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【自分の生を喜び、親に感謝できる子に育てる】「生まれてきてよかった!」という気持ちは親から子どもへそして次の世代へと引き継がれていきます~自分のことを好きな子どもに育てることとは?~

2022-12-31 06:27:28 | 日記


■「チャレンジしない子」「打たれ弱い子」が日本で量産されるワケ

PRESIDENT Online 2020/06/17 船津徹 TLC for Kids 代表

https://president.jp/articles/-/36186


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日本の若者は「自己肯定感が低い」とたびたび指摘される。

なにが原因なのか。

ハワイと上海でグローバル人材を育てる学習塾を展開する船津徹氏は、「日本では子どもが集団社会に参加する年齢になると、ありのままの自分を否定される場面が多くなり、自己肯定感が揺らいでしまう」と指摘する――。

 

・「根拠のない自信」が挑戦するパワーを生む


国立青少年教育振興機構が、米国、中国、韓国、日本の高校生を対象に行った意識調査(2018年)があります。

この中で、「私は価値のある人間だと思う」という質問に「YES」と答えた割合は、日本人は44.9%でした。

対して、米国は83.8%、中国は80.2%、韓国は83.7%といずれも高い数字が出ています。

日本人は謙遜しますから多少、色をつける必要がありますが、それにしても「自分は価値がある」と答えた高校生が44.9%というのは低すぎる数字です。

裏返せば、「自分に価値がない」と感じている高校生が半数以上いるということです。


自己肯定感の定義はさまざまですが、この感情を支えているのは、「自分はできる」という「根拠のない自信」であると私は考えています。

「自分はできる」と信じている人は、逆境や困難に直面しても、チャレンジを繰り返し、成功体験を積み重ね、「根拠のない自信」を「根拠のある自信」に変えていくパワーを持っています。


これとは反対に、「根拠のない自信」が小さいと、「失敗するのではないか」という「不安」が目の前に大きく立ちはだかり、一歩が踏み出せなくなり、新しい挑戦がしにくい、人生に対して消極的な態度が形成されてしまうのです。

 

・子供の不安は親世代の不安の反映


今、子育てをしている親の多くは、日本のバブル経済後に社会人になった人たちであり、高度経済成長期の社会が持つ楽観性や明るさを経験したことがありません。

日本が自信と活力を失い、未来への夢や希望が描きづらい環境で育ってきた世代ですから、子どもの将来にも漠然とした「不安」を持っているのです。

また、今の子どもたちが社会に出る20年後には、第4次産業革命とも言われるIoT(もののインターネット化)、ビッグデータ、AI(人工知能)などをはじめとする技術革新が進展し、私たちの仕事や生活のあり方を大きく変える超スマート社会が到来すると言われています。

そのときに子どもたちに要求される技能は何なのでしょうか? 

今のままで、超スマート社会に適応できる子どもを育てられるのでしょうか? 

親たちはとまどいを感じています。


さらに、グローバル化の進展による人材の流動化は競争の激化をもたらします。

グローバル化の本質は、教育、スポーツ、アート、ビジネスなど、あらゆる面において、日本が世界競争へ巻き込まれるということです。

国際社会で活躍するには、英語力はもちろん、世界標準の視点、知識、技能を身につけることが要求されます。

 

・わが子の「自己肯定感」を育てていますか


以上のように、社会が大きく変化しつつある「今」子育てをしている親の多くは、先の見えない時代への「不安」を抱え、何を信じ、何を基準に子育てをすればいいのかわからなくなり、子育てへの自信を失いかけているのです。


そこに登場したのが「自己肯定感」です。

自己肯定感を高めれば、負けない子、たくましい子、チャレンジできる子に育てることができる! 

時代がどんなに変化しても、世の中がどう変わっても、自分らしく、自己実現していける子になる。

先行き不透明な時代の特効薬として、「自己肯定感」が注目されているのです。


自己肯定感というのは新しい言葉ですが、要するに子どもの「心」を育てることであり、日本では太古の昔から実践されてきたことです。

そして、子どもを見守る部分、子どもに注意する部分の線引きさえ知れば、これまで大変だった子育てでも、気持ちに安心感が生まれるはずです。

 

・注目の「レジリエンス」の源にも


競争が激しいグローバル社会で活躍するためには、勇気を持って困難や逆境に立ち向かっていく力、コツコツと努力を継続する力、失敗してもチャレンジし続ける力といった「メンタルタフネス」が求められます。

メンタルタフネスの源は「できる」という自信であることは言うまでもありません。


グローバル化がいち早く進んだアメリカの子育てを見ると、「自信育て」を強調していることがわかります。

幼い頃からスポーツに参加させ、競争経験を積ませる。

子どもの個性を尊重して自主性を育てる。子どもの小さな達成や成長を見逃さずにほめるなど、「自信」を引き出す子育てを実践しています。


また、近年のアメリカの子育てで注目されているのが「Resilience/レジリエンス」です。

グローバル社会では、子どもがいかなる道を目指すにせよ、激しい競争を避けることはできません。

上を目指せば目指すほど競争のレベルが上がり、誰でも一度や二度は大きな失敗や挫折を経験します。

そのとき、燃え尽きから子どもを救い出してくれる力が「レジリエンス」です。


「レジリエンス」とは、失敗や挫折など、強いストレスに直面した際の「逆境力」「回復力」「跳ね返す力」「折れない心」という意味で使われる言葉です。

レジリエンスは、どうやっても曲がらない鋼のような強さではなく、曲がってもすぐ戻る竹のようにしなやかな抵抗力であり、失敗や挫折をバネに、さらに大きく成長していける力と言えます。

 

・チャレンジできなければ生き残れない


これからのグローバル競争を生き抜くには「チャレンジ精神」という力強い推進力と、失敗や挫折をバネに飛躍する「レジリエンス」の二つを兼ね備えていることが重要です。

これらは異なる力に見えるかもしれませんが、共通する土台の上に成り立っています。それが「自己肯定感」です。


グローバル競争時代を生き抜くメンタルタフネスを子どもに与えるためには、「自己肯定感」をどっしりと安定したものに育てることが何よりも重要です。

自己肯定感が安定すると、その上に成立する「チャレンジ精神」と「レジリエンス」も強くなります。


すると、さらにその上に積み上げられる「勉強」「習い事」「人間関係」のすべてが高いレベルで達成できるようになるのです。

 

・「個性」と「集団性」の折り合いをどうつけるか


これからの社会では不可欠な自己肯定感なのですが、集団の調和を重視する日本の価値観とは相反する要素を含んでいます。

自己肯定感は子どものあるがまま(個性)を受け入れ、尊重することで育ちます。


しかし日本では、子どもが集団社会に参加する年齢になると、「個性」を抑制し、「集団」を優先することが要求されるようになります。

当然、「個性」が強い子どもは、ありのままの自分を否定される場面が多くなりますから、自己肯定感が揺らいでしまうのです。


これからの子どもたちに求められる「個性」と、日本の伝統的な価値観である「集団性」の折り合いをどうつけていくべきなのか。

個性をつぶさずに、集団社会にもうまく適応できる子どもを育てることが大切です。


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「チャレンジしない子」「打たれ弱い子」が日本で量産されるワケ
PRESIDENT Online 2020/06/17 船津徹 TLC for Kids 代表
https://president.jp/articles/-/36186

 

 

 

 


■「やってはいけません」は、言ってはいけません――日本式伝統育児で「生き抜く心」をはぐくむ心得(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)

週刊ダイヤモンド 2015.12.8

https://diamond.jp/articles/-/82104

 

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・久保田カヨ子(Kayoko Kubota)

1932年、大阪生まれ。脳科学の権威である京都大学名誉教授・久保田競氏の妻で2人の息子の母。約30年前に、日本における伝統的な母子相伝の育児法を見直しながら、自身がアメリカ在住時と日本で実践してきた出産・育児経験をもとに、夫・競氏の脳科学理論に裏づけされた、“0歳から働きかける“久保田式育児法〈クボタメソッド〉を確立。この20年で3000人以上の赤ちゃんの脳を活性化させてきた。

 

・「破る」「引き裂く」「ちぎる」は有効な手指のトレーニング


なんでも「いけません」と言う親がいますが、私は、「よほど危険なことでない限り、逆になんでもやらせてみてください」と言います。


いろんな刺激を受けることで、脳は発達します。

たとえば、紙を破る面白さを見つけた子どもには、破られてもいい新聞などを与えて破らせましょう。


「破る」「引き裂く」「ちぎる」は、手や指の動かし方や力の入れ具合のいいトレーニングになります。

また、壁にお絵描きをされそうになったら、「ダメ!」と言いたくなりますが、壁にお絵描き用の紙を貼っておけば、「好きな絵を描いてごらん」と言えます。


壁に貼った紙に、ひざの屈伸を使って上下になにかを描くのは、イスに座って机上の紙に描くのとは違い、手や足だけでなく、目の上下運動にもなるのでおすすめです。

小麦粉粘土や泥んこ遊びなども、「やってはいけません」?と言う前に、「やってごらん」と言えるような環境をつくってあげましょう。


ふだんの生活では味わえないような感触に存分にふれることは、皮膚感覚を鍛えるためにも非常に有効なのです。

子どもが面白がるものを用意して、どんどんやらせましょう。


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「やってはいけません」は、言ってはいけません――日本式伝統育児で「生き抜く心」をはぐくむ心得
週刊ダイヤモンド 2015.12.8
https://diamond.jp/articles/-/82104

 

 

 

 


■なぜ、男の子を甘やかせてはいけないのか?(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)

週刊ダイヤモンド 2012.7.30

https://diamond.jp/articles/-/21817


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・本当に必要なコミュニケーションを取らずに、甘やかし、干渉しすぎる母親たち


でも、最近は紙オムツですから、「おしっこは大丈夫?」と声をかけるお母さんが、とても少なくなってきたことを実感します。

このようなところから、親と子のコミュニケーション不全が始まるのです。


子どもを育てていく過程では、どんな小さなことでも、頻繁にコミュニケーションを取り合うことが大切なのです。

冒頭の陶器製やガラス製コップの使い方も、コップを落とさずに使う方法を教えることが、子どもとのコミュニケーションにつながるのです。


このように、子育ての道具立てが変わってきたことによって、子育てに対してずぼらな親が増えてきました。

また、環境の変化も、子育てに対して無視できない影響を及ぼしています。


昔は4、5人生んで育てるのがあたりまえ。

でも、いまは少子化の時代ですから、1~2人が普通になってきています。


手をかける子どもの数が少なくなると、どうしても過干渉になりがちです。

そのうえ、甘やかせた育て方をしてしまいます。


本当に必要なコミュニケーションを取らずに、過干渉となって甘やかしてしまう。これでは、まともな大人になどなれるはずがありません。

 

・ここ数年で、男の子の育て方に悩むお母さんからの相談が急増!


それでも、まだ女の子であれば、母親もわかり合える部分がありますが、これが男の子になると、育て方がどうもよくわからない。

実際、ここ数年で、男の子の育て方に悩むお母さんからの相談が急増しています。


育て方がわからないから、つい甘やかせてしまう。

たとえば、断乳をするべき時期というものがあるのですが、それができない母親のなんと多いことか!


