』という返事がきた。改めて渡米した私に、彼は『この事件には絶対、陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ』と語った。そして、事件発覚の経緯や田中側への5億円の資金提供を認めた嘱託尋問調書を日本政府が要求して裁判所が証拠として採用したことなどの点をしてきた。そのうえで『事件を証言したロッキード社(元副会長)のコーチャンは日本で刑事免責を受けているが、自分が米国内で彼を訴追することは可能だ』とも語った」

 

--その後のベンベニステ氏との調査は

「彼は3月14日、同僚や秘書など総勢10人で来日した。私が手配して高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル新高輪)の最上階をフロアごと借り切り、急ピッチで本格的な調査を始めた。10日ほどが過ぎ、代理人を依頼するため、田中にどう会わせようかと思案していたところ、田中から突然、東京・目白の私邸に呼ばれた。田中は『いろいろ苦労をかけているようだな。だが、大変申し訳ないが、アメリカの弁護士は断ることにした』と言われた。私は『そんな話がありますか。せっかくすごいのを連れてきたのに』と言ったが、田中は「分かっとる。分かっとる。が、すまん、許してくれ」とわびた。さらに私は『このままだと有罪になりますよ』とも言ったのだが、田中は『いや有罪にはならない』と譲らなかった。私はすぐにベンベニステにこのことを伝えた。彼は『田中の気持ちは理解できる。すぐに帰国するよ』と受け入れてくれた」

 

--田中氏はなぜ依頼を断ったと思うか

「ひとつは『米国から仕掛けられたワナから逃れるのに米国人の手を借りたくない』という日本人としての意地とプライドがあったと思う。もうひとつは田中が無罪を固く信じていたということだ。それで米国人の弁護士まで頼む必要はないと思ったのだろう」

 

--58年10月12日の1審判決を前に、調査の結果を小冊子にまとめ、田中氏らに渡したということだが

「事件と裁判には多くの問題があるのに、田中が有罪になることには納得がいかなかったので、自分なりの調査の結果を手書きの小冊子にまとめた。最初はみんなに配って公開しようと思ったが、世論の状況を考えると逆に反発を受けるのではないかと思い、田中とその周辺の5人にだけ渡した。内容は事件の発端への疑問や嘱託尋問調書が採用されたことの問題点、田中への請託の有無や金銭授受の不確かさなど指摘し、『有罪とするのは困難と見ざるをえない』という見解を示したものだった」

 

--田中氏の受け止めは

「小冊子を読み込み、いつも枕元に置いて大切にしてくれていたそうだ。その後、判決が出て、私もその年の12月18日に行われた衆院選で落選した。その10日後、田中周辺からの誘いで、目白の私邸を訪ねた。田中は新潟料理をふるまって、『君を落としたのは本当に残念だ』と慰めてくれたのだが、その後、私が渡した小冊子の話になった。田中が『君一人が書いたのか。どうしてこんなことが分かるのか』と訪ねたので、私は『事件は完全にでっち上げられたものだと思っています。ただ、感情的に言っても仕方ありませんから、事実を並べて論理的に書いたのです。時を経て、世間が冷静さを取り戻せば、いつか真実が明らかになる日がくると思います』と答えた。田中は深く、深くうなずいていた」

 

--1審での懲役4年、追徴金5億円という有罪判決を田中はどう受け止めたのか

「田中は判決に向かうとき、無罪だと信じていた。しかし、有罪判決が出て司法に対する憤りに満ちていた。裁判所から帰ってくると、自宅事務所の会議室に駆け付けた国会議員だけを入れ、『総理大臣経験者としての私が、このような罪を、このような形で受けることは、国民に申し開きのしようがなく、名誉にかけて許せない』と演説をした。その後の田中は派閥をどんどん大きくして、自民党を完全に支配した。その異常なまでの執念の背景には、首相というポストを傷つけてしまったという反省と、自分の無実をかならず晴らすという意地があったのだと思う」

 

--事件をめぐっては日米政府の陰謀説もある

「米国の政権は自分の思い通りになると思っていた日本を、日中国交正常化や資源外交などで独自の道に進めようとした田中を追い落とそうとした。田中は『(当時国務長官だった)キッシンジャーにやられた』ということを私にも言っていた。一方、日本側では事件当時の首相の三木武夫が、自分の政権基盤を強化しようとして、事件を機に田中を葬り去ろうとした。それに歩調を合わせて裁判所や検察という司法が、異常な執念と思い上がりから、首相経験者を仕留めようとした。そこへマスコミが追い打ちをかけ、世論は田中を罰することが日本の民主主義を救うことになるというムードになってしまった。これは歴史的に検証されなければならないことだと思う」

