山歩きは晴れがいい!
山に行くたびにレインウェアを着ています。
まるでユニホームのように。
そんな山歩きと日常の日記です。
 



3月24日(日)

先週に引続き、東松島市にやって来た。


僕は土曜の夜から義援隊に合流。

なぜか、小野地区の仮設住宅で作られている
「おのくん」がいっぱいいた。

宿泊はいつもお世話になっている黄色いお家のO形さん宅。

奥さんの料理は超うまー!

ご主人に震災の日のことをお聞きしました。



今日はいつものようにラジオ体操とミーティングをやり、
避難場所を計画している高台に向かった。


整地する前に、草を刈ってほしいと依頼があったのだ。

草ぼうぼうで蔓も多く、なかなかハードな現場だった。


before


after


きれいになりました。



今日のメンバーは8名(大阪、静岡、東京、新潟、山形、宮城)

久々にハードだったが、少数精鋭で頑張った。

あいかわらず皆もくもくと働いていた。


午後からは、野蒜小学校(仮設)の花壇の整備をした。


春になったら花を植える予定だ。



今回も充実したボランティア活動ができた。

今度はいつこれるかな?





昨日、復興感謝祭があり、義援隊も感謝状と記念品をいただいた。

活動を始めて、まる2年。
地道な活動の成果だと思う。

これからも東北に関わっていきたい。

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3月16日~17日


16日(土)

久々に義援隊に参加。

東名(とうな)駅近くの線路は以前来た時のまま・・・

仙石線は高台の方にルートを変えて走らせるらしい。
もうここを電車が通ることはないのだろう。


今日は、8名でリホームした家の庭の草取りと整地。

草は枯れていたが、根っこがしっかりしていたので、意外とやっかいだった。

きれいになりました。

この土の上に盛り土して庭にするらしい。

こんな沢山になるとは思わなかった・・・

津波が来てから2年、やっと元の家での生活が始まる。



昼は松島まで行って、はぜアナゴ天ぷら定食を食べる。


ふわふわで脂がのっていて最高!

美味しゅうございました。


野蒜駅前のプランターと花壇の草取り。

駅横のお店は、あの日のままだった。

作業が終わった後は温泉へ。

あたたまったー!


いつもお世話になる、グループホームの「すみちゃん家」で夕飯を食べ、一泊させてもらった。

夕飯はメンバーの物理のO木先生と教え子のリサちゃんが作ってくれた。
ペペロンチーノ、美味かった!



17日(日)

8時半、いつものラジオ体操とミーティング。



本日の参加者、16名。
徳島、大阪、奈良、静岡、東京、千葉、山形、宮城から参加。


今日の作業は、一階の天井まで津波が入ったが
今はリホームして生活している家の庭のガレキ取り。

周りの家は津波で流されてしまったが、
奇跡的に流されなかったらしい。

大きなガレキはもう無いが、砂を掘るとガラス片や
陶器の欠片などがけっこう出てくる。

これで子供たちも安心して遊べるだろう。




僕は午前中で上がり、のんびり9時間かけて帰って来た。

徳島までは何時間かかるのかなー?

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3月15日(金)

今日は南三陸町に出張。

昼休みに「南三陸さんさん商店街」に初めて寄った。

ここの前の道路は何回も行き来していたのだが・・・

平日のさんさん商店街はお客さんが少なかった。


床屋さんがあったので、坊主頭を刈ってもらった。
もうからない客だ・・・

「BARBER MIYAKAWA」のご主人(30代かな?)に頭を涼しくしてもらいながら
商店街のことや、あの日のことを教えてもらった。


小学校は高台にあり、お子さんは無事だった。
奥さんは役場に勤めていたが、たまたま出張で無事だった。
ご主人は携帯電話と充電器だけを持ち出して、近所の人を
車に乗せられるだけ乗せ小学校に避難して無事だった。
津波が来るまで1時間程あったが家に戻らなくてよかった。と言っていた。


「財布も家も何にも無くなったが、とにかくみんな生きていてよかった
生きていればなんとかなる」

その言葉は力強かった。

さんさん商店街で仕事を再開したとき、偶然、同級生と店を並べることになった。
隣の「亜べとう整骨院」と「創菜旬魚 はしもと」。

ご主人に昼飯何処がいい?と聞くと、もちろん、はしもとを勧めてくれた。


そのはしもとで昼食とした。


店に入ると、外には人があまりいなかったのに、満席状態

南三陸刺身御膳を食す。

うんま!