基本的に、男の子はお母さんが大好きです。

これは、「性」の違いからくるものが大きいのですが、お母さんとしては、自分のおっぱいにしがみついてくるわが子が、かわいくて仕方がない。


特に男の子は、女の子に比べて、強い乳房願望がありますから、いつまでもおっぱいを吸い続けようとします。

そのうえ、最近は夫婦共働き家庭が増えていますから、フルタイムで働いているお母さんもめずらしくありません。


昼間、仕事でなかなか子どもの相手をすることができないという申し訳ない気持ちから、必要以上に甘やかせてしまいます。

断乳も、男の子のほうがやめにくいのです。


たとえおっぱいの出が悪くても、しがみつき吸いついてくると、なかなかそれをやめさせることができない。

結局、子どもが乳離れできないのではなく、母親のほうが断乳できないのです。


その理由は、「子どもがかわいそうだから」。

もっと言うと、男の子の断乳時期が遅れるのに、父親の気持ちが反映する例もあります。


自分が早いうちに断乳を強いられて寂しい思いをした。

だから、自分の子どもにはそのような思いをさせたくない。


そういった理由で、自分の妻に「まだ断乳させなくても、いいんじゃないか」とお願いしたりするというのです。


これでは、いつまで経っても男の子の断乳時期が遅れてしまいます。

そして、ますます甘えた男の子が増えていきます。


これは、正直言って日本の危機ではないでしょうか。

 

・男の取り柄とは、新しいものをつくり出すこと


私は時々、「男の取り柄はなにか」ということを真剣に考えてみるのですが、その答えの一つは、おそらく「新しいものをつくり出す」ことだと思います。


でも、親の甘やかし方がひどくなると、新しいものをつくり出す能力さえも、奪ってしまう恐れがあります。

たとえば、さまざまな色のブロックを使って、自由になにかをつくらせるとしましょう。


子どもは勝手に、自分の感性でなにかを組み立てようとします。

でも、これは往々にして男の子を持つお母さんに多いのですが、子どもが一所懸命になにかをつくろうとしているのに、そこで黙って見ていられない親が結構いるのです。


「○○ちゃん、ここはこの色を使ったほうがいいわよ」

「ここは、こうしたほうが、カッコいいよね」


お母さんとしては、子どもの理解力を早めようとして、手助けをしているつもりなのでしょうが、これが本当によくないのです。

 

・親の言いなりは「創造力の欠如」につながる


想像力のある子は、自分のイメージでいろいろなものをつくり上げます。

親は、それを黙って見ていればいいのです。


自分の力でなにかを生み出そうとしているときに、お母さんが口や手を出してしまうと、子どもの想像力や興味、ヤル気は、その時点でしぼんでしまいます。

親の言いなりになってしまうことは、「創造力の欠如」につながります。


新しいものをつくり出すのが取り柄の男の子が、お母さんの過干渉と甘やかしで、その取り柄すら奪われようとしている。

これでは大人になって、なんの取り柄もない男ばかりが、世の中にあふれかえってしまいます。


私が見ている育児教室でも、お母さんがいなければ、いろいろ優秀にできる子どもなのに、お母さんの姿が目に入った途端、なにもしなくなる子どもがいます。


それもやはり男の子に多いケースですが、やはりお母さんに対する甘えが非常に強いからです。

最近、とても頭がいいのに、なかなか実社会に出ていけないひきこもりの子どもが増えていますが、まさにそれを想起させます。


実は、子どもがしかるべき年齢に達したところで、きちっと独立できるようにするためには、3歳までに最初の親離れができるかどうかにかかっているのです。

そのためには、とにかく子どもを甘やかせないこと。断乳も、その時期がきたらきちっと行うこと。


そして、子どもがやることに対して、いちいち口や手を出さないこと。

時には、「お母さんもやりたいから、教えて」と仲間に入れてもらうのもいいでしょう。


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なぜ、男の子を甘やかせてはいけないのか?(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)
週刊ダイヤモンド 2012.7.30
https://diamond.jp/articles/-/21817

 

 

 

 


■坂本龍馬は私が育てた!龍馬の姉・坂本乙女の女傑ぶりと弟への愛情エピソード

exciteニュース 2021年9月28日 Japaaan

https://www.excite.co.jp/news/article/Japaaan_159518/


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幕末志士を語る上で、欠かすことのできないキャラとして人気を集めている坂本龍馬(さかもと りょうま)。

その龍馬を語る上で、幼少期から巣立ち(脱藩)を見守り、天下へ送り出して行った姉・坂本乙女(さかもと おとめ)の存在もまた欠くべからざるものです。

今回は龍馬を維新の英雄に育て上げた乙女のエピソードを紹介したいと思います。

 

・文武両道の女傑、龍馬の母代わりに


坂本乙女は江戸時代末期の天保3年(1832年)、土佐藩郷士の坂本直足(なおたり。八平)と坂本幸(こう)の三女として誕生しました。


本名は留(とめ)、これは当時よくあった「もう女児は留め=止めにせよ=要らない」という意味ですが、愛称の「お留」を美しく乙女と当て字。

また、乙女で「とめ」と読ませることもあったそうです。


5人兄弟姉妹の4番目(男、女、女、乙女、龍馬)で上3人の兄姉とは一回りほども歳が離れており、そのためか年齢の近い龍馬(天保6・1836年生まれ)とは仲良しでした。

やがて弘化3年(1846年)に母が亡くなると龍馬の母親代わりを自任。


「立て、それでも男か!」

「乙女姉ちゃ、もう堪忍じゃき……」


乙女は父親から教わった諸般の武芸(剣術、馬術、弓術、水練など)や書道、和歌などを叩きこみ、当時は甘え癖に由来すると考えられた寝小便(よばあたれ)も直しました。


「まだまだ!」

そんな乙女は身の丈五尺八寸(約175センチ)、目方は三十貫(約112キロ)という大柄で、下手な男性よりもよほどガタイがよかったそうです。


「あげなジャジャ馬に、嫁の貰い手があるじゃろうか……」

家族が心配するほどの女傑だった乙女に縁談が来たのは安政3年(1856年)、土佐藩典医・岡上樹庵(おかのうえ じゅあん。新甫)の後妻に迎えられたのでした。


龍馬の生前は最大の理解者として何かと相談に乗ったり、一方で他愛ないコミュニケーション(手紙のやりとり)を楽しんだりなど、終生仲良しだったようで、その事が「弟を奪った憎い女」=「お龍との不仲説」を生んだのかも知れません。


晩年は独(どく)と改名して甥の坂本直寛(なおひろ。後に自由民権家、高知県会議員)と同居。

そして明治12年(1879年)に壊血病(極度のビタミンC欠乏症)で病死。

享年48歳でした。

 

・終わりに 自分らしく生きること


よく時代劇などで「私が男に生まれていれば(活躍できたはずなのに)……!」と嘆く女性が登場します。

しかし、男性に生まれても特段の活躍もできない者が少なからぬ一方で、女性に生まれても活躍している者もこれまた少なくありません。


女性に生まれようが男性に生まれようが、我らが乙女姉さんはそんなものどこ吹く風。


「立て、それでも男か!」


豪快に笑い飛ばして龍馬を英雄に育て上げた乙女の生涯は、何に生まれるか、よりもどう生きて何になるか、そして自分らしく生きることの価値を教えてくれるようです。

 

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坂本龍馬は私が育てた!龍馬の姉・坂本乙女の女傑ぶりと弟への愛情エピソード
exciteニュース 2021年9月28日 Japaaan
https://www.excite.co.jp/news/article/Japaaan_159518/

 

 

 

 

 

 

 

 

■【最終回】《クボタメソッド》の心髄は、「自分の生を喜び、親に感謝できる子に育てる」こと(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)

週刊ダイヤモンド 2013.3.22

https://diamond.jp/articles/-/73867


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・《クボタメソッド》の心髄とは?

 

《クボタメソッド》を考案して、30年以上の歳月が経ちました。

この間、本当に大勢の赤ちゃんの育児に携わり、なかには成人した子どももいます。


もちろん、子どもが優秀にスクスクと育ってくれるのは、とてもうれしいことです。

そのために《クボタメソッド》がお役に立ったのであれば、これに勝る喜びはありません。


そして、《クボタメソッド》の心髄は、その子どもたちが一生を終えるときに到達すると言ってもいいでしょう。

自分が死を迎えるとき、「つまらない人生だったな……」などとは思ってもらいたくはありません。


そうではなく、「自分の人生は本当にすばらしいものだった。お父さん、お母さん、私を産んでくれてありがとう。私の人生、本当に楽しかった。生きがいのある一生を送ることができました」

このように思いながら、自分の人生に幕を下ろすことができる。

そんな子どもに育っていたら、それこそ本望です。


残念ながら私自身は、自分が育児に携わった子どもたちの将来にそこまで関わることはできませんが、願わくばそうあってほしいと心から思っています。


それでも、あと16~17年、自分の脳を健康な状態に保つことができれば、いま脳研工房の2階の教室に通ってきている子どもたちが、20歳になる姿を見ることができるかもしれません。


発達や発育が遅れていたり、心身に問題のある子どもたちが、元気な毎日を送り、やがてすばらしい大人になっていく姿を見るのは、このうえもない喜びです。

そういう姿を、もう少し見ていたいと思うようになりました。


実は、3年ほど前までは、「いつ死んでも怖くない」と公言していました。

でも、いまは死ぬことが少しだけ怖くなってきました。

いや、怖いというよりも、「まだ死ねない」という気持ちのほうが強くなってきたのです。


世の中を見渡してみると、まだ育児を頭で考えているお母さんが大勢います。

あるいは、純粋無垢な赤ちゃんが、まっすぐにすくすくと育っていけるような社会環境が十分に整っていないという現実問題もあります。


このような問題を少しずつでも解決しながら、よい方向に進んでいく社会を見てみたい。

そしていま、私の教室に通ってきている子どもたちが、20歳になったときにどうなっているのか、その行く末を見てみたいという気持ちが、ここにきて大きく膨らんできたのです。

 

・帝王学を仕込まれ、口の達者な子だった私


私は、子どもの頃、世間でもかなり変わった子どもだったようです。

なにしろ、3歳の頃から大人を言い負かしていましたから。

1を聞くと100のことが返ってくる口達者な子どもだったそうです。


親からは商家の長子として、「帝王学」もみっちり仕込まれました。

結果、辛抱強く、いったん決めたことについて抗うような言動もしませんでした。


おそらく、世の中ではとても苦労をしたと見えるのかもしれませんが、私自身は、それを苦労と思ったことは一度もありません。

苦労を苦労とは嘆かず、その時々をすごして問題を解決してきました。


帝王学には自己犠牲の精神が必要です。

自分の欲だけで仕事をしてはいけない。

絶えず周りにいる人たちのことを考え、その人たちのために仕事をするという姿勢が肝心です。


私は子育て中に、地元・愛知県犬山市にある区のひとつで、その長の役割を務めたこともありました。


このときは、まだ戦後のドタバタを引きずっていたこともあり、土地等の権利関係が混乱していた状態だったのですが、辛抱強く住民の意見を聞き、調整を重ねた結果、その問題を解決することができました。


早期教育の重要性に気づいたのも、この頃です。

興味深いことに、同じ市内で、ある特定の地域だけ、常にとても優秀な子どもを輩出するところがあったのです。

これも一種の相伝だと思います。?


優秀な子を輩出する地というのは、もともと子どもが小さい頃からしっかりとした教育を行う土壌があるのです。

辛抱強くひとつの問題を解決へと導き、同時に早期教育の重要性にも気づいたわけですが、それを可能にしたのは、「いまを楽しむ。ここにあるもので楽しむ」という、私の父親に言わせれば“極楽とんぼ”の性格が身についていたからでしょう。


当時の犬山市には、社交をする場がほとんどありませんでした。

夫が勤める京都大学霊長類研究所に赴任してきた、都会暮らしに慣れ親しんだ先生の奥さんのなかには、あまりにも退屈すぎてノイローゼ状態になる人もいたくらいでしたが、「いまを楽しむ。ここにあるもので楽しむ」という精神を持っていた私は、退屈することなく、日々その地区を歩き回りながら、その地区のためになるような問題解決に当たっていたのです。


私は、自分自身のこの性格をとても気に入っています。

それは、自分の両親が、私にさまざまな教育を施してくれたおかげです。


だからいま、私は自分の両親に対して、とても感謝をしています。

こうした“滅私奉公”の教えと実践はとても役に立ち、自分の人生をすばらしいものにすることができました。

 

・いかに子どもに奉公できるか


だからこそ、「これからも、少しでも多くの子どもたちに奉公していきたい」これがいまの偽らざる気持ちです。


現在、ひ孫にあたるような年齢の子どもたちを見ていますが、80歳を超えた身体にはさまざまな無理がかかっています。


赤ちゃんを泣かせるときの長く抱きしめる行動も、少し危うくなってきました。

筋力の衰えは確実にあるのですが、それをカバーするため、1日5~6回お風呂に入り、手足に水圧をかけながら動かすという手近なエクササイズも地道に実践しています。


たしかに、自分の体力の限界に挑戦しているという感じではありますが、キツイと思ったときは、今日抱いた子どもの目の表情を思い浮かべるようにしています。


私の“泣き道場”で散々泣いた子が帰るときの、柔和な目つきが脳裏に浮かんでくるのです。

さまざまな問題を抱えている子どもは大勢います。


その子どもたちが、自分自身のために努力をすることを理解してくれれば、その子は人間的にも大きく成長しますし、結果的に母親の働きかけの負担も軽くなります。

私自身が直接、手をかければ、おそらく問題行動なども早く直すことができるでしょう。


でも、それはしません。

なぜなら、子どもにとって本当に必要なのは、母親の働きかけだからです。


子どもの欠点を直すためには、お母さんの手引き、手助けが何よりも大切です。

お母さんがやることに大きな意味がありますから、私は子どもを教えるのではなく、お母さんにいろいろなことを教えます。

こうしてお母さんが努力をすれば、いつかその努力は必ず実を結びます。


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《クボタメソッド》の心髄は、「自分の生を喜び、親に感謝できる子に育てる」こと(久保田カヨ子:脳科学おばあちゃん)
週刊ダイヤモンド 2013.3.22
https://diamond.jp/articles/-/73867

 

 

 

 

 

 

■佐々木正美(児童精神科医)名言集

 


【佐々木正美(児童精神科医)略歴】

1935年群馬県前橋市生まれ。新潟大学医学部医学科に編入学し、1966年同校を卒業。
その後、東京大学で精神医学を学び、同愛記念病院に勤務。
1970〜1971年にブリティッシュ・コロンビア大学に留学、児童精神医学の臨床訓練を受ける。
帰国後は、国立秩父学園、東京大学医学部精神科に勤務後、小児療育相談センター(横浜市)、横浜市南部地域療育センターで児童臨床医として地域ケアに力をそそぐ。
川崎医療福祉大学特任教授(岡山県)、ノールカロライナ大学非常勤教授、横浜市総合リハビリテーションセンター参与などを歴任。
著書に『子どもへのまなざし』(福音館書店)など多数。
2017年没後も、そのメッセージは多くの親たちを励まし続けている。

