来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
浦島太郎・御伽草子バージョン
昨日に続いて。
浦島太郎の「本家」は、「御伽草子(おとぎぞうし)」にある話。これは室町時代から江戸時代にかけてまとめられたもののようだから、それほど「むかしむかし」でもないが、この中の浦島太郎について注釈しよう。もちろん「御伽草子」の中にはたくさんのおとぎ話がある。例えば「一寸法師」なども。
「浦島太郎」を読むと、私たちが知っていることと大きな違いがあることに驚いた。まず太郎の「本籍」は丹後国(京都府北部)。年齢は24,5歳。魚をとって両親の面倒を見ていた。
そして例の亀との出会いの場面である。いつものように太郎は魚を釣っていると、亀を一匹釣り上げた。そして言うには「鶴は千年、亀は万年というように寿命は長い。だから今ここでお前の命を奪うことはかわいそうなので助ける。この恩を忘れるな」と言って海に戻したということになっている。
いじめから救ってあげた、とか道に迷ってガイドしてあげた、などではない。そしてだいたい殺さなかったから「恩を忘れるな」という自分勝手な理屈はないだろうに。
その後、一艘の小舟に乗っていた女を助けることになる。「私を本国に連れて行って下さい」と頼まれたので、10日余りの船旅を続けて女の故郷に連れて行った。船より上がったときにその女は「私と夫婦の契(ちぎ)りを結んで下さい」という。太郎は「お言葉通りに」といって契りを結ぶことになる。その後は「比翼の鳥、連理の枝」のごとく幸せな結婚生活を送ることになった。ご存じ竜宮城での暮らし。
そして3年たったころ、故郷に残した父母を思い、太郎は「30日のいとまを下さいよ」と頼む。「今別れたらいつ会えるか」と彼女はさめざめと泣く。そして初めて彼女は「私はこの竜宮城の亀です。あなたに助けられたご恩に報いるために夫婦になりました。これを私の形見としてさし上げます。決してお開けにならないで下さい」と言って玉手箱を太郎に渡した。
故郷に帰ったが、そのあまりの変わり果てた姿に驚く太郎に、80歳ぐらいの翁(おきな)が言うには「浦島とかいう人はもう700年も前のことと申し伝えられていました」。「あれが浦島の墓です」という。
呆然とした太郎は「決して開けてはいけません」と言われた箱を開けることにした。箱の中から紫の煙が3筋のぼり、とたんに太郎は24,5歳からおじいさんに変身してしまった。
(亀のはからいによって、太郎の年は箱の中にたたみ入れてあったのである)。
その後浦島太郎は鶴になり、蓬莱の山(中国の想像上の神の山)で遊び、亀はまた万年を経たという。鶴と亀はそののち丹後の国の明神となっている。「まことにめでたかった先例である」で終わる。
(前後の話のつながりがはっきりしない箇所もあるが、小学館の「日本古典文学全集」昭和51年版による)。
私たちの知っている浦島太郎は、明治以来の文部省の国語の教科書と唱歌による話しである。このあたりのことはネットで調べるとたくさん説明がある。
自分で殺そうとしたのに「助けてあげた恩」という身勝手な理屈は、さすが文部省は訂正したかったのではないか。だから子どもたちのいじめから救ったことにしたり、乙姫様との結婚も、はっきり書かないで、想像したら分かるでしょう、という方針になったのではないだろうか。過ぎた年月も300年であったり、700年であったり。
もう少し浦島伝説を調べてみたいという気持ちである。
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