震災からまる二年。

被災地はどこもそうだが、やっとガレキが片付いてきた状態。

復興はこれからだと思う。


日本人として、東北を忘れてはいけない。



「そうだ、東北に行こう!」


観光でいいので旅行に行ってちょ


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3月9日~10日


9日(土)

雪遊びと温泉を楽しむために、30年ぶりに野沢温泉にやって来た。

4時半に家を出て、9時に宿到着。
今回の宿はアウトドア義援隊つながりの「民宿 山ぼうし」さん。

まだ部屋には入れないので、駐車場に車を置いてスキー場に向かう。

長坂ゴンドラリフトに乗り、景色を楽しみながら山頂へ。


スキーセンターでスノーシューのルートを確認し雪歩き開始。


ゲレンデ脇のブナ林の中をのんびり歩く。

新雪じゃないので、ふわふわではないが
それなりに面白い。

僕の安物のスノーシューは調子が悪いので、
来シーズンは新品がほしいなぁ


2時間ほど歩き景色の良いところで昼食とした。

最高の景色に乾杯!(ココアだけどね・・・)


日陰ゴンドラの終点付近まで歩いて来て、スノーシューは終わりにし、
雪上車による遊覧を楽しんだ。

料金はソフトドリンク付きで、なんと500円なり

ガイドのおじさんが山の名前を教えてくれたけど
忘れてしまった・・・

空気が澄んでいると日本海まで見えるらしい。



日陰駅と温泉街を結ぶ遊ロード。昔はなかったな~。


15時ごろ、遊ロードを下りて宿に戻り
女将さんに外湯情報を聞き、温泉めぐりに出発。

まずは、有料(500円)の「ふるさとの湯」へ。

内湯と露天風呂が有り、二種類の泉質が楽しめる。


次は「真湯」。

黒っぽい湯の花が湯船にただよっている。


そして「松葉の湯」。

地元の人が階段横の箱でゆで卵を作っていた。


野沢の温泉はどこも熱々だが、ほのかに硫黄の香りがして
いい温泉だ。


宿の夕食。

宿のご主人がどぶろくを作っていて、
それがまた美味いのなんのって、
二合、いただきました。


21時過ぎに有名な「大湯」につかり、
本日の温泉巡りは終了。


温泉街は若者で賑わっていた。


僕は酒屋で地酒を買って宿で一杯。
妻は「まだ呑むの?」と呆れていた・・・




10日(日)

6時に起きて、朝風呂に行こうと思い
宿の玄関を開けると、グリが顔を出した。

なでまわしていたら、いい加減にしろよ、と言いたそうな顔をされた・・・


大湯の先にある「河原湯」に入る。


めちゃめちゃ熱かった。

4人入っていたが、熱いためか皆すぐに出てしまい、
プライベート温泉になり、写真撮りまくり。


9時過ぎに宿を出たが、パラパラと雨が降り出した。

今日は夜に用事があるため帰るだけだが、
豊田飯山ICに向かう途中、二箇所ある道の駅で、
お土産を買った。

帰宅するにはあまりにも早かったので、
松本ICで高速を下りて、お焼きを買ったり、
諏訪ICでも高速下りて、モンベルショップに寄ったりして
のんびりゆっくり帰宅した。(15時ごろ着)








そうそう、中央道の甲府あたりを走っていたら、
街中がもやに包まれていた。
花粉か黄砂か煙かわからなかったが、
どうやら砂嵐だったようだ。

車が風にあおられ、ちょいびびったぜぇ~!