 

 

 

 


・依存も反抗も、「わたしの言うことを聞いてください」と同じことを訴えているのです。 反抗が大きい時期は自立しようと努力している、自立しようともがいている時期です。 おさえつけてしまうと、かえって反抗は長引きます。

 


・夜、布団に入る時に、明日の朝が来るのが待ち遠しい。昨日より、積み木が高く積めることが誇らしくて仕方ない。友だちに、いろいろなことを教わるのも、教えるのも大好き。 それが子どもの幸せです。 そんな子どもたちは、みんな「自分っていいな」という気持ちを持っています。

 


・「こっちを見て!」という感情のいちばん旺盛は時期は乳幼児期です。そういう時期にうんと気持ちを満たしておいてあげないと、安心してものが言えなくなるのです。幼稚園や小学校に入っても「見てほしい」という感情を引きずっていながら、ある場所にとどまりながら苦しんでいるのです。

 


・子どもの自己肯定感、自尊心をしっかり育ててあげることで、友だちのことも肯定できて、尊重できるようになるわけです。 それは、相手の立場をわかってあげられる人になるということであり、社会性のもとになるわけです。 ここのところを私たちはもっと重要に考えなければならないと思います。

 


・一般に、親は子どもに期待してしまうのもです。これは子どもにとって時と場合にとっては、いい迷惑です。ですから祖父母との交わりは非常に価値が大きいと思っています。それは一般に、祖父母のほうが「今のままで十分かわいい」と思って、将来に対して過度な期待を持たないからです。

 

 

・昔は親が犠牲になってもわが子のために、という形で子どもの世界に投入していたのが、今は親の自己愛的な欲求を子どもに満たしてもらおうという形で親子の境界線を失っているのです。

 


・ぶったり、無視することは子どもたちを否定することですね。これは誰でもわかります。しかし否定とはそれだけではありません。子どもの個性を認めない。「早く!」と言い続ける。あるいは「もっと、もっと」と過剰に期待をする。そういったことも否定です。子どもは、自分が否定されていると感じます。

 


・まだ、できない!だけどもうすぐできそうだ! そうやって、子どもは毎日を生きている。毎日挑戦している。 ところが、そんな「もうすぐできそうだ」という気持ちが損なわれてしまうことがあります。 それは子どもの自尊心が傷ついてしまったときです。

 


・人間は、ひとりで喜ぶことはありません。喜びは、人との関係の中で生まれる感情です。 人といっしょに喜びあう経験をたくさんすると、人の悲しみも感じることができる、人のことを思いやれる子どもになります。

 


・子どもをたくさん持っている人のほうが育児がうまい。人間関係をたくさん持っている人のほうが育児がうまい。

 


・完全無欠な子育てなんてないし、子育てには成功も失敗もありません。「あなたの子育て」があるだけです。 理想にこだわり過ぎず、こっちがダメなら、こうしてみよう、それでいいのです。

 


・非行とはわざとやる行為ではなく、そうせざる得ないからのことが多い。突き詰めれば、本人だけの責任とはいえない複雑な理由からなる、大きな欲求不満が背景にある。

 

 

・親は自分だけの狭い価値基準で、自分にとって都合のよい子どもにしてしまおうとする。本当は子どもはそんなふうに簡単に納得するようにはならないのです。親の顔色なんか見ようとしないで、のびのび行動するのがいいのです。そのことをわからない親がいますね。

 

 

・しつけというのは結局のところ、禁止や強制から始まる。「こうしなさい」「これはいけません」と言うことである。しかし、大事なことは、それがいつできるようになるか楽しみに待ってやることだ。子どもの自律心は、待ってやることで、はじめて育つ。他が律するのではない。

 

 

・小さい子どものうそは、うそをつかせているほうが悪いのです。 子どもがうそをつくほど、追いつめてしまったのですから。 本当のことを言ったら、「あなたは悪い子」だと思われてしまう。親にむかってうそをつく子どもは、それまでに自尊心が傷ついたことが、何度もあったのでしょう。

 


・まだ、できない!だけどもうすぐできそうだ! そうやって、子どもは毎日を生きている。毎日挑戦している。 ところが、そんな「もうすぐできそうだ」という気持ちが損なわれてしまうことがあります。 それは子どもの自尊心が傷ついてしまったときです。

 


・乱暴というか、攻撃性というのは欲求不満の現れであることが少なくありません。ご両親が子どもに対して「こうしてほしい」「こんなふうに成長してほしい」という要求をたくさんしているために、本人が欲求不満になっていることもままあります。

 


・安心しているから子どもは、親に反抗します。 「こんなワルでも好き?」と、 反抗します。 子どもは、依存と反抗を繰り返しながら、自立します。

 

 

・まだ、できない!だけどもうすぐできそうだ! そうやって、子どもは毎日を生きている。毎日挑戦している。 ところが、そんな「もうすぐできそうだ」という気持ちが損なわれてしまうことがあります。 それは子どもの自尊心が傷ついてしまったときです。

 


・親との世界しか持っていない。仲間との世界を持っていない。このことが親からの負の影響だけを強く受けてしまうのだと思います。親はどれだけ子どもに影響を与えているのか、知っていただきたいと思います。

 


・感動ーそれは喜びとか悲しみといってもいいのでしょうが、それを共有しあうということは、本当に大切なことだと思うのです。 本当は赤ちゃんのときにお母さんとで、そしてもう少し大きくなったら友だちと、という連続の上に育てられてくるものなのですが、それが貧しくなってしまったのです。

 


・自尊感情のある子どもというのは、相手を尊重する力を持っています。だから、ケンカしても相手のことを傷つけることはありません。言い換えれば、傷つきやすい子どもはケンカができないのです。今の自分が、これ以上傷つかないようにと相手から逃げてしまうのです。

 

 

・個性は美徳である。子どもは一人ひとりの個性があるから素晴らしい。親にとって、同じ子どもなら一人だけいればいい。そうではないから大勢いるほど素晴らしい。

 


・本来子どもは、ジレンマの中庸をうまく選択して、大人になっていくものですね。でも今は、親が多様性を認めることができず、枠の中からはみ出しているような子どものことを切り離してしまって、遊ばせようとしない。試行錯誤的なところが子どもたちになくなりました。自主性を失って、もろいです。

 


・子どもが自分で自分を肯定するためには、自分が相手のことを肯定しなければならない。認めることができなければならない。それができてはじめて、相手からも認められる関係を作ることができるんですね。 自尊心とは、こういうお互いの関係の中で育っていく感情なわけです。

 


・しつけというのは結局のところ、禁止や強制から始まる。「こうしなさい」「これはいけません」と言うことである。しかし、大事なことは、それがいつできるようになるか楽しみに待ってやることだ。子どもの自律心は、待ってやることで、はじめて育つ。他が律するのではない。

 

 

・遊びの中で、責任ある役割に何がしかの満足できる活動ができた時、子どもは感動し、その感動を仲間と分かち合う。また失敗した時でも、いい遊び仲間というのは必ず慰めてくれる。そしてそういう一連の遊びの中に、倫理・道徳・社会性というようなものを自然に身につけていくプロセスがある。

 


・子どもは、子どもの自然な感情と自然な行動を、可能な限り受け入れておいてあげると、安心して大きくなっていけるのです。

 


・保育園から子どもを引き取ったあとで「お父さんもお母さんも疲れているからダダをこねないで」と子どもに求めること、これはいけません。 子どもから見れば、外で働いているのは大人の都合です。

 

 

・子どもは自分のことを否定されればされるほど、自分のことを否定するようになります。そして、自分以外の人を否定するようになっていきます。攻撃されてきた歴史のある子どもは、人を攻撃するようになるのです。


 

・温かく自分を受け入れてくれて、存在を認めてもらえる。こういう経験がなかったら、本当の意味で他人に心を開くことはできません。この「心を開く」という過程は、私たちの心が崩壊することを防ぐ方向に発達していくということです。

 

 

・どんな子であっても、その子のよいところや目立つところを見つけてほめるというのは本当に大切なことです。 あからさまに目立ちたい行動をする子どもたちは、もっともっとと自尊心や自己肯定感を高めたくて、「こっち見て行動」のようなことをするのです。

 


・親に安心できなければ、友だちにも安心して頼ることはできません。自分が人に頼ることができなければ、友だちから頼られることは絶対にないのです。学校で生き生きと健康に過ごせる子どもは、この頼ったり頼られたりする相互依存の関係が両方ともうまくいっているのです。

 

 

・子どもが自分で自分を肯定するためには、自分が相手のことを肯定しなければならない。認めることができなければならない。それができてはじめて、相手からも認められる関係を作ることができるんですね。 自尊心とは、こういうお互いの関係の中で育っていく感情なわけです。

 


・子どもを本当にしっかりと自立させている親というのは、子どもをゆったり、存分に受け入れているのです。基本的には無条件に受け入れるのです。そのあとで、「おまえ、こうするといいよ。ああいうことができるといいねえ。」と言うのがいいのです。

 


・親から十分愛されている、親を十分信頼できるということから子どもは親に依存していくわけです。そして子どもは自分の存在を信じることになり、自立へ向かって進んでいくことができるのです。相手を信じることなくして、自分を信じることはできないというのはこういうことです。

 


人を信じるようになるためにどうするか、自分を信じることができるように育てるにはどうするかということは、まず親を信じて親との人間関係を、それから親以外の人との人間関係をどういうプロセスで学んでいくか、ということです。

 


・自分の欲求がたくさん満たされた子どもというのは、人を信頼するし、自分の存在を肯定的に感じることができるし、人を愛することができます。ということは、人と調和した行動がとれるということになっていくわけでしょう。人との調和の中で、ある程度自分のプランを生かすことができるようになってはじめて自立なんですよね。

 


・親にどのくらい依存できるか。依存の欲求を満たしてあげるのが、保護です。親は教育者ではないのです。教育者がしばしば自分の子どもの育児に失敗してしまうのは、教育者はいても、いわゆる保護者がいない環境で子どもが育ってしまうことがあり得るからです。

 


・まず、親を信じるところから始まるわけでしょ。あるいは、親代わりの人をね。要するに、自分を保護してくれる人を信じるわけです。ですから、充分に保護された経験をもっている子が、友達との遊びが上手なんです。保護されるということは、自分が困ったときにはいつでも手助けをしてくれる、何かをしてもらえるということです。

 


・親に自尊心を守ってもらえた子どもは、自分には価値があることを知ります。自分を大切だと知ります。そういう子は、悪いことはできなくなるんです。叱るだけでは何も変わらないことを、どうぞ知ってください。

 


・まず、自分自身が周囲に対して心を開くことです。人の善意を信じ、自分も他人から信じられる人間になることです。人間は、相互依存のなかで生きているということを、子どもは親の姿を見て、学び取っていきます。また、親が人を信じられなければ、子どももまた人に心を許せないまま育ってしまいます。親子関係とはそういうものなのです。

 


・基本的信頼感が子どもの心に育つかはとても大切なことですが、自分を信じてくれる人に巡り会うことなのですね。自分を信じてくれた人を、子どもは信じるようになります。子どものことを心配してあれこれ注意する親は、子どもを信じられないから心配しているというところがあるわけです。

 

 

・子どもの欲求をたくさんかなえてあげ、子どもが願ったとおリの愛し方をする。これが保護であり、過保護であっても、ちっともかまいません。そして満たされている子どもには、ある程度の干渉もできます。親の欲求不満を満たすための過干渉は慎みたいものですね。

 


・子どもが育つというその基盤は、あくまでその子どもの中に、人を信じる力を育てることなのです。人を信じる力というのは、感謝や尊敬の感情にそのまま直結するものでしょう。そのことが創造性につながっていくという、このプロセスを分かってもらえると、子どもを育てることは非常に楽しくなると思います。

 


・自分が大切にされているという実感を持つことによって、自信を持つわけです。だけどその自信より先に、自分を大切に保護してくれる人たちを子どもたちは信じるのです。だから、人を信じることと自分を信じること、人を信じることと健全な自尊心を持つということは同じだと言われるわけです。

 

 

・人を信じるとか、自分を信じるとか、自尊の感情とか、他者を尊重するとか、そういうふうに育てられている感情があるから、人に共感できるわけです。共感できるから、友だちができるわけでしょ。友だちができるから、仲間と何かに熱中できるのです。こういう筋道で子どもが育てられてきてほしいと思います。

 


・子どもにたくさん手をかけてあげて、一日の生活を楽しくしてあげることです。よく、「早く寝なさい」と私たちは注意しますが、昼間が充実していれは注意しなくても寝てしまうものです。これは大人も同様で、昼間が充実していないと夜更かしになります。

 

 

