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【一般病床の空きベッドは約30万床もある!】感染症類型2類では一般病床が使えない?!日本は「病床数は世界一」なのに、なぜ医療崩壊寸前になるのか?

2022-12-23 09:06:37 | 日記


■「病床の削減」続行!新年度予算でも消費税195億円使いベッド減らした病院に給付金

excite(エキサイト)ニュース(2021年3月10日)

https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_11599/


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「病床削減」を進めようとしていることだ。

本サイトでは昨年末にもいち早く報じたが、現在、参院で審議されている新年度予算案では、病床削減のために195億円もの巨額が計上されているのである。


しかも、その病床削減のための財源は、消費増税分で賄われるというのだ。

そもそも、政府は医療費削減を狙った「地域医療構想」の実現のため、2019年9月に「再編統合の議論が必要」だとする全国400以上の公立・公的病院を名指ししたリストを公表。


一方、統廃合や病床削減をおこなう病院には全額国費で補助金を出すとし、2020年度予算で84億円を計上していた。

これらの施策により、2018年度には全国で計72.9万床だった高度急性期と急性期の病床を、2025年度までに計53.2万床万床まで減らすという。


つまり、約20万床も削減させるというのだ。

しかし、こうした計画が進められるなかで、新型コロナという感染症の脅威がこの国を襲った。


問題のリストでは、名指しした約440の病院がある都道府県に2020年9月までに統廃合の結論を出せと要求していたが、じつは政府が統廃合を要求した約440の病院のうち、53施設(106床)は国や自治体が認定する感染症指定医療機関であり、119施設がコロナ患者を受け入れてきた。


とりわけ、これらの高度急性期の病床はコロナの重症患者を受け入れてきた。

まさにコロナ患者治療の最前線となっているのだ。


にもかかわらず、菅政権はこの「地域医療構想」を白紙にするどころか、第3波の最中にも推進させようとした。


西村康稔・経済再生担当相が「勝負の3週間」を打ち出した昨年11月25日の翌日26日、なんと厚労省は、病院の病床の数を削減すると給付金を支給する「病床削減支援給付金」の実施を全国の知事宛てで通知をおこなっていたのである。


新規感染者の急激な増加や医療提供体制の逼迫が叫ばれていたなかで、むしろ「病床を削減したら給付金を出す」と迫る──。

まったく正気の沙汰とは思えないが、政府の愚行はこれだけに終わらなかった。


厚労省の新年度予算案をみると、「地域医療構想の実現を図るための病床機能再編支援」と題し、〈自主的な病床削減や病院の統合による病床廃止に取り組む際の財政支援を実施する〉と説明。

さらに、消費税をこの財源にすべく、法改正をおこなうという。


こうして、病床削減政策に全額国費負担で195億円を計上しているのである。

昨年度に84億円も計上したこともさることながら、新型コロナの感染拡大によって病床不足が深刻化したというのに、2021年度予算ではさらにこれを約100億円も上回る予算を付ける。


しかも、その財源は消費税──。


増税時、政府は「増収分はすべて社会保障財源に充てる」と説明していたが、このコロナ禍で、よりにもよって医療サービスを削減するために消費税を使うとは、まさしく常軌を逸した政策としか言いようがない。


当然、こうした信じがたい政府の方針には自治体の首長らからも批判が起こっている。


たとえば、昨年12月25日におこなわれた厚労省の社会保障審議会医療部会では、全国知事会の新型コロナ緊急対策本部長代行で、コロナ対応の評価も高い平井伸治・鳥取県知事が「今、年末年始に向けて病床の確保をしようと一生懸命なわけであります。その病床の確保をしようとしている相手方の病院の皆様に、再編整理の話を持ちかける、あるいは調整するなどということは全くナンセンスであります」と指摘。


久喜邦康・埼玉県秩父市長も「私ども市長会のほうとしても地域医療崩壊を加速させるおそれがあるのではないかということで大変懸念しております」と危機感を表明している。

さらに、2月22日に日本記者クラブで会見をおこなった全国知事会長の飯泉嘉門・徳島県知事も、はっきりとこう述べている。


「もし、これ(再編統合)をやっていたら、今回のコロナとの闘いで、日本は確実に敗れていた」

だが、ここまで大きな批判が起こっているというのに、菅政権はいまだに公立・公的病院の統廃合、病床削減を推進するというのである。


実際、この問題について追及を受けた3月4日の参院予算委員会で、田村憲久厚労相は地域医療構想の病床削減計画について「見直す必要はない」と明言。

さらに、菅首相も「厚生労働省の田村厚労大臣のもとで、地方自治体と医師会とも連携しながら、地方医療制度というのは考えていく」と答弁し、撤回しようとしなかったのだ。


指摘するまでもないが、一度減らしたものを増やすのには時間がかかる。


現に、新型コロナの発生によってその役割の重要性が再認識された保健所も、90年代の行政改革のなかで「地域保健法」を施行し保健所が統廃合された結果、1992年には全国852カ所あったのが2020年4月には469カ所と約半分にまでなった(「住民と自治」 2020年10月号)。


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「病床の削減」続行!新年度予算でも消費税195億円使いベッド減らした病院に給付金
excite(エキサイト)ニュース(2021年3月10日)リテラ
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_11599/

 

 

 

 

 
■日本は「病床数は世界一」なのに、なぜ新型コロナで医療崩壊寸前になるのか

デイリー新潮(2020年12月7日)

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/12071700/?all=1


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第1波の際の危機の原因は、意外にも病床数の不足だった。

我が国の医療機関は、世界各国に比べて、人口当たりの病床数が特に多いことが知られている。


日本の人口1000人当たり病床数は13.1(2017年)とOECD加盟国平均の4.7を大幅に上回っていたのにもかかわらず、コロナ禍が始まった時点では、感染症病床は全国にわずか2000床しか存在しなかったからである。

政府や都道府県は、第1波の教訓からその後医療機関に対して病床提供の協力依頼を行い、徐々にコロナ感染専用病床数を増加させてきたが、現在問題になっているのは医療スタッフの不足である。


感染症指定病院の医療スタッフたちは、新型コロナとの終わりの見えない闘いで消耗しており、体制の拡大は必要不可欠だが、感染症指定病院ではない普通の病院にとって、新型コロナ患者を受け入れることは大変ハードルが高いのが実情である。

感染症専門医や訓練された医療スタッフが必要となり、院内感染対策などにも留意しなければならないからである。


しかし手立てはある。

コロナ感染を恐れて患者が来なくなり、余裕が生じている中小病院や診療所のスタッフを感染症指定病院に行って応援してもらう仕組みをつくることである。


そうなれば人手不足がネックとなって増大できない病床数を大幅に拡大できることになる。

その際忘れてならないのは、診療所などの医療スタッフが協力する際の金銭的措置である。


診療報酬が協力側の診療所などに入るようにするための枠組みは、開業医の業界団体である日本医師会が、現在存在する制度を応用して対処できると思う。

一方、国の感染症対策に協力をしない中小病院や診療所に対しては、経営が苦しくなっているからという理由だけで、財政支援を行うのを控えるべきではないだろうか。


また、今後感染が再び収束したとしても、別の病気の入院患者を病床に入れずに、空き病床や医療スタッフをキープしておく必要がある。

専門医療機関、専用病床、ICU(集中医療室)を時限的に設置して、現在の病床規制の枠外にするなどの措置も有効である。


病床数が世界一であるにもかかわらず、日本で空き病床が少ないのは、現在の病院経営は「病床が埋まってナンボ」であり、いかに空き病床を少なく管理するかが医業収益の決め手となっているからである。

このため、病院にとって貴重な収入源である病床を「空き」にしておくことについての十分な金銭的補償を行う必要がある。


新型コロナ患者数が急増するピーク時に常に備えることは、医療保険財政にとって無駄な浪費なのかもしれないが、それで安心して経済をフル稼働できるのであれば、日本全体で考えれば妥当な範囲の必要経費である。

公明党の石井啓一幹事長は11月29日のNHK番組で「都道府県を越えた患者の受け入れを検討する必要がある」と語ったが、都道府県間の医療面での協力体制は希薄なのが現状である。


病床の調整作業を担っている都道府県が、せっかく確保できた病床を他県に譲るという発想は出てこない。

厚生労働省が音頭をとって、都道府県間の医療資源融通のスキームを構築すべきである。


さらに、日本では病院の勤務医が恒常的に不足しているという長年の問題がある。

残業時間が長いなどの労働環境の悪さに加え、開業医に比べて収入が低いなどの事情が災いしている。


2020年度の診療報酬改定では、勤務医不足対策として約270億円の予算がついたが、病院全体の医療費(約23.2兆円)をかんがみると「焼け石に水」である。

菅政権は行政のデジタル化を強力に推し進めようとしているが、その中で最も遅れているのは医療分野である(11月30日付日本経済新聞)。


全国に偏在している医療資源の有効活用のためには医療分野のデジタル化は喫緊の課題だが、コロナ禍でも日本医師会はオンライン診療の導入拡大に後ろ向きだとされている。

世界各国・地域の新型コロナウイルス感染症対策についての評価を行った香港のNPOは10月9日、最も優秀な国としてドイツを選んだ。


ドイツの人口当たりの病床数は日本の7割弱に過ぎないが、病院の存在は「公」とみなされ、政府が指揮命令権限を保持していることから、数週間で一般の病床を新型コロナ専用の病床に切り替えることができた。

具体的には、各市町村に一つのクリニックをコロナ専門クリニックに指定するとともに、広域地域毎にコロナ感染症専門病院を一つずつ配置した。


医療従事者が一丸となって新型コロナウイルスに立ち向かったことから、感染者数が日本よりも格段に多かったのにもかかわらず、医療体制が崩壊の危機に陥ることはなかったのである。

ドイツに限らず欧州では、病院のほとんどを自治体が運営していることから、柔軟な運用が可能である。


日本ではPCR検査体制の不備ばかりに注目が集まっているが、「いざ」というときに機能しない医療体制全体にメスを入れない限り、パンデミックの対策は脆弱なままではないだろうか。


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日本は「病床数は世界一」なのに、なぜ新型コロナで医療崩壊寸前になるのか
デイリー新潮(2020年12月7日)
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/12071700/?all=1

 

 

 

 

■日本の「医療崩壊」は偽善の政治的産物?

JBpress 2021年1月21日

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63737


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東京慈恵会医科大学外科統括責任者で対コロナ院長特別補佐・大木隆生教授(血管外科医)は、大事なことはコロナによる死者を減らすことだという。


重症化した人が最終的にICUに入ることができ、人工呼吸器やECMOを使えるなら、救えるはずの命が救えない事態は防げるわけで、このための手段を講じるべきだと主張する。


東京都はベッド4000床のうち三千数百が埋まっており使用率は9割、ICUベッドも250床のうち129床(1月10日)が埋まっており5割超と述べてきた。


ところが教授の調査では、ベッド数自体は都内に10万6240床、また都内のICUとHCU(準集中治療管理室)は2045床あり、これを分母とすると、使用率は3.3%と6.5%でしかないという。


ベッド4000床とICU250床は東京都が慈恵医大(8床)などの医療機関に問い合わせて出てきた数値でしかないが、国民はベッド使用率9割、ICU使用率5割超に仰天し、政府は国民の反応も考慮して緊急事態宣言を発出するなどしている。


日本全国のICUは1万7377床で、重傷者数は850人で、使用率は4.9%であり、大木教授は50%を目安に、オールジャパンの態勢を構築すべきだと主張する。


米国ではICU患者が2万人強(日本の人口に換算して8000人)、英国ではベッドの28%がコロナ患者に使われ(日本に換算すれば2万8000床)、ICU1380床(日本換算2117床)のところに1300人の患者で埋まっているが、米英とも医療崩壊には至っていないと教授は述べる。


そもそも2類感染症相当は致死率が高く、未知で、治療法がない病気を念頭に置いているが、1年が過ぎ、治療薬もいくつか見つかり、ワクチンも開発され接種が始まっている。


そこで、大木教授は「第2類から格下げすれば、国民に向けて、正しく恐れ、十分に注意しながら経済も回そうというメッセージになる」「より多くの病院が新型コロナの治療に参加できる」と語る。


日本にはICUを完備しコロナ患者の受け入れ可能な病院が1000ほどあるが、2類相当指定で310の病院しか受け入れていないし、2類相当を外せば残り700弱の病院もコロナ患者の受け入れが可能となるという。


慈恵医大でも660人の医師がおり、ナースは1000人ほどいるが2類相当が障害となって、新型コロナに直接対応している医師は数十人、看護師は60人だという。


「日本医師会の会員大多数は勤務医ではなく開業医で、新型コロナの治療にはほとんど参画できていない」が、指定が外れれば「在宅、ホテル療養している患者のケアに、もっと積極的に関与できます」と教授は語る。

 


・医療崩壊は医師会や専門家の演出か?