 

--田中氏は平成5年12月に刑事被告人のまま、75歳で死去した

「ものすごく悔しかったと思う。昭和60年に脳梗塞で倒れ、障害が残ってから亡くなるまでの間は筆舌に尽くしがたい苦悩があっただろう。無実でありながら、罪を晴らせないままこの世を去ったことはまさに悲劇だ」

 

--田中氏を政治家としてどう評価しているか

「政治家として並外れた能力の持ち主だった。予算の数字から政策の中身を知り尽くし、議員立法もたくさんやった。その意味で政党政治家の模範といえる存在だった。一方で『カネ』のイメージが強かった。ただ、それは自分の力で作ったもので、反省面ではあるが、希有な政治家だったと言えるのではないか。ただ、紛れもない愛国者であり、庶民の目線を持っていた。ロッキード事件がなく、田中の能力が発揮されていたら、日本の国は北方領土問題をはじめ、いまだに残っている問題もとっくに解決できていただろう。田中がどれほど大きな功績を上げることことができたかと考えると残念だ」

 

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冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相
「この事件には陰謀が絡まっている。底が深すぎるし、奇々怪々だ」
産経ニュース 2016/7/25 石井一
https://www.sankei.com/premium/news/160723/prm1607230016-n1.html

 

 

 

 


■東京地検とは?

・特別捜査部(ウィキペディア(Wikipedia))

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E9%83%A8

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特別捜査部(とくべつそうさぶ)とは、日本の検察庁の一部門。

東京・大阪・名古屋の各地方検察庁に設置されている。

特捜部(とくそうぶ)・特捜(とくそう)と略されることが多い。

【概説】

隠退蔵物資事件を契機にGHQ主導で設立された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が前身。

【東京地方検察庁特別捜査部】

通称「東京地検特捜部」。

東京地検特捜部が連合国軍による占領下で、旧日本軍が貯蔵していた隠退蔵物資を摘発してGHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」としてスタートした経緯や特捜部エリートに駐米大使館の一等書記官経験者が多いことから、「アメリカの影響を受けている」とする見方がある。

また、捜査対象が歴史的に木曜クラブの流れを汲む平成研究会系列(田中派―竹下(登)派―小渕派―橋本派―津島派―額賀派―竹下(亘)派―茂木派)の政治家に集中する一方で、党風刷新連盟を興りとする清和政策研究会系列(福田派―安倍(晋太郎)派―森派―町村派―細田派―安倍(晋三)派)の政治家は多くが免れていることから、「捜査対象が偏っているのではないか?」という主張がある。

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特別捜査部(ウィキペディア(Wikipedia))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E9%83%A8

 

 

 

 

 

 

 


■『知識ゼロからの田中角栄入門』

・そもそも田中角栄ってどんな人?

・田中角栄の青春時代

著者:小林吉弥

出版社:幻冬舎

発売日:2009年03月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDs0AJ

 

 

 

 

■『人間・田中角栄』

時を越えて語り継がれる角栄の涙が、現代を生きる人々の「人生の足元」を明るく照らす。

人情、そして弱者への愛ー政治家の「原点」がここにある。

出版社:宝島社

発売日:2018年05月

楽天ブックス https://a.r10.to/haJb3p

 

 

 

 

 


■『田中角栄 上司の心得』

田中角栄元総理の言行より、やがて来る「コロナ後」の社会でも活用できる数多の心得を紹介

著者:小林吉弥

出版社:幻冬舎

発売日:2021年01月27日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDJmu2

 

 

 


■『田中角栄回想録』

「池田・佐藤政権の屋台骨を支えつづけた十年」

「日ソ外交史に残る田中・ブレジネフ会談」

著者:早坂茂三(田中角栄秘書)

出版社:集英社

発売日:2016年08月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hwzTiU

 

 

 

 

■『田中角栄魂の言葉88』

角栄が残した言葉にはどんな時代にあっても変わらぬ「人間の真実」と「珠玉の知恵」がある。

“魂の言葉”とも言うべき名言をセレクト

レーベル:知的生きかた文庫

出版社:三笠書房

発売日:2016年06月03日

楽天ブックス https://a.r10.to/h6GdAz

 

 

 


■『入門田中角栄新装版 語録・評伝』

「原点」復刊。

すべての「角栄本・角栄語録」はここから始まった。

・名語録(政界立志編/刑事被告人編/人生訓・趣味編)

出版社:新潟日報事業社

発売日:2016年07月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDU8Lr

 

 

 

 

 

■『田中角栄100の言葉 日本人に贈る人生と仕事の心得』

「やる気」を引き出す天才、心に残る「角さん」の名語録

・仕事(まずは結論を言え/伝説の蔵相就任演説 ほか)

・人生(勤労を知らない不幸/二重橋を渡る日 ほか)

・生きる(人生の「間」/臭い飯 ほか)

出版社:宝島社

発売日:2015年02月

楽天ブックス https://a.r10.to/hy7D3f

 

 

 

 

 

■『田中角栄頂点をきわめた男の物語 オヤジとわたし』

「オヤジとわたし」改題書

54歳の若さで日本の最高指導者に登りつめた秘密のカギは何であったのか?