・子どもを幸せにするために、いちばん大切なことは何ですか、と聞かれたら、私はこう答えます。 それは、自分のことを好きな子どもに育てることです。「自分っていいな」と思いながら毎日を生きている子どもは、それだけで幸せです。

 

 

・「生まれてきてよかった!」という気持ちは、親から子どもへ、 そして次の世代へと引き継がれていきます。 輝く命につながっています。

 

 

【佐々木正美/児童精神科医】

 


【本当は楽しい数学!】「数学嫌い」公式ばかりを覚えて本当の楽しさを知らない~「サイエンスは暗記物ではない」ノーベル賞物理学者、真鍋博士の教育論~

2022-12-31 06:27:09 | 日記


■「サイエンスは暗記物ではない」ノーベル賞物理学者、真鍋博士の教育論

Newsweek 2022年01月14日

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2022/01/post-1256.php


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<大学入試対策の結果として、日本では文系志望の学生が物理、化学を敬遠するようになってしまった>


大学入試の季節がやってきました。

今年の場合は受験生にとっても、実施側の大学にとっても、寒波とコロナ禍への対応が特に大変だと思います。


大学入試と言えば、ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎博士と対談した際に、博士が入学試験や科学教育について語っておられたことが気になっています。

この対談では「問題を提起する能力が日本の教育には必要」だという議論がされて、このメッセージを中心に朝日新聞の記事でも取り上げられています。

 

記事の中でも真鍋博士が「入学試験のための勉強」を批判されているコメントが紹介されていますが、対談の中ではもう一つ「サイエンスは暗記物ではない」という重要な提言もされていました。


入試の季節にあたって、この博士のメッセージについて考えてみたいと思います。

真鍋博士の専門は気象学ですが、国際的な学問のジャンル分けとしては「地球物理学」になります。


この地球物理学は、同じ物理学の中でも「理論物理学」ではなく「応用物理学」に属しており、同時に「古典物理学」に属しています。

ちなみに「古典物理学」と言うのは、ここでは「原子や分子より極小の量子を扱う量子論」と、「相対性理論」は含まない物理学という意味です。

 

・日本では気象学は地学


真鍋博士によれば、現代のノーベル物理学賞というのは量子論や相対性理論以降の現代物理学の成果を対象としたものが主で、自分のように古典的な物理学を扱っている研究が認められるのは珍しいとおっしゃっていました。


例えば、今回の受賞が「完全なサプライズだった」というのは、2018年にノーベル賞と同格と言われている「クロフォード賞」を既に受賞していたからということもありますが、同時に「古典物理学」がノーベル賞を取るということは想定していなかったという意味でもあるそうです。


一方で、日本の高校生にとっては気象学は物理には属していません。

地学という特殊な科目の一部となっていて、天文学、地質学と一緒に学ぶことになっています。


真鍋先生によれば、その結果として「サイエンスが暗記物になっている」のは問題だというのです。


真鍋博士によれば、気象学とは、地球の大気の動きを運動方程式を使ってシミュレートする学問であり、物理の基礎と数学という道具がなければ理解は難しいし、「何故?」という好奇心をバネに説明や発見を試みることもできないわけです。


運動方程式を抜きにした天文学、化学の知識を抜きにした地質学というのも同様です。


現在の共通テストやセンター試験の原型は、1978年から導入された共通一次試験ですが、例えば東京大学の場合は、その前に大学独自に実施していた一次試験でも、文系理系を問わず「理科2科目」を課していました。


これは、真鍋博士が在学しておられた時代に、当時の南原繁総長、矢内原忠雄教養学部長が「教養課程を充実させて文理問わずリベラルアーツを学ばせる」という方針で1・2年生を駒場キャンパスに集めた思想の反映だと思います。


ですが、結果的には文系志望の受験生の多くは、理論的な理解を必要とする「物理、化学」を敬遠して、「生物、地学」を選択することになりました。

この「悪しき伝統」は共通一次以降も引き継がれています。


つまりそうした学生にとってサイエンスは、原理原則の理解から世界を説明し、問題を解決する学問ではなく、現象面とその用語を頭脳に叩き込む「暗記物」になっているのです。

真鍋博士自身も「若い時には生物学は暗記物だと敬遠」しておられたそうですが、90歳になる今になって「モレキュラー・バイオフィジックス(分子生物物理学)」を学び直しておられるそうです。


「生物の進化を遺伝子がコントロールし、その際にはDNA、RNAが情報を渡してゆく、その奥にはタンパク質の働きがある」ことは、そのメカニズムを理解しなくてはダメで、暗記しただけでは全く役に立たないというわけです。

この「サイエンスを暗記物にしてしまう」という傾向は、長い間に日本社会に多くの問題を残してきたように思います。


まず、これによって文系の人々によるサイエンスの理解と、理系によるサイエンスの理解が大きく離れることになりました。

その結果として、1980年代以降、日本が「より高いテクノロジーの水準」へと進むチャンスにおいて、政府も個々の企業も正しい判断ができなかったという問題があると思います。


科学技術における現在の日本の競争力後退の一因という見方も可能でしょう。

 

・物理・化学・数学の基礎教育の大切さ


遺伝子関連の技術や原子核物理学の平和利用に対して、科学的な議論が社会的に十分でないこともこの問題が背景にあると思います。


気象学に関していえば、気象予報士試験が、しっかり熱力学などの原理を問うような問題構成になっているのはいいのですが、せっかく高い関心がある一方で、合格率が2%前後と低くなっているのは、実にもったいないと思います。


本来は、21世紀の現代では、大学における文系と理系の区別を廃止すべきですが、それ以前の問題として、高校レベルでの教育を見直すことで「サイエンスを暗記物で済ませてしまう」若者を無くしていくことは急務ではないかと思います。


同時に、数学教育のテコ入れも必要です。

物理や化学、そして生物の基本的な法則を理解して使うには、数学の力も必要だからです。


真鍋博士によれば、大学に入る前に「物理現象を理解し、化学現象を理解して、問題をいっぱい解く」ことが大切だそうです。

そうすると、「物理、化学、数学の基礎ができる」ことになり、「将来いろいろな問題に適用するときに素晴らしいご利益がある」というのです。


日本のサイエンスの水準を作ったこうした基礎教育を大切にしながら、それを高校生の段階で更に生物学などに拡張し、文系の専攻を考えている若者にも基礎の部分はしっかり理解させていく、つまり日本の教育の長所を活かしつつ、それを時代の要請に従って改良してゆくことが大切、博士のお話をうかがっていてその点を強く考えさせられたのです。


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「サイエンスは暗記物ではない」ノーベル賞物理学者、真鍋博士の教育論
Newsweek 2022年01月14日
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2022/01/post-1256.php

 

 

 

 

 


■「数学嫌い」の人は暗記教育の犠牲者といえる理由~公式ばかりを覚えて本当の楽しさを知らない~

東洋経済 2021/12/15 芳沢 光雄 : 桜美林大学リベラルアーツ学群教授

https://toyokeizai.net/articles/-/475479


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PISAやTIMSSなどの国際的な学力調査結果、あるいは全国学力テストの結果が発表されるたびに、「日本の子どもたちは単純な計算は得意である反面、論述問題や応用問題はそうとも言えない」という報告が出る。


同時に、日本の子どもたちの数学嫌いは顕著であることが指摘される。

本稿では、この数学嫌いの問題を自らの教育経験を通して考えてみたい。

 

・数学重視の方向へシフトしているが…


2019年3月に経済産業省が発表したレポート「数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える」では、「社会のあらゆる場面でデジタル革命が起き、『第四次産業革命』が進行中」で、これを主導するものとして数学の重要性を訴えている。


前後して経団連も「文系大学生も数学を必修として学ぶこと」の提言を出している。

それに呼応するかのように、早稲田大学が政治経済学部の一般入試で数学を必須科目に変更し、文部科学省も私立大学文系学部入試での数学の必須化を促す姿勢を固めたという(2021年7月8日読売新聞オンライン)。


上記の動きは日本の将来にとってプラスと考えるが、一部の大学を別にすると、ほとんどの大学では数学に関するそのような改革は遅々として進まないと予想する。

国政レベルでも、数学の教育や入試に関する議論が活発に行われることはないと考える。


それは、多くの国民が数学嫌いである現状を踏まえれば、仕方のないことだろう。

結局、「好きこそものの上手なれ」を信じて、多くの子どもたちを数学好きにもっていくことが緊要である。


まず、「数学が好きになる」とはどういうことかを考えてみよう。

単純な計算問題を誰よりも早く解くことだろうか。


数学マークシート問題を裏技によって素早く解くことだろうか。

出題されそうな問題の答えだけをすべて丸暗記することだろうか。


このような学習を積み重ねても、試験ではそれなりに点数は取れるものの、「数学が好きになる」ということとは無縁である。

万が一そう言ったとしても、球場で食べる弁当が美味しいから「野球が好きになった」と言っているようなものである。


筆者は大学専任教員として44年間過ごしてきて、来年度末で定年退職となる。

その間、非常勤を含む10の大学で文系・理系ほぼ半々で、合わせて約1万5000人の授業をもってきたことになる。


90年代後半からは、小中高校の出前授業でも約1万5000人の生徒に話してきた(半分は手弁当)。

数学好きな大学生や生徒が数学に興味・関心を示すのは、「なぜそのような性質がいえるのか」というプロセスや、「そのような応用例もあるとは不思議だ」という楽しい応用話である。


したがって、質問は「どうしてこれが成り立つのですか」という部分に集中する。

14年前からは、本務校として桜美林大学リベラルアーツ学群に勤めている。


10年以上前に「就職委員長」であった頃、数学嫌いの学生たちは就職適性検査の非言語問題(数学や論理の基礎的問題)に弱いことが問題となった。

そこで当時、ボランティア授業「就活の算数」を後期の毎週木曜の夜間に開催した。


昼間の教職や数学などを含めると週に10コマ近い授業であったが、昔の寺子屋のように生き生きしたもので、数年間で1000人ぐらいの学生に楽しく学んでもらった。

その授業は後に、リベラルアーツの発想をアレンジして正規の授業になり、来年度末の筆者の定年退職まで続く。


その授業を通して得たものは以下のようにはかりしれない。

 

・理解せずに暗記に頼る学習の弊害


桜美林大学の学生は心掛けがすばらしく、授業態度はかなり良い。

その一方で、数学の学び方が小学生の頃から間違っていたと思われる学生が少なくない。


すなわち、なんでも理解せずに暗記に頼る学習である。


多項式の微分と積分の計算はできる学生に、「AグループまたはBグループに所属する学生の人数は、『Aの人数+Bの人数-AかつBの人数』だから……」と話すと、「それって暗記した記憶はありませんが、暗記するものですか」と質問する。


それと似たような不思議な質問は枚挙にいとまはないが、いくつか紹介しておこう。


等式の右辺にある項を左辺に移す移項に関して、「両辺に-aを加えるから、右辺にあるaを左辺に移すとマイナスが付く」と説明すると、「初めて移項の意味がわかりました。そうすればよいと単に暗記していました」と答える。


かけ算の筆算に関して、「10の位の数をかけるから1つずらして書いて、100の位の数をかけるから、さらに1つずらして書く。

本当は10の位の数をかけるときは最後の0を省略しないほうがよいかもしれない。


同様に、100の位の数をかけるときは最後の00を省略しないほうがよいかもしれない。


なぜ3桁同士のかけ算の学習が必要かと言えば、ドミノ倒しやボックスティシュのように、帰納的に次々と続く性質の理解には『3』が大切なんです」と繰り上がりの仕組みを図に描いて説明すると、「よくわかりましたけど、こんな説明を聞いたのは人生で初めてです」と答える。


中学数学でコンパスと定規で図を描くときの作図文を学んだ経験がなかった多数の学生に、「この作図文をしっかり学んでおけば、地図の説明のように、一歩ずつ論述する文を書くときにプラスになる。あまり学んでないからこそ、何年か前に千葉県の県立高校入試の国語で、おじいちゃんに道案内する文を書かせる問題が出題されたとき、なんと半数が0点でした」と作図文の意義を説明すると、「えーっ、みんな言われた通りにコンパスと定規で図を描く方法を暗記したことはありますが、そのような文章を書いた経験はほとんどないと思います。作図文を書く意義がわかりました」と答える。

 

・凶悪事件のアリバイで理解する「背理法」


結論を否定して矛盾を導くことによって結論の成立をいう「背理法」を復習するとき、次のように学生に語りかける。


いま、運悪く凶悪事件の容疑者として私は警察に逮捕されてしまった。刑事さんに、「その事件があったとされる時刻に、私は他の場所にいました」と訴えたところ、刑事さんは私に「そのアリバイはありますか」と質問した。


これは次のように考えることができる。「私は犯人でない」を結論とする。

そしてこれを否定すると、「私は犯人である」になる。


すると犯行時刻には、私は犯行現場にいたことになる。

もし、その時刻に居酒屋などの他の場所に私がいたことが実証されたならばアリバイが成立し、「私は犯人である」は矛盾となる。


このような論法も「背理法」です。


このように説明すると、一部の学生からは「えーっ、それも背理法ですか??確か同じ数字を2度かけて2になる数の√2が(分数として表わせない)無理数になることの証明が背理法ではなかったですか」という質問を受ける。