 

ここで、日本医師会(以下日医)や政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」(以下分科会)の見解を見てみよう。


前出「週刊新潮」には「『悲壮の仮面』の裏で『コロナ患者』を受け入れない〝顔役″」の記事もある。

これによると、日医の執行部の大半は開業医で勤務医の意見はなかなか尊重されないという。


そして「日医が開業医の既得権益を守っている結果、コロナの負担が大病院に集中してしまっている。(中略)現状、軽症でもコロナや発熱患者を受け入れない開業医がほとんど」と、医療関係者が語っている。


別の病院関係者は中川会長がいうべき言葉は「医療崩壊の危機だから〝自粛″しましょう」ではなく、「開業医もコロナやグレーの患者を受け入れましょう」というべきだと語る。

「民間病院はコロナ患者の受け入れが少ない」と記者会見で指摘された時、中川会長は「コロナ患者を診る医療機関と通常の医療機関が役割分担をした結果だ。


民間病院は面として地域医療を支えている」と「苦しい言い訳をした」そうであるが、会長自身が開業医だと明かす。


同様に、分科会の尾身茂氏が理事長を務める独立行政法人「地域医療機能推進機構」が東京都内で運営する5つの病院の病床数は1532床、首都圏に緊急事態宣言が発出される前日(1月6日)時点でのコロナ患者専用の確保病床数は84床、受け入れコロナ患者は57人となっていた。


厚労省関係者によると、がん研有明病院は昨年末まではコロナ患者を受け入れない方針できたが、今は40床、病床比率で5.8%をコロナ患者用にし、東海大付属東京病院は入院患者すべてを他へ転院させた上で全99床をコロナ病床にしたという。


対して、分科会長傘下の病院のコロナ用病床は5.5%で、有明病院の比率よりも低い。

厚労省関係者が「〝首都圏は感染爆発相当″などと国民の不安を煽っている彼は、実はコロナ患者受け入れに消極的」と述べ、5.5%を「非協力的な証拠」だと語る。

 


・おわりに:政府が主導できないもどかしさ

 

中川会長や尾身分科会長のような利益代表ではなく、こうしたときにこそ、本来は最高の知能集団であり、政府の諮問機関でもある日本学術会議がすすんで提言などを出すべきなのではないだろうか。


菅義偉政権になってからもコロナは収まるどころか、拡大の勢いを増している。

そこで、強制力を持つ罰則が考慮に挙がっており、国会の開始(1月18日)をもって提案された。


法案の成立施行までには紆余曲折が予測され、この間、最高責任者が即座に決心できない状況が続いているわけである。

1次感染時は適用法律の改正までに約40日を要したが、今次の法改正もその轍を踏んでいる日本である。


新型コロナウイルスの位置付け見直しはすでに昨年8月頃から出ていた。

しかし、いまだに行われていない。


総合的な観点からの検討が必要なことは言うまでもないが、緊急事態条項などの欠落から派生して、政治(政府ではない)の機能不全がもたらす国家の危機ではないだろうか。


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日本の「医療崩壊」は偽善の政治的産物?
JBpress 2021年1月21日
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63737

 

 

 

 
 
■空き30万病床の転用進まず

日本経済新聞 2021年7月31日

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO74377320Q1A730C2EA2000/


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新型コロナウイルスの緊急事態宣言の東京都などの延長と対象拡大が決まった。

患者の受け皿となる病床の確保が進まず、欧米より桁違いに少ない感染者数で宣言延長に追い込まれた。

一方で一般病床の空きベッドは約30万床もある。

医療機関の役割分担が不十分で、コロナ病床への転用が進んでいない。

都道府県がコロナ対応のため確保した病床は7月下旬で約3万6千床。


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空き30万病床の転用進まず
日本経済新聞 2021年7月31日
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO74377320Q1A730C2EA2000/

 


 

 

 


 
■安倍首相 病院再編と過剰なベッド数の削減など指示

NHK 2019年10月28日

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/24955.html

 

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高齢化を踏まえた将来の医療体制をめぐり、安倍総理大臣は、経済財政諮問会議で、持続可能な地域医療体制を構築するため、都道府県ごとに策定された構想に基づいて、病院の再編とともに、過剰なベッド数の削減などを進めるよう関係閣僚に指示しました。


総理大臣官邸で開かれた、28日の経済財政諮問会議は社会保障制度改革が議題となり、民間議員は、都道府県ごとに作成され、2025年までに目指すべき医療体制の将来像を示した「地域医療構想」について、「実現に向けた進捗(しんちょく)が十分ではない」と指摘しました。


そのうえで、厚生労働省が公立 公的病院の再編、統合をめぐり、診療実績が特に少ないなどの全国400余りの病院名を公表したことを踏まえ、「病院や過剰なベッドの再編は、公立 公的病院を手始めに、官民ともに着実に進めるべきだ」などと提言しました。


これを受けて、安倍総理大臣は、「限られた財源を賢く活用し、国民生活の質の向上を図ることが重要なポイントになる」と述べたうえで、持続可能な地域医療体制を構築するため、「地域医療構想」に基づき、病院の再編とともに、全国でおよそ13万床あるとされる過剰なベッド数の削減などを着実に進めるよう、加藤厚生労働大臣ら関係閣僚に指示しました。


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安倍首相 病院再編と過剰なベッド数の削減など指示
NHK 2019年10月28日
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/24955.html

 

 

 

 

 


 

■【アベトモ尾身会長】補助金を受けながらコロナ患者受け入れ拒否の病院が…尾身会長のお膝元も“元凶”の一つだった

日刊ゲンダイ 2021/08/21

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/293645

 

 

 


■【アベトモ尾身会長】コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院 132億円の補助金「ぼったくり」

AERA(朝日新聞)2021.9.1

https://dot.asahi.com/dot/2021083100080.html?page=1

 

 

 


■コロナ対策の“顔”に疑惑 補正予算に「尾身枠」65億円の謎

 

日刊ゲンダイ(講談社)2020/05/01

 

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/272649

 

 

 


■尾身理事長の医療法人がコロナ補助金などで311億円以上の収益増、有価証券運用は130億円も増加

 

AERA(朝日新聞)2021/09/24

 

https://dot.asahi.com/dot/2021092400012.html?page=1

 

 

 

 

 


■コロナ 季節性インフル並み「5類」にせよ 開業医・長尾和宏氏

 

産経新聞 2021/9/2

 

https://www.sankei.com/article/20210902-DCZRK7SM3FIGHKR3ELMN43SPGQ/


【原発の運転停止で電力不足は起こったか?大手マスコミによる電力不足プロパガンダ作戦】「節電しないと大停電」は本当か?~マスコミ、電力会社の「電力余り」をひた隠すウソを暴く!~

2022-12-23 09:04:26 | 日記


■原発の運転停止で電力不足は起こったか? 大飯原発再稼働から40日の状況で分かった原発必要論の大ウソ

現代ビジネス(週刊現代) 2012.08.14 町田徹 経済ジャーナリスト

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/33257


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関西電力の大飯原子力発電所の再稼働は本当に必要だったのか---。


再稼働から40日間の状況をみると、こんな疑問が湧いて来る。

関電の発表をみると、電力使用量が今夏最大に達した8月2日でさえ、その使用量は2650万kWで、供給力(2959万kW)から差し引いた余力は309万kWもあった。


この余力は、再稼働した大飯原発3、4号機の最大出力236万kW(2機合計)を大きく上回るものだ。

ピークが続く9月半ばまで速断は禁物だが、現状なら、稼働していない大飯原発の1、2号機はもちろん、原子炉を3基持つ美浜原発、4基持つ高浜発電所などの原発は「無用の長物」という計算になる。


大飯の2機分ぐらいなら、早期に、火力発電に置き換えることも可能だろう。

関電の場合、節電と地元の有力製造業の業績不振という事情はあるものの、全国レベルでみても、今夏の現状は「電気が足りない」という原発必要論の根拠の乏しさを浮き彫りにしている。


一方、原爆の日に広島を訪れた野田佳彦首相は、「原発ゼロのシナリオの詰めを関係閣僚に指示する」と口にしたが、これも小手先対応の域を出ていない。

今こそ、その場しのぎに終始してきた政府の脱原発依存方針を厳しく問い直す時ではないだろうか。

 

・「15%の需給ギャップは極めて厳しいハードル」


まず、大飯原発の再稼働論議を振り返ろう。

政府が再稼働を強行する布石を打ったのは、5月18日に開いた経済産業省の「電力需要に関する検討会合」と国家戦略室の「エネルギー・環境会議」の合同会合だ。


古川元久国家戦略担当大臣、藤村修官房長官、枝野幸男経済産業大臣らがズラリと顔を揃えて、今夏は各地の原発の運転停止が原因で電力需給のひっ迫が予想されるとして、関電、九州電力、四国電力、北海道電力の管内でそれぞれ、前年比15%以上、同10%以上、同7%以上、同7%以上の節電を要請した。


6月8日になって、野田首相が記者会見し、「実質的に安全は確保されている」との見解を示したうえで、「関西での15%の需給ギャップは極めて厳しいハードル」だと指摘。


「突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます」と電力不足から国民の生命や健康を守る観点と、「化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます」とおカネの観点の二つを理由に、「大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります」と述べて、再稼働に踏み切った。


ここで話を進める前に触れておくと、首相の「安全が確保されている」という認識について、筆者は事実と異なると考えている。

この点は、以前に本コラム(6月12日付、「リスクを国民に押し付け続ける政府を信用できない! 大飯原発再稼働と東電国有化の裏に隠蔽された『不都合な真実』」)で取り上げたので参照いただきたい。


話を戻そう。

原発再稼働問題を考えるうえで注目すべきは、関西電力が毎週金曜日に発表する「今週の需給実績」(金曜日分は予測)だ。

丹念に見ていくと、今夏(7月1日から8月10日まで)の最大電力使用の平均(関電の発表値から計算)は2403.4万kWで、供給力の2781.6万kWを大きく下回っている。


余力は平均で378.1万kWもあり、大飯原発3、4号機の最大出力236万kW(2機合計)を大きく上回っているのだ。

特に、4号機が7月18日に再稼働(3号機は7月1日に再稼働)してからは、供給余力が大飯原発3、4号機の合計最大出力を割った日は一日もない。


4号機が稼働する前の3号機だけが稼働していた時期をみても、供給余力が、大飯原発3、4号機の最大出力を割り込んだのは、7月10日だけなのだ。


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原発の運転停止で電力不足は起こったか? 大飯原発再稼働から40日の状況で分かった原発必要論の大ウソ
現代ビジネス(週刊現代) 2012.08.14 町田徹 経済ジャーナリスト
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/33257

 

 

 

■「節電しないと今夏、大停電」はウソ、火力・新エネルギーで電力需要は賄える

東洋経済 2011/06/22

https://toyokeizai.net/articles/-/7255


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原子力発電所の停止で大停電がやってくる--。

今夏は原発事故を起こした東京電力だけでなく、九州電力「玄海」のように、定期点検中の原発も再運転が危ぶまれており、全国的に電力不足に陥るという予想が台頭。


東電管内などでは、家庭や企業に対して「一律15%」の節電を要請する構えだ。
 
が、一部では「夏の停電説は、原発が必要なことをアピールするプロパガンダではないか」との見方が広がっている。


というのも、電力会社が発表する供給能力が、徐々に、だが確実に拡大しているからだ。

東電の場合、今夏のピーク時電力需要予測は5500万キロワットとしたうえで、震災直後に「供給能力は7月末時点で4650万キロワット程度。約1000万キロワットも足りない」と発表。


家庭や企業間で恐怖心が広がった。

ただその後、休止中の火力発電所などを立ち上げることで供給能力が回復。


現状では、8月末の供給力予測は5620万キロワットと、すでに想定需要を上回っている。

事故当初は、被災した発電所をどの程度再開させられるかわからなかったにせよ、「こんなハイペースで引き上げられるのは、もともと能力を隠していたと勘繰られても仕方ない」(業界関係者)。


そもそも、3月に行った計画停電は、原発に加え火力発電所が被災したことによる供給能力の低下の影響も大きかった。

「頑張れば停電しなくて済む日もあったはずだ。東電や政府は、その情報を正確に伝えずに、世論を操作したのではないか」と、名古屋大学大学院環境学研究科の高野雅夫准教授は指摘する。

 

・原発依存が招いた停電


一方、政府の要請によって浜岡原発の全原子炉を停止した中部電力では、2011年度に占める原子力の電源構成はわずか12%。


「原発を止めたとしても水力と火力だけで3000万キロワットの設備容量があり、今年のピーク容量見通しは賄える」(高野准教授)。

原発停止による電力供給への影響は、各電力管内でも微妙に異なるが、「全国でかなりの原発が止まっても、火力で賄える」と、原子力資料情報室の西尾漠共同代表は言い切る。


西尾氏によると、昨夏のピーク需要量約1.8億キロワット(原発を持たない沖縄電力を除く9社合計)のうち、原子力が担ったのは計算上、わずか1500万キロワットで、約1.6億キロワットは火力や水力が担った。

今夏は需要が昨年を下回ると見られるほか、火力を増強しており、原発による発電量が相当絞られても堪えられる計算になる。


冷夏だった09年は、原発をまるで使わずに最大電力が賄えたという。

夏場のピークといっても、「実際は夏場の数日間、しかも数時間程度。


その9割は事業所が使用する。工場の休み時間を1時間ずらすなど、ピークを下げるやり方はいくらでもある」(高野准教授)。

一方、近年電力消費量が増えてきた家庭部門でも、「電気湯沸かし器など電力消費量の多いものを使うのをやめればバブル期の水準にまで消費量を落とせる」。

 

・風力で原子力を賄える?