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5月6日(水)

昨日13時半ごろ、愛犬ペロが妻に見守られ旅立った・・・




息子(次男)がまだ小学校5年生の3月、
里親を探していたお宅からもらってきた。


まん丸く子グマのようでとても可愛かったのを覚えている。


名前は息子がペロと名づけた。



散歩は朝が僕で、夕方は息子が行っていた。

散歩が好きなペロを、雨の日も風の日も毎日連れて行った。


言うことは聞かないし、他人にはめちゃめちゃ吠えるワンコだった。

お手も、鼻にシワを寄せ、いやいやするのであった。


でも、そんなペロを家族は愛していた。


3年前、我が家を新築したとき、いらなくなった材料でペロの家も新築した。



この場所は朝の散歩のとき富士山を撮影する定点だが、
時々ペロにモデルになってもらった。

なんか賢そうに見える。

孫ができ、休みの日には皆で散歩に行った。



晩年は、体力が衰えて、みったんでも散歩ができるようになった。


腰が悪くなってから足を引きずりながら歩くようになり
爪から血が出て、妻に毛糸の靴下を編んでもらい履いていた。



2月末からもう自分では立つことができなくなったが、
亡くなる日まで餌を食べていた。


それが・・・


いつかその日が来ることはわかっていたけれど・・・


ペロ、14年間ありがとう。


そして、さよなら。
















今夜、火葬車に来てもらい、自宅の庭で荼毘に付しました。

何もわからないみったんが、「ペロしんだね~」と言って
悲しみに追い討ちをかけてくれました。

家族全員でペロの骨を拾い、最後は細かい粉末にしてもらいました。
時が来たら散骨します。








このブログに載せる写真を選んでいる間、涙がとまりませんでした・・・
悲しい記事ですみません。

でも、我家はペットロスにはなりませんのでご安心を。
昔から動物は沢山飼っているので大丈夫です。




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3月2日(土)

妻と沼津港周辺を散策して来た。


御殿場線で裾野から沼津駅まで行き、駅前通りを真っ直ぐ歩いて25分程で港に着いた。
久しぶりの沼津港である。

着いたのが丁度お昼どきだったので、「沼津みなと新鮮館」に入っている
「港食堂」で海鮮ユッケとイクラのハーフ&ハーフ丼を食べた。



「おいすぅいぃぃぃ!」

ごはん、味噌汁食べ放題!

この建物で流れていた曲がカッコよかった。
「沼津みなと新鮮館テーマソング」で検索してみてちょ。



大型展望水門「びゅうお」

津波から港や周辺地域を守るための施設。

富士山がよく見えた。

雲が無ければ、南アルプスまで見えるらしい。


次は、深海水族館「シーラカンス・ミュージアム」


冷凍シーラカンスが鎮座ましましていた。

食べても美味くないらしい・・・

入館料が施設の割に高いが、二千五百万円の冷凍設備があるのでしょうがないか・・・
それなりに面白かったので良しとしよう。


港湾から狩野川を渡り、沼津御用邸記念公園を目指す。

川面を渡る風が気持ちよく、春の気配を感じる。


御用邸に向かう途中に、牛臥山公園が有る。
ここは「わが母の記」のロケ地になったようだ。

この公園は知合いのブログ(地元情報満載)で知った。

公園はまだ新しく、トイレが三箇所も有る。
今度は孫たちと遊びにこよう。

沼津の海もキラキラしていた。


公園から10分ほどで御用邸に着いた。
もう16時近かったので公園内の散策だけにした。

高校時代この近くの海でよく遊んだな~。懐かしい。


御用邸を出ると丁度路線バスが待っていたので、
帰りは歩かずバスに乗って駅に戻った。


今日はひな祭りイブ、なんと結婚記念日なのだ。
ちゅーこって、妻が「美味しい焼き鳥食べたいな」と言っていたので
仲見世商店街の近くにある「鳥よし」に寄って、ささやかにお祝いをした。


希少な白レバー。「おいしいら~!」

焼き鳥も、つくねもみんなうまうまだった。



二軒目は裾野に戻り、いつもの「バーカプリス」へ。


「28年間ありがとう。これからもヨロピク」


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