筆者の就職委員長時代のボランティア授業は、このような形で脈々と進化しながら続けてきたこともあって、学生からの感想文も以下のように興味深いものが多く寄せられる(今年度前期分から)。

 

・数学で答えがわからないとき、すぐに答えを見てうつすという行為をしていたが、そんなことは意味がなく、考えるということの重要性を学んだ。

・授業では、相手を理解させているかどうかがとても重要なのだと感じた。

・考えることの重要さや勉強のやり方など、ずっと頭に入れておきたいことばかりだった。自分に子どもができたら絶対にこの話をして、考える子どもになってほしいと思った。

・なぜ、このような公式ができるのかなど、根本から学ぶことができた。あみだくじの仕組み方の内容がすごいと思い、いろんな人に教えたくなった。

・問題に対しては、「公式を覚えて正しく使えるようにならなければ」と急いでいた。その焦りが余計にわからなくさせていたのかもしれない。

・高校に進学するために塾に通ったとき、なぜこうなるのか?なぜこの解き方をするのか?について、時間をかけて答えてくれる先生に出会いました。教えてもらった範囲は、時間がたっても忘れませんでした。苦手な教科が好きな教科にかわる瞬間でした。

 

リベラルアーツ学群での来年度の筆者のゼミナールは、定員10人のところ20人の参加で構成されることになった。

リベラルアーツ学群らしく、さまざまな専攻から学生が集まり、数学、コミュニケーション、ビジネスエコノミクス、心理学、生物学、情報科学、哲学、環境学からなる。


ゼミナールで支柱となる書は、ちょうど1年前に出版した『AI時代に生きる数学力の鍛え方』で、暗記でなく理解の学びの意義と数多くの応用例を紹介している。

その書でも触れたことであるが、理解するからこそ応用力が育まれることを示す一例として、曜日に関する性質を説明しよう。


たとえば2021年と2022年は平年なので、365日ある。

そして1週間は7日なので、365÷7=52あまり1と計算してあまり1に注目すれば、「今年と来年の同一日を比べると、来年は曜日に関して1日進んでいる」ことになる。


この結論だけを暗記するのでなく、この理由を理解しておくと、「平年では1月から9月までの13日には必ず金曜日がある」ことが以下のように考えてわかる。

1月は31日で、31÷7=4あまり3なので、2月13日は1月13日から曜日で3日進む。


以下、同様に考えて、9月13日は8月13日から曜日で3日進む。

このように考えると、1月から9月までの13日には全部の曜日が現れることがわかる。

 

・数学を理解するスピードには個人差がある


余談であるが、40年間近く親交のある理容師・美容師として活躍しているスタイリストの方に上の話をしたところ、次のことを言われたことが忘れられない。


「髪のカットの仕方だけ覚えていても(理容師・美容師の)資格はとれます。しかし、『なぜ、そのようにカットするのか』という理由を理解しているか否かによって、その後の発展に大きな違いがありますよ」。


筆者は90年代半ばごろに数学から数学教育に軸足を移し、その後いろいろな書や記事によって数学教育に関する提言を出してきたが、70歳という年齢も近いことから、大きな提言はそろそろ慎重に述べるべきかもしれない。


しかし、本稿の最後にぜひ訴えたいことがある。

それは、算数・数学の内容を理解することには、個人差がかなり大きい。


ゆっくり理解しても何ら問題はないはずだ。それにもかかわらず、ゆっくり理解する生徒には、早々と暗記だけの学びを仕向ける教育が蔓延していることは残念でならない。

日本の将来を考えて、きめ細かい算数・数学教育ができるように対策を講じてもらいたい。


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「数学嫌い」の人は暗記教育の犠牲者といえる理由~公式ばかりを覚えて本当の楽しさを知らない~
東洋経済 2021/12/15 芳沢 光雄 : 桜美林大学リベラルアーツ学群教授
https://toyokeizai.net/articles/-/475479

 

 

 

 

 


■暗記力競争の勝者が、リーダーになる悲劇~「丸暗記教育」を改めなければ、日本は自滅する~

日経ビジネス 2017.1.26

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/122700036/011800004/


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・「暗記」は勉強ではない


今年も受験シーズンたけなわ。

しかし、それもすぐに落ち着き、まもなく暖かくなれば、新しく受験生となった学生が来年の受験に立ち向かうことになります。


私の教師生活もアニメ「ど根性ガエル」の町田先生(「教師生活25年」のセリフで有名な登場人物)を越え、毎年毎年この姿を見てまいりましたが、目を輝かせて受験に臨まんとする学生を見ていると、かえって哀しい気持ちになることがあります。

彼ら学生の多くが、“勉強”の何たるかをまったく知らないためです。


彼らが「勉強」だと思っている行為は「一に暗記、二に暗記、三四がなくて五に暗記!」というものです。

もはや「暗記作業、イコール勉強」と信じて疑わない。

しかし真実は、「暗記作業は勉強とはまったく関係ない行為」なのです。

 

・「自分は頭がいい」と勘違いした者たちが、この国を動かす


私の新学期初の講義では、講義時間の大半を削って「勉強とは何か」について話さなければなりませんが、「暗記は勉強とは違うんだよ」と諭そうものなら「暗記せずにどうやって歴史を勉強する!?」と反論される有様で、もはやその病、膏肓(こうこう)に入ると言ってよい状態。


これから“最高学府”に臨もうかという者たちがこの惨状です。

こんな「勉強」の“べ”の字も知らぬ者たちが、一年後、一流大学に入れば「自分は頭がいい」と勘違いして、一流企業の社員や官僚となってこの国を動かしていくことになります。


現代日本の政治・経済・社会の惨状の根本のひとつはここにもあるでしょう。

 

・連綿と続いてきた「丸暗記教育」


しかし、それも致し方ない側面もあります。

小中高と彼らが師事してきた教師たちが誰ひとりとして「勉強」を知らず、「丸暗記教育」を彼らに徹底的に叩き込んできたからです。


彼ら丸暗記主義教師こそが“諸悪の根源”ですが、彼らもまたその先代の「勉強を知らぬ教師」たちから“丸暗記”を徹底的に叩き込まれ、勉強の何たるかも知らないまま大学に行き、教職に就いて、自分が教わったとおりに教えているだけの“被害者”ともいえます。

そして、その先代の教師らもまた、その先々代の教師から…と負のスパイラルが延々とつづいているのです。


では、これを歴史的に遡っていくと、どこに辿りつくのでしょうか。

 

・「富国強兵」に不可欠だった義務教育


じつは、今から150年ほど前の明治維新にまで遡ります。

当時の日本は、「鎖国したい」と固く門を閉ざしていたにもかかわらず、そこに土足で上がり込んできたアメリカに無理やり門をこじ開けられてしまいました。


そのため明治政府は、好むと好まざるとにかかわらず「富国強兵」の道へと突き進まざるを得ない ── という政治情勢に陥ります。

しかし、近代軍を動かすためには、何はともあれ「義務教育」を実施しなければなりません。


もはや、幕府時代のような「武士が刀や槍を振り回して敵味方入り乱れて戦う」時代ではなくなったためです。


近代軍は、陸軍なら一糸乱れぬ方陣(兵士を方形に並べた陣の配置)を組んで進み、前線では重火器を自在に操り、作戦の意図をよく理解して散兵でも密集でも円滑な作戦行動ができねばならず、海軍なら巨大な戦艦を提督の意のままに艦隊運動させなければなりませんが、こうしたことは一兵卒のひとりひとりに至るまで“一定の教育レベル”に達していなければ不可能なことです。

 

・教育は「国民のため」ではなく「兵隊を育てるため」だった


国民が無学で文字も読めないようであれば、方陣も組めず、重火器は使いこなせず、散兵戦術(適当な距離に兵士を散らばらせて敵を攻撃する戦法)など夢のまた夢、戦艦はまるで思い通りに動かないどころか、事故が多発するでしょう。


よく勘違いされている方がいらっしゃいますが、義務教育が導入されたのは「国民のため」ではありません。

このような「近代軍に役に立つ兵を養成するため」でした。


その名残として、今でも小中学校では「気をつけ!」「前へ倣え!」「回れ右!」「進め!」と隊列運動が盛んに行われ、運動会などの競技は陸兵の訓練ばかり、他にも、朝礼・生徒による一斉清掃・給食の給仕、隅から隅まで「軍隊」のやり方そのままです。


つまり「義務教育」とは、幼いころから“(子供用)軍隊”に入れ、大人になったら立派な兵隊になるための必要最小限の“教育”が施されるものだったのです。

 

・日清戦争で、義務教育の成果が出た


然して。

日清戦争では、その成果が如実に出ました。

今でこそ、さも「楽勝」だったかのように伝えられている日清戦争ですが、じつは開戦当時、清軍の保有する兵器は重火器にしろ戦艦にしろ、日本よりはるかにすぐれ、さらに兵力・兵糧・弾薬すべてにおいて清国は潤沢なのに対し、日本は脆弱。


「数字」だけでみれば、まともにぶつかって勝てる相手ではありませんでした。

しかし如何せん、それらを操る清国兵たちはまともな教育が施されていない兵ばかりだったため、せっかくの最新鋭の大砲も使いこなすことができず、何十発撃とうとも当たらない。近代戦術はまったく取れず、名将への忠誠心はあっても愛国心はありませんでした。


一方、日本は貧相な装備、頼りない兵站(へいたん)ではありましたが、義務教育を受けた国民による一糸乱れぬ戦隊の動きと、心細い砲弾を確実に命中させる精度の高さで、陸に海に連戦連勝、日清戦争を勝利に導いたのです。

 

・教育は政府にとって“諸刃の剣”


このように、帝国主義時代を生き抜くための近代軍創設のためにどうしても必要だった「義務教育」。

しかし、この「教育」というのは、政府にとって“諸刃の剣”です。


近代兵器を自在に操り、上官の命令をよく理解し動くことのできる程度の“知識”は与えなければなりませんが、あまり“智恵”を与えすぎると、今度はいちいち上官に口応えし、政治に口を挟む不平分子になるからです。

兵は上官の命令に、国民は政府の意向に黙って従順に従えばよい。


そのためには、余計な“智恵”を与える教育は施さない方がよい。

洋の東西を問わず、近代以前の為政者がすべからく国民教育に無関心・否定的なのはそのためです。


しかし、教育を施さなければ、近代軍は成り立たない。

ここに為政者たちのジレンマが生まれました。

 

・「考える」「理解する」「創造する」といった能力開発は無視


そこで、義務教育には「考える」「理解する」「創造する」ということがすっぱりと取り払われ、近代軍を円滑に動かすだけの“最低限の知識”を「丸暗記」させることにします。


ものごとの本質を考えさせない教育──。

ただ上意下達式に教師が与えた知識だけを、意味もわからず、訳もわからず、前後関係も意義もわからぬまま、ただただ丸暗記させるだけの教育。


試験も「丸暗記さえしていれば答えが出せる」問題しか出さないから、丸暗記がもっとも効率よく高得点が出せてしまう。

そうした教育を徹底的に施され、高得点を取って「優秀だね」「頭いいね」と褒められてきた人間が教師となる。


そうした教師が行う“教育”がどんなものになるかは説明するまでもありません。

これが現代までつづけられてきているのです。

 

・あらゆる兵法書を諳んじていた、趙括将軍


しかし困ったことに、「丸暗記で好成績をあげた学生」など、社会に出れば「組織の歯車」となること以外、何の役にも立ちません。


いえ、「役に立たない」だけならまだマシで、自らを優秀と勘違いしてしまい、変にプライドを持ってしまった者は国家に害悪すら成します。


たとえば──。

昔、戦国時代の中国は趙(紀元前403年~紀元前228年)という国に「趙括(ちょうかつ)」という将軍がいました。


彼は、当時「名将」として名高かった趙奢(ちょうしゃ)将軍の息子にして、幼き頃よりありとあらゆる兵法書を諳(そら)んじ、長じては名将の父ですら戦術論で論破するほどに成長します。

したがって、まだ若輩ゆえに「実績」こそなかったものの、すでに各方面に“兵法の天才”とすでに名声を轟かせていました。


ちょうどそこに隣国の秦が攻めてきたため、趙王は彼を総大将としてこれを迎え討つことにします。

ところが、予想に反して趙軍は秦軍を前にして惨敗してしまいます(長平の戦、紀元前260年)。


ほとんど趙国の全軍に近い45万もの兵を失う大失態を演じ、趙国は立ち直れないほどの大打撃を蒙ることになったものでした。

 

・丸暗記の知識だけで、臨機応変な対応ができなかった


時代が降り、楚漢戦争(紀元前206年~紀元前202年)のころ、韓信(中国秦末から前漢初期にかけての武将)が蕭何(しょうか、秦末から前漢初期にかけての政治家)の目に留まったとき、蕭何は韓信を試そうと訊ねたことがあります。