とはいえ、原子力の代わりに石油を使った火力発電量を増やすことは、二酸化炭素(CO2)の排出量の増加にもつながる。


こうした中、新たなエネルギー源を模索する動きも出そうだ。

風力発電の発電量ポテンシャルは19億キロワット--。


4月末、環境省が発表したある調査結果が、関係者の度肝を抜いた。

タイトルは「再生可能エネルギーポテンシャル調査」。


風力や太陽光など日本における再生可能エネルギーの潜在発電力を試算したところ、風力発電は現状の約760倍という驚愕の結果が出た。

もっとも、日本風力発電協会によると、潜在力が高い地域は北海道や東北で、可能な設備容量なども加味すると、「50年までに2500万~3000万キロワットというのが妥当な数字」(斉藤哲夫企画局長)。


加えて「補助金がなくなってからは風力の採算は厳しい」(電力会社)。

ただ、足元では電力の買い取り制度の見直しも進んでおり、今後、利用が伸びる潜在性を秘めている。


仮に2500万キロワット発電すれば、100万キロワット程度の出力を持つ原発の25基分に相当する。

火力発電所や新エネルギーで電力消費が賄えてしまえば、原発の必要性は一段と訴えにくくなる。


「反原発」「脱原発」の波が全国的に広がる中、電力政策は今夏、新たな岐路を迎える。(週刊東洋経済2011年6月11日号)


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「節電しないと今夏、大停電」はウソ、火力・新エネルギーで電力需要は賄える
東洋経済 2011/06/22
https://toyokeizai.net/articles/-/7255

 

 

 

 

■サマータイム導入、計画停電etc.で疲弊する企業へ贈る「電力余り」をひた隠す、マスコミ、関電のウソを暴く!

ビジネスジャーナル (Business Journal) 2012.05.18

https://biz-journal.jp/2012/05/post_149.html


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昨年に続き、政府、電力業界、マスコミ合同の「電力不足キャンペーン」(以下、キャンペーン)騒ぎが起こっている。


まずはキャンペーン展開の流れをおさらいしておこう。
 
口火を切ったのは、電力10社が資金を出し合い、政界や官公庁へのロビー活動などを行う電気事業連合会。


3月16日、八木誠・同会会長は会見で「原発を再稼働しなければ今夏の電力供給は非常に厳しい。国民生活や産業に多大な影響を与える」と警告した。

 
続いて4月9日、経産省は「原発を再稼働しない場合の関西電力管内の今夏の電力需給見通し」を発表、八木会長の警告を公的に裏付ける試算を示した。


それによると、原発稼働ゼロなら平年並みの暑さで7.6%、猛暑の場合は19.6%の電力不足となるとしている。

加えて、原子力発電の代替燃料輸入により、関西電力の燃料費は年間7000~8000億円増、(原発を保有していない沖縄電力を除く)大手9電力会社合計では年間3.1~3.8兆円増としている。


枝野幸男経産相も、「原発を再稼働しなければ今年の夏は電力不足になり、(燃料費増加が電力会社の経営を圧迫するので)電気料金値上げをお願いしなければならない」と強調した。

さらに4月16日、関西経済連合会・沖原隆宗副会長が定例会見で「原発の早期再稼働が必要」と訴え、角和夫副会長も「(電力不足は)さらなる産業の空洞化を招く」と訴えた。

 
翌17日、「フジサンケイビジネスアイ」(日本工業新聞社)はこの会見を報じる中で、「武田薬品工業が5月のGWの連休を返上して生産を決定、サマータイム導入を決める企業が相次いでいる」と触れ、早くも関西は混乱に陥っているかのような報道を行った。

 
しかし、電力は本当に足りないのだろうか? 

マスコミが電力業界や経産省の協賛報道をすればするほど、国民の素朴な疑問が湧き上がり、それに応えるような報道も次々と発信されている。


原発ゼロでも、夏季の電力不足はわずか58時間 ? 共同通信(4月21日)

関西電力は今夏の需給見通しで「原発ゼロで関西電力が供給できる最大電力量は2574万kW/時。

昨夏の最大使用量は2784万W/時。したがって今夏は210万kW/時の電力不足が発生する」と主張している。

 
しかし、共同通信が関西電力の公表資料から、昨夏の1時間ごとの電力使用量を調査したところ、2574万kW/時を超えたのは12日間で合計58時間。夏季85日・2040時間のうち2.8%に過ぎなかった。

しかも、連続超過時間は最長で10時間、次が8時間、それ以外は1日3~5時間だった。


キャンペーンを鵜呑みにすると、電力不足が毎日続き、夏季中ずっと停電対策が必要と錯覚してしまう。

マスコミに踊らされている関西の企業は、過剰な心配と苦労を強いられているといえそうだ。


原発再稼働なくても「埋蔵電力」活用で乗り切れる ? 週刊ポスト(小学館/4月27日号)

資源エネルギー庁の資料分析から、利用されずに眠っている「埋蔵電力」を発見し、「原発ゼロでも夏を乗り切れる」との報道。

これによると、企業などの自家発電全国総量が5373万kW/時分ある。


これは東京電力1社分の供給量に匹敵する。

このほか、電力会社が大口消費者と契約している「需給調整契約」(電力不足時にピークカットする代わりに、平常時の電気料金を大幅割引する契約)の総電力量が、原発5基分(505万kW/時)に上る。契約通りピークカットをするだけで電力不足は起きない。


しかも大口契約者の大半は自家発電設備を持っているので、大きな混乱が起きる恐れも少ない。

さらに企業の非常用電源も2300万kW/時分眠っている。

これらの埋蔵電力を活用すれば、原発に頼らなくも今年の夏は電力不足にならないと報じている。


全原発停止でも供給に余力 ? 週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド社/2011年7月19日号)

昨年8月1カ月間で、西日本の大手電力6社の合計供給量が、ピーク時より約1500万kW/時も余力を持っている事実を明らかにしている。

 
原発ゼロの場合、6社合計の供給量は1万114万kW/時。

一方、需要量が9767万kW/時。この需要量に、安定供給の目安となる各社の「供給予備率」を掛けると、合計で275万kW/時の不足。これが電力業界の言い分だ。

 
しかし、各社の資料から認可最大出力量と供給可能量の合計差をはじき出してみると、生産能力的には合計1486万kW/時の供給余力を持っていることが判明したのだ。

同誌は「電力会社の言う電力不足には、数字的根拠がない」と断じている。

 
これらの調査報道を見る限り、電力不足どころか、逆に「電力余り」ではないかとも思えてくる。

なぜ政府と電力業界は正確な電力需給量を公表せず、不安を煽るようなキャンペーンを展開しているのだろうか? 


発電燃料である天然ガスを、いまだに米・電力相場の数倍で購入しているなど、経営努力を怠る一方で、燃料費増などで赤字転落を防ぎたい電力業界の思惑と、原発を再稼働させたい政府(経産省)の思惑が一致した世論誘導との疑いを禁じ得ない。


少なくとも政府と電力業界には、「電力余り」を示唆する報道について、説明責任があるのではないか?
(文=福井 晋)


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サマータイム導入、計画停電etc.で疲弊する企業へ贈る
「電力余り」をひた隠す、マスコミ、関電のウソを暴く!
ビジネスジャーナル (Business Journal) 2012.05.18
https://biz-journal.jp/2012/05/post_149.html

 

 

 


■安倍晋三は尋常ではない!「報道ステーション事件」とマスコミの正体

週刊ダイヤモンド 2015.9.16 広瀬隆

https://diamond.jp/articles/-/78537


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『原子炉時限爆弾』で、福島第一原発事故を半年前に予言した、ノンフィクション作家の広瀬隆氏。

壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が第5刷となった。

本連載シリーズ記事も累計179万ページビュー(サイトの閲覧数)を突破し、大きな話題となっている。

このたび、新著で「タイムリミットはあと1年しかない」とおそるべき予言をした著者が、元通産(経産)官僚でベストセラー作家の古賀茂明氏と初対談。

大きな話題となった「報道ステーション事件」の裏側にひそむ、大手マスコミの大問題を徹底追及する!

(構成:橋本淳司)


・古舘さんは2014年頃から転向!?


広瀬:古賀さんが、福島原発告訴団の集会で講演してくれたので、本当にうれしかったです。今年、古賀さんが出演されたときの『報道ステーション』(テレビ朝日系)の事件は大きな反響がありましたね。「テレビ朝日の早河会長と古舘プロジェクトの会長のご意向で今日が最後になりました」と切り出したのを、僕はたまたま生放送で見ていて驚きました。あんな放送局内部のことを言える人は、古賀さん以外いないですから。しかも古舘さんと言い合いになって、「アイ・アム・ノット・アベ」と言うんですからね。


古賀:ご覧になっていましたか。ただし、古舘さんもある意味「被害者」です。被害者というのは、「弾圧を受けている側」という意味です。安倍政権は菅官房長官を中心に報道つぶしをしています。報道ステーションつぶしは、2014年の春くらいから始まりました。古舘さん自身は、その頃から転向して、テレビでも徐々にトーンダウンしていきました。でも、僕がコメンテーターとして出演したときは思いきり安倍批判ができ、番組全体のトーンも視聴者には「アンチ安倍」に映ります。それが古舘さんの作戦でした。


古賀:いま安倍政権に媚びへつらっていないのは、TBSの『NEWS23』『報道特集』『サンデーモーニング』くらいです。この3つの番組だけはかなり自由にやっていますが、いまのマスコミは本当にヒドイ。


広瀬:そう思います。目の前の原発再稼働の強行や、国民の意志に反したもろもろの政策が横行する問題の究極は、全部大手の新聞・テレビのマスコミに責任があると思います。


・日本のマスコミは“政府公報係”


古賀:東日本大震災が発生した日、当時の東電会長・勝俣恒久さんはマスコミを連れて中国に大名旅行に行っていました。電力会社とマスコミがグルだったんですよ。電力会社との癒着を知られたくなかったマスコミは、旅行のことを知られたくなかった。だから、勝俣さんが中国に行っていたことが、なかなか表に出てきませんでした。大手マスコミは役人と同じで、完全な既得権者なのです。大手の新聞・テレビは、記者クラブに無条件で入れます。ここにいれば、取材しなくても役所の情報がもらえます。資料が積んであって、それをもらって読んで、わからないことがあれば、同じ建物のなかにいる担当課の課長のところにいくと説明してもらえます。もちろん、役所に都合のいい情報だけですが、それが日々、新聞やテレビのニュースになっているだけです。


広瀬:記者クラブは、本当に気持ちの悪い世界ですね。私もある問題で中に入ったことがあるのですが、こんなことで記事ができるのか、とあきれました。海外ではそうした公報を「通信社」が配信していますが、マスコミはそのあとに、さまざまな視点で吟味し、自分たちの意見を加えて独自のニュースにしています。ところが日本のマスコミは、ジャーナリズムではなく単なる“政府公報係”です。


古賀:役所から資料のコピーをもらうだけで、基本的に取材コストはかからない。資料のコピー代でさえ役所が払ってくれます。出費がないから、日本の大手マスコミは異様に給料が高いんです。
定年まで問題さえ起こさずに働いていれば、どんどん給料は上がりますし、運のいい人はそこから系列会社の役員などになります。天下りですね。だから、ヌクヌクした世界から抜けたくないのです。


広瀬:ジャーナリズムではないですね。朝日新聞のトップが安倍政権にあんなに媚びへつらったら、現場は安倍政権を批判するような記事を書けないでしょう。書いて問題を起こしても、社長が助けてくれないような会社では困る。みんな会社の中で生きていこうと思っているので、ストレートな記事は書かなくなる。仮に書いたら飛ばされる。私の知り合いのまともな記者が、何人も飛ばされました。いまは何も書けないでしょう。


・安倍晋三は尋常ではない


古賀:マスコミの世界も悪いし、安倍政権も悪いのですが、なぜ安倍政権だけ巨大な力を持つのかが問題です。前の政権だって、その前の政権だって、やろうと思えば同じことができたはずじゃないですか。私はマスコミ側に「安倍さんはおかしい」「尋常ではない」という恐怖感があって、おびえていると見ています。普通はマスコミも大きな力を持っています。政権側には、マスコミに一斉に攻撃されたら大変なことになるという緊張感があって、マスコミを攻撃することには、おのずと限度があるのです。


広瀬:報道と政治家の間には、緊張関係がなければなりませんよね。


古賀:しかし、いまは一方的に安倍政権のほうがマスコミより強くなっています。そこには「安倍首相は本気になったら本当に殺しにくる」という思いがあります。


広瀬:安倍晋三というのは、英語で言えばクレイジーではなく、マッド(MAD)です。だって、国民が「やめろ!」ということばかりを平気でやれるなんて、正常な政治家ではありませんよ。


古賀:常識では測れないくらい滅茶苦茶なことをやってくる可能性がある、何をされるかわからないという恐怖感がマスメディアにある。だから、懐に飛び込み、仲よくなって内緒の話を教えてもらっていたほうが楽だという風潮になっています。


広瀬:人間には、やってはいけない一線というものがある。この政権は、すでにその一線を越えている。


古賀:民主主義が機能するいろいろな条件をどんどん壊しています。表向きには「戦争はしない」「アメリカとは一体化しない」などと言いますが、昨年の閣議決定前からの議論や議事録を見ていれば、何でもできるようになった経過がわかります。官僚から見れば、政権側が何でもできる状況にしたのがはっきりわかる書き方なのです。


