来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「『仕事より家庭』は無責任か」
毎日新聞の昨日の特集記事だ。
埼玉県の県立高1年の担任の女教諭が入学式を欠席し、自分の息子の高校入学式に出席した。このことについて議論が大きくなっているという。
論点はもちろん「教師として無責任」か「教師も一人の親」か、である。
しかし記事を読むと次のような事情がある。すなわち、息子はストレスをかかえており高校生活をスタートさせることができるかの懸念があったこと、事前に校長に事情を説明し了解を得ていたこと、また入学式当日、自らの生徒に欠席をわびる手紙を準備していた、などなど。
この背景事情も含めて考えたら、この女教諭の行為は「やむを得なかった」と言いたい。しかし議論はそんなことだけでなく、無責任だ、個人的事情の優先は許されない、なども多いという。
Yahoo!ニュース調査では、35万票のうち、「欠席は問題」は44.4%、「問題と思わない」が48.0%という数字が出ている。
私は前述のように、「やむを得なかった」と認める立場だ。この女の先生は「自分の子どものために学校行事を捨ててもいい」といった単純な事情を表現しているのではない。クラスの子どもたちに「ごめんね」と事情を説明している。つまり「礼を尽くしている」のである。
私も妻も教職につきながら3人の子どもを育てた。はるか以前、上のようなこともあった。私が妻に代わって息子の高校の入学式に参列したこともあった。上の先生に夫はいなかったのだろうか、なども分からない。しかし夫がいてもいなくても事情は同じである。クラス担任としての仕事をどういう説明ではずしてもらおうとしたか、であり、この点で遺漏はなかったと思う。
あれかこれか、といった単純な割り切りで論争するのではなく、社会生活の微妙な機微を評価して一人一人の生き方や選び方を考えていくことが大事なのではないだろか。
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