「戦国の世、趙の国に“兵法の天才”と謳われた趙括将軍がいたことはご存知であろう。だが彼は長平の戦で秦軍に大敗し、趙滅亡の原因を作った。君に問おう。“兵法の天才”たる彼がなぜそのような為体(ていたらく)になったと思うか?」


韓信は悠然と答えます。

── あれは、趙括が兵法書の文字面だけを丸暗記していたからです。


兵法書に書かれてあることはあくまで原則・一般論であって、兵法というものは実戦におけるさまざまな状況などによって臨機応変に対応していかなければならぬもの。

それを理解せず、兵法書の言葉通りに実践したため敗れたのです。

 

・自らを「優秀」と思い込んでいる「現代版趙括将軍」


この韓信の言葉の「兵法書」を「教科書」と読み替えると、現代日本をよく象徴しています。

「丸暗記で得た高得点」など、社会に出れば何の役に立たないことを自覚できず、自らを「優秀」と思い込んで社会や国家に仇なす「現代版趙括将軍」は今の日本にはたいへん多いからです。


じつは、趙括の父親の趙奢将軍はこのことに気づいており、息子に論破されたあと、妻にこう言っています。

── あれも口だけは達者になりおった。


さしものわしも敵わぬほどだ。

じゃが、そのじつ何もわかっておらぬ。


将来あの子が将軍になったら、かならずや我が国を亡ぼすことになるぞ。

現代日本の「趙括」たちが日本を亡ぼすことがなきよう祈るばかりです。

 

・もはや“時代の遺物”となった丸暗記教育


それもこれも、諸悪の根源は「丸暗記教育」です。

その昔、“社会・国家の歯車的人材”を大量に必要とした帝国主義時代には、こうした丸暗記教育が有効だったかもしれません。


しかし、その帝国主義時代も今や遠い“過去の遺物”と化した現代、そうした前時代の要請から生まれた「丸暗記教育」もまた、歴史的役割を終えたと言えましょう。


そもそも丸暗記教育は、「思考力」「想像力」「洞察力」などに富んだ本当にすぐれた人材の才を潰し、「暗記」しかできない、思考力や想像力などに乏しい人間が高得点をとりやすいシステムです。


まともな教育というものは、すぐれた才の根本にある「理解」を高めることが基本であって、「丸暗記」は、理解力の乏しい子に「どうしても理解できないなら、取りあえずそういうもんだと思って暗記しておくこと」という“逃げ道”として用意される程度のものにすぎません。


いまや21世紀に入り、「丸暗記教育」も新時代にそぐわない古い教育制度となり、教育改革が必須であることは明らかです。

それを踏まえ、ついに2020年からは、予測困難な時代を生きるために必要な「思考力」を基盤とした抜本的な教育改革が施されることになっています。

 

・新時代を生き残る資格とは


時代が移り変われば、それに合わせて制度やシステムも生まれ変わらなければなりません。

それができる者たちだけが新時代を生き抜く資格を与えられ、それができない者は亡んでいく。


「人類の歴史はそれを繰り返しているだけ」です。

教育改革が失敗に終わるなら、恐竜が環境の変化についていけずに亡びたように、日本も亡びへと向かっていくことでしょう。


それは国家のみならず企業も同じ。

現在、古い価値観を引きずった昭和型の企業がつぎつぎと傾き、臨機応変に変化できる平成型の新しい企業が躍進しているのは、時代が大きく移り変わっていることを意味しています。


この新時代の波に掻き消されないために、“旧時代”に活躍したすべての企業にも、「新時代に生き残るための抜本的改革」が必要とされています。

それができない企業は、やはり亡びていくことになるでしょう。


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暗記力競争の勝者が、リーダーになる悲劇~「丸暗記教育」を改めなければ、日本は自滅する~
日経ビジネス 2017.1.26
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/122700036/011800004/

 

 

 

 


■『RADWIMPS - 正解』

作詞:野田洋次郎
作曲:野田洋次郎


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この先に出会うどんな友とも 分かち合えない秘密を共にした

それなのにたったひと言の 「ごめんね」だけ やけに遠くて言えなかったり


明日も会うのになぜか僕らは 眠い眼こすり 夜通しバカ話

明くる日 案の定 机並べて居眠りして 怒られてるのに笑えてきて


理屈に合わないことを どれだけやれるかが青春だとでも

どこかで僕ら思っていたのかな


あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか

僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない


一番大切な君と 仲直りの仕方

大好きなあの子の 心の振り向かせ方

なに一つ見えない 僕らの未来だから


答えがすでにある 問いなんかに用などはない


これまで出逢ったどんな友とも 違う君に見つけてもらった

自分をはじめて好きになれたの 分かるはずない 君に分かるはずもないでしょう


並んで歩けど どこかで追い続けていた 君の背中

明日からは もうそこにはない


あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか

僕たちが知りたかったのは いつも正解など大人も知らない


喜びが溢れて止まらない 夜の眠り方

悔しさで滲んだ 心の傷の治し方

傷ついた友の 励まし方


あなたとはじめて怒鳴り合った日 あとで聞いたよ 君は笑っていたと

想いの伝え方がわからない 僕の心 君は無理矢理こじ開けたの


あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ だけど明日からは

僕だけの正解をいざ 探しにゆくんだ また逢う日まで


次の空欄に当てはまる言葉を

書き入れなさい ここでの最後の問い


「君のいない 明日からの日々を

僕は/私は きっと □□□□□□□□□□□□□□□□□□」


制限時間は あなたのこれからの人生

解答用紙は あなたのこれからの人生

答え合わせの 時に私はもういない

だから 採点基準は あなたのこれからの人生


「よーい、はじめ」


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『RADWIMPS - 正解』

 

 


【江戸時代の寺子屋が理想形】「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育~宣教師・ザビエルも驚愕!江戸・寺子屋の高すぎる教育レベル~

2022-12-31 06:26:34 | 日記


■「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育

週刊ダイヤモンド 2020.8.10 榎本博明:心理学博士

https://diamond.jp/articles/-/245339


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今、教育の現場では、あらゆる学習において、社会に出てからの実用性を重視する実学志向が強まっている。

だが、基礎知識や教養、物事を深く考える習慣を身につけさせないのであれば、先の読めない変化の激しい時代を柔軟に生きることは困難だ。

『教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)の著者・榎本博明氏は、学校教育の在り方に警鐘を鳴らす。

今回はシリーズ5回目で、「実学重視に走る教育の危うさ」について問題提起する。

 

・小説・評論から実用文にシフトする国語教育


学校の勉強は社会に出てから何の役にも立たない、もっと役に立つ内容を教えるべきだ。

そんな声が強まり、学校教育が実用性を重視する方向にどこまでも進んでいくことに対して、榎本氏は教育の危機を感じるとしている。

このような教育改革の動きに対して、2019年1月、榎本氏も加盟している日本文藝家協会により、「高校・大学接続『国語』改革についての声明」が出された。

これは、2022年度から施行される新学習指導要領による国語科の大幅な改定に対する危機感の表明である。

簡単に説明すると、「大学入試および高等学校指導要領の『国語』改革」において、高校で文学の勉強をせずに、もっぱら実用文に重きを置いた教育をすることになったのである。

日本文藝家協会の出久根達郎理事長は、「文科省は本気でそのような教科書を作るようなので、今のうちに大きな反対ののろしをあげなければいけない。駐車場の契約書などの実用文が正しく読める教育が必要で文学は無駄であるという考えのようだ」と懸念を示している。さらに「まだマスコミでも大きくは取り上げておらず、一般には周知されていないと思われるが、文部科学省の方針に大反対をしていこうと考えている」(文藝家協会ニュース2019年1月号)としている。

この声明が出されてからすでに1年以上が経過したが、このような文科省主導の教育改革の動きについては、いまだにメディアでほとんど取り上げられることがなく、多くの国民は何も知らないのではないだろうか。

 

・「国語」改革に、教育現場からも驚きの声


国語の授業で実用文の学習に重きを置くといっても、具体的にどういうことなのかわからないという人が多いかもしれないので、もう少し説明しておきたい。

2021年から「大学入学共通テスト」が実施され、それに合わせて高校の国語の改革も行われることになった。

そして、この新しい大学入学共通テストのモデル問題が2017年に示された。

そこでは、国語に関しては、生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書が問題文として出題されたのである。

たとえば、架空の高校の生徒会規約を生徒たちが話し合う会話文を読ませるような問題が出題された。

これには教育現場にいる教員たちから驚きの声が上がった。

2022年度からは、このような問題を解けるようにするための国語の授業を全国の高校で行うようになるわけである。

これまで指導要領をいくらいじっても高校も教科書会社も動かなかったため、文科省は大学入試を変えることで、高校の授業や教科書を無理やり変えざるを得なくするという手段をとったのだ。

こうした動きに関して、日本文藝家協会による「高校・大学接続『国語』改革についての表明」では、次のように懸念が表明されている。

「あたかも実用文を読み、情報処理の正確さ、速さを競うための設問といった印象も受けます。この点に関しても、複数の識者たちから疑問の声が出されています。
このように、とくに高校と大学と接続した教育現場でこの数年で起きることはおそらく戦後最大といってもいい大改革であり、日本の将来にとって大変に重要な問題をはらんだ喫緊の課題です」(文藝家協会ニュース2019年1月号)

この改革により実用文中心の教科書が作成されることになる。

手元にある現行の「現代文」の教科書には夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治、中島敦など文豪の作品が載っているが、「現代文」が「論理国語」(実用文中心)と「文学国語」(文学中心)に分かれ、そのいずれかを学ぶことになる。

そうした文豪たちの作品は当然のことながら「文学国語」に入るはずだ。

入試動向に合わせて多くの学校は「論理国語」を選ばざるを得ないだろう。

その結果、多くの学校の生徒たちは、文学でなく実用文中心の国語の教科書で学ぶことになる(形式上、文学を含む教科書も残るが、現実には入試対策の必要上、その教科書を採用する学校は少なくなることが推測される)。

これに関して、作家の三田誠広氏は、ある会議において、学力問題と絡めながら、次のように懸念を示している。

「(前略)大学入試の共通試験の問題例が出た。駐車場の契約書、レポート、統計グラフ、取扱説明書が読めるようになることが、文部科学省が考えている国語力だ」(文藝家協会ニュース2019年11月号)

「小説を読むと地頭がよくなると、進学校はみなわかっている。私立の進学校は大量の読書をさせて、議論をさせる。ところが文部科学省が考えているのは中から下、二人に一人が大学に進学する時代になり、簡単なレポートも書けない大学生がいるので、ちゃんと実用的な論理国語を学ばせる方針だ」(同)

 

・危惧される教養人と非教養人との二極化


国語の授業で、駐車場の契約書や会議の議事録の読み方、商品の取扱説明書の読み方を学ぶ――。

そんな時代がやって来るとは思いもしなかったと榎本氏は述べるが、2022年度から現実にそうなることになっている。

今の中学生や高校生、あるいは大学生の読解力が悲惨な状況にあり、かつてなら、容易に読めたであろう簡単な説明文の理解ができない者があまりに多いことは、榎本氏の著書の中で示されている。

だから実用文を学ばせるといった発想になっているのだろうが、それはわざわざ中学や高校の授業でやるべきことなのだろうか。

進学校の生徒たちは本をよく読み、読解力を身につけているため、実用文の勉強など改めてやる必要はないし、新しい学習指導要領に切り替わっても、私立進学校の生徒たちは、国語の授業や自分自身の趣味あるいは学習として小説も評論も積極的に読むだろう。

一方で、もともと本を読まず、読解力の乏しい生徒たちは、国語の授業で実用文の読み方を学ぶようになる。

先述のように現行の「現代文」から「論理国語」へという移行により、これまでは教科書で著名な小説や評論といった実用文でない文章に触れることができたのだが、今後は文学作品に触れることがほとんどない生徒たちが大量に出てくることが予想される。

これにより、文学や評論に親しむ教養人と実用文しか読まない非教養人の二極化が進むに違いない。

知的階層形成を公教育においても進めていこうとする政策に、平等な扱いを好む日本国民は果たして納得できるのだろうか。

このように大きな問題をはらむ教育改革に国民はしっかりと目を向け、その妥当性について本気で考えてみるべきではないだろうか。

これは、今後の子どもや若者の人生を大きく左右するような出来事なのである。


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「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育
週刊ダイヤモンド 2020.8.10 榎本博明:心理学博士
https://diamond.jp/articles/-/245339

 

 

 

 

■『宣教師・ザビエルも驚愕!江戸・寺子屋の高すぎる教育レベル』(著:山中俊之 幻冬舎 2020.8.7)

https://gentosha-go.com/articles/-/27749


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・庶民の「教育レベル」が高かった江戸時代


知日派の外国人と議論すると、明治維新における改革を高く評価する人がたくさんいることがわかります。

身分制の廃止、信教の自由、議会制の開始、憲法制定。確かに明治維新後の改革によって現在に繋がる近代日本が始まったと考えられる根拠はあります。

しかし、明治以降の発展の土壌は江戸時代にありました。


特に、江戸時代の庶民の教育レベルの高さは特筆すべきものでした。


戦国時代の1549年に日本にやってきた、カトリック教会の司祭で宣教師のフランシスコ=ザビエル。

彼はインドのゴアのカトリック伝道の拠点に宛てた手紙で、自身の鹿児島での経験から、日本は読み書きのできる者が多いので伝道に有利であると述べています(大石学著『江戸の教育力』)。