広瀬:世論調査では、安倍晋三は全敗していますよ。それでも、意見をまったく変えません。


古賀:ただ、安保法案を見ていると、相当反対が大きかったこともあり、この間の「70年談話」は、安倍さんの内心では「大敗北」でしょう。自分の思っていることを何も書いてない。あれで支持率が5~6%戻りました。「安倍さんって危ないんじゃないの」という雰囲気が強まっていたのですが、「意外と柔軟なんだ」と、一部の人に思われました。韓国とか中国も「こいつはおかしい」と思っているような感じがあって、朴槿恵(パク・クネ)大統領のほうも、まともにケンカすると大変なことになるから、下手に出ないとまずい、みたいな感じになってきています。これで日中韓首脳会議が開催できたら、「安倍さんが中国や韓国と戦争を起こしそうだとか言っているけど、ウソじゃないか」というふうになっていく可能性があります。こうしたとき、日本のマスコミは、きちんと裏を解説して報道をすべきですが、現在のマスコミには調査報道の能力がないです。しかも、トップは完全に日和っていて、「経営陣が現場に介入する」という先進国では絶対にあってはならないことが起きています。


広瀬:原発報道はまったくひどいです。いまでは「原発がないと電力が逼迫する」とはさすがに言わなくなりましたが、いまでも「原発がないと電気料金が上がる」なんて、電力会社の言い分、つまりウソだけを平気で新聞が書いていますからね。特にNHKは、それを常套句にして政府広報に徹しています。このことは、『東京が壊滅する日』の「あとがき」に書きましたが、安倍晋三が言っている「原発ゼロだと火力の燃料費が増える。3兆6000億円の国富の流出だ」という話は、2010年と2013年の比較なのです。「貿易収支・財務省貿易統計」を見ると、化石燃料の輸入額は、2010年より前、原発が動いていた2008年、リーマン・ショックの年と比較すると、2013年より多いのです。原発がほとんど動いていない2013年のほうが、輸入額は減ったのですよ。つまり2010年と2013年の違いは、世界的な原油価格の変動と、円安が原因なのであって、原発ゼロとは関係ない話なのです。九州電力と関西電力の経営が苦しくなったのは、再稼働のための安全対策費のためです。今まで手抜きをしていた部分に、金をかける必要が出てきたのです。


古賀:実は政府の発表のなかにも、「原発はコストが高い」と自ら認めている部分がたくさんあります。政府が責任を持ってさまざまな原発維持の仕組みをつくっていますが、これは原発が高いからです。コストが高くて、どうにもならないから、政府が電力会社の分を引き受けるしかない、という事実が明確に出ています。エネルギー基本計画でも「原発は安い」という言い方はしていません。「運転コストが安い」としか書いていないんです。廃棄物処理も含めて、原発の操業すべてにかかる総額では、原発のほうがはるかに高いということを認めているからです。

広瀬:そうですよね。政府の発表を垂れ流しにするだけでなく、きちんと分析したり、検証する目が必要です。それがジャーナリズムというものでしょう。


・1960年代に設計された老朽原発を再稼働させる恐怖


田中:安倍晋三総理は、2014年1月24日の第186回国会の施政方針演説において「世界で最も厳しい水準の安全規制を満たさない限り、原発の再稼働はありません」と所信表明しました。同年10月7日の参議院予算委員会でも、原発の再稼働について「世界で最も厳しい基準」をもとに判断すると言っています。しかし、日本の規制基準は世界一どころか世界標準にも遠く及びません。


広瀬:まったくそのとおりです。でも「世界で最も厳しい基準」という「デタラメ基準」を次々にクリアしています。


田中:それが厳しい基準ではないことを逆に証明しているようなものです。現在43基ある日本の原発には古いものが多い。

1970年代に稼働した原発のうち、敦賀原発1号機(1970年)、美浜原発1号機(1970年)、美浜原発2号機(1972年)、島根原発1号機(1974年)、玄海原発1号機(1975年)は廃炉が決定しましたが、東海第2原発(1978年)、美浜原発3号機(1976年)、高浜原発1号機(1974年)、高浜原発2号機(1975年)、大飯原発1号機(1979年)、大飯原発2号機(1979年)、伊方原発1号機(1977年)はまだ残っています。


広瀬:いずれも設計されたのは、1960年代半ばから70年代前半でしょう。耐震性も安全設計の考え方も甘すぎる時代です。


田中:日本で基本的に動いている沸騰水型原子力発電所、加圧水型原子力発電所というのは、米国のエネルギー省の分類に従えば、「第2世代」と呼ばれている機体に属しています。現在は、その機体の事故やトラブルの経験を経て、「第3世代」の原子力発電所をつくるという時代になっています。そんなときに老朽原発も再稼働させてやろうという「親心」が原子力規制委員会にあるわけです。それが適合審査の基本的な精神です。だから、彼らが世界最高の規制基準なんてつくるわけがない。まともな基準をつくると、大改造が必要になって、再稼働にトテツモナイ大金と時間がかかり、結局運転できなくなります。


広瀬:原子力規制委員会は、本来、安全性を第一に考えて安易な再稼働にストップをかけなくてはならない組織ですが、その正反対のことしかしていないのは、それが原因なのですね。原発推進派だけを集めた委員会ですからね。


・危機対策「未着手」オンパレードの日本


田中:世界的には、放射能大量放出を防ぐフィルターベントや、溶けてしまった炉心を受け止める「コア・キャッチャー」をつけることも義務づけられています。コア・キャッチャーは、耐熱性の材料で格納容器の下部のコンクリートをカバーし、コア・コンクリート反応を防ぐのが目的です。三菱重工も東芝も日立も、輸出用の原発にはコア・キャッチャーをつけるはずです。


広瀬:えっ、輸出用には設置されるのですか?


田中:海外仕様はこれがないと建設できなくなりつつある。中国で建設中の最新の原発にもコア・キャッチャーがついています。日本でコア・キャッチャーの設置が問題にならなかったのは、過酷事故対策を軽視して規制対象から外してきたからです。既設の原発にいまからコア・キャッチャーを追加設置することは、簡単ではないが、時間と金をかければ、たぶんできなくはない。それをしないのは、大改造のため長期間運転が止まるからです。


広瀬:米国では福島事故以前に対応済みだったが、日本では現在も「未対応」の事項を雑誌『科学』(2015年7月号/岩波書店)に、元GEのエンジニアだった佐藤暁《さとし》さんがリストアップしています。これを読むとビックリします。たとえば、「緊急時の自衛消防隊」は、米国では当初から設置されていますが、日本ではいまだに未着手。「プラント個別の内部事象、外部事象に対するリスク評価」や「SBO(全電源喪失)に対する専用の恒設バックアップ電源」は、米国では1990年代に完了していますが、これも日本では未着手です。「敷地内地下の地質構造の把握。土壌、地下水汚染を監視するサンプリングの強化」については、米国では2000年代に完了していますが、日本ではこれも……。ほんとうに日本の原発は、今日にも大事故を起こしそうだ。そんな状況なのに規制委員会の審査はクリアされてゆく。


田中:どうクリアしたのかわからない。「世界一だ」なんてウソも100回言えば本当になってしまう。


・テロ対策もまったくできていない現実


広瀬:ヒットラーの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスが「何度でもウソをつけば、それがやがて真実として受け入れられるようになる。ウソは大きければ大きいほど、真実として受け入れられやすい」と、ドイツ人を欺いた手法と同じですね。世界的には、テロ対策は常識ですよ。たとえば、複数箇所からテロリストに同時進入される、高度な武器や戦術をもったテロリストに攻撃される、原子力施設がテロリストに制圧される、職員がプラントの管制室に入ってテロ行為を行う危険性などへの対応も進んでいます。ところが日本では、まったく対応していません。


田中:10年計画で優秀な職員を送り込み、ある日突然、一番脆弱な部分で機関銃を乱射するというようなことも考えられます。


広瀬:海外では、航空機テロへの対応も進んでいます。米国では航空機テロなどによる敷地内での大規模火災・爆発に対する対応指針もできています。日本では航空機がつっこんできても、プラントの外で爆発するから大丈夫などと言う“自称”専門家もいますが、ミサイルで狙われたら簡単に外壁を吹き飛ばされ、内部を破壊されます。欧米では航空機事故の衝突対策として、二重格納容器が一般的になっていますが、電力会社は、航空機の激突はほとんどあり得ないとして切り捨てています。


田中:「新規制基準」の要求に従い、事故対応を強化しているといっても、消防車を並べた、仮設の発電機を設置したというレベルなのです。そんなものが、大地震で、一体どうなりますか。それを、世界一厳しい基準ということ自体、噴飯ものです。


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安倍晋三は尋常ではない!「報道ステーション事件」とマスコミの正体
週刊ダイヤモンド 2015.9.16 広瀬隆
https://diamond.jp/articles/-/78537

 

 

 

 

■何度でも言う! 安倍首相こそが福島原発事故の最大の戦犯だ!

第一次政権で津波による冷却機能喪失対策を拒否

exciteニュース 2019年3月11日

https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4599/


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東日本大震災から8年。本日の記事では、安倍政権の棄民政策によって、被災者はどんどん切り捨てられ、東北の現実に蓋をされている実態をお伝えしたが、もうひとつ、安倍政権によって完全になきものにされようとしているのが、福島第一原発の事故だ。


安倍政権は、原発被災者への支援打ち切りと強引な帰還政策を推し進める一方で、まるで事故などなかったかのように、原発再稼働を進めている。


事故直後はすべて止まっていた原発も、現在までに高浜原発3、4号機、伊方原発3号機、川内原発1、2号機、大飯原発3、4号機、玄海原発3、4号機とすでに5原発9基が再稼働しており、また東海原発や泊原発、さらには福島原発事故を起こした東京電力の柏崎刈羽原発までもが再稼動に向けた動きをみせている。


このような事態を許しているのは、福島第一原発事故における安倍首相の責任をきちんと追及してこなかったからだ。

言っておくが、これは歴代自民党政権が昔から原発政策を推進してきたとか、そういう抽象的なレベルの話ではない。


もっと具体的かつ直接的なものだ。

実は、第一次安倍政権だった2006年、すでに国会で福島原発事故と同じ事態が起きる可能性が指摘されていた。


にもかかわらず、ときの総理大臣だった安倍晋三は、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、一切の対策を拒否していたのである。

しかも東日本大震災後、安倍は、原発事故の責任を当時の菅直人首相と民主党政権に押し付け、真実を追及するメディアを「捏造だ!」と恫喝、自身の重大責任を隠蔽してきた。


その結果、多くの国民は原発事故における安倍の責任を知らされないまま。

安倍政権は何事もなかったかのように、再稼働をどんどん進めている。


このまま安倍晋三が、その責任を追及されることのないまま、首相の椅子に座り続ける限り、第二の“フクシマ”が繰り返されることになるだろう。

本サイトでは3月11日を迎えるたびに、安倍首相こそが原発事故の“戦犯”であること、そして、その責任を隠すためメディアを黙らせてきたことを記事にしてきた。


今年もまたあらためて、その事実をお伝えしたい。安倍のフクシマにおける大罪を、じっくりと、読んでいただきたい。

 

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・福島原発事故から5年前、安倍は「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否


故郷に帰れない多くの被災者を生み出し、放射性物質を広範囲にまき散らし、作物を汚染し、今も国土や海を汚し続けている福島原発事故。


だが、この国家による犯罪ともいえる重大な事故をめぐって、ほとんど語られてこなかった事実がある。

それは、現内閣総理大臣である安倍晋三の罪についてだ。


こういうと、安倍支持者はおそらく原発事故が起きたときの首相は民主党の菅直人じゃないか、サヨクが安倍さん憎しで何をいっているのか、というだろう。

そうでない人も、原発を推進してきたのは自民党だが、歴代の政権すべてがかかわっていることであり、安倍首相ひとりの問題じゃない、と考えるかもしれない。


だが、福島原発の事故に関して安倍首相はきわめて直接的な責任を負っている。

第一次政権で今と同じ内閣総理大臣の椅子に座っていた2006年、安倍首相は国会で福島原発事故と同じ事態が起きる可能性を指摘されながら、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、対策を拒否していたのだ。


周知のように、福島原発の事故は津波によって全電源が喪失し、原子炉の冷却機能が失われたことが原因で、政府や電力会社はこうした事態を専門家さえ予測できない想定外のことだったと弁明してきた。

しかし、実際にはそうではなく、原発事故の5年前に、国会質問でその可能性が指摘されていたのだ。


質問をしたのは共産党の吉井英勝衆院議員(当時)。京都大学工学部原子核工学科出身の吉井議員は以前から原発問題に取り組んでいたが、2006年から日本の原発が地震や津波で冷却機能を失う可能性があることを再三にわたって追及していた。

3月には、津波で冷却水を取水できなくなる可能性を国会で質問。4月には福島第一原発を視察して、老朽化している施設の危険性を訴えていた。


そして、第一次安倍政権が誕生して3カ月後の同年12月13日には「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を政府宛に提出。「巨大な地震の発生によって、原発の機器を作動させる電源が喪失する場合の問題も大きい」として、電源喪失によって原子炉が冷却できなくなる危険性があることを指摘した。


ところが、この質問主意書に対して、同年12月22日、「内閣総理大臣 安倍晋三」名で答弁書が出されているのだが、これがひどいシロモノなのだ。質問に何一つまともに答えず、平気でデタラメを強弁する。

 