著者:早坂茂三(田中角栄秘書)

レーベル:PHP文庫

発売日:2016年06月03日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDrQlt

 

 

 

 

 

■『実録田中角栄』

雪深い新潟の農村に生まれた男はいかにして権力の階段を昇ったのか。

著者:大下英治

レーベル:朝日文庫

出版社:朝日新聞出版

発売日:2016年08月

実録田中角栄(上)https://a.r10.to/hDOdPt

実録田中角栄(下)https://a.r10.to/hww9Av

 

 

 

 

 

■『田中角栄 最後のインタビュー』

全盛期の知られざる発言全記録!

「道徳観のない政治家に人はついてこない」

著者:佐藤修

出版社:文藝春秋

発売日:2017年05月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDTHSt

 

 

 

 

■『戦場の田中角栄』新書版

元・田中角栄番の記者による「田中角栄の本当の姿」

著者:馬弓良彦

発売日:2018年09月

楽天ブックス https://a.r10.to/hDUyl6

 

 

 

 


■『冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相』

・米国の「陰謀」-その構図

著者:石井一(元国務大臣・国土庁長官、旭日大綬章受章者)

レーベル:産経NF文庫

発売日:2020年02月

楽天ブックス https://a.r10.to/hwYuMr

 

 

 


■『大宰相 田中角栄 ロッキード裁判は無罪だった』

「日本のエネルギー自立を願う田中角栄と、それを苦々しく思うアメリカとの壮絶な駆け引きがあった」

著者:田原総一朗

出版社:講談社

発売日:2016年08月19日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDgTEp

 

 

 

 

 

■『異形の将軍 田中角栄の生涯』

戦後最大の栄光と汚辱を描いた一大叙事詩

著者:津本陽

出版社:幻冬舎

発売日:2004年02月

異形の将軍(上) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/h5jBuw

異形の将軍(下) 田中角栄の生涯 https://a.r10.to/hDwAQC

 

 

 

 


■『日中国交正常化 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』

歴史認識、戦争賠償などの対立を越え、結ばれた日中国交

冷戦下、アメリカとの関係維持に腐心しながら試みられたものだった

著者/編集:服部龍二

レーベル:中公新書

発売日:2011年05月

楽天ブックス https://a.r10.to/hMng1r

 

 

 

 

■『田中角栄を葬ったのは誰だ』

検察の駆け引き、最高裁の不可解な動き、アメリカの圧力、等々…

・「日米司法取決」の闇

著者:平野貞夫

発売日:2016年07月

楽天ブックス https://a.r10.to/h6gokD

 

 

 

 

■『この国は俺が守る 田中角栄アメリカに屈せず』

日中国交正常化を実現、独自の資源外交を展開する田中角栄に、大国アメリカの巧妙で執拗な罠

著者:仲俊二郎

出版社:栄光出版社

発売日:2011年11月

楽天ブックス https://a.r10.to/hwyorV

 

 

 

 

■『田中角栄の資源戦争』

アメリカの傘下を離れ、世界の資源国と直接交渉する大胆な「資源外交」

アメリカや欧州の覇権、石油メジャーやウラン・カルテルの壁を突き破ろうとした角栄

著者:山岡淳一郎

出版社:草思社

発売日:2013年04月02日

楽天ブックス https://a.r10.to/hDEF13

 

 

 

 

 

■「田中角栄に今の日本を任せたい」

角川SSC新書 (角川新書)

著者 大下英治

発売日:2011年11月10日

https://www.kadokawa.co.jp/product/201105000506/

 

 

 

 

 


■「反日中韓」を操るのは、じつは同盟国・アメリカだった!

馬渕睦夫(元駐ウクライナバ大使)

出版社:ワック (2014/10/24)

https://amzn.to/3oE6t5K

 

 

 

■米国すら超える!「日中韓が心を一つに団結すれば」

「日中韓が心を一つにして発展すればさらに実力を発揮できるので、米国を軽々と超えられる」

exciteニュース(2021年4月12日)サーチナ

https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20210412082/