以前ルワンダで「日本の経済発展」について講演をした際に、江戸時代における日本の教育レベルの高さについて話をしました。

200年も前の封建時代に一般庶民の識字率が高かった事実は大変に驚きをもって受けとめられました。


江戸時代には、武士が城下町に集められ、武士が居住しなくなった農村の農民とは文字によるやり取りを行うようになりました。

農村にも読み書きの能力が求められるようになったのです。

寺子屋が広がり、庶民も読み書き、算盤を学ぶようになりました。


「身分に囚(とら)われた封建時代」というネガティブな観点からのみ見ると、江戸時代については大きく見誤ってしまいます。

 

・学問によって、身分を飛び越えられるようになった


江戸時代になると、士農工商という身分制が生まれました。

誤解してはいけないのは、これらの身分は必ずしも固定化されたものではなかったことです。


女性の場合は結婚により身分が変動することがありました。

また、例えば、上流武家の出身でなくても側室とは別の形で大奥に入って出世し、江戸幕府13代将軍徳川家定・14代家茂時代の将軍付御年寄に任じられた瀧山(たきやま)のように大名クラスの男性らと対等に話をする女性もいたのです。


男性の場合でも、例外的ではありますが、才能があれば農民から武士へ取り立てられることもありました。

また、身分そのものは変わらなくても、同じ農民や商人階級の中で、個人の才覚で富裕になったり、貧困化したりすることもあったのです。


その経験をしたのが、相模国の農民から農政家・思想家となった二宮尊徳(にのみやそんとく)です。


尊徳の生家は、現在の神奈川県小田原市の栢山(かやま)にあります。

生家に隣接する尊徳記念館を訪れた際には、寸暇を惜しんで勉強する尊徳の展示に心を打たれました。


尊徳は、生まれた頃は比較的裕福だったのですが、5歳の頃、洪水のため家が流され、一気に貧困化しました。

両親も相次いで亡くなり、満15歳で一家を支えなくてはならなくなるのです。

その後、寝る時間も惜しむほど刻苦勉励をして得た知識と生来の才覚によって、家業の農業を再建し、一家の経済状態は大きく改善します。


この評判を聞きつけた小田原藩の家老が尊徳に火の車になった自らの家の改革を手伝ってくれるように依頼をしてきました。

さらに小田原藩主から藩の飛び地であった下野国(しもつけのくに)(現栃木県)桜町の再興を託され成功に導きます。

農民であっても、十分に成果を出した人には役割を与えるという柔軟性が江戸時代の日本にはありました。


さらに尊徳の評判は幕府にまで伝わり、幕政の改革にも関与します。


貧困に苦しんだ農民が、封建制の身分社会において幕府の中で指導的な立場にまで昇りつめる。

限られた人数ではありましたが、優秀な人には機会が与えられるという社会の流動性があったのです。


漁師出身で幕府に取り立てられて開国について助言するまでになったジョン万次郎など、学問や才覚のある者は身分にかかわらず評価されるチャンスがありました。


もっとも尊徳は身分の低さゆえ、周りの武士から軽くみられるなど、相応の苦労はしたようです。

 

・寺子屋では地理・算術など理系科目を学ぶことができた


江戸時代の教育というと、よく聞かれるのは寺子屋です。


鎌倉時代までは、教育は主として貴族や武士など支配階層のためのものであり、一部の富裕層を除き農民や町人が教育の機会を得られることは稀でした。

鎌倉時代までの庶民(農民や町人)の識字率は低かったものと推定されます。


その後、室町時代になると、経済社会が発展して庶民が学ぶ機会が生まれてきました。

先述のように、16世紀半ばに来訪したフランシスコ=ザビエルは、庶民を含む日本人の教育レベルの高さに感嘆しています。


欧州では、貴族などの支配階層は別にして、庶民が文字を読めないのは当然であり、また、そもそも庶民を学校で教育しようという考えは、ほぼありませんでした。


一方、かつてより、勉学は寺で、という習慣があった日本。寺院教育と寺子屋教育は直接結びつくものではないのですが、「学ぶ場所としての寺」という古くからの習慣が江戸時代になると寺子屋という形で一般庶民にまで広がりました。


江戸時代初めは都市部で発達した寺子屋は、経済発展と社会の安定化により、17世紀末には農村部にも浸透していきました。

読み・書き・算盤に加えて、地理・算術など理系を含む多様な科目が教えられました。

貴族や富裕層が優秀な家庭教師をつけて自宅で学ぶ習慣があった欧州と違って、日本では、学ぶ場所は外でという考え方が強かったことも、教育が広く行き渡る要因となりました。


また、全国の藩では、各藩の俊英が藩校で学びました。


藩校では、四書五経(ししよごきよう)などの儒学のほか、江戸後期になると蘭学なども教えられました。

蘭学は鎖国時代にも国交のあったオランダを通じて入ってきた欧州の学術や技術、文化などを学ぶ学問で、天文学など自然科学系も含まれています。

蘭学の広がりが、江戸時代の自然科学における偉人を生み出す要因にもなりました。

これが、明治以降の産業の発展につながったと考えられます。


・山中俊之
株式会社グローバルダイナミクス 代表取締役社長


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『宣教師・ザビエルも驚愕!江戸・寺子屋の高すぎる教育レベル』(著:山中俊之 幻冬舎 2020.8.7)
https://gentosha-go.com/articles/-/27749

 

 

 

 

 

■『江戸時代の寺子屋が理想形…現代の学校が担うべき機能とは?』(著:工藤勇一 幻冬舎 2019.4.24)

https://gentosha-go.com/articles/-/20112


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・今、学校に求められる機能とは?


前回(関連記事『中学校長が不登校の生徒に「学校に来なくていい」といった理由』)で、「学校に来る」こと自体は、社会の中でよりよく生きていけるようにするための一つの「手段」にすぎないとお伝えしました。

では、「手段」の一つである学校は、子どもたちがよりよく生きていくために、どのような機能を担うべきなのでしょうか。


社会では、「コミュニケーション」と「経済活動」を行うための2つのスキルが必要です。

学校はこうしたスキルをしっかりと身に付けさせていきたいものです。

特にコミュニケーション能力は、障害や発達の特性の状況に応じて、自分なりの方法を身に付けていくことが求められます。


学校の機能を単純化してみると、二つのポイントが考えられます。

教師の立場から考えれば、①何を教えて(カリキュラム)、②どう教えるか(教え方)であり、生徒の立場から考えれば、①何を学んで(カリキュラム)、②どう学ぶか(学び方)です。


このことについて考えるには、歴史をさかのぼってみるのが分かりやすいと思います。

今の学校の原型は明治維新以降に作られましたが、それよりもさらに前、江戸時代にまで戻って、教育を考えてみましょう。


江戸時代の寺子屋のカリキュラムと学ぶ方法は、とても理にかなった教育であったと私は思います。

「①カリキュラム」については、「読み」「書き」「そろばん」が中心で、まさに実社会においてコミュニケーションや経済活動に結び付いた知識・技能でした。

武士の子はもちろん、商人や職人、農民の子に至るまで、多くの寺子(子どもたち)が「読み」「書き」「そろばん」を学び、今よりもはるかに若い年齢で社会に出て、家計を助けていました。


「②教え方・学び方」については「自学と学び合い」が中心です。

教師が現在のように大勢の生徒に一斉授業で教えることはありません。

分からないことがあれば友だちに聞いたり、教えたり教えられたりしながら主体的に学んでいました。


実はこれは、世の中の営みそのものです。

つまり、社会に出てからの大人の学び方と、子どもたちの学び方は同じだったのです。

今のように一斉授業の中で一方的に情報を受け続け、ただ丸暗記するような勉強方法ではありません。

また、「これをやりなさい」「あれを勉強しなさい」と一方的に押し付けられることもありませんでした。

学びは、人に頼るものではなく、自分で分からなければ調べたり考えたり、それでも分からなければ聞くなどしました。

当時は、「対話」が当たり前だったのです。まさに「学びのスタイル」が「社会でのスタイル」なのです。


私たち大人は仕事をしていく過程で、日々多くのことを学んでいます。

学校においても同じです。

教師同士も学び合っています。

その学びの多くは、日々のちょっとした会話を通じて、経験が豊かな先生から新任教師へ「こうしたらいいよ」という方法を伝えるコミュニケーションを介して行われています。

研修などを除けば、私たちが職場で必要なスキルを、講師による一斉講義形式で座学で学ぶということはありません。

これは民間企業においても同様でしょう。

 

・学校教育は「アクティブ・ラーニング」に変えるべき


新学習指導要領では、「アクティブ・ラーニング」(主体的・対話的で深い学び)が求められています。

私は、学びは、そもそも「アクティブ・ラーニング」に変えていくべきだと考えています。

それは、人が社会で生きていくスタイルそのものが「アクティブ・ラーニング」だからです。


そもそも、「一方的な講義スタイルで、じっと座って、誰かの話を聞く」ということが世の中において当たり前ではありません。

対話し、発信し、受け取り、合意形成を行う。

そうした形で物事を解決していく。

これが社会の姿なのですから、学校においても、社会の「当たり前」を学べるようにすべきだと考えています。


カリキュラムについても、かつての藩校は地方分権で自律しており、江戸幕府にコントロールされてはいませんでした。

各藩が自らの経済活動に必要だと考えれば、各地から優れた人を招いてきて講義を行ってもらうなど、独創的で自律した学びを行っていました。

問題解決能力を日々の活動の中で高めていたのです。

これが明治維新以降、優れたリーダーを輩出した一つの理由であったとも思います。


寺子屋は私設の教育機関でしたが、就学率は非常に高く、江戸などはもちろんのこと、地方の小都市や農村部でも、多くの子どもが通っていたようです。

それは、「社会の中でよりよく生きていけるようにする」という目的に対し、寺子屋が適切な手段だったからだと思います。


江戸末期、日本の識字率は非常に高かったとも言われています。

それは、寺子屋で培われた知識・技能が日本の隅々まで浸透していたからだと思います。

そうした基盤があったからこそ、明治期の奇跡的な産業的発展ができたのでしょう。


ところが、明治維新以後、日本は西洋の学校教育制度をモデルとして、まったく新しい公教育制度が整備されました。

そこでは、教員による一斉講義形式の授業が行われ、カリキュラムも教科型へと転換しました。

その結果、実社会の営みと離れてしまい、学校へ通う子どもたちの生活実態や、学ぶ内容と意義を家族が認められないことなどがあり、しばらくの間、就学率が長く低迷することになったと聞きます。

子どもたちが学校へ行かなかったのは、明治期の学校が「社会の中でよりよく生きていける」ための手段として、適切でないと感じたからだと思われます。


近年、不登校の子どもたちの数は増加傾向にあり、そのありようも複雑化しています。

もしかすると、明治期と同じく、学校に行く意義を見い出せなくなっている子どもがいることの表れかもしれません。

 

・工藤 勇一
千代田区立麹町中学校長 

1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長等を経て、2014年から千代田区立麹町中学校長。教育再生実行会議委員、経済産業省「ed-tech 委員」等、公職を歴任。本書が初の著作となる。


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『江戸時代の寺子屋が理想形…現代の学校が担うべき機能とは?』(著:工藤勇一 幻冬舎 2019.4.24)
https://gentosha-go.com/articles/-/20112

 

 

 

 

■日本会議の影響で「道徳」に危機? 教科書には衝撃的な内容も…

AERA(アエラ)2018.10.18 澤田晃宏

https://dot.asahi.com/aera/2018101700010.html?page=1


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安倍政権がこのほど組閣した新内閣を支えるのは、その多くが「日本会議」所属の議員だ。

有識者の中には、このことが日本の教育に大きく影響すると警鐘を鳴らす人もいる。


2012年の第2次安倍政権発足以降、閣僚のうち憲法改正を掲げる団体「日本会議」の国会議員懇談会に所属する議員は常に半数を超え、新内閣では20人のうち15人が、日本会議系議員だ。

初入閣の閣僚に絞れば、12人中9人。改憲シフトの「日本会議内閣」とも言えよう。


安倍晋三首相、麻生太郎財務相は日本会議国会議員懇談会の特別顧問を務め、菅義偉官房長官は副会長に就いている。

『日本会議の全貌』(花伝社)などの著書がある「子どもと教科書全国ネット21」代表委員の俵義文氏は話す。


「自民党幹部が所属していることもあり、思想信条とは関係なく所属する議員は多い。懇談会は超党派の議連だが、9割は自民党で、その数は衆参合わせて約300人に達します」

日本会議は1997年、有力な右派団体として知られた「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が統合して発足。