・福島原発事故と同じバックアップ電源機能不全の実例を指摘されても安倍は…


まず、吉井議員は「原発からの高圧送電鉄塔が倒壊すると、原発の負荷電力ゼロになって原子炉停止(スクラムがかかる)だけでなく、停止した原発の機器冷却系を作動させるための外部電源が得られなくなるのではないか。」という質問を投げかけていたのだが、安倍首相はこんな答弁をしている。


「外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である。」

吉井議員はこうした回答を予測していたのか、次に「現実には、自家発電機(ディーゼル発電機)の事故で原子炉が停止するなど、バックアップ機能が働かない原発事故があったのではないか。」とたたみかける。


しかし、これについても、安倍首相は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と一蹴。

これに対して、吉井議員はスウェーデンのフォルスマルク原発で、4系列あったバックアップ電源のうち2系列が事故にあって機能しなくなった事実を指摘。


「日本の原発の約六割はバックアップ電源が二系列ではないのか。仮に、フォルクスマルク原発1号事故と同じように、二系列で事故が発生すると、機器冷却系の電源が全く取れなくなるのではないか。」と糾した。

すると、安倍首相はこの質問に対して、こう言い切ったのである。


「我が国の原子炉施設は、フォルスマルク発電所一号炉とは異なる設計となっていることなどから、同発電所一号炉の事案と同様の事態が発生するとは考えられない。」

吉井議員が問題にしているのはバックアップ電源の数のことであり、原子炉の設計とは関係ない。


実際、福島原発はバックアップ電源が全部ダメになって、あの深刻な事故が起きた。

それを安倍首相は「設計が違うから、同様の事態が発生するとは考えられない」とデタラメを強弁していたのだ。


そして、吉井議員がこの非常用電源喪失に関する調査や対策強化を求めたことに対しても、安倍首相は「地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、(中略)経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているものであり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである。」と、現状で十分との認識を示したのだ。


重ね重ね言うが、福島原発が世界を震撼させるような重大な事故を起こした最大の原因は、バックアップ電源の喪失である。

もし、このときに安倍首相がバックアップ電源の検証をして、海外並みに4系列などに増やす対策を講じていたら、福島原発事故は起きなかったかもしれないのだ。


だが、安倍首相はそれを拒否し、事故を未然に防ぐ最大のチャンスを無視した。

これは明らかに不作為の違法行為であり、本来なら、刑事責任さえ問われかねない犯罪行為だ。


ところが、安倍首相はこんな重大な罪を犯しながら、反省する素振りも謝罪する様子もない。

それどころか、原発事故の直後から、海水注入中止命令などのデマをでっちあげて菅直人首相を攻撃。


その罪を民主党にすべておっかぶせ続けてきた。

 

・安倍が責任逃れのためにぶちまけたメディアへの恫喝、お得意の「捏造だ」攻撃


その厚顔ぶりに唖然とさせられるが、それにしても、なぜ安倍首相はこれまでこの無責任デタラメ答弁の問題を追及されないまま、責任を取らずに逃げおおせてきたのか。


この背景には、いつものメディアへの恫喝があった。


実は、下野していた自民党で安倍が総裁に返り咲いた直後の2012年10月、「サンデー毎日」(毎日新聞社)がこの事実を報道したことがある。
1ページの短い記事だったが、本サイトが指摘したのと同じ、共産党の吉井英勝衆院議員(当時)の質問主意書に対して安倍首相が提出した答弁書のデタラメな内容を紹介。吉井議員のこんなコメントを掲載するものだった。


「いくら警告しても、マジメに対策を取らなかった安倍内閣の不作為は重大です、そんな安倍氏が総裁に返り咲いて首相再登板をうかがっているのは、本人も自民党も福島事故の責任を感じていない証拠でしょう」

ところが、これに対して、安倍は大好きなFacebookで、こう反撃したのだ。


「吉井議員の質問主意書には『津波で外部電源が得られなくなる』との指摘はなく、さらにサンデー毎日が吉井議員の質問に回答として引用した政府答弁書の回答部分は別の質問に対する回答部分であって、まったくのデタラメ捏造記事という他ありません」(現在は削除)

出た、お得意の「捏造」攻撃(笑)。


だが、「サンデー毎日」の報道は捏造でもなんでもなかった。

たしかに安倍首相の言うように、吉井議員が質問で外部電源が得られなくなる理由としてあげたのは、津波でなく「地震で送電鉄塔の倒壊や折損事故」だった。


しかし、だったらなんだというのだろう。

そもそも、吉井議員が問題にしていたのは外部電源が得られなくなる理由ではなく、外部電源が得られなくなった場合のバックアップ(非常用)電源の不備だった。


吉井議員は質問主意書の中で、バックアップ電源4系列中2系列が機能しなくなったスウェーデンの原発事故を引き合いに出しながら、日本の多くの原発が2系列しかないことを危惧。

2系列だと両方とも電源喪失して原子炉を冷却できなくなり、大事故につながる可能性があると指摘した。


それに対して、安倍首相が「我が国の原子炉施設で同様の事態が発生するとは考えられない」と回答したのだ。

福島原発の事故はまさにバックアップ電源が喪失したことで起きたものであり、その意味で「サンデー毎日」の「津波に襲われた福島原発を"予言"するような指摘を、十分な調査をせずに『大丈夫』と受け流した」という記述はまったく正しい。


もし、質問主意書が地震でなく津波と書いていたら、安倍首相は、バックアップ電源の検証を行って、2系列を海外並みの4系列にするよう指導していたのか。そんなはずはないだろう。

ようするに、安倍首相は自分の責任をごまかすために、枝葉末節の部分をクローズアップし、問題をスリカエ、「記事は捏造」という印象操作を行っているだけなのだ。


だいたい、これが捏造だとしたら、メルマガで「菅直人首相の命令で福島原発の海水注入が中断された」というデマを拡散した安倍首相はどうなのか、と言いたくなるではないか。

 

・安倍の盟友・甘利明がテレ東にしかけたトンデモ抗議と、法廷で明かされた真相


だが、こうした卑劣な責任逃れを行っているのは安倍首相だけではない。

実は安倍首相の捏造攻撃にはお手本があった。


それは安倍の盟友の甘利明・経産相がその少し前、テレビ東京に対して行っていた抗議だ。

前述した安倍首相のFacebookの投稿はこう続けられている。


「昨年テレビ東京が安倍内閣の経産大臣だった甘利代議士に取材した放送で同様の虚偽報道がされたそうです。


甘利事務所は強く抗議し、テレビ東京が「質問主意書には、津波で電源を失う危険性についての記述はないにもかかわらず、放送では、その危険性があるかのような誤った認識の下、自民党政権の原子力政策に関する報道を行いました」として、虚偽内容の放送であったことを認め、放送法第4条に基づく訂正放送をしたとのことです


天下のサンデー毎日がすでに訂正放送を行い、謝罪したテレビ局と同じねつ造をするとは(笑)」

安倍が「同様の虚偽報道」としているのは、2011年6月18日放送の『週刊ニュース新書』(テレビ東京系)のことだ。


同番組は原発事故の責任を検証する企画で、第一次安倍内閣でも経産相をつとめ、原子力行政に深くかかわっていた甘利をインタビューし、その際にやはり吉井議員の質問主意書に対する安倍首相の答弁書の問題を追及した。

すると、突然、甘利が席を立って、別室に姿を消した。


そして、記者にテープを消し、インタビューを流さないように要求したのである。

テレ東の記者は当然、その要求を拒否。番組では、甘利議員がいなくなって空席となった椅子を映し「取材は中断となりました」とナレーションとテロップを入れて放送した。


これに対して、放映後、甘利事務所がテレビ東京に抗議してきたのだ。

しかも、テレビ東京が完全謝罪を拒否したところ、甘利は東京地裁にテレビ東京と記者3名を名誉毀損で訴えたのである。


ちなみにこの法廷では、テレビ東京の記者の意見陳述で、甘利元経産相のとんでもない本音が暴露されている。

甘利元経産相は別室に呼び出した記者に、「これは私を陥れるための取材だ。放送は認めない。テープを消せ」と何度も恫喝し、それを拒否されると、逆ギレしてこう叫んだのだという。


「何度も言うが、原子力安全委員会が安全基準を決める。彼らが決めた基準を経済産業省は事業者に伝えるだけ。(中略)大臣なんて細かいことなんて分かるはずないし、そんな権限がないことくらい分かってるだろう。(質問主意書への)答弁書だって閣議前の2分間かそこらで説明を受けるだけだ」


「原発は全部止まる。企業はどんどん海外へ出て行く。もう日本は終わりだ。落ちる所まで落ちればいい。もう私の知った事ではない」

 

・スラップ訴訟でマスコミは完全に萎縮、いまなお放置され続けている安倍の罪


これが、経産大臣として原子力行政を司った人間の言葉か、と耳を疑いたくなるが、この裁判にいたる経緯からもわかるように、甘利サイドの抗議、訴訟のメインは質問主意書の内容が「津波でなく地震だった」という話ではなかった。


いきなり質問主意書を持ち出してきたことがルール違反だ、自分の承諾なしにインタビューを放映した、自分が逃げたという印象を与えるような報道をされたことが「名誉毀損にあたる」と訴えてきたのである。


ただ、それだけでは大義がたたないために、テレ東が番組で、「津波による電源喪失を指摘」と報じていたことをとらえ、今回の安倍首相と同じく「質問主意書には津波のことは書いていない」とついでに抗議したのだ。


そういう意味で、甘利の抗議と訴訟は明らかなイチャモンであり、スラップ訴訟としか思えないものだった。

そもそも、甘利や安倍は吉井の質問主意書に津波のことが書いていないというようなことをいっているが、実際は、津波によって冷却機能喪失の危険性を指摘する記述がある。


だが、弱腰のテレビ東京は、訴訟を起こされる前になんとかなだめようと、地震を津波と間違えた部分だけを訂正してしまった。


その結果、訴訟でもほとんどのところで甘利側の言い分が却下されたが、この枝葉末節の部分をテレ東がすでに間違いを認めているとみなされ、330万円の損害賠償金がテレ東側に命じられた(もちろん、この判決の背景には政治家が起こした名誉毀損訴訟についてほとんど政治家側を勝たせ続けている裁判所の体質もある)。


しかも、テレ東は現場の意向を無視して控訴を断念。報道そのものが「虚偽」「捏造」だったということになってしまった。

ようするに、安倍首相はこのオトモダチ・甘利が使ったやり口をそのままならって、責任追及の動きを封じ込めようとしたのである。


しかも、テレ東がお詫びを出したという結果をちらつかせることで、他のマスコミを封じ込めようとした。

実際、「サンデー毎日」はさすがにお詫びを出したりはしなかったが、新聞・テレビはすでに甘利のスラップ訴訟で萎縮していたところに安倍の捏造攻撃が加わり、この問題を扱おうとする動きはほとんどなくなった。


そして、翌年、第二次安倍内閣が発足すると、安倍首相はこれとまったく同じ手口で、自分に批判的なマスコミを片っ端からツブシにかかった。枝葉末節の間違いを針小棒大に取り上げて、「捏造」と喧伝し、批判報道を押さえ込む――。

さらに、読売、産経を使って、菅直人元首相や民主党政権の対応のまずさを次々に報道させ、完全に原発事故は菅政権のせいという世論をつくりだしてしまった。


こうした安倍首相とその仲間たちの謀略体質には恐怖さえ覚えるが、もっと恐ろしいのは、彼らが政権をとって、再び原発政策を決める地位にあることだ。

不作為の違法行為によってあの苛烈な事故を引き起こしながら、その責任を一切感じることなく、デマを流して他党に責任を押しつける総理大臣。


そのもとで、反対を押し切って進められた原発再稼働。

そして、まさかの原発新設議論の着手……。


このままいけば、“フクシマ”は確実に繰り返されることになる。


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何度でも言う! 安倍首相こそが福島原発事故の最大の戦犯だ!
第一次政権で津波による冷却機能喪失対策を拒否
exciteニュース 2019年3月11日
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_4599/

 

 

 

 

■原発の安全規制で「戦争」を想定外にしていい理由は?「我々、福島で痛い目に」

論座 2021年06月15日 奥山俊宏

https://webronza.asahi.com/judiciary/articles/2021061400005.html


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福島事故後の原発再稼働の要件となる新しい安全基準を検討するため、新設された原子力規制委員会は2012年10月25日、専門家チームの初会合を開いた。


チームの一員となった阿部清治(きよはる)(当時66)は、最初のあいさつで「反省」を口にした。

こういうふうに事故が起きたことに関しては、ずいぶん至らなかったことがあったのではないかと思っております。


1973年から原発安全規制の支援に関わり、2003~07年に原子力安全・保安院の審議官を務めた阿部。津波のリスクを見落としたことに福島事故で気づかされた。

「そういう反省も込めて参加させていただきたい」と阿部は言った。

原発の安全規制に40年余にわたって関わった原子炉事故研究者、阿部清治(75)の目を通し、日本が原子力にどう向き合ってきたか、その現場を5回の連載でたどる。


事故の発端となりうる発電所外部の要因のことを、原子力業界では「外部事象」あるいは「外的事象」と呼ぶ。

地震、津波、火山噴火、洪水、竜巻、積雪といった自然現象だけでなく、その資料には航空機衝突、妨害破壊行為などテロ行為も列挙されていた。

「考え落とし」がないようにするため、思いつく限りの事象を並べたのだろうが、阿部は規制庁に質問した。


・何で戦争が入らないのですか?


過去2千年を振り返れば、戦争はかなりの頻度で起こってきた。

東京電力福島第一原発を襲った津波よりも戦争の発生確率は大きい。


ひんぱんに起こり、かつ、原子力安全への影響度が大きい、という点では最悪と言っていい。

北朝鮮の脅威にさらされている韓国の原子力規制当局に親しい友人を持つ阿部にとって、原発への戦争の脅威は絵空事ではない。


テロは入れるけれども、戦争は入れないということについて、ちゃんとした理由があるのか?


そう問いただす阿部も、規制委が戦争への備えを電力会社に要求するべきだとまでは考えていない。

しかし、最初から理由もなく検討対象から外すのはよくない。


2016年11月15日、廃炉で発生する放射性廃棄物の埋設に対する規制を検討する会合でも、阿部は、規制庁の案の漏れに疑問を呈した。


我々、福島で痛い目に遭っているわけで、それ以外の外的事象はなぜ考えなくていいのかという説明が重要だと思っているんです。


(中略)


戦争への備えについては、規制の対象から除外されたままだが、原子力規制委員長だった田中俊一が2017年7月6日に「平和な国でないと原子力は利用できない。戦争状態に入ることは絶対に避けてほしい」と述べたと報じられ、阿部はこの説明に納得している。

戦争が起きたとき、規制当局を含む国家にとって守るべきものはたくさんあり、原子力施設はその一部に過ぎない。

一方、戦争に対して電力会社ができることは限られる。

このため、戦争への備えについて原子力施設に特化して規制を考えてもあまり意味はなく、戦争そのものが起きないようにするしかない。

阿部はそう思っている。

しかし、阿部はなおも心配する。

もしかしたら「考え落とし」がどこかにあるかもしれないし、事故対処、マネジメントについてどのように規律されているのかがよく分からないからだ。

リスクの大きさに見合ったバランスの良い規制になっていると胸を張れる自信もない。

福島第一原発事故の教訓を生かし尽くしていると言いきれるのか、阿部の不安は今も消えない。


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原発の安全規制で「戦争」を想定外にしていい理由は?「我々、福島で痛い目に」
論座 2021年06月15日 奥山俊宏
https://webronza.asahi.com/judiciary/articles/2021061400005.html

 

 

 

 

 


■ウクライナ ザポリージャ原発 “ロシア軍が掌握”【なぜ?】 | NHKニュース

NHK 2022年3月4日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220304/k10013513381000.html

 

 

 


■ロシアの原発砲撃「やっぱり狙われた」 日本でミサイル攻撃を懸念し裁判した人たち「最大の弱点」と訴え

東京新聞 2022年3月5日

https://www.tokyo-np.co.jp/article/163725

 

 

 

■プーチンがウクライナの原発制圧を進める「本当の狙い」 ザポリージャ原発の次に狙われるのは?

ディリー新潮 2022年03月08日

https://www.dailyshincho.jp/article/2022/03081136/

 

 

 

■なぜウクライナの原発は狙われる チェルノブイリの廃炉は  

中日新聞 2022年3月16日

https://www.chunichi.co.jp/article/435282


【強権国家?政府が外出自粛に言及する必要はあるのか?】「外出自粛死」「経済自粛死」の恐怖「国家の権威と権力」はさらに強大化する~コロナ関連法改正案、私権制限、罰則導入の強権的措置~

2022-12-23 09:03:56 | 日記


■コロナ禍と憲法 “国民の自由や権利損なわれた” 38% NHK調査

NHK 2021年5月3日

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/59577.html

 

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3日は憲法記念日です。

NHKの世論調査で、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で憲法で保障されている国民の自由や権利が損なわれることがあったと思うかどうか聞いたところ「思う」と「どちらかといえば思う」は合わせて38%でした。

また、最も当てはまる理由を聞いたところ「最低限の生活を維持できない人がいたから」が31%と最も多くなりました。


・調査概要

NHKは先月23日から3日間、全国の18歳以上を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかけるRDDという方法で世論調査を行いました。

調査の対象になったのは2808人で、54.6%に当たる1533人から回答を得ました。

 

・コロナ禍 自由や権利が損なわれたと思うか

 

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で憲法で保障されている国民の自由や権利が損なわれることがあったと思うかどうか聞いたところ▽「思う」(12%)と▽「どちらかといえば思う」(27%)は合わせて38%でした。

 

一方
▽「どちらかといえば思わない」(30%)と▽「思わない」(25%)は合わせて55%でした。

 

・“自由や権利が損なわれることがあった”理由

 

憲法で保障されている国民の自由や権利が損なわれることがあったと「思う」と答えた人に最もあてはまる理由を聞いたところ

▽「最低限の生活を維持できない人がいたから」が31%と最も多く
▽「感染者などへの差別や偏見があったから」が20%、
▽「営業の自由が制限されたから」が18%、
▽「移動の自由が制限されたから」が17%、
▽「学校の休校などで教育を受ける機会が失われたから」が10%でした。

 

・東大 石川教授「自由の制約は説明責任果たすよう求める必要」


憲法学が専門の東京大学の石川健治教授は「新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためという十分な理由があり、さらに日本では強制的な手段がとられていないことから、憲法上の権利が制約されたと感じる人はそれほど多くなかったのだろう。ただ、4割の人が自由や権利が損なわれたと感じているのは深刻な状況だ」と話しています。


そのうえで「緊急事態というのは本来、一時的なものでなければならず、一時的だからこそ自由の制約は受け入れられる。これが常態化すると国民が自由が制約されることを当たり前だと感じるようになり、個人の尊厳が大切にされなくなるのではないかと危惧している。どのような理由があって自由を制約するのかについてそのつど、説明責任を果たすよう求めていく必要がある」と指摘しています。

 

・感染対策を講じても「休業や時短要請」飲食店は…


憲法で営業の自由が保障される一方、飲食店は休業や時短営業が要請されています。

どれだけ感染対策を講じても「自由な営業」ができないことに飲食店からはとまどいや諦めに似た声も聞かれます。

園田禎介さんは、東京・銀座で居酒屋など3つの飲食店を経営していましたが、去年9月、このうち1店舗を閉鎖せざるをえませんでした。

客席の数を減らしたり、アクリル板を設置したりとできるかぎりの感染対策を講じ、東京都の時短要請に応じてきた園田さん。

しかし、売り上げが以前の2割ほどにまで落ち込み、協力金を受け取っても月100万を超える家賃を支払うのが難しくなったといいます。


残りの2店舗はなんとか営業を続けてきましたが赤字が増える一方で、3回目となる緊急事態宣言が出されることが決まった先月23日も、3件あった予約がすべてキャンセルになり、客は1人も来ませんでした。

そして今回、酒を提供する飲食店に対して休業が要請されたことから、園田さんは、2店とも休業することを決断しました。


感染を収束させるため飲食店への対策が必要であることは理解できるという園田さん。

しかし、どれだけ感染対策を講じても休業や時短営業が要請されることにとまどいを感じています。


緊急事態宣言が出されることが決まった日「本当は営業したいですが要請には従うと決めたのでしかたありません」と言葉少なに話していました。

 

・銀座では「自由な営業」を求めようという動きが


東京 銀座でクラブやバーを営む人たちの間では、必ずしも一律に休業や時短営業をしなくても感染対策との両立は図れるはずだとして「自由な営業」を求めようという動きが出ています。


銀座で6つのバーを経営している保志雄一さんは、クラブやバー、スナックなどの経営者、およそ1000人でつくる「銀座社交料飲協会」の会長を務めています。


保志さんによりますと、協会の会員が経営する店はこの1年でおよそ120店が閉店を余儀なくされ、新型コロナウイルスの感染拡大による影響は、バブル崩壊やリーマンショックの時を上回るといいます。


協会では、客に安心して銀座を訪れてもらえるようにと去年6月、業界団体のマニュアルに沿って感染を防ぐための独自のガイドラインをつくりました。

会員にはガイドラインを順守するよう求める誓約書を提出してもらい、さらに協会のスタッフが見回りを行って、きちんと対策をとっているかチェックしているといいます。


そうした中でも、今回の緊急事態宣言を受けて酒を提供する飲食店には休業が要請され、銀座のバーやスナックは多くが休業を決断しました。

協会では、どれだけ感染対策を講じてもそれが「自由な営業」につながらないのは問題だとして、先月26日、適切な対策がとられている飲食店については国や東京都が認証し、休業や時短営業の要請を緩和することなどを求めていくことを決めました。


保志さんは「店には営業する自由があり、私たちには働く権利があるはずだが、いくら対策をとってもそれが認められず、『これ以上、どうすればいいのか』という思いがある。きちんと感染対策をとっている店は通常どおり営業できるようにしてほしい」と話していました。

 

・東京都「飲食店は感染対策の急所」


飲食店に対する休業や時短営業の要請について東京都の担当者は、「飲食店は感染対策の急所とされ対策の必要性が指摘されており、人の流れを減らすことを念頭に要請している。国民の自由と権利の制限は必要最小限でなければならないという特措法の趣旨に基づいて対応している」と話しています。


そのうえで適切な感染対策を講じている店については休業や時短要請の要請を緩和するよう求める意見に対し「緩和する基準をどう設定するかや、10万店以上ある飲食店の公平性をどうやって確保するかといった観点からの検討が必要となる」としたうえで「現時点では徹底的に人の流れを抑えることを優先しているため、すべての飲食店に対して休業または午後8時までの時短要請を行っている」と話しています。

 

・時短要請は「営業の自由」の制限とする自治体も


自治体の間では休業や時短の要請は憲法が保障する「営業の自由」の制限にあたるとして、できるかぎり飲食店が通常どおりの営業を続けられるような感染対策を模索する動きが広がっています。


滋賀県は、適切な感染対策を取っている飲食店を県が独自に認証する制度を、今月から始めることにしています。

座席の間隔をきちんと取っているかや、換気を適切に行っているかなど22のチェック項目について、職員らが店に出向いて調べたうえで基準を満たした店については県が認定証を交付し、ホームページなどで店名を公表します。


今後、飲食店に対する営業時間の短縮要請をする場合、認証を受けた店を対象に含むかどうかなど、より詳細な運用方法について検討を続けています。


こうした方法は、時短要請に伴う協力金を支出する必要がないなど、経済的な面でもメリットが大きいとして山梨県や千葉県、山形県などが導入、または導入を決めるなど全国の自治体に広がっています。

認証制度を担当する滋賀県危機管理室の吉田亮室長は、「権利の制限は最小限であるべきで、制限をしなくても、本来の姿で営業を続けてもらいながら感染対策と両立する方法はあると思っている。よりよい制度の在り方をさらに検討していきたい」と話していました。

 

・専門家「休業や時短要請 必要性などきちんとチェックを」


憲法学が専門の学習院大学の尾形健教授は「飲食店に対する休業や時短営業の要請は、憲法で保障された営業の自由を一定程度制約するもので、その必要性や行き過ぎた規制になっていないかはきちんとチェックする必要がある。一律の規制が本当に必要なのか絶えずチェックしながら、慎重に考えてほしい」と指摘しています。


そのうえで「この1年余りの間は、感染をどう抑えるかにかなり力を注いできたが、今後は、規制の必要性や合理性を検討し、中長期的に権利の保障と感染対策のバランスをどうとるのかを見極めていく必要がある。『営業の自由』は、人の生き方にも関わる重要なものであり、単に飲食店の問題として傍観するのではなく、国民一人一人が自分たちの権利や自由の問題として考えてほしい」と話していました。


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コロナ禍と憲法 “国民の自由や権利損なわれた” 38% NHK調査
NHK 2021年5月3日
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/59577.html

 

 

 

 

 


■コロナ死よりはるかに多い「外出自粛死」「経済自粛死」の恐怖

PRESIDENT Online(2020/05/14)和田秀樹

https://president.jp/articles/-/35376

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・蔓延する「自粛・休業=絶対善」でない人を敵視する嫌な風潮


緊急事態宣言が5月末まで延長された。

今回は、一定の感染防止策を前提に社会・経済活動の再開が一部容認され、全業種で休業要請を解除する自治体もある。


また、5月14日と21日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の意見を聴取して解除の検討をすることも発表されている。

しかしながら、特定警戒都道府県は13のままで、外出の自粛や飲食店などの休業要請は引き続き行われている。


私が問題にしたいのは、日本列島に蔓延する「自粛・休業=絶対善」で、そうでない人を敵視し、異論の主張を認めないという嫌な風潮だ。


・今、多くの日本人は「集団的浅慮」の状態にある


アメリカの実験心理学者アーヴィング・ジャニスは、集団がストレスにさらされ、全員の意見の一致を求められるような状況下で起こる、思考パターンを「集団心理(グループ・シンク)」「集団的浅慮」と呼んだ。


その兆候としてジャニスは下記を挙げている。


・代替案を充分に精査しない

・目標を充分に精査しない

・採用しようとしている選択肢の危険性を検討しない

・いったん否定された代替案は再検討しない

・情報をよく探さない

・手元にある情報の取捨選択に偏向がある

・非常事態に対応する計画を策定できない

 

感染症学者の意見は、要は「外出自粛で家にこもっておけ」というもの。

だが、同じ医療者でも精神科医や免疫学者の中にはそう考えない人もいる。


彼らの中には、徹底した自粛ではなく、健康維持のために、むしろ「日に当たって散歩」などを推奨する者もいるはずだ。

そういう意味で専門家会議や政府の要請は代替案を十分に精査しているとは言えない。


口を開けば「感染症拡大防止のため」と錦の御旗を振りかざす政府や首長だが、本当の目標は、コロナ禍に伴う死者や後遺症を少しでも減らすことであるはずだ。

 