新憲法制定を掲げ、「国の伝統」を重視する。

伝統とは特に明治維新から戦前までを指し、戦後の日本に関しては、<経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向いつつある>(設立宣言から一部抜粋)とする。


俵氏は警鐘を鳴らす。

「日本会議は単なる政治団体ではありません。理念や思想を支持する国会議連と連携をとり、特に安倍政権以降、着実に政策として具現化しています」


日本会議が憲法改正とともに力を入れてきたのが、第1次安倍政権(06~07年)でも推し進められた「教育再生」だ。

なかでも道徳の教科化はこのときからの悲願で、教育基本法の改正を経て、今年から小学校で、来年から中学校で実施となった。


『危ない「道徳教科書」』(宝島社)を緊急出版した元文科官僚の寺脇研氏はこう危機感を話す。

「自民党は12年に発表した改憲草案では、人権は生まれながらに与えられるとする天賦人権説を西欧由来として否定している」


片山さつき地方創生・女性活躍担当相の発言も、この立場だ。

寺脇氏が続ける。


「この改憲は、乱暴な言い方をすれば大日本帝国憲法下の『臣民』に戻すという考え方にもとれる。国民に主権はない。そうした人間を育てる狙いが道徳の教科書に散見されます」


例えば、小学6年の複数の教科書に掲載されている「星野君の二塁打」という話がある。

送りバントのサインを無視して二塁打を打ち、チームは勝利。


しかし監督は「犠牲の精神の必要性」を説き、「監督の指示は絶対」として星野君に出場禁止の罰を与えるという内容だ。

「必ずしも教科書を使う必要はないが、現場に道徳の専門家はおらず、先生の余裕もない。教科書を使った授業が中心になっている」(寺脇氏)


文部科学相には柴山昌彦氏が就任。就任会見で教育勅語について「道徳などに使うことができる分野は十分ある」と発言し、野党などから「戦前回帰」「憲法違反だ」と反発が出た。

発言について柴山氏は「国として検討と言ってない」と釈明したが、寺脇氏は警戒感を隠さない。


「職員への訓示では廊下ですれ違う時にあいさつをすることを徹底した。下村博文元文科相の影響だという。下村氏は大臣時代、課長以下の人事にまで口を出し、恐怖政治を貫いた。教育基本法の改正や道徳の教科化など、日本会議が求める政策は下村大臣時代に具現化している。柴山氏が下村氏に強い影響を受けるとなると、柴山氏のもと、また教育への政治的介入が強まるかもしれない」


その下村氏は今回の自民党役員人事で憲法改正推進本部長に就いた。

永田町関係者が話す。


「長年、自民党の憲法議論を進めてきた船田元氏などをはずし、憲法には明るくないはずの下村氏を本部長に。党の憲法改正案を国会に提出するには総務会の全会一致が原則となることから総務会長には首相側近の加藤勝信氏を置き、異論を出させない体制を整えた。15年の安全保障関連法案の際は、当時の二階俊博総務会長が反対派を退席させ、全会一致をとりつけた」


安倍首相、そして日本会議の悲願の憲法改正に万全の体制を整えたということか。

そこに国民の姿は見えない。


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日本会議の影響で「道徳」に危機? 教科書には衝撃的な内容も…
AERA(アエラ)2018.10.18 澤田晃宏
https://dot.asahi.com/aera/2018101700010.html?page=1

 

 

 

 

 

 


■戦後教育はどこが間違っていたのか 教育史の専門家がみる「改革のヒント」

GLOBE+(朝日新聞)2020.10.10 沖田行司・びわこ学院大学学長

https://globe.asahi.com/article/13750368


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・6・3・3の「単線型」教育の始まり


本論に入る前に、日本の戦後教育がどう作られたのかを簡単におさらいしておきたい。

日本の教育は、戦前と戦後で大きく変わったはずだった。


1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。

日本を占領した連合軍総司令部(GHQ)は、日本政府に対して「四大教育指令」と呼ばれた命令を順次発布。


軍国主義を鼓吹した教育関係者の追放、学校教育と国家神道の結びつきを除去するなどの措置が取られた。

翌年にはアメリカ教育使節団が来日し、男女共学や、教育の地方分権化などを骨格とする報告書をGHQに提出し、これが戦後の教育改革の柱となった。


これを機に「6・3・3(小学校6年、中学3年、高校3年)」の単線型の学校教育制度が導入された。

それまで日本は5年制の旧制中学から医学専門学校に進めたり小学校から実業学校で学ぶことができたりするなど「複線型」の教育を行っていたが、アメリカをモデルとして「単線型」となったのは大きな変化であった。


沖田氏は、この「単線型」に疑問を投げかける。

「能力と発達時期の異なる子どもたちを、6・3・3制度の中で競わせ、偏差値で階層化された学校に進級させることが、本当にGHQやアメリカ教育使節団が提唱した個性教育といえるのか」と話す。


スタートの平等性は保証されたが、それ以降の知識習得を中心とする教育についていけない子供たちは「落ちこぼれ」といわれて、人生で大きなハンディキャップを負うケースも目立った。

アメリカ教育使節団は「個性尊重」をうたっていたが、実際は単線化によって、画一化、偏差値重視が進んだとの見方である。


実は、アメリカにおける教育も、画一化の弊害が指摘されている。

特に、2002年、ブッシュ政権の「どの子も置き去りにしない法(No Child Left Behind Act)」の施行後、「テスト偏重」傾向はさらに強まっている。教育改革家でドキュメンタリー映画「Most Likely to Succeed(成功に一番近い教育とは)」のプロデューサーでもあるテッド・ディンタースミス氏も、ここに危機感を持っていた。


単線型教育の「本家」である米国よりも日本のほうがさらに硬直的な面がある。

たとえば、外国人が米国の小学校に入学すると、当然、英語ができないので授業についていけない。


そこで、無料の「補習クラス」で底上げをしてくれるほか、数ヶ月の違いなら、学年をわざと落とすことが認められている。

日本の場合は、4月1日時点で、学年が厳密に区切られてしまう。

 

・寺子屋の発想、現代に生かせる


日本の教育がもともとそうだったわけではない。

江戸時代に広く普及し、「読み書き」「そろばん」など実学を教えていた寺子屋では、複数の学年が一緒に学び、生徒同士の「教え合い」も日常だった。


「できる子」が「できない子」を教えるのは普通のこと。

それは「できる子」が損をする仕組みではない。


実は、一方的に聞くよりも、「人に教える」ことが、一番知識が定着したり深い学びにつながるのは、よく知られている。

「寺子屋」において、先生は、いわばファシリテーターの役目だった。


沖田氏は、江戸時代の「寺子屋」の発想を現代に生かすことはできないだろうか、という。

「戦前の国家主義など反省すべき点は多々あった。だが、日本の良いところも、GHQによって『封建的』とみなされてしまった」と沖田氏は残念がる。


明治以降の日本の教育のモデルは、当初は、フランスやアメリカだった。

明治の中期ごろからドイツ方式を採用することになったが、それらは日本の伝統的な教育観念と融合しながら、日本独特の師弟関係や学校観を築き上げてきた。


だが、戦後の教育の外形的な特徴は、アメリカ一辺倒になってしまった、という。

 

・厳しい校則、どこから?


「単線型」は米国の影響だが、日本の厳しい校則はどこから来たのだろうか。

髪型や服装についての細かい規定があったり、制服が指定されていたりする学校は多い。


さらに一部の学校で、「下着の色は白のみ」などと指定したり、地毛が茶色の生徒を一律に黒く染めるよう指導したりする「ブラック校則」も問題になっている。

その点は、米国と関係はあるのか。


「それは、米国とは全く関係ないです。根っこは、明治以来ですね」と沖田氏は言う。

「明治5年の学制(フランス流の学区を導入)、富国強兵の流れの中で、軍部の流れが強まったのが背景です。日清戦争、日露戦争を経験する中で社会主義運動が出てきて、そのころから校則が厳しくなり、『異端を許さない風土』が広がっていった」


米国では、制服の指定がない学校が一般的だ。

また、多くの学校では、髪の毛を染めたり、ピアスをしたりしても問題にならない。


小学生がみんなランドセルを背負っているわけでもない。

「今日、どういう服を着ていくか、どういう色が好きなのか、何を食べたいのか、選択するというのは極めて基本的な人間の権利だが、それが日本の教育にはない」


中学生の「丸刈り」が一般的になったのも、明治時代の徴兵制以降だという。

徴兵されると丸刈りになるが、同じように子どもたちにも丸刈りが広がった。


筆者が中学生だった1970年代は、まだ中学生の丸刈りは珍しくなく、筆者自身も丸刈りだった。

今、さすがに中学生の丸刈りは少ないが、野球部などは丸刈りを続けている学校も多い。


教育基本法の制定などで民主主義教育がうたわれ、戦後教育は戦前とすっかり変わったと思われがちだが、沖田氏によれば、学校文化には、戦前との連続性がしばしば見られるという。

 

・「先生主導」と「子ども中心」の揺れ

 

日本は戦争に敗れ、軍国主義は深刻な反省を迫られた。

そこで前述のように、GHQ、アメリカ教育使節団の影響を受けて、根本的な出直しをしたはずだった。


戦後、GHQのもとにおかれた民間情報教育局(CIE)は、戦争を起こした罪を日本の国民に自覚させることを「日本人の再教育」に位置づけた。

沖田学長は「日本人が戦争に至る歴史を反省すべきことはいうまでもない。だが、米国という大きな力に強制され、米国の価値観に染められたことで、主体的に反省することからかえって遠ざかってしまった」と話す。


その意味で、戦後アメリカ当局が日本の教育に取り入れようとした「個性尊重」は、真に主体性を伴った「個性尊重」を目指したのか疑問、という考えだ。


(中略)


・「複線型」による「生涯学習」を

 

では、これから日本の教育はどういう方向をめざすべきなのだろうか。

沖田氏は、一つのカギは、「複線型」の復活も含め、学生生活や人生の途中で「切り替えがしやすい」教育制度にすべきだという。


たとえば、看護師が一定の経験を積んだ上で、医学部に編入し、医師になるようなことが可能な教育が望ましいという。

教育界には、「複線型」については、もともと階級社会であったり格差が激しい国において、定着しやすい制度であるという見方がある。


そのため、「複線型」にすることによって、格差が固定化してしまうとの懸念を持つ人もいる。

この点について、沖田氏は、「戦前の複線型は早い段階で人生が決定づけられるという欠陥を持っていたことは確かだ。


その点は改め、能力の発達に応じて複線型における変更が可能となれば、個性にあった学びを自分で発見することが可能となるのではないか」と話す。

人工知能(AI)の発達などによって、人間が機械に代替されるような分野は増えてきた。


このような時代で、生徒が将来、職業を得ていくことを考えると、生徒の得意な科目、興味ある分野や個性を伸ばしていく教育の重要性は増してくる。

一方で、小学校や中学時代には、生徒本人が、自分が本当にやりたいのは何なのか、得意なことは何なのか、自分ではまだ見極めがつかないケースも多い。


早熟か晩熟かにかかわらず、自らの得意分野、やりたいことを「発見」したときに、柔軟に切り替えができるような教育制度を構築すべきだ、と沖田氏は言う。

その意味で、社会人になっても学び直しが可能な、一生学び続けられるような教育制度の構築も不可欠である。


今でも社会人入試はあるが、それを財政的に支えるような制度が必要だという。

芸術、スポーツ、テクノロジーなどの世界では、高校などでは、ある程度多様化は進んできたが、さらに個性を伸ばす方向の改革を求めている。


大学入試については、今でもAO入試や推薦入試などがあるが、さらに多様化を進めるべきだという。

「東京芸術大学に入学するのに、数学なども含めた共通テストを受けなければならないが、アーティストを育てるための大学の試験科目として数学は必要なのか」と話す。


他方、入試科目に科さない形でも、理系も文系も、哲学を学んだり、古典を読み込んだりすることはあったほうがよいという。

将来、科学者になるにしても、リベラルアーツの素養が重要だとみるためだ。


かつて民俗学者の柳田国男は前近代の「群れ」の教育を論じて、子どもたちが自ら集団のルールを作り、リーダーをつくり、そして集団の秩序を形成していった、と述べている。

沖田氏は、「群れ」の中で個性を認め合う関係を子どもたちが作り出していくような姿は復活させるべきだという。


前述のように、江戸時代のような「寺子屋スタイル」、複数学年にまたがる生徒同士の「教えあい」の手法も、広げていく価値があるという。

一部の私立の学校では、そうした試みをすでに始めているところもある。


真に「多様性を尊重」し、地域に根ざした「共同体」も支える形の「個人主義」が広がること。

そして人生のさまざまな局面で「選択可能」な教育制度にしていくこと。


そうした改革が、日本の復活を支えることになると、沖田学長は考えている。


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戦後教育はどこが間違っていたのか 教育史の専門家がみる「改革のヒント」
GLOBE+(朝日新聞)2020.10.10 沖田行司・びわこ学院大学学長
https://globe.asahi.com/article/13750368