・外出自粛という「軟禁状態」が1カ月延びたことによる弊害

 

時に死のリスクも伴う、うつ病やアルコール依存、またロコモティブシンドローム(その後の寝たきり状態を含む)などを増やさないという目標がないがしろにされている。


政府が提示するのは、「自宅に引きこもれ」という選択肢のみだが、自粛を強いることの負の側面・危険性は何も言わない。

そして、経済的な側面を含め、アフターコロナの出口戦略がほとんど策定できていない。


未知のウイルスの感染拡大は止めなければならないが、それと同じように経済がボロボロになり、大量の失業者が出ている現状にも歯止めをかけなければならないはずだ。

筆者には専門家会議や政府の決定は、まさにジャニスの「集団的浅慮」の特色を有しているように見える。


この状態になった際の集団の行動パターンは以下のものが挙げられる。

 

・自分たちは無敵だという幻想が生まれる

・集団は完全に正しいと信じるようになる

・集団の意見に反対する情報は無視する

・ほかの集団はすべて愚かであり、自分たちの敵だと思う

・集団内での異論は歓迎されない

・異論があっても主張しなくなる

(出典:井上隆二・山下富美代『図解雑学・社会心理学』ナツメ社)

 


・自粛=正解・正義の人たちから袋叩きされる


今、筆者が外出自粛よりもメンタルヘルスの向上が大事だと言って、気晴らしパーティのようなことをやったら、自粛=正解・正義と思っている人たちから敵視され、袋叩きにされるだろう。


私は外出自粛や人と会わないようにすること、また店を休業することがいけないといっているわけではない。

ほかに案がないか考える必要があるし、外出自粛や休業などによって生じるリスクや副作用を考え、それを最小限にするために必要なことも考えるべきだと言っているだけである。

 

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■コロナ死よりはるかに多い「外出自粛死」「経済自粛死」の恐怖
PRESIDENT Online(2020/05/14)和田秀樹
https://president.jp/articles/-/35376

 

 

 

 

 

■コロナ対策に罰則必要? 

「ムード便乗危険」―私権制約に慎重論・識者ら

時事通信社(2021年01月18日)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021011700211&g=pol


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新型コロナウイルス対策に実効性を持たせるとして、政府が休業要請や入院勧告に応じない場合の罰則導入を検討している。


感染拡大が続く現状から「やむを得ない」との意見も強いが、私権の制約に対し専門家からは「ムードに流されず、合理的な根拠が必要だ」という声が上がる。

浮上しているのは、入院を拒否した感染者への懲役・罰金や、休業や営業時間短縮の要請に応じない事業者への過料などの規定。


現在は協力の要請にとどまり、応じない場合の対応は店名公表など限定的だ。

悪質なルール違反には警察が対応しており、持続化給付金の不正受給や、感染を隠した入浴施設利用などで逮捕事例がある。


経済界や全国知事会が罰則導入を求める一方で、日本医学会連合は「国民の協力を得にくくなり、罰則を恐れて検査を受けなくなる可能性もある」とする反対声明を出した。

元東京地検公安部長の若狭勝弁護士は「現行法では、入院しないといった消極的な行動を取り締まるのは難しい」と法改正には理解を示す。


ただ、「罰則を設けるには相当の合理性や必要性がないといけない。罰則がないと感染防止できない根拠や専門家の見解が必要で、政治判断だけでは決められない」として、拙速な議論を慎むよう求めた。

「不安が高まっていると過剰な対応に流されやすい」と危惧するのは、関西大の高作正博教授(憲法)。


経済活動や行動の自由は憲法が保障しており、「権利の制限は、必要不可欠な場合に最小限が大原則。

『緊急事態だ』と押し切れば、制定だけでなく法を適用する場合にも憲法違反の恐れが出てくる」とくぎを刺す。


「国家が強い対応を取れば、社会の目も厳しくなる。

それは良いことばかりでない」とも指摘。


「悪いのはウイルスなのに、『自粛警察』のような店への嫌がらせや、感染者への差別を正当化するムードが生まれないか不安だ」と懸念した。

 

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コロナ対策に罰則必要? 
「ムード便乗危険」―私権制約に慎重論・識者ら
時事通信社(2021年01月18日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021011700211&g=pol

 

 

 


■コロナ関連法改正案 私権を制限、罰則導入の強権的措置に懸念

東京新聞(2021年1月23日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/81517

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閣議決定した新型コロナウイルス対策のための関連法改正案は緊急事態宣言を出す前から私権を制限し、罰則で強制する厳しい内容が盛り込まれた。


国や都道府県の権限を強化して感染拡大を防ぐ狙いだが、事業者や患者らを過度に抑えつけ、反発や差別を招いて国民の協力を得られなくなる懸念もある。


◆罰則より医療体制の整備が先決では


改正案の大きな柱は感染症法に盛り込まれた刑事罰だ。

政府は罰則がなくて問題になった事例の集計や分析を示さず、新たに法律を作るための根拠となる「立法事実」がはっきりしないのに、入院を拒んだり、入院先から逃げたりした患者への懲役刑を新設する。


感染症法は結核やハンセン病の患者が科学的根拠の乏しい中で強制収容された歴史を踏まえて「国及び地方公共団体は、感染症の患者等の人権を尊重しなければならない」と明記する。

必要性が不明確なまま罰則を設ければ、法の理念に反して差別や偏見を助長することになりかねない。


日本医学会連合は緊急声明で、入院を拒む感染者には周囲からの偏見や差別などの理由があるかもしれないと指摘。

「これらの状況を抑止する対策を伴わずに、感染者個人に責任を負わせることは倫理的に受け入れがたい」と訴える。


感染拡大が止まらず、各地で病床不足が深刻化し、自宅や宿泊施設で患者が死亡する問題が相次ぐ。

医療提供体制の整備と拡充が先決なのに、入院拒否者への罰則の導入を急ぐのはちぐはぐだとの指摘がある。

 

◆不自由強いられる国民は納得するか


もう1つの柱として、特別措置法の改正案に緊急事態宣言の前段階に当たる「まん延防止等重点措置」を新設。

宣言前でも都道府県知事は休業や営業時間の短縮を事業者に要請、命令できるとし、事業者が従わなかった場合には前科とならない行政罰の過料を科す。


どんな状況で措置が適用されるかは政令で定めるとされ、現段階では不明。

強制力のない「お願い」で休業を余儀なくされたのに比べ、法律で行政処分の手続きが適用されれば、権利保護につながるとの見方もあるが、必要最小限の私権制限しか認めないとする特措法の趣旨に合わないとの意見も根強い。


「Go To キャンペーン」への固執や緊急事態宣言の再発令の遅れなど後手に回った政府の対応が感染拡大を招いたとされ、国民は外出や会食の自粛で不自由な生活を強いられている。

さらに私権制限を強める法改正が理解を得られる保証はない。


与党内からも「罰則を加えて実効性を確保する手法に納得していない人は多い」(自民党の石破茂元幹事長)と批判的な声が上がっている。


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■コロナ関連法改正案 私権を制限、罰則導入の強権的措置に懸念
東京新聞(2021年1月23日)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/81517

 

 

 

 

 

 

■コロナ禍の日本で無気力が蔓延したのはなぜか~忘れてしまった政府に「抵抗する」権利~

東洋経済 2020/12/24 的場昭弘 : 哲学者、経済学者、神奈川大学副学長

https://toyokeizai.net/articles/-/398167

 

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2020年初頭まで誰も予想さえしなかった新型コロナウイルス感染症が、世界を覆い続けている。

これまでも伝染病は何度も襲来していたのだが、それらは極地的で断続的なものであり、世界中を一度に覆うようなことは考えさえもしなかった。


今は21世紀、科学の時代である。

そんなことが起こるはずがない。


誰もがそう思っていた。

これまでも気候変動による災害や天変地異といった、21世紀に入ってこれまで考えなかったリスクがあちこちで発生している。


確かに、「これまでと同じままでいられる」とは誰も思っていない。

しかし、ここまでコロナ禍が世界を覆うことになるとは、誰も予測できなかったはずだ。

 

・科学が政府を乗っ取った


伝染病は人類の大敵のひとつだ。

ただ、今回のような国家によるロックダウンなどという政策はありえなかった。


検疫は昔からあったが、それは限定的な地域に当てはめられるにすぎなかった。

国家全体、あるいは世界中に広まるロックダウンは考えることもなかったのだ。


逆にいえば今回の事態は、近代科学の発展によってもたらされたともいえる。

今では科学が信頼されるがゆえに、科学者の言葉が重く受け取られ、それが国家の政治に反映したとさえいえるだろう。


科学という領域が政治を乗っ取った。

20世紀とは、科学が宗教に取って代わる普遍的地位に就き、何事も「科学的であることこそ真理」という一種の転倒が実現した時代だ。


科学主義は人類に幸福をもたらしていることも確かだ。

しかし、他方では原子爆弾などの科学兵器を生み出し、人類に一触即発の危機をもたらしている。


もちろん科学者は、あくまで最良の方法を提示しただけなので、具体的な政策決定に関与したわけではない。

ただ、政治家がそれをあまりにも真面目に受け取ってしまうと、科学者が大きな影響を及ぼすことにもなるのだ。


21世紀、とりわけリーマンショック以後、経済的停滞や経済格差によって生み出されたさまざまな不安を受けて、どの国でも、とりわけ先進国と言われる国では、政治的な不安定状態が続いていた。

不安定は、国民の多くを納得させる政治ができていないということから生まれている。


ロシアや中国、トルコのみならず日本やアメリカなどでも、ある種のポピュリズム的政治家が出現している。

一方からの強烈な支持と、他方からの激しい抵抗の中で、強面で挙国一致の愛国主義を訴える政治家の出現である。
彼らは、このコロナ禍をチャンスだと考えたのだ。


伝染病は、科学という旗の下に、合法的に反対運動や抵抗運動を規制できるチャンスである。

大義名分は「個々人の生命を守る」という安全にあるが、実質的には人々を隔離することで抵抗運動を弱体化させるという、治安としての安全をもたらした。


それは、フランス革命が国民の安全を守ると称して反対派を摘発し、出版や集会の自由を規制していったことを考えると、彼らにとってこの安全という言葉がどのような意味を持つかがわかるはずだ。

安全とは政権の安全でもあるのだ。

 

・政治家に都合のよい「生命を守る」という名分


2018年11月の半ばから、フランスでは「黄色いジャケット運動」が、毎週土曜日に続けられていた。

1カ月で終わるかと思われていたこの運動は、コロナが世界を覆いつくし始めた2020年も毎週開かれていた。


この運動は2019年12月のストライキも伴い、政権にとって動きの取れない状況を生み出していた。

この運動は、地方から全国的な広がりをもっていった運動であった。


年金生活者や失業者など、ガソリン価格の上昇に怒った人々が、マクロン政権の新自由主義的政策に抗議したのだ。

運動の起こりは組合運動のような組織的運動ではなく、小さなサークル運動から始まった、いわば個人によるマニフェストに近いものであったといえる。


それがやがて全国に拡散していったのだ。

国家は誰のものか。


それが民衆のものであれば、政体はデモクラシー(民主政)である。

君主のものであれば、政体はモナーキー(君主政)である。


しかし、民衆のものといっても、選挙が終われば民衆は、政府に権利を委譲する。

だから正確には、それはデモクラシーではない。


もしデモクラシーが本当にあるとすれば、中央権力のない社会、直接民主政の社会しかない。

19世紀のフランスの思想家であるプルードン流にいえば、権力が集中しない状態すなわちアナーキーな状態こそ民主政かもしれない。


だから民衆は、真にデモクラシーを実現するには、つねに政府に抵抗する権利を持つべきなのだ。

2020年3月、ヨーロッパでコロナ禍が広がる中で各国政府がロックダウンを行うことは、新型コロナウイルス感染症を封殺するのみならず、人々の抵抗権をも封殺することになるはずだった。


4月、通りから人々がいなくなり、抵抗が消えたとき、コロナ以上に不気味なものが世界を覆ってしまった。

人々の自由な抵抗権の喪失である。


個人の自由といえども、それは社会によって規制されねばならないといわれる。

なるほど一面そうであるが、しかしこれまで、どれだけの政権がそれを言い訳として、個人の権利を封殺してきたのであろうか。


まるで国家非常事態における戒厳令のような世界が2020年、突如として出現したのだ。

2019年秋には、チリやボリビアなど各地で学生や市民の反政府運動が起こっていた。


しかし、これらの運動もコロナ禍とともに消えていった。

戒厳令(martial law)は、すなわち戦争下の強制的制限法である。


今では「何時以降、レストランは営業してはならない」とか、「外出をしてはいけない」といった、まるで戒厳令下のような法令が、政府の手によって安易に出され続けている国がある。

これは由々しき事態である。?


それはまた、経済的な理由から一時解除されたヴァカンスシーズンの終了後、再度行われつつある。

しかし、それがたんに新型コロナ感染者・患者数が増大しているために民衆を守るための安全対策だと考えるのは、あまりにも能天気だ。


だからこそ、チリでもフランスでも再びデモが始まり、その不満は政府の政策とコロナ禍での強権体制に向けられているからである。

 

・権力者の独裁を拒否する権利はある


歴史的に見て、個人の自由は中央政府から与えられたものなどではない。

そこから人々がつかみ取ってきたものである。


だから安易に従属することは、権利の放棄を意味する。

フランスの16世紀の思想家、エティエンヌ・ド・ラ・ポエシは『自発的隷従論』の中で、「国民が隷従に合意しないかぎり、その者(圧制者)は自ら崩壊するのだ」(西谷修監修、山上浩嗣訳、ちくま学芸文庫、2013年)と述べている。


要するに、権力者の独裁と戦うには隷従を拒否し、自由になることを日々心掛けねばならないのだ。

ベラルーシで行われているルカシェンコ大統領の独裁に対する抵抗運動は、コロナ禍でも西側の国々がこぞって支持している。


だとすれば、その支持はそのまま西側の政治家に対する抵抗運動に対しても当てはめられるべきだ。

「フランスやドイツでの抵抗運動はファシストの集団であり、ベラルーシとは違う」などと軽々しく言うべきではない。


では、日本ではどうか。

けなげにも、人々は権力に隷従するかのようにおとなしい。


それこそ、日本人の美徳だという意見もある。

しかし、私はそれを無気力と呼びたい。


安倍晋三政権下で起こったさまざまな疑惑が何も究明されないまま、新型コロナウイルスとともに封印されてしまうとすれば、このおとなしさは結局、抵抗権を失った隷従といえないのか。

移動の自由や集会の自由は、新型コロナウイルスに対する一定の予防措置が十分可能であるとすれば、当然の権利として認められねばならないはずだ。


だとすれば、一時停止されたが、政府から「Go To トラベルキャンペーン」で自由に動いてほしいというものだ。

しかし、政府からそう言われる前に、政府に抗して、自由に移動し、何事に関しても自由に語るべきである。


今こそ、われわれは、自らの抵抗の権利をかみしめるべきだろう。


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コロナ禍の日本で無気力が蔓延したのはなぜか~忘れてしまった政府に「抵抗する」権利~
東洋経済 2020/12/24 的場昭弘 : 哲学者、経済学者、神奈川大学副学長
https://toyokeizai.net/articles/-/398167

 

 

 

 

■現代社会は、強権国家、監視国家をどうコントロールすべきか

論座(朝日新聞)2020年04月30日

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020042700002.html

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時代の流れは強権国家、監視国家だ。

コロナは人の健康や命を奪うだけでない。


「社会の呼吸」まで止めてしまう。

ここは何としても歯止めをかけねばなるまい。


ナチス出現の時、ドイツ人も皆そう思った。

しかし、いつの間にか歯止めが利かなくなっていく。


「明日の日本」が「昨日のドイツ」になるわけにいかない。

収集されたデータの扱いが重要だ。


利用が感染者追跡に厳に限定されなければならない。

間違っても他に転用されるようなことがあってはならない。


データの管理は厳重に行われなければならず、漏洩や盗用があってはならない。

今、GAFAに対する規制が議論される。


集められた大量のデータは今や第二の石油だ。

その扱いは我々の生活を脅かす。通販は便利だが、一度買うと、これはどうか、あれはどうかと、同種商品の広告が毎日パソコンに送られてくる。


購買記録が企業に管理され、ネット広告として利用されている。

従来の広告は、やみくもに見えない大衆を相手にしていた。


今、企業は消費者の選好を知り尽くし、それに見合った商品を勧めてくる。

我々のデータは企業の手元にあるのだ。


ここはしっかり規制していかなければならない。

 

・非常時に膨れ上がった国家の権限を、平時にいかに縮小するか

 

危機が過ぎ去った時、いかに平時に戻るか。

これこそが監視国家をコントロールするカギだ。


危機の時、強権や監視もやむを得まい。

公共のため、個人が犠牲にされることもやむを得ない。


しかし、危機が過ぎ去れば、また元の自由や基本的人権が尊重される社会に戻らなければならない。

それをいかに制度化しておくか。


非常時の行動を政府は記録にとどめ、危機が過ぎ去った時、それを公開し、後日の検証に付すことにする。

場合によっては、平時に戻った時、非常時内閣は総辞職し、改めて総選挙を行わなければならない、とするのも有用かもしれない。


非常時が平時においてそのまま継続してはならない。

強権国家、監視国家は非常時だからこそ許される。


非常時に膨れ上がった国家の権限は、平時に戻った時、また縮小されなければならない。


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現代社会は、強権国家、監視国家をどうコントロールすべきか
論座(朝日新聞)2020年04月30日
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020042700002.html

 

 

 

 

■コロナ危機で、国家の「権威と権力」はさらに強大化する~グローバル化の「裏の顔」があらわに~

週刊現代 2020.04.28

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72141


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・グローバル化の「二つの顔」


新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、世界は国境封鎖し、鎖国状態になっている。

こうした事態を受けて、グローバル化は終わりつつあるという議論が欧米を中心に始まっている。


しかし、このような主張は皮相的なものにすぎない。

やや逆説的に聞こえるかもしれないが、各国による国境閉鎖は、ある意味でグローバル化の当然の帰結だからである。


つまり、鎖国は、グローバル化という現象の「もう一つの顔」をあからさまにしたのである。

以下に敷衍しよう。


一般にグローバル化とは、人やものの自由な移動、さらには「ボーダーレス」な世界の到来として語られる。

しかし、そうした現象の裏側で同時進行しているのは、国家による国境監視の強化である。


国境をフィルターにたとえれば、グローバル化は、一面において、フィルターを通過する人やものの大幅な増大を意味する。

しかし、その反面、フィルターは、国家が通過させたくない人やものをふるいにかける。


2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、テロリストであると疑いがかかる個人を世界中で特に警戒するようになったのは周知のことである。

一方、私が居住するニュージーランドでは、自然環境を保護するために、動植物などいわゆるバイオハザードの対象となるものが国内に入るのを厳しく制限している。


そして、今回、フィルターにかけられているのは感染病ウイルスであり、それに感染している個人である。

20世紀末以来論じられてきているグローバル化は、このように「二つの顔」を持つ。「表の顔」が人やものの自由な移動だとすれば、「裏の顔」は移動する人やものの国家による監視の強化である。


そう考えれば、世界諸国が鎖国状態にあるのは、グローバル化の「裏の顔」が「表」になったことを意味する。

 

・パスポートはいつ発明されたか


国境を越える人とものの移動の増大が、国家による監視の強化に伴っていたことは、最近始まった現象ではない。

海外渡航する際、パスポートを携帯することが義務づけられたのは、第一次世界大戦中のヨーロッパであった。


アメリカの社会学者ジョン・トーピーが『パスポートの発明』(法政大学出版局)で論じたように、19世紀以前にもある種のパスポートがヨーロッパ諸国で用いられていたが、パスポートのあり方について世界的に標準的な慣行はまだ定まっていなかった。

実際、パスポートを発給するのは国家であるとは限らなかった。


地方の聖職者や役人が自国民、他国民を問わず、一種の通行手形や、携帯者の品行方正を証明する推薦状のようなパスポートを発給していたのがその実態であった。

こうした事情が大きく変化を遂げたのは第一次世界大戦の時代だったことを、20世紀イギリスを代表する歴史家A・J・P・テイラーが『イギリス現代史 1914年-1945年』の開巻冒頭でこう書いている(英文原書より筆者が翻訳)。


1914年8月まで、分別があり法を遵守する英国人であれば、郵便局や警察を除いて、国家の存在にほとんど気づくことなく人生を過ごすことができたであろう。

どこでも好きなところで、好きなように生活することができたはずである。


公式なナンバーや身分証明書も持たなかった。

海外旅行したり海外移住したりするに際しても、パスポートも公式な許可書の類も必要なかった。


携帯者の身分証明書であると同時に、国家による移動の管理手段でもあるパスポートは、およそ1世紀前に本格的に導入されたものなのである。

国境が封鎖される数週間前まで、我々は国際的な移動の自由を享受してきたわけだが、そうした自由は、各人が帰属する国家によって発給されるパスポートによって我々の移動が管理される限りにおいて成立していた。


つまり、国際的な移動の自由とは、国家による監視によって保証されるという逆説的な事態なのである。

第一次世界大戦当時、パスポートの携帯が義務づけられるに際して、そうした移動の監視はあくまでも一時的な方策とされていたが、その後まもなく恒常化することとなった。


今日では、パスポートという手段によって国家が移動を監視することの正当性を疑問視する人はほとんどいないであろう。

このように近代パスポートの歴史を振り返ったとき明らかになるのは、人的移動の自由と国家による移動の監視とは切ってもきれない関係にあるということである。


こうした歴史に鑑みれば、現下のパンデミックが終息した後に、国際的な人的移動の自由を回復することは、国家による監視のさらなる強化との引き換えという形でしかありえないのかもしれない。

そもそも、移動の自由における「自由」概念とは、17世紀イギリスの政治哲学者トマス・ホッブズのいう古典的な消極的自由である。


つまり、物理的拘束が欠如している状態にすぎない。

自由をこのような意味で理解する限り、何らかの強制力によって国境を越える移動が阻止されていない限り、たとえ監視下にあっても、移動の自由は存在するとみなされることとなろう。

 

・国家は人々の「移動」を管理する


このように、現下のコロナウイルスをめぐる危機のひとつの核心とは、国家が人的移動を、前例のないほどの規模で制約していることである。

それは国際的な移動だけでなく、国内移動についても同様である。


だからこそ、ロックダウンの状態にある諸国の住民たちはほぼ例外なく、いわば自宅監禁のような状況にあるわけである。

ここに明らかなのは、近代国家が、移動の自由を管理する正当な権限を独占するという特徴である。


さらに、コロナ危機の結果、世界経済は危機に直面しているが、それは、いうまでもなく、経済活動が正常に運営されるためには人的移動の自由が不可欠の条件だからである。

ただし、ここで注目すべきは、その自由がもっぱら国家によって与えられているということなのである。


つい先頃まで、グローバル資本主義の時代の到来とともに、近代国民国家は歴史的役目を終え、「ボーダーレス」な時代がやってくると喧伝されてきたが、グローバルな感染病拡大という事態は、それが間違っていることを見事に実証した。

グローバル企業も大資本家も、パンデミックの発生以来、鳴りを潜めてしまっている。


ウイルス感染に対して対策を講じているのは、国家だけである。

しかも、つい先頃まで新自由主義と「小さな政府」を目指していたアメリカやイギリスといった国々は、一変して、経済に積極的に介入する「大きな政府」へと舵を切った。


さらに、ヨーロッパ圏内における移動の自由も、ヨーロッパ連合加盟国が次々と国境封鎖を行なったことで雲散霧消し、その限りでは、ヨーロッパ連合は、すでに経済人類学者カール・ポランニーのいう「甲殻類的な国家」(鎧のような外殻を持った、外と内を峻厳に区別する国家)の集合体へと変貌してしまった。

こうした一連の事態は、近代国家こそが、この世における究極的権威であって、いかなる国際的な公的組織も、いかなるグローバルな巨大資本も、国家に比肩することはできないことを如実に示している。

 

・魔女狩りとコロナウイルス


パンデミックが終息した後、移動の自由の回復は、国家による監視の強化と引き換えという形でしかなされないかもしれないと前述したが、このような国家権力の強大化の趨勢は、近代国家形成の歴史を参照しても容易に想像のつくことである。


16・17世紀のヨーロッパで絶対主義国家として成立した近代国家がその権力を増長させたのは、現下のパンデミックと同様「目に見えない敵」である「悪魔」との戦いを通じてであった。

悪魔の支配するところとなった魔女たちが、人間や家畜、農作物に被害を与えたり、ひいては、魔術によって国王暗殺を試みたりしていると信じられた結果、政治的支配者から一般民衆に至るまで、ありとあらゆる人々がその脅威に怯えていた。


悪魔の力に抗するために、ヨーロッパの絶対君主たちは、神的権威を自らが帯びていると主張した。

なぜなら悪魔に打ち勝てるのは神以外ではないからである。


こうしていわゆる王権神授説が唱えられ、王権は神に比肩する権威を主張するようになり、そのような権威を背景に、いわゆる魔女狩りが16世紀から17世紀にかけて猖獗を極めることとなった。

魔女狩りと近代国家の権威増強のプロセスとは、表裏一体の関係にあったわけである。


新型コロナウイルスは、2020年の「悪魔」である。

この「悪魔」に取り憑かれた人々は、魔女のように火刑に処されることはなく、国家によって隔離されるにすぎないが、魔女狩りの時代と同様、ある社会では不幸にも差別の対象になっている。


魔女狩りが近代国家の成長を助長したという歴史に照らしてみれば、ウイルスとの戦いが、近代国家をさらに強大化する可能性を示唆しているといえよう。

当然、国家は、感染病へのより迅速な対応を追求するようになるだろう。


迅速な対応は、経済活動の停滞期間を最小化するという意味でも、重要だからである。

しかし、その一方で、感染病の蔓延を防止するということが人命の保全という至上課題である限り、国家は人的移動の制限を必要に応じて行う権限を強化することにもなろう。


平時から、潜在的な感染ルートについてのデータを収集する必要にせまられることになり、それは監視国家への道を用意することにもなろう。

すでにBluetoothを使った人の移動の監視は日本でも論じられているし、ドローンによる監視はヨーロッパ諸国ですでに始まっている。


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コロナ危機で、国家の「権威と権力」はさらに強大化する~グローバル化の「裏の顔」があらわに~
週刊現代 2020.04.